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フリー日記 抜粋 /オークフリー
★内容
10月4日(金)
毎晩NHKラジオの朗読で、吉川英治の〈忘れ残りの記〉を聞いている。最近ます
ます私は吉川英治の文章に敬服するようになったが、この自叙伝を読んで、安心と満
足感を得ることができた。
「あのような大文学者のこと、どうせ才能と環境と幸運に恵まれ、十分な教育と愛情
の中で育った人物に相違ない。」
そう思いこんでいた私は、吉川英治のあまりの逆境・言語に絶する苦難の連続に驚
愕した。しかも、彼は周囲の人々に大変優しく、誠実で忍耐強く、特に、観察力が鋭
い。
こういう人が名作・大作を残してくれたことに、私は感動と感謝を覚える。
10月5日(度)
午後2〜3時、PTA主催の音楽会『カンマーザール芸術文化協会演奏会』を聞い
た。
理事長の田中省三氏が司会と進行を勤め、その説明によると、この音楽サークルは
カンマーザールという自分たちのホールを持っていて、そこで練習や演奏をしたり、
ボランティアで施設などを訪問したりしているとのことで、ドイツ語で『カンマー』
とは小さな部屋、『ザール』は広い部屋の意味だそうである。
第一部のプログラムにはヴァイオリン独奏も予定されていたが、「やむを得ない都
合により本人が来られない」とかで演奏が取りやめとなった。
プログラムおよび感想
〈第一部:音楽を聞きましょう〉
・ピアノ 「モーツァルト作曲 トルコ行進曲」「ショパン作曲 子犬のワルツ」
・ソプラノ二重唱 「古里の四季」(文部省唱歌より12曲)
ソプラノ二重唱は、若干音程に問題はあったが、発声法は良かった。クラシック音
楽にマイクロフォンを使ったのは、放送係りのミスなのか? それとも予定の方式だ
ったのか? 私には納得できない。曲目の「古里の四季」は、かつてあけぼの合唱団
で練習したのと全く同じ楽譜・同じスタイルの組曲で、編曲が甚だよくない。現代的
感覚なのかも知れないが、あのような和音の付け方は古き良き時代の歌を台無しにし
てしまう。
〈第二部 一緒にえんそうしましょう〉
・盲学校の幼児・児童も舞台に上がって、一緒に演奏するという企画
・特別演奏 田中省三 テノール独唱 「オー ソレ ミオ」
それにつけても、我が娘のM子を思い出さずにはいられない。M子が5歳の時には
既に「ザイツのコンチェルト」くらいまで進んでいたと思う。札幌音楽院の中でも嘱
望?され、況や父親の私はメロメロになっていて、天才かはたまた神童かと将来に期
待を掛け、一流のヴァイオリニストを夢見たものだった。そういう私の独断的指導や
プレッシャーが災いしたのか、それともM子本人の素質と努力が足りなかったのか?
…… 今私は老境に入り、M子は「ただの人」となってしまっている!
話を戻して、今日の音楽会で最高だったのは、田中省三氏の独唱である。田中さん
の司会は下手という訳ではないが、鼻声でなんとなく冴えなかったのに、その田中さ
んが次のように言った。
「近頃はレコードやCDで好きな音楽を自由に聞くことができます。けれども、生の
音楽には大変意義があるのではないでしょうか。すなわち、同じ一つの空間の中で、
音楽を演奏しそれを聞くことができるからです。今日はヴァイオリンの独奏をお聞か
せできなかったので、代わりに私が歌を歌います。生の演奏ということでその雰囲気
をお聞き下さい。」
私はほとんど期待していなかったが、田中さんは体育館の舞台から下に降り、勿論
マイクなど使わずに、有名な「オー ソレ ミオ」を歌い出した。久々 というより初
めて、すぐ近くで本格的なイタリア民謡を聞いたのである。発声法・歌唱法・声の質・
声量、全てイタリア式で、その迫力と魅力的な演奏に思わず唸った!! 当地にこん
な素晴らしい歌手がいたのだ。やはりクラシック音楽は良い。
〈フィナーレ みんなで歌いましょう〉
・「さざえさんの歌」「大きな栗の木の下で」「ドラエモンの歌」
・舞台と会場が一緒になって、手拍子を取りながら歌った。
・点字の歌詞カードも用意してあってよかった。
我々の年代には難しいリズムの歌だったが、普段テレビで聞いているので、テンポ
に合わせてきちんと歌うことができた。近頃の若者たちの歌はリズムが難解だという
が、用は慣れの問題である。