#415/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/05/18 00:39 (200)
対決の場 31 永山
★内容
食堂に入った遠山に、嶺澤が素早く寄り添い、上座のテーブルを指差しなが
ら耳打ちした。テーブルには、口を開けた封筒と、広げられた便箋がある。
「ヂエからのパズルのようです。素手で触ったのは布引さんお一人ですが、二
度目であるせいか、不用意にべたべた触って犯人の指紋――あればの話ですが
――を消してしまうような真似はしなかったと、誇らしげでしたよ」
「中身を見る前に……布引さんに、いつ見つけたのか、聞いた?」
小声で問うと、嶺澤はしっかりと頷いた。
「今朝七時十分頃と言っています。集まるように言われ、食堂に向かう途中、
カウンターに寄った際に、目に留まったと」
「それよりも前にカウンターを見たかどうかは、聞いてるか?」
「いえ、そこまでは。文面に気を取られまして……」
面目なげに片手を後頭部へと持って行った嶺澤。遠山は、「かまわない」と
呟く風に応じ、視線を戻すと布引の姿を探した。じきに目が合う。念のため、
他の者に聞かれぬように話すのがよさそうだ。手招きをしてから、声のボリュ
ームを落として尋ねた。
「今朝、起床されて以降、カウンターを初めて見たのは何時頃でしたか」
「五時四十分を回った頃だったと思います。お客様はもういらっしゃらないの
に、習慣で起き出してきたのが五時半過ぎで、電話が依然として通じないこと
を確かめ、ひどく沈んだ気分になったのを覚えています。そこへそちらの刑事
さんがいらして、食堂に集まるように言われました。他の人にも伝えてくれと
も」
遠山は部下へと振り返った。嶺澤は黙って首肯した。
「お食事の準備等もありまして、三十分近くを費やし、そのあと、もう一度、
カウンターに立ちました。宿泊者名簿を見ておきたくて」
「何のためにですか」
「犯人が誰であろうと、島のギャラリーを目当てに来られた結果、命を落とさ
れたのだと重うと、事件後、ご遺族へのご挨拶をしなくてはいけないと思えま
したので……。それで、独り暮らしをされていそうな方をチェックしておくつ
もりでした。連絡先を調べるのに、手間取るかもしれませんから」
大事なことかもしれないが、今やらなくても……と感じた遠山だが、すぐに
思い直した。気を紛らわせるために、何かしておきたいに違いあるまい。
「要するに、あの封筒を発見する前に、二度、カウンターを見たんですね?
その時点では封筒はなく、他の異変もなかった、と」
「はぁ……そうなります」
軽く俯いてから、ぼんやりとした調子で答えた布引。急いで施したのであろ
う化粧の下に、隈ができている。遠山は遅ればせながら気付いた。
「分かりました。結構です」
それから遠山は上座のテーブルに近付き、便箋に顔を寄せて字面を追った。
『PUZZLE
最後の犠牲者は “死ぬ”その終わりを遡ること四つ そして逆様に
“彼 誰 私に 貴方の 其れの”と、坂を数えよ。
賢しい者よ、足下を探せ。
生死の境より、些かの迷いもなく復活する。酒を樽から杯に注ぎ、祝え。
数え損うは、逆夢となる。 』
これだけだった。近野に頼り切っていたパズル解読を、自分達だけでなし得
るのか、否応なしに不安がよぎる。
「先に読みましたが、恐らく、次の、そして最後の殺人予告では……」
嶺澤の意見に同意し、首肯する遠山。
「相変わらず、難解だな。すぐには解けそうにないが、かと言って、今回も後
手になって、新たな犠牲者を出す訳にいかない」
遠山は考えた。この場は、全員への状況説明のために用意したが、現時点で、
詳しく話すいとまはなさそうである。手短に済ませて、安全確保に最大限の力
を注ぐべきだろう。
遠山は部下と目を見合わせると、軽く頷き、皆の方へと向き直った。
今朝早く、近野創真が襲われ、死亡したことと、犯人を追ったが見失ってし
まったことを告げてから、怪しい物音や不審な行動をした人物、その他気付い
たことがあれば申し出て欲しいと頼んだ。
が、反応は芳しくない。せいぜい、早朝からの銃声に驚いたという声がある
くらいで、事件解決に直結しそうな証言は得られなかった。
遠山はしかし、落胆せずに次に移った。届いたばかりのヂエの暗号を全員に
