AWC 沈 黙 の 森 T 紫野.


        
#4670/7701 連載
★タイトル (GWN     )  96/ 4/16  21:39  (170)
沈 黙 の 森 T                       紫野.   
★内容
               【 沈 黙 の 森 T 】        紫野.

 ケーテ、よくお聞き。
 おまえはここにいちゃいけない。
 この森は精霊の住まう森。
 わたしたちはしょせんわたしたちでしかないんだから。


 夢を見る。
 数百──もしかすると数千──もの鈴を一斉に打ち鳴らしたかのような鳥の鳴き声
。(しかしその姿は影すら見せない)光りさざめく湖面を思わせる紺青の輝きたち。夜
明けを想起させるうす青い空間。遮るものは何もないというのに、どこにもつながら
ない、閉ざされた小部屋めいたその息詰まる場所で、帽子を手に、しゃれたスーツを
着こなした一人の男が立っている。
 周囲の輝きに目がくらみ、阻まれて、細部が見えない。わずかに横へ引かれた口元
により、笑顔なのではないかと推察するだけだ。
 男は、やがて何かを口にしようとするのだが、その声は鳥の音にいともたやすくか
き消され、わたしのもとまで届かない。男は何度となくそれをくり返す。ときには笑
顔で、ときにはとても大切なことを口にするように、ゆっくりと。だがわたしは近寄
ろうともせず、ただそれを見ているだけだ。そして徐々にわたしの意識は現実へ向か
って浮上する──。
 けれど、今日に限ってなぜかそこまで夢は展開せず、男が登場した早々にわたしは
目を開けることとなった。
 めずらしいことだ、はじめてではないかと訝しみつつ寝台から起き上がり、戸口の
甕にある汲み置きの水を桶に出して顔を洗う。
 いくらめずらしいからといって、別段気に病む必要はない。あの夢はこれまでにも
幾度となく見てきている。何がどうなるか、など、もうとうに知りぬいていた。あの
あと、男はおじぎをするような畏まった動作で帽子を胸元まで上げて、そしてある言
葉を口にするのだ。
 その言葉が何かもわたしは知っている。たとえ声が届かなくとも明白だ。男の唇は
絶えずそればかりをくり返しているし、この夢の意図するものすら、既にわたしは解
しているからだ。
 明瞭にすぎる言葉。

    『気をつけなさい』


 しゃがみこんで貯蔵用の戸棚の扉を開いたあと、ち、と我知らず舌打ちが口をつい
て出た。そうだ、食糧をきらしていたんだった。
 ここ三日ほど季節はずれの大雨が降り、朝から一日暴風が吹き荒れた。そのためい
つも町から食糧を持ってきてくれているハンスがこれなかったのだ。
 まあいい。今日は極上の天気だ。ハンスは己の義務というものに忠実な、かいがい
しい男だから、きっと昼までには届けにきてくれるだろう。それに、朝食を抜いたり
夕食を抜いたりするというのもべつにこれがはじめてというわけでもない。
 それでも食事抜きということにため息がもれる。このまま見ていたところで戸棚が
満杯になるわけじゃない。思い切るように扉を強く閉めあわせると、扉についた飾り
硝子に昨夜から机上に出しっぱなしのポットが映っているのに気付き、作り置きのハ
ッカ茶がまだあることを思い出した。なにやらよけいな刺激を与えることになりそう
な気もしたが、ともかくそれを温めて、目覚めきらない胃袋へ流しこみながら空いた
右手を使って適当に髪を梳きまとめる。
 カップから湯気が立ちのぼり、甘く煮詰まった葉の匂いが鼻孔をつく。三日ぶりの
朝日を待ちこがれていたのはわたしだけじゃない。森のあちこちから聞こえてくる様
々な鳥の歓喜の声にひかれて窓の方に目を向けたなら、差しこんでいた朝日を反射し
た床が白く目をくらませた。
 昨日までとはまるで違う、極上の天気。これならきっと、客も訪ねてきてくれるだ
ろう。
 そう思い、これで一安心と背凭れに背中を押しつけたところで頭中をいやな『もし
も』が横切った。
 町からここまでだいぶある。しかも気難し屋の靴屋のおじさんのようにうねうねと
曲がりくねっているうえ道幅も不安定で、細いところでは人がすれ違うのがやっとと
いう道程だ。この森に居を構えているのはわたししかおらず、道もわたしの家までし
か続いていない一本道なため、車が通れるような舗装はされていない。普段は石のよ
うに固く踏み固められた道も、雨を受ければたちまち泥土と化してあちこちぬかるみ
だらけだ。特に昨日は前の二日よりもすごい嵐だった。風雨に負け、折れた大木の枝
が道をふさいでいるということも十分考えられる。
 占い師であるわたしの元を訪れる客は、ほとんどが若い女性だ。生まれたときから
この森に親しみ、老いてなお矍鑠としたハンスはまだしも、歳若い女性にそういった
道を越えてこられるだろうか?
 考え事を優先し、飲むことを中断した口元からカップを離して机上に置く。
 枝ならまだしも、木そのものが道をふさいでいたら大変だ。どけるために町の若者
を呼び集めてもらわなくてはならない。思えば一昨年にそんなことがあった。やはり
嵐がきて、三日ほど客足が途絶えた。あのときは何があったのかわからず、ただ客が
訪れないのを不思議に思っていただけで、それだけに、大木が道をふさいでいるため
通れないとの苦情が町の役所に入り、青年団の若者たちが総出でとりのぞいてくれた
のだとあとでハンスから聞かされたときは赤面したものだ。
 もし今回もそうなら今度こそわたしが手をうたなくてはならないだろう。十九にも
なってそんな姿をさらしてはもはや恥にしかならないし、せっかく遠い町からわざわ
ざ訪ねてきてくれている客にも悪い。
 目覚めが早かったせいで、町の掲示板に貼らせてもらっている勧誘紙に入れた時刻
まではまだだいぶ余裕がある。はじめの客がくるまでに、一度回ってきておいた方が
無難そうだ。場合によってはわたしの方が町へ出向くことも考えなくてはいけないだ
ろうし。
そうと決めればあとは実行するのみ。まだカップに三分の一ほど残っていた液体を一
息に干すと、わたしは戸口へ向かって歩を進めた。

                   ◆
 
  わたし・ケーテ=フォルストは、ブルックスホムの町から少し離れた森の奥に住ん
でいる。背高く厚い樹木が密生して生えており、そのどれもが黒ずんだ濃緑の葉を鬱
蒼としげらせているせいか『黒い森』という、聞くからに陰鬱気な名がついていたが
、土地の者は誰もその名で呼ぼうとせず、いつ・誰がつけたかもわからない『囁きの
森』との呼び名で通っている。もっとも、一番近い町まで片道二時間という場所にわ
ざわざ住もうとする物好きはおらず、また季節の果物や食用キノコなどがとれるわけ
でもないので、わたしと母が居着くまでは薪の蓄えを必要とする秋以外は誰一人とし
て足を運ぼうともしなかったらしい。母と二人で暮らしていた頃は日に平均して二十
人からがこの森へおしかけ、けっこう人の出入りが激しかったようだが、その母が十
年前に死んでからはそこそこの入りとなり、昔を思い出す静けさが森をつつんでいる
。
 この森に小屋を構えておちつく以前は気ままに各地を渡り歩くジプシーの一員であ
った母は、その筋では有名な占い師だった。当時、まだ物心つくかつかないかの幼い
子供だったわたしの目すらときおりひきつけた神秘的な美貌もさることながら、噂に
違わない実力の持ち主であったため、訪れる先々で手厚い歓待を受けたのをうすぼん
やりと覚えている。
 母が語る言葉には、誰もが神妙に耳を傾けた。その言葉は『占い』ではなく、『予
言』であり、『未来からの忠告』としてうやうやしく扱われ、たとえその地でどれほ
どの影響力を持つ権力者であったとしても、母の口から生まれ出る言葉を鼻で笑った
りなどしなかった。
 占いのあと、どうぞここにとどまってくださいと、彼等はそろって口にした。求婚
する者はあとを絶たず、それが叶わないとなると皆そろって様々な好条件を提案し、
ついには公衆の面前で足元に跪いて懇願する者や母がいなくては生きていけないと己
の喉を突こうとする者まで現れて、誰もが必死に母を自分のもとへつなぎとめようと
したけれど、母はそのどれもを断固として断り続け、けして心を惑わせたりはしなか
った。
今から十四年前、その母を定置へとつなぎとめたのが、この森。もっとつきつめれば
、精霊が住んでいるのだという言い伝えである。
なんでも身近に危険の迫った者がこの森に入ったとき、精霊は鳥の鳴き声にまぎれ、
その者にだけ聞こえる声でそうっと耳元に注意を囁いてくれるのだそうだ。できる限
りの用心をしなさい、あなたを危険が待ちかまえているのだから、と。
それが『囁きの森』とひとに呼ばれるゆえんなのだった。
 母は、世話になっていた町長の館で世話役頭をつとめていたハンスが話してくれた
この言い伝えをとても気に入り、以来占い師はそうあるべきだと口癖のようによく言
っていた。
 母の最後の姿が今もって記憶に新しいのは、だからかもしれない。
 母は、自殺したのだ。
真冬の、吐く息も凍るような冷たい雨の中へふらりと裸足で出て行ったまま戻らず、
翌朝泣いているわたしから事情を聞き、血相を変えて飛び出したハンスが森の奥で凍
死体となっているのを発見した。
その母が小屋を出る間際、眠っていたわたしの肩を強くゆさぶって起こし、言い残し
た言葉が、
『ケーテ、よくお聞き。おまえはここにいちゃいけない。ここは精霊の住まう森。わ
たしたちはしょせんわたしたちでしかないんだから』
 である。
 なぜ突然そんなことを口にしたのかは今もって不明のままだ。ただ母はあのとき、
身も心も、これ以上は有り得ないほど憔悴しきっていた。真青の瞳