AWC    15 ヴァイオリン


        
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★タイトル (GSC     )  96/ 9/22   0:16  (163)
   15 ヴァイオリン
★内容

    【1】

 空襲が烈しくなって、尾張一宮の仮校舎に学校疎開していたのは、私が小学1〜2
年生に股がる8ケ月の間だった。

 夕方になると、寄宿舎で同室の年長生徒が、よくヴァイオリンを弾いていた。
 『父よあなたは強かった。兜も焦がす炎熱を。敵の屍と共に寝て。……』
 『幻の。影を慕いて雨に日に。月にやるせぬ我が思い。……』
 けっして上手とはいえなかったが、その物憂い響きは心に染みたものだ。

 ラジオで音楽を聞きながら、色々な楽器の音色を教えてもらった時に、
「これはフルート」
「これはクラリネット」
「この音はトランペット」
 などと聞いた中で、管弦楽の中核をなす音が何の楽器であるのか、私には長い間分
からず、まさかそれが『父よ貴方は強かった』と弾くあの気怠いような音と同じヴァ
イオリンであるなどとは信じられなかった。
 確かに、ヴァイオリンはよほど年季が入らないと、シャキッとした鋭い音は出ない
ものだ。



    【2】

 高校3年生の時、学校で弦楽器を一式買い揃え、音楽のYS先生が有志を募って初
歩指導を始められた。
 ヴァイオリン8台・ビオラ2台・チェロ1台の内、私は第2ヴァイオリンを受け持
ったが、楽器の複雑な構造もさることながら、チューニングの仕方や音程の取り方、
特に弓運びの難しさにはたまげた。
 ヴァイオリンの演奏家が神様のように思えたし、盲学校の2、3の先生が、ビブラ
ウトを付けながら巧みに弾いているのを聞くにつけても、あんなふうに弾けたらどん
なにいいだろうと思う反面、
「とてもとても、自分などには弾けるはずがない。」
 と半ばあきらめてしまうのだった。
 それでも、我流で〈きらきら星〉や〈七夕〉を合奏したり、友達のA G Nと4
人でクァルテットを組んで、〈アンニー ローリー〉〈ローレライ〉〈オールド ブラ
ック ジョー〉などを弾いたりした。また、アルバイト先へヴァイオリンを持って行
って、仕事の合間に、〈雨降る街角〉〈女船頭歌〉〈別れの一本杉〉などの歌謡曲を
練習したものだ。



    【3】

 盲学校を卒業後、私は大学受験のため下宿を捜し、そのアパートに引きこもって受
験勉強をしていた。
 そんなある日、隣部屋の大学生の所へDさんという友達が遊びに来て、3人で音楽
談議をしながら、一晩徹夜したことがあった。
 レコードを廻しながらルービンシュタインやハイフェッツの話をしているうちに、
彼Dさんがピアノを弾けると聞いて、つい調子に乗った私は、いかにも自分がヴァイ
オリンを弾けるかのような法螺を吹いてしまった。
 するとDさんが、
「そうですか、竹木さんはヴァイオリンを弾くんですか。ジャア、今度僕が下宿から
楽器を持って来るので、是非弾いて聞かせて下さい。」
 と言った。まさか彼がヴァイオリンを持っているとは知らず、心の内で「しまっ
た!」と叫んだがもう遅い。
 人に聞かせられるほどにヴァイオリンを弾くためには何年もの修業が必要なのに、
ドレミファもろくにできない私がヴァイオリンを弾けるなどとは、はったりもいい所
だ。

 しかし、こうなった以上は何が何でも一つ二つの小品くらい弾けるようにしておか
なければ恰好がつかないが、それほど短期間にマスターできるものでもないから、私
はホトホト困ってしまった。

 ところが幸いにも、私が東京へ入試を受けに行っている間に、Dさんは急に郷里の
岡山へ帰らねばならなくなった。
 名古屋を去るにあたり、彼は私宛に手紙を添えて、一張のヴァイオリンを残してい
ってくれた。
「この楽器を竹木さんに進呈します。どうかいつまでもお元気で…。」

 以後音信は途絶えたが、私は彼のことを決して忘れない。何故なら、その時もらっ
たヴァイオリンが、若き日の私に大いなる生甲斐を与えてくれたからである。

 鈴木正吉氏の作になるこのヴァイオリンは、年代とともに風格が出て来て、音色も
ますます深みを増している。



    【4】

 東京の教員養成校に入学すると早速、同級生の紹介でYT先生のもとへレッスンに
通うようになった。
 寄宿舎では人の迷惑省みず、寸暇を惜しんで『鋸の目立て』に専念した。空き部屋・
窓の下・倉庫・屋上の物干場…、どこでもかまわず練習したので、自習時間(静粛時
間)に舎監の先生から注意を受けたり、ヴァイオリンの音を水道の蛇口の音と間違え
られたりしたこともあった。

 最初はヴァイオリンの弦を擦るのに、いかにして弓を真っ直ぐにUP or
DOWN(上げ下げ)するかに苦心した。弓が上の方へ来る時には、手首や肘を丸く
弯曲させなければならないし、弓が下に行く時には、手首を反らせ腕をいっぱいに伸
ばす必要がある。
 指を丸い形にして弓を軽く持ち上げるのも難しいし、ヴァイオリンを顎で押さえ、
左手を逆手のようにひねって楽器を支えるのも骨が折れる。
 なにぶんにも私は不器用な質で、例えば、ラジオ体操とかフォークダンスとか、そ
ういう滑らかな体の動きを作るのが苦手であり、まるで機械仕掛けの人形のようにゴ
ツゴツした動作になってしまう。盲人は相手の動きやフォームを目で見て真似するこ
とができないから、どうしても優雅な動作は難しいが。とりわけ私は不器用で、この
ことがゆくゆくヴァイオリンの上達を妨げる結果になるのである。

 春休みに連続7時間弾いた時には、さすがに少し進歩したように感じたが、明くる
日にはまた元に戻ってしまうし、レッスンに行くと、小さな子どもが難解な曲を平気
で弾いているので、きまりの悪いこと一通りでない。
 しまいには、
「誰がこんなややこしい楽器を考案したんだろう!」
 などと、つまらぬことに感心したりもした。

 楽譜を点字に直すのも一苦労で、奉仕者に音譜や記号を読んでもらいながら、一つ
一つ点字に写しとっていくのだから、僅か16小節の簡単な譜面でも、きちんと書き
取るのに何時間もかかる。

 それでも私は必死で頑張った。
 ドレミファの音階練習だけで3時間を費やしたり、簡単なメヌエットを1日に80
回弾いたこともあった。

 初めのうち要領が分からなかったYT先生も、私の練習の成果が少しずつ表れてく
るに連れて、教え方が優しくなった。
 一番ありがたかったのは、新しい曲に進む時、まず一度先生が模範を弾いて聞かせ
てくれたことで、その素晴らしい音色と音量に思わず息が止まりそうなほど感激した。
先生がヴァイオリンを弾くと、私の手に持っているヴァイオリンが共鳴して、開放弦
が鳴り出すのにはびっくりしたものだ。

 鈴木ヴァイオリン教本第2巻の曲目は今も忘れていない。ウェーバー作曲『ユダス
マカベウスの合唱より〈勇士は帰りぬ〉』、バッハ作曲『ミュゼット』、……、そし
て11曲目にはベートーベンの『メヌエット』、最後の曲はボッケリーニの『メヌエ
ット』であった。
 同じく第三巻の最後の曲は、バッハ作曲『ルーレー』で、これが東京における最後
のレッスンとなった。この時珍しく先生の前で緊張せずに弾くことができて、随分褒
められたのを覚えている。


「何事によらず、一流と言われるようになるためには、才能と環境に恵まれていて、
なおかつ、そのことが死ぬほど好きでなければならない。この3拍子揃った人こそ、
真の名人となりうるのである。」
 これは私の持論だが、確かに私自身ヴァイオリンが「死ぬほど」好きではある。鑑
賞するのも好きだが練習もそんなに嫌ではなく、金と時間さえ許せば1日中でも弾い
ていたい。だが、いかんせん。好きなだけでは駄目なのだ。『好きこそものの上手な
れ』と言う言葉もあるが、逆に『下手の横好き』という場合もある。

 ともかく私は東京にいた2年間、大学の勉強そっちのけで練習したが、あまり成果
は上がらず、札幌へ赴任すると同時にやめてしまった。



    【5】

 私からみると、ヴァイオリンを自在に弾きこなすというのは神技であるから、名演
奏を聞いていると、その奏者が尊い人のように思えてくる。
 確かに、一流のヴァイオリニストは話し方も音声も人柄もじつに魅力的だが、中に
はヴァイオリンの技量が抜群で音色も優雅なのに、その人の話し声を聞くとイメージ
が壊れがっかりさせられることがある。概して、控え目で優しい人よりも豪快で度胸
のある人のほうが、舞台に立った場合スケールの大きい見事な演奏ができるようだ。
 私の理想からいえば、優れた芸術家即ち立派な人格者でなければならないと思うの
だが、必ずしもそうはいかないらしい。
 してみると、ヴァイオリンの修行よりも人格を磨く方が難しいのであろうか? そ
れとも、人の声はヴァイオリンの音ほど美しくはないのだろうか? あるいはまた、
声や話し方で人柄を判断することは無理なのだろうか?
 『才能教育』の鈴木慎一氏によれば、
「ヴァイオリンの練習は、人間形成に好影響を与える。」
 とのこと、本当にそうあって欲しいものである。







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