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沈 黙 の 森 V 紫野.
★内容
【 沈 黙 の 森 V 】 紫野
小屋は、地面から人の腰の高さほど浮かせて建てている。入り口は屋根付き
のテラスで、時間待ちをする客が逸って乱れた気をできるだけ静め、ゆったり
とくつろげるように手作りの椅子や小さな机を配しており、けっこうゆとりの
ある広さだ。そこを歩いて渡り、正面、肘の高さまである手擦りに手掛けて下
を見る。青年は、ちょうど階段の脇に設置してある呼び鈴の紐に手をかけたと
ころだった。それを引いて鳴らす寸前、小屋から現れたわたしの気配に気付き、
顔を上げる。瞬間、帽子の下で目を瞠ったのがわかった。
当然の反応だろう。通り道ですれ違ったはずの女が、装いまで変えて再び目
の前に現れたのだ。
「なにか御用ですか」
わたしはそれと気付かぬふりをして訊く。
いい歳をした娘が髪も結わずに木の枝で水たまりをガリガリ引っ掻いていま
したなどと……しかも声をかけられるまで人の接近に気付かないほど熱中して
いたのです、なんておまけまでついては笑い話にしかならない。ましてやそれ
が独り立ちした占い師とあっては、もはや笑う口元も凍りつくというものだ。
しかし血の巡りの悪い馬鹿も存外世の中には多い。問われた場合の返答もも
ちろん用意してあったが、青年は、いいところのお坊っちゃま風な見かけとは
いささか不釣合いな眼光の持ち主らしく、なかなか機転のきく、頭の回転の早
い男のようだった。
「このような早朝にお訪ねして、申しわけありません」
巧みに言外の意味を読み、帽子をとって軽く会釈をしながらそう言ってくる。
「わたしはリオン=クライザーといいます。マリア=フォルストさんはご在宅
でしょうか?」
「マリア=フォルストはわたしです」
わたしの返答に、青年は少々面食らったような表情をして無言で顎を引いた。
この反応も十年経た今となってはめずらしいことだ。聞いてはいたが、とて
も信じ難かったと言ってくる者が大半で、母の死は誰もがどこかしらで耳にし
ているというのに。しかもこの青年はどう見ても二十代半ば。いくら上に見つ
もっても三十は越えていないだろうという歳だ。母を知りながらその死を知ら
ず訪ねてくる者で、こんな若い客というのもめずらしい。
胸の中ではそう思いながら、わたしはそのような者たちのために今まで何度
となく口にしてきた言葉をこのときもくり返した。
「先代のマリア=フォルストは十年前、他界しました。わたしは彼女の死後マ
リア=フォルストの名を継いだ、彼女の娘です」
この説明に、青年は納得がいったらしい。神妙な面持ちで頷いている。
驚いたことに、他の者たちと違ってとり乱す様子は全くなかった。己の窮地
に母を必要としたからこそ、わざわざこのような地まで訪ねてきたのだろうに。
その母がもうこの世にいないことを知って、こんなにも冷静でいられた者を見
るのははじめてだ。聞いた瞬間例外なく誰もが蒼白し、絶望に言葉を失ってそ
の場にへたりこむ。ひどいときは泣き出す者までいたというのに、彼は、その
者たちに比べれば驚異なまでに冷静に、それを受け入れている。
なぜなのか、理由を訊いてみたいとの好奇心がちらとよぎったが、深入りは
避けるべきとの思いが歯止めをかけた。
「そうでしたか……それは大変失礼なことを申しました。長くこの国を離れて
おりまして、知らなかったものですから。
しかし、弱りました」
最後、何やら思案しているようなそぶりで呟く。
これであてがはずれたと落胆して帰ってくれればしめたもの、と内心思って
いたりもしたのだが、彼との縁はそう簡単に断ち切れるものではなかったらし
い。己の迷いに踏ん切りをつけるように息を吐くとやおら面を上げ、彼はこう
提案してきた。
「マリアの名を継いだと、さっきおっしゃいましたね? ではあなたは相応の
能力を持つ占い師であると、そう解釈してよろしいのですね? ならば、あな
たに占ってもらうことにしましょう」
思った通りだ。
これまた例にもれない発言で、予想していたとはいえ、くいさがってくる青
年に胸の中で舌打ちをする。だがそんな思いなどおくびにも出さず、わたしは
誘いの笑顔をつくった。
「その前にひとつお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。なんでもおっしゃってください」
わたしの笑みを厚意と解釈した青年は、とりたてて注意も払わず笑顔でこの
申し出を快諾する。
「あなたはこの森の入り口にある、ブルックスホムの町からいらしたのでしょ
う?」
「…ええ」
小首を傾げ、質問の意味を掴みかねるといった様子ながらも肯定を返してき
た青年に、わたしは可能な限りの効果を狙って一呼吸分の間をおき、口元から
笑みを消すとともに声の調子をそれまでと一変させた。
「それで占えとは、またずいぶん礼儀に欠ける申し出ですね」
突然のわたしからの棘立った言葉に、青年は見えない石つぶてでも受けたよ
うに身を震わせた。
すっ・・・とそれまで浮かべていた、にこやかな、人あたりのいい笑みが消えた
口元はきゅっと引きしまり、素の顔になる。やはり先までのは愛想だったわけ
だ。優し気な雰囲気の中でちらちらと見え隠れしていた、鋭い眼光にふさわし
い面でわたしを見ている。
今の方がよほど様になっているではないか。
「母の古い友人であるとか、その名代であるとか。町に入ることなくまっすぐ
ここを訪ねられたというのならまだしも、町からであれば、わたしが占う時間
帯は事前に調べがついたはずですわ。町の掲示板に貼ってある勧誘紙を見るな
り、役所に問いあわせるなりして。そしてもちろん、母が既に他界しており、
娘のわたしが二代目のマリア=フォルストであるということも。そのどれもを
せず、いきなりわたしのもとへやってきて、口にした言葉が『母がいないのな
ら同等の力を持つに違いないあなたに占ってもらうことにする』ですって?