公開し、それが恐らく殺人予告だということも教えたのだ。全員に危機意識を
はっきりと持ってもらい、同時に、暗号解読に知恵を出し合おうという窮余の
一策であった。コピー機があるというので、パズルを人数分だけ複写し、配布
する。
「遠山君。これまでのヂエのパズルと答も、みんなに教えた方がよくなくて?」
紙を受け取ってから、麻宮がそんな提案をしてきた。
「そうすれば、傾向というか、手口が掴めて、解きやすくなるかもしれないわ」
「言いたいことは分かるよ。しかし、パズルと答は、一種の証拠だからな。皆
さんに見せたパズルも一部あるが、全てを晒すのは厳しい」
「だったら、せめて、あなたの口から、ヂエのパズルの特徴を言ってみてよ。
近野君のような専門家じゃなくても、感じるところはあったんじゃないの?」
「うむ。要するに、言葉遊びだな。これまでのパズルの大部分が、言葉遊びだ
った。理屈だけで解くものもあったが、今回のは文章からして、言葉遊びタイ
プに違いない」
麻宮だけでなく、布引達にも聞こえるように声を張る。
「例を挙げてくれんかね」
挙手しつつ、淵が求めてきた。
「これまでのパズル全部を教えてくれとは言わん。一つぐらい、分かり易い例
を示してくれれば、考えようがある」
「そうですね……では、たとえば、『頭にきを付けろ』という文があったとす
ると、それは頭上に注意しろという意味ではなく、ある単語の頭に『き』を付
けて別の単語にしろ、という意味だったんです」
「……ああ。なるほど」
眉間にできていた皺がふっと緩み、合点した風に頷いた淵。だが、だからと
いって、今回のパズルへの建設的な意見が閃く訳でもないらしい。
代わりに、おずおずと、小さく手を挙げたのは淵の隣に座っていた榎だった。
元々、口数の少ない男のようだが、一晩ですっかり憔悴している。
「何でしょう?」
遠山は、優しい物腰を心掛け、彼を指名した。
「あの、おかしなこと言うかもしれませんが、聞いてくれますか」
「もちろんです。聞かせてください」
「二行目、というか三行目にある“彼 誰 私に 貴方の 其れの”なんです
が、英語ということはないですか」
遠山は思わず、目を幾度もしばたたかせた。本当に「おかしなこと」を言い
出され、戸惑う。
「昔、飲み会で、ジョークみたいなクイズを聞いたんです。英語の代名詞とそ
の変化形で、数を数えてみなさいっていう」
「数える……代名詞で?」
「はい。答は、“he,who,me,your,its”で、『ひい、ふう、みい、よう、いつ』
になります」
口で言われても分からなかったので、書かせた。ようやく飲み込めた。
「確かに、“彼 誰 私に 貴方の 其れの”と対応が取れている。というこ
とはつまり、『坂』を数えるのも、ひい、ふう、みい、と数えろって意味か」
まだ全体は見えてこないものの、榎の見方はぴたりとはまっている。多分、
当たっているのだ。遠山はメモを取った。
「私も気付いたことが、一つだけあるのですが、よろしいでしょうか」
遠山が面を起こすのを待っていたかのように、布引が言った。「どうぞ」と
促すと、彼女はコピーしたパズルの文面を指でなぞりながら、続ける。
「この文章を声に出して読んでみると、『さか』という読みが、繰り返し登場
すると思いません?」
「……確かに」
「ですから、『坂を数えよ』というのは、この文章に『さか』がいくつ出て来
るかを数えればいいのではないでしょうか」
「興味深いご意見です。早速、数えてみましょう」
遡る、逆様、坂、賢しい、境、些か、杯、逆夢。
「八つ、だな」
遠山が数え終わる頃、淵が得意げに言った。
「遡る、逆様、坂、賢しい、境、些か、杯、逆夢の八つだ。探すだ、酒だと、
紛らわしいのもあるが、大の大人が、こんなもんに引っかかりはしねえ」
「待って。杯は『はい』とも読むんじゃない?」
文字通りの待ったを掛けたのは、麻宮だった。
「お言葉ですがね、レミお嬢さん。文面から言って、ここは『さかづき』でし
ょう」
「そうとも限らないよ、淵さん」
画廊管理人の反論に、調理師の吉浦が口を開いた。
「この場合だと、『はい』と読んでもかまわないはずだ。同じ、器を差す言葉
に変わりはないのだから」
