#416/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/05/26 20:09 (203)
対決の場 32 永山
★内容
「この二日間、面城に不自然な行動はなかったか、正直に話してくれないか。
嘘の証言をしてくれと奴から頼まれていたとしても、だよ」
「話すことなんてありません。あいにく、彼に不自然な素振りは微塵もなかっ
たし、嘘を言えと頼まれてもいないので」
きっぱりと発言したかと思うと、口を固く結ぶ麻宮。
遠山の立場では、彼女の言葉を鵜呑みにもできず、かと言って、特に切り札
も持っていない現状では、追及のしようもなかった。
「警部。とりあえず、自画像を調べに行くか、八坂の部屋に入るか、してみて
は……?」
誰も口を挟めないままでいたところへ、麻宮の態度硬化を見て取ったか、嶺
澤が促してきた。遠山がそれに応じようと、返事をしかけたとき。
「私は『さか』が七つに拘るわ」
麻宮が言った。遠山が逸らしていた視線を戻す。彼女からは、強い意志が感
じられた。
「パズルの答は八坂じゃなく、七つの『さか』だと思う」
まるで、そう考えることで、面城に掛けられた嫌疑が晴れると信じているか
のように。
実際には、パズルの答が七つの「さか」だろうと、八つの「さか」だろうと、
面城への疑いの濃度に変化はない。最後のターゲットが面城薫(犯人自身)で
ある風に装うのが、よりヂエらしいやり口だと思えるから、遠山は八つの「さ
か」説を採ったに過ぎない。
島の女主人となった麻宮は、そのことに気付いているのかどうか、自身の推
測を考え考え、述べ始める。
「答が七坂としたら……八坂さんの一つ前、という見方ができなくない?」
場に問い掛けるような口ぶりに、最初は相槌もなかった。麻宮がみんなを見
渡いて行くと、何名かが無言の頷きを返す。遠山や嶺澤は、表情に変化を出す
ことなく、とにかく聞いていた。
「言い換えると、八坂さんの部屋の一つ前に泊まった人、もしくはその部屋自
体に何か秘密があるのかも」
「部屋の一つ前、とは?」
つい、口を出してしまった遠山。意味が飲み込めなかったのだから、仕方あ
るまい。他人の意見を聞きたいという気持ちも、当然ある。
「八坂さんは確か、三号室。だから、その一つ前の二号室のことよ」
「そういう理屈か。二号室は……伊盛」
少し、引っかかる名前ではある。遠山が一番に怪しんだ人物。だが、すでに
死んでいる。あの遺体は紛れもなく、伊盛善亮だったのだ。姿晶のように顔の
酷似した兄弟はおらず、また、角治子のように焼け死んだのではないのだから、
別人との入れ替わりも不可能だ。
それに、今度のパズルが示すのは、最後の犠牲者の名である。いかにヂエで
も、死人を改めて犠牲者に選びはしまい。
「麻宮さん、貴重なご意見ですが、私には無理のある解釈に思えます」
嶺澤が言った。これ以上、遠山に否定的な発言をさせて、麻宮との仲を険悪
なものにしてほしくない、という配慮が感じられた。もちろん、捜査を円滑に
進めるために違いない。
「七つの坂だから八坂の一つ前を連想しろというは、難しすぎる云々ではなく、
パズルとして不成立じゃないですか。ヂエの今までのパズルは、難問でしたが、
それなりに筋の通った問題でした。解けてみれば納得できる、と言えます。麻
宮さんの解釈だと、とても納得できないんです」
嶺澤の説得の仕方には、遠山も多少、感心した。最前、遠山が考えた理屈よ
りも、嶺澤が今言った説明の方が、心理的に受け入れ易い気がする。事実、麻
宮はおとなしく頷いた。
「でも、正解は七つの『さか』のはずです。『さか』が七つ……」
若き女主人は、憑かれたように繰り返し、言う。見守っていると、不意に目
を見開いて、「ひい、ふう、みい」と呟き始めた。そしておもむろに、この場
の全員に尋ねる。
「七つは、なな? それとも、なあ?」
一瞬、怪訝がる雰囲気が部屋に充満した。が、じきに解消される。布引が答
えたからだ。
「ひ、ふ、みで言うと、七は『なな』『なあ』『な』、いずれの読み方もする