あなたはとても大切なことをお忘れですわ、クライザーさん。たしかにどの
占い師のもとへ足を運び、依頼するかはあなたの自由意志によりますが、占う
わたしの方にも客を選ぶ権利はありますのよ」
相手の失態を厳しく追及しながら最後の最後に嘘をくっつけて、それをもっ
ともらしく告げる。
客を選べるのは、世間にその力を認められ、名の通った者だけだ。こんな人
里離れた森で、客が訪ねてくるのをただ待っているだけのわたしにできるはず
もない。たかが事情にうといとかいう程度のことでいちいち腹を立てて追い返
したりしていては、これはよほどの気難し屋だと敬遠され、客を遠ざける原因
となるのがせいぜいだ。多少ゆとりができだしたといっても、それでも月に訪
れる客の数によって大幅に変動の起きる、渇々の生活である。通常であればま
ずしないことだ。しかもこんな、見るからに高収入の望める客は。
だがこの青年に限っては例外とさせてもらおう。たとえどれほどの金額を呈
示されようとも、受けることはできない。
非はそちらにあるとあきらかにさせておいてから、拒絶するのが妥当だろう。
ではどうぞおひきとりくださいとあとに続けて背を向ける。そのまま小屋の
中へ戻ろうとしたとき、背後で青年が大きく息をついた。
「では、占ってはいただけないのですか?」
わたしからの非難などなんてことないといった調子で、わずかも動じず尋ね
てくる。むしろ肩からよけいな力が抜けたようなあかるさだ。けして彼のせい
ではないのに、失態を犯したがために目的を遂げられなかったと悔やんでおち
こむのではないかと内心後ろめたい思いでいただけに、信じ難い気持ちで肩越
しに顧みる。
あとになって思いきり後悔した、これが最初の失敗。予定通り無視を決めこ
み、さっさと小屋に入っていれば彼によけいな機会を与えずにすんだというの
に。
一体どんな顔をして言っているのか確かめずにいられず、手擦りへ戻ってみ
る。青年は先と変わらない位置にいて、そこからわたしを見上げていた。
「ええ・・・」
わたしには理解し難いこの態度を訝しく思いながらも、ともかく答える。
「どうしても?」
「…ええ、そうです」
わたしは、自分が苛立ちはじめているのがわかった。
わたしにだって良心の仮借はある。悪いとは思っているのだ。だからこそこ
んなことは早く終わらせてしまいたいのに、どうしてこんなにもこの男はしつ
こいのか。
「おやおや、すっかりご機嫌を損ねておられる。これはまいりました」
青年は、心中の表現が本当にその言葉で適切だと思っているのか、訊いて確
かめたくなるほどあっけらかんと、そう口にした。
「ではお気をつけてお戻りください…」
話がいやな方向へ転がりはじめたのではないかとの危惧に、急いで背を向け
る。
「まぁ待ってください。なぜこんな事をしてしまったのか事情も聞かずに、そ
う邪険にしないでくれませんか? 何もかもわたしの心配りが足りなかったせ
いで、わたしが浅慮であったからこうなってしまったのだとわたしは思いたく
ないし、あなたに思われたくもありませんから。わたしはこの言葉を告げるた
めに二時間と少しもの間雨でぬかるんだ森の道を歩き通してきたのです。どっ
かり道の真ん中に居座った、大きな水溜りに邪魔をされながらもね。
ほら見てください。靴や裾が赤土だらけになってしまって。みっともないっ
たらありゃしない。ですからどうか、そう急いで結論を出してしまわずに、も
う少しだけ、わたしのためにお時間を割いてはもらえないでしょうか」
「事情?」
いかにも形式的に、わたしは慣れた口調で問い返す。
客を選んではいけない、そうする余裕はないのだからと思いつつも、たまに
例外もいる。美貌も能力も桁外れとの噂を聞きつけ、いかにも興味本位、好奇
心でやってきました、さあわたしが今考えていることを当ててくれませんかと
最初から占いそのものを鼻で笑う者や、せっかくここまで出向いてやったとい
うのにマリアはおらず、こんな、なんの役にも立たぬ小娘が一人か、これでは
なんのためにわざわざこんなド田舎まで足を運んできたかわからないではない
か、詐欺よりタチが悪いとグチグチ陰にこもってわめき続ける者。なのに彼等
はわたしが先に用いたような言葉で背を向けるやいなや、あせって一様に同じ
ことを口にする。
『待ってください。先のようなことを口走ったのには、並ならぬ事情があるの
です』
その内容如何によって、わたしは中へ入れるか再度門前払いをするかを決め
る。だがこの青年に限っては聞くだけ無駄だった。彼を門前払いにしようとす
る理由は、そんなところにないのだから。
「そうです」
そんなことなど露とも知らず、青年は、わたしが聞く耳を持ったことにほっ
としたような表情を浮かべて頷く。
「わたしと父は、レイデザークからきました」
続.