「いや、しかしだな、吉浦さんよ。八つだと、ぴんと来るものがあるじゃねえ
か。八つの『さか』、ひい、ふう、みいで数えれば、『やあ』の『さか』。つ
まり、八坂を示してるんだよ、こいつは」
「八坂って、死んだ客の一人のかい?」
小さくないざわめきが波紋のごとく広がる。思いがけない名前に、刑事達は
互いの顔を見た。
「八坂の部屋、三号室は封鎖してあるよな?」
「もちろんです。他の犠牲者同様、キーも預からせてもらってます」
この通りとばかり、背広の両ポケットから、何本かのキーをまとめて覗かせ
る嶺澤。アクリル製のホルダーに刻まれた部屋番号が見える。三号室の物も間
違いなくあった。
「入れないのだから、ヂエが室内に何か仕掛けようにもできないはずですよ」
「……足下を探せ、だ」
「え?」
「三号室の下は、このフロアで言えば、どこに当たるんだろう?」
遠山は一階を見回しつつ、麻宮や布引に問う。しかし、さすがにそこまで把
握できていないらしく、すぐの返事はない。代わって、淵が口を開いた。
「三号室に限らず、客室のほとんどは、画廊の上に位置するんじゃないか」
「確かですか」
「だから、ほとんどだって言ってるだろ、刑事さん。三号室の位置は、だいた
い、自画像の上に来ると思うよ」
「自画像? 面城薫の自画像がありましたか?」
昨日、熱心な態度ではなかったものの、ギャラリーの絵を一通り観た。だが、
人の顔を描いた作品は記憶にない。抽象的な物が多かったので、そちらの印象
が強いかもしれないが、少なくとも人物画はなかったように思えた。
「ひでえな、題も見ずに回ったのかい。まあ、あの絵だけでは普通の自画像に
は思えないだろうけどよ。白っぽい大小の長方形や直方体を、あちこちに並べ
たような絵、覚えてないかな? 描いた本人の説明じゃ、カンバスに向かって
絵を描く己の姿を、鏡に映した構図を四角のみでデフォルメした、とかだった
な」
そこまで言われても、明確に思い起こすことはできなかった。ただ何となく、
そのような感じの絵もあった気がしないでもない。
いや――遠山はかぶりを振った。どんな構図なのかは無関係であると判断し
た。何が描かれているかが肝心。しかし……。
「パズルの答が、面城薫の自画像を示すのだとしたら、ヂエの次のターゲット
は面城になるのか?」
半信半疑の気持ちが、呟きの調子にも反映される。面城こそがヂエと見込む
遠山にとって、この答が仮に近野からもたらされていたとしても、受け入れ難
かったであろう。
(そもそも、最後に狙われるのは麻宮さんだとばかり思って、冷や冷やしてい
たんだが。わざわざ、彼女の名前を使ったパズルで、我々をこの島へおびき出
したんだからな。麻宮さんに危害が及ばないのなら、それはそれで結構なこと
ではあるんだが……)
混迷は解消するどころか、膨らむ一方のようだ。
そこへ、嶺澤が意見を述べた。
「犯人は推測通り面城で、自らを死んだように見せかけることで、それを隠れ
蓑に逃亡を図るつもりでいるのかもしれません」
「それはあり得るな。逃走方法は分からんが、海に転落して死んだ風に偽装で
きれば、他人の遺体を用意する必要もない」
「待ってよ。私にはやっぱり、到底信じられない。面城君が大量殺人を企て、
実行したなんて」
麻宮が強く主張する。
無論、遠山は承伏できない。初恋の相手の発言でも、甘い判断をする訳にい
かない。しかしそれは刑事としての職業意識よりも、面城の肩を持つ彼女に対
する、半ば無意識の内の反感のためかもしれなかった。
「そいつの絵がどんなに凄かろうと、現時点での最有力容疑者であることは、
誰が見ても明白だ」
「絵の腕前だけで言ってるんじゃないわ。長い間、この島で暮らしてもらって、
接していたから分かるのよ。面城君について、よく知りもしない癖に、適当な
ことを言わないでほしいわ」
反論の理由が、また遠山の神経を逆撫でする。怒鳴りつけたいのを堪えるの
で精一杯だった。
「ああ、確かに、君と違って僕は、面城薫とは一面識もないね。君が会わせて
くれなかったからだ。まるで、君が匿ってるみたいだよ」
「それ、どういう意味かしら」
「早合点しないで。麻宮さんまで疑ってるんじゃない。面城が君をだまして、
協力させているんじゃないかと思ってる」
「そんな馬鹿々々しいこと……」
――続く