はずです」
「そうなの? ありがとう、布引さん。じゃ、『さか』が七つで、『さかな』
という風に考えてもおかしくはないわね」
再び、「はあ?」という雰囲気になる。今度のは、即座に消え去ることはな
かった。
「海を泳ぐ、あの魚を意味すると?」
遠山が仕方なしに聞いた。麻宮は確信を持った様子で、答を返してくる。
「海でも川でも関係ない。魚よ」
「しかし、それが次の犠牲者とどんな関連が……。魚が犠牲者ってことじゃな
いだろうし」
「当然よ。それにね、私達はパズルで指示された通り、足下を探さなきゃいけ
ないのよ。この島で、足下にある魚と言ったら」
麻宮は使用人の一人を振り返った。目が合ったらしく、その人物――吉浦は、
驚いた風に腰を浮かした。
「吉浦さんなら、分かるわよね」
「そう仰られても、自分にとって魚と言えば、食材でしかあり……あっ、地下
の冷凍庫か!」
突然、声を張り上げた吉浦に、遠山達は注意を引き付けられた。
「地下に冷凍庫があるんですか? そんな物、見当たらなかった気がしますが」
遠山の問いに、吉浦は口元に小さな笑みを浮かべ、答える。
「地下と言っても、お屋敷の方ではなく、こちらの地下でしてね」
と、足下を指差す。
「宿泊客用の食材を保管しておくんですよ。調理場だって当然、こちらにある
から、材料はなるべく近くに置いておくのが便利ってもんでしょう」
「分かりました。それで、その冷凍庫は人が入れるくらい大きいのでしょうか」
遠山はこの時点で、ヂエのパズルが犠牲者の名前のみならず、殺害方法をも
提示しているのではないかと考えていた。「さか」の数が七とも八とも取れる
のは、その証拠ではないか、と。
吉浦が当然のように、「充分ですよ。私自身、出入りするくらいだから」と
答える。遠山は即応した。
「早速、調べねば。吉浦さん、案内を。嶺澤刑事はここにいてくれ。皆さんも
出歩かないようにしてください」
遠山は、地下の冷凍庫と聞いて、港の倉庫街にあるような大規模な物を想像
した。それは大げさに過ぎたが、確かに人が出入りするのに充分であろう金属
製の扉がまず目についた。精肉店の冷凍庫がこれくらいかもしれない。
「ここ、鍵は掛かるんですか」
近付きながら吉浦に尋ねる。
「鍵は付いてるが、普段は掛けない。出し入れの際に、いちいち鍵を掛けたり
開けたりしていたら、手間でしょうがないね」
「つまり、誰でも開け閉めできる状態か……」
扉の前に立つと、吉浦に開けるよう指示する。遠山は万が一に備えて、銃に
手を掛け、目の前の銀色の扉がスライドしていくのを待った。
「……気のせいかな。冷えが心持ち、悪いようだが」
吉浦が呟く。長くこの冷凍庫を使ってきた料理人の言葉だ、直感を信じてよ
いだろう。
「捜査のため、しばらく開け放しておいてください。五分もあれば見回れるで
しょう」
「仕方ない。それより刑事さん、中に何があると?」
「分からないから調べるんです」
できた隙間から身体を滑り込ませた。肌寒いを通り越して、産毛が凍みつく
ような感覚を瞬時に味わう。手がかじかむ危険があると察し、慌てて手袋をは
めた。捜査用だが、気休めにはなる。
中は、明かりが点っていたが、見通しはよくなかった。食材を載せたり吊っ
たりする棚が整然と列べてあり、視界を遮る。遠山は注意深く歩を進めた。
「誰かいるのか?」
可能性は低いが、万が一、ヂエが潜んでいたとしたら、こちらの存在はとう
に気付かれている。誰何の声を出そうが出すまいが、関係ない。
しばし、耳を澄ませる。と、空調か何かの単調な機械音に混じって、別の音
をキャッチした。微かな息づかいのような、気配があった。
(最後の犠牲者――面城?――を襲った直後なのか?)
悪い想像が浮かぶが、悩んでいる猶予はない。庫内に誰かいるとしたら、ま
だ息がある。死んでいるのなら、気配を感じないはずだ。遠山は肝を据え、駆
け出した。
それまで死角になっていたところへ、視線を送り、次々と調べていく。そし
て一番奥の壁に突き当たってから、左を向いた瞬間、遠山は目を見張った。
(誰かいる!)
角に身体を縮こまらせる格好で、何者かが床にへたり込み、身体の右側を壁
にもたれさせていた。着ている物はグレーがかった長袖長ズボンで、どうやら
寝巻らしい。
「誰だ? 大丈夫か?」
大きく声を張る。しかし、返事はない。呻き声一つなかった。
遠山は扉の方に向かって叫んだ。
「人がいた! 凍えてる! 吉浦さん、手当の準備を。皆に伝えるんだ!」
調理人が一瞬の躊躇の後、扉を開放したまま、きびすを返して走り出すのを
見届け、遠山は凍えそうになっている人物に駆け寄った。
「おい、しっかり……」
絶句した。だが、それは長くは続かなかった。
「こ、近野?」
近野に違いなかった。今朝、ヂエに襲われ、殺害されたはずの近野が、目の
前にいる。遠山は混乱した。混乱したまま、しゃがみ込み、相手の頬を叩きな
がら言った。
「助けがすぐ来る! だからがんばれ!」
ごく弱い反応が、あったような、なかったような。
それから、近野の身体と壁の間に隙間を作ると、遠山自身が回り込み、近野
の両脇の下に手を入れ、立たせようと試みた。が、無理だった。一旦横たえ、
両腕で一気に抱え上げると、脱出を急ぐ。火事場の何とやらか、重たいとは感
じなかったものの、扉までの距離がやけに長く思えた。
庫外に出た途端、湿気に包まれたような感覚があった。思わず気が緩み、そ
の場にしゃがみ込む。再び横たわらせた近野の首筋に手を当てて、脈があるこ
とを確かめる。手に自分の手袋をはめてやってから、ところかまわず身体をさ
すってみる。冷凍庫に放置されて、いかほどの時間が経過していたのだろうか。
冷え切っている。
「生きてくれよ、近野っ。何があったか、喋ってもらうからなっ。それがおま
えの義務だ!」
呼び掛ける内に、声が大きくなり、手にも力がこもる。それでも反応が表れ
ない。遠山は近野の上半身をかき抱いた。
「目を覚ませってんだ、近野!」
発見が早かったことと懸命の手当のおかげだろう、近野は予想以上のスピー
ドで回復した。とは言え、意識を取り戻しただけで、体力は減退しており、暖
房を効かせた部屋で休ませていた。無論、彼の身に降り懸かった事態の説明も、
まだ聞けずにいる。
「近野の具合はどうだった?」
部屋から出て来た麻宮に尋ねた。看病には、彼女が主導的に当たっている。
遠山自身は、再度の襲撃の恐れありと見なし、警護役だ。
「やっと身体を起こして、食べ物を入れ始めたわ」
そう答えた麻宮の片腕は、お盆で塞がっていた。栄養剤の瓶と携帯補助食品
の箱が載っている。
「まともな物を口にするってことは、だいぶ元通りになってきたのかな」
「多分。でも、まだ少し怯えているようなところがあって。よっぽど強烈な恐
怖を感じたんでしょうね」
「……」
遠山は、益体もない想像をした。近野は意識を残したまま、ヂエに首を切断
され、再びくっつけられたのではないか……と。馬鹿げた空想に過ぎないはず
なのに、一笑に付せないでいた。あの冷静で論理的な近野が喋れないほどひど
く怯えるとは、尋常でない。
「凍死寸前の目に遭ったのだから、当然だ」
自分の空想を打ち消すためもあって、遠山はそんな答を返した。
「どうだろう。ぼちぼち、話せないだろうか?」
「話はできても、事件についてはまずいかもね。専門家じゃないから分からな
いけれども」
「そうか。そうだろうな……」
理解はできる。しかし、重要な証言を得る機会を、先送りしてはならないと
も思う。なるべく早く、近野の話が聞きたい。
「パズルを見せたら、どうかしら?」
お盆を持ち直した麻宮が、そんな提案をしてきた。不意だったので、遠山は
「え?」と聞き返す。
「近野君、パズルを解くのが得意なんでしょ? ここに来たのもそのためだし。
パズルを解くことに集中すれば、彼が自分を取り戻すのも早い気がして」
「うーん。ヂエに立ち向かえと言ってるようなものだからな。今の近野にとっ
て、それがいいことなのか悪いことなのか」
「見せるだけでいいじゃない。ヂエのパズルとは言わずに」
「ばれるよ。『犠牲者』『死ぬ』なんて言い回しが出て来るんだ。だいたい、
黙っていても、想像はつくに違いない。島に来てからずっと、ヂエのパズルを
解いていたようなものだし」
「それでも、やってみる値打ちはあると思うんだけれどな」
「……まあ、害にはならないか」
今以上に近野の状態が悪くなる可能性は低い。そう信じて、麻宮の案に乗る
ことにした。自分達の出した答で合っていたのかも気になる。
遠山は、ヂエが置いていったオリジナルではなく、写しを用意すると、一人、
近野の休む部屋に入った。
――続く