#4886/7701 連載
★タイトル (UYD ) 97/ 1/18 20:21 ( 25)
雑談日記 KEKE
★内容
荒井由美のライブアルバムをレンタルで借りてきた。それで分かったこと。
荒井由美は歌がへただ。しかし、へただが味のあるへたさだ。きく気が
起きる歌いかただ。私の場合、オペラのバリトンみたいな歌いかたは
どうしても好きになれない。あれは歌っているのではない。ほえているのだ。
ひとがこころをこめて歌うとき、そう音吐朗々とはならない。馬鹿みたいに
声をはりあげることもない。つっかえつっかえ、ぼそぼそと歌うこと。
そのあたりに、本当のうまさというのはあるのではないか。ひとが聴く
きになる歌いかたとは、そんな歌いかたなのではないか。そんなきがする。
荒井由美は、まさにそんな歌いかたをする。だからこころにしみる。
荒井由美というのは、今のまっとうやゆみの、昔のなまえ。
「中央フリーウエイ」などの名作がある。
しかし、いつも思うのだが、歌手とか作曲家の場合、昔の若いときの作品の
ほうが圧倒的にできがいいのはどうしたわけか。単に同時代に聴いたから
よく聞こえるというのではない。あきらかに若いときのほうができがいい。
歳をとるにつれて、つまらない作品になっていく。歳をとり、さまざまな
経験をして成熟していくのが人間というものだが、それが曲にまったく
でてこない。かえってつまらなくなる。作曲家や歌手に成熟によるよさと
いうのはないのだろうか。
この、荒井由美のライブは、昔の作品だけのライブだ。荒井由美時代の
ものばかり。どれもいい。それにたいして、のちの、まっとうやゆみの
時代のものは、さっぱりだ。成熟による完成というのがないのは、考えて
みると、作曲家や歌手というのは、なんだか気の毒だな。未熟のほうが
できがいいんだもん。