AWC 中央高速道のレストラン  談知


        
#220/569 ●短編
★タイトル (dan     )  04/11/15  06:36  ( 53)
中央高速道のレストラン  談知
★内容
 中央高速道の談合坂というサービスエリアのレストランで働いて
いたことがある。あれはワタシが20代のはじめ頃のことだったか。
東京にリュックひとつででてきて、泊まるところもないし、仕事も
ないしというときに、ふと目にとまった新聞の募集広告に応募して
やってきたのだった。
 談合坂は回りに何もない山の上にあった。ふもとまで下ると村が
あり鉄道の駅もあるのだが、とにかく山の上である。本当にサービ
スエリアのレストランとか売店以外は何もない。泊まるところはレ
ストランの裏手にある寮である。2段ベッドのふたり部屋だった。
エアコンもない狭い部屋で、夏は暑く冬は寒い。ワタシはその部屋
に結局一年くらいいたわけだ。
 仕事はウエイターである。昼勤と夜勤の二交代制。しかし大抵は
どっちか一方をずっと続けるひとが多かった。夜なら夜でずっと続
けるほうが体にはいいようである。なまじ一週間ごとに交代があっ
たりするほうが、よほどしんどい。
 とにかく、高速道路のサービスエリアのレストランである。客は
ひっきりなしに押し寄せる。夜勤の深夜こそ客は少ないが、それ以
外はつねに満員に近い状態だった。昼勤だと5、6人はウエイター
ウエイトレスがいたと思うが、注文を聞いたり飲食物を運んだり、
常に走り回っているみたいな状態だった。
 ウエイターという仕事は暇でも忙しすぎてもしんどい。ほどよく
客が来るくらいが一番楽にできるのである。というのも、暇だから
といっても横になっているわけにはいかない。ただぼーと立ってい
なければならない。ただぼーとしているのもしんどいものである。
話をすることは御法度である。最近ウエイター同士ぺちゃぺちゃ話
をしているのを見かけるのが、やはりこれは客に失礼というものだ
ろう。客はウエイターの話を聞きに来ているわけではない。
 忙しすぎるのは当然しんどいわけである。そしてこの談合坂のレ
ストランは忙しすぎる状態だった。一日飛ぶように歩き回り、勤務
時間が終わったときはもうぐったりである。ある時、便所に入って
大のほうをしたら血がどっとでてきたことがあった。痔の血だった。
あんまり歩きすぎて痔になっていたわけである。それくらい忙しか
った。
 それでもワタシがここをやめなかったのは、ウエイターという仕
事がけっこう気に入っていたことが大きい。そう面白い仕事ではな
いことは確かだが、工場で機械相手にもくもくと働くとか、流れ作
業の仕事だとかに比べれば、まだ楽しめた。ある程度は自分のペー
スで動くこともできたし。また忙しいとき、比較的暇なときとか、
波があるのもよかった。流れ作業のずっと同じペースで働くのに比
べれば、まだ人間らしい仕事だった。
 それに寮に入っていて食事もでたし、金が貯まるということも大
きかった。何しろ周りに何もないところである。金を使う場所がな
い。外に出るといっても、せいぜい月に一度か二度ふもとの駅から
八王子まででて本屋にいき本を買うことくらいである。
 結局ここには丸一年くらいいたのだろうか。正月もここだったし、
お盆もここだった。ウエイターウエイトレス同士、仕事を終わって
あれこれ話をすることもおおく、食事会みたいなこともして、親睦
を深めた。結構楽しく暮らした一年だった。
 それからもう30年近くの時間がたった。その間一度も行ったこ
とはない。行きたいなとは思っているのだが、何しろ高速道のレス
トランである、そのチャンスがない。新聞か何かで談合坂という名
をみると、何か甘いような感覚がわいてくる。あれは間違いなく、
ワタシの青春の思い出の地であるのだな。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 談知の作品 談知のホームページ
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE