#221/569 ●短編
★タイトル (dan ) 04/11/16 07:38 ( 59)
ソローの思想 談知
★内容
ヘンリー・デビッド・ソローは、もう今から100年も前のひと
である。しかし、そのひとの書いた「森の生活」という本は、今も
人々に甚大な影響を与えている。ワタシにも強い影響を与えた。ワ
タシが「森の生活」を読んだのは二十歳ころかと思うが、それ以来、
この本の説く、簡素な生活、シンプルな生き方というものは、もは
やワタシの血となり肉となっている。事実上ワタシの一生を決めた
本といってもいい。
ソローのこの本は、アメリカのボストン郊外のメインの森で小さ
な小屋を建てて2年暮らした。その記録である。そういう本がなぜ
今日まで影響力を持っているかというと、その暮らし方の思想ゆえ
である。
可能な限り少なく持つ。これが彼の主張の眼目である。ひとは荷
物を持ちすぎている。だから重すぎて生きていくのにしんどいのだ。
もっと荷物を軽くしなさい。そうすれば楽に生きられますよ。一言
でいえばそれだけだが、その意味するところは深い。
アメリカというところは、大きければ大きいほどいい、たくさん
あればあるほどいい、というような思想が強い国である。その国で
こういう考え方を主張した。そして主張しただけでなく、それを実
行した。
日本だと、方丈記だとか徒然草だとか、そういう考え方というの
はなじみがある。大きいものでなく、小さなものに美をみいだす、
たくさんではなくちょっとのものによさをみる、みたいな考え方が
けっこうある国である。それゆえ、ソローの思想はなじみがある。
すんなり受け入れられる土壌がある。
ソローは何者にもなりたくなかったひとである。農夫にも教師に
も商人にもなりたくない。ただ自分でだけありたい。ひたすら自分
だけを追求したひとだと思う。
彼は何者にもなりたくないひとであったが、何者にもなれるひと
だった。どうやって食べていたのかというと、あるときは農夫とし
て畑を耕し、あるときは大工として家を造り、あるときは商人とし
て鉛筆製造販売をし、あるときは家庭教師として生徒を教え、何人
でもないが何人でもあるような生活をしていた。
こういう生き方というのは、今でもなかなか受け入れられないだ
ろうが、当時のアメリカではもっとそうだろう。どれもこれも中途
半端、半端者というふうに見られていたのではないだろうか。それ
でも彼は平気で暮らしていた。
彼は世俗の望みを絶った聖者ではない。生きる意欲旺盛な世俗の
ひとだった。彼はそれらの仕事から十分楽しみを引き出していた。
楽しんで暮らしていた。
彼の望み。それは文章を書いて生きることだったようである。生
前彼は本を二冊出版している。しかしまったく売れなかった。ほと
んどが背負い込みだった。彼の家には売れ残りの本が山のように積
まれていたそうだ。しかし、だからといって不遇だというふうには
思わなかったろうと思う。彼は彼の生きたいように生きた。日々の
些事によろこびを見いだし、楽しく暮らした。本が売れなかったの
は残念だったろうが、それもまたよしと思っていたのではなかろう
か。
今日、彼の名は高い。アメリカでは、アメリカを変えた思想家5
人のなかのひとりに入っている。生前2冊しかでなかった本も全集
がでている。アメリカにおいても、今日こそ彼の思想がよく理解で
きるようになったのではなかろうか。
日本では、「森の生活」「市民としての反抗」「主義無き生活」
といった本が出ている。岩波文庫で手に入るんじゃないかな。「森
の生活」を読んでいれば、「市民としての反抗」「主義無き生活」
という題名を聞いただけで、何のことかすんなり理解できると思う。
分かるひとには一言聞いただけ分かるし、分からないひとはいくら
言葉を尽くしても分からない。そんなもんである。だから内容には
立ち入らないが、こちらも読む価値十分ある本である。
ソローを知って30年。ワタシもソローに近づけたかな。