AWC    16 あがる


        
#4769/7701 連載
★タイトル (GSC     )  96/ 9/22   0:17  (168)
   16 あがる
★内容

 (この文章は大分以前に書いた物である。)

 私は生来緊張しやすいたちで、音楽については特に極端だった。
 人前で満足に演奏できた試しがなく、色々工夫してみるのだが、一向によくならな
い。
 それで私は、次のように考えて自らを納得させることにした。
「人の前で演奏して、尺八なら80%・歌なら70%・ヴァイオリンなら60%の実
力を出せれば十分とする。」


 昨年の1月4日、仲間同士で小音楽会を催すことにし、先輩Z氏の家に10数名が
集まって、カラオケやカラピアノのテープを伴奏に、銘銘得意の楽器や歌を披露する
ことになった。
 独唱はテノール一人・バリトン二人・独奏はフルート2・ピアノ1・アコーディオ
ン1、それぞれ二回りずつ演奏するというプログラムである。

 私はヴァイオリンを弾くことにして、朝早くからZ氏宅に赴き、心行くまで練習し
た。何しろエンジンのかかりが遅い方だから、最低1時間半は弾いておかないと調子
が出ない。
 その日は3時間たっぷり弾きこんで、準備はよし、コンディションも上々だった。

 さて、午後1時開演、私は3番目に弾くことになり、乏しい家計を切り詰めて買っ
た愛用のヴァイオリン『鈴木製820号』を取り上げ、やおら立ち上がった。
 聴衆は僅か10余名、しかも仲間内だから何の気兼ねもいらない。
 〈エックレスのコンチェルト第3楽章〉は、美しい旋律の短い曲である。造作なく
弾けるはずだが、いつもの上がりやすい性格を考えると、実力の5割も出せればよし
とせねばなるまい。私はそう覚悟して演奏に入った。

 ところが、どうしたというのか!
 弾き始めから体がガタガタ震え、動悸は烈しく打つし、左手のポジションは全然定
まらず、右手に持った弓はゴム紐でも張った物のように弾み上がって弦に密着しない。
 キーキー キュルキュルと奇妙な音が出るばかりで、とても音楽とは言いがたい演
奏となってしまった。
 冷汗びっしょりの3分間が終って、私は自分がつくづく嫌になった。

 他の連中は、それぞれ出し物を無難にこなし、非常にうまいとは言えぬまでも、そ
れなりに力を出し切っている。練習不足と見える人でもさほど恥ずかしがらないし、
時に大きなミスをしても格別気にせず、後々尾を引くようなことは決してないのだ。
 私は彼らの度胸のよさを羨ましく思うばかりだった。

 なにも特別上手に弾きたいと言っているのではない。せめて普段の60%でよいの
である。それが20パーセントしか力を出せないというのは、いったい何故なのだろ
うか?

 二回り目の演奏もやっぱり同じだった。
 皆は私の弁解を聞いて負け惜しみと受け取っただろうし、実力もこの程度と見て余
裕をもって慰めてくれた。しかし、私本人としては決して納得できるものではなかっ
た。


 音楽は必ずしも人に聞かせなくてよい。自分一人で楽しめれば、それも立派な音楽
である。
 また、仮に人前で上がってうまく弾けなかったとしても、どうということはない。
人がなんと思おうとかまわないはずである。
 ところが私は、こと音楽となると、どうしてもそういう大らかな気持ちになれない
のである。
 多分、音楽に対する自負と潔癖感が強すぎるのであろう。


 ちょうどその1ケ月ほど前にも、やはり仲間内で尺八の演奏会があり、私は自らプ
ログラムのトリ(最後)を買って出て、延々16分の〈越後獅子〉を吹いた。伴奏は
井野川幸次検校である。
 やる気満々、練習十分だったにもかかわらず、結果は普段の70%に留まり、音に
張りがなく、テンポも不安定だった。

 一方、私のライバルともいうべきL氏は〈桜川〉を吹いた。
 彼は日頃あまり練習しないし、実力も私をはるかに凌ぐと言うほどではない。今回
も演奏会間近になって、やっとドロナワで暗譜したのだと言っていたくらいである。
 しかるに結果は彼のほうのできがよくて、伊藤先生から表彰状と白扇を賜ったもの
である。


 さらに、1月の中頃、O君の家でカラオケ大会を行った。
 やはりよく知った仲間同士の集まりで、格別上手な人がいたわけでもないのに、私
だけが緊張してしまって、その折りの録音は聞くに耐えない。


 こんなことが3度も続いたせいか、私はプッツリとヴァイオリンを弾かなくなった。
 人間はある日突然、好みや考えが変わるものらしい。
 あれほど熱心に毎日練習していたヴァイオリン、人生の張り合いとも生甲斐とも思
っていたヴァイオリン音楽が、ふと空虚でつまらない物に感じられ、以前のような感
動を覚えなくなってしまったのである。


 音楽に注いで来た限りない情熱と憧れをなくした今、私は静かに、否、うつろに休
息している。
 今後私は、いったい何を楽しみに暮らしていったらいいのだろう?
 いつか再び、ヴァイオリンのあの美しい音色・素晴らしい響きに感激できる日が来
るのだろうか?


                        [1982年12月20日]
--------------------------------------------------------------------------



   17 機器と楽器

    【1】

 教員養成校に入ると、学生たちは皆テープレコーダーを買って持っていた。当時ま
だカセットは無かったから、全てオープン リール方式である。
「レコーダーは晴眼者のカメラに匹敵する。あるいはそれ以上かも知れない。」
 音楽科生の友人がそう言ったのも無理はなく、確かに視覚障害者にとって録音機は
必需品と言える。
 だが、その頃の値段で約4万円! フランク永井の歌謡曲に『一万三千八百円』と
いう題名の歌があり、これが当時のサラリーマンの初任給と言われていたから、それ
から考えてみても、レコーダーはいかに高額の品だったかが分かる。

 しかし、なんとしてでもテープレコーダーが欲しい! 高校時代に苦学して蓄えた
お金が少しはあるが、それを使い果たしてしまっては先行きが心配だ。
 結局、跡取りの兄にほとんど全額支出してもらったように記憶している。
 忘れもしない〈ソニー社製 262〉というレコーダーを購入して、私はペットの
動物でも可愛がるように大切に大切に扱った。

 私の人生で最も楽しく充実していた時期は、東京時代の2年間であるが、テープレ
コーダーによる恩恵を見落とすことはできない。
 ちなみに、盲学校理療科の教員養成施設は、当時東京教育大(現在の筑波大)の2
年課程である。全国各地の盲学校で、6・3・3・3年の教育課程を終了した後、教
員志望者は東京で2年間勉強するのである。
 それはともかく、私は寄宿舎で毎晩のようにクラシック音楽を録音した。
 FM放送はまだ無く、専らNHK第二放送や、ラジオ東京・文化放送から録音を取
っていた。AM放送の音質が今よりはるかに良かったのは、受信機や電波の状態もさ
ることながら、放送局の側でも、中波に乗せて良い音質を送信するように努力してい
たからではないだろうか。最近はFMに頼りすぎて、NHK AMの音質がまことに
お粗末である。

 その頃録音したオープンリールのテープが今も大きなダンボール箱に2杯もあって、
音質は劣化しレコーダーも壊れてしまっているから、再生して聞くことはできないが、
在りし日の録音の苦労を思い出すと、なかなか捨てる気になれない。
 友人に頼んで、録音用ゲルマニウム鉱石ラジオを組み立ててもらい、そのラジオに
テープレコーダーをつないで、なるべく雑音の少ない時間を見計らっては録音したも
のだ。
 7インチのオープンテープの片面には、秒速19センチデ30分しか録音できず、
リバース方式などは開発されていなかったから、クラシックの長い曲を録音するのに
苦心した。第二楽章と第三楽章の間の僅かな時間に大急ぎでテープを裏返そうとして
失敗したり、せっかくうまく行ったと思ったら、B面の最後でテープが無くなってし
まったり、今夜こそ大成功だと喜んでいたのに、
後数秒で終る寸前、アマチュア無線の「ハロー CQ CQ」という雑音が入ってきた
り…。どれも懐かしい思い出である。

 春休みに郷里へテープレコーダーを持って帰ったことがある。
 東海道線の普通列車が満員で、私は浜松駅までレコーダーに腰掛けて来たものだ。
 K治療院で皆の声を録音して聞かせたところ、年寄りたちが、
「わしの声はこんな風ではない。やっぱり機械の音は本物のような訳にゃあいかない
な」
 などと言ったが、その声は正にテープ録音の声そっくりだった。

 郷里から東京へ戻って来た夜、目白駅のプラットホームからテープレコーダーと一
緒に線路に転落してしまった。あの頃は若かったからかすり傷一つせずに平気だった
が、今なら大変なことになっていたかも知れない。幸い電車も来ず、私は自分より先
にテープレコーダーをプラットホームにほおり上げ、それからおもむろによじ登った
ものだが、自分の体よりレコーダーの方が心配で、速く寄宿舎へ帰って動くかどうか
確かめたくてたまらなかった。
 その頃はまだICはおろかトランジスターも普及していず、レコーダーは真空管方
式、トランスが重たい上に箱が丈夫な木材でできていたから、全体の重量は14キロ
グラムもあった。それでも、他の学生たちが愛用していた〈アカイ社製 901〉の
18キログラムに比べれば軽い方であった。
 ホームに上がって間もなく、電車が来たので乗り込もうとすると、車掌さんが親切
にも私のレコーダーを持ってくれた。ところが、意外に重かったため、私の大切な大
切な録音機を取り落としてしまった。山手線の電車の床板がミシッと言ったので、私
はますます録音機が心配になった。
 幸いにもその時は故障せずに済んだが、程なく真空管が切れて、修繕に出さねばな
らなくなった。







前のメッセージ 次のメッセージ 
「連載」一覧 オークフリーの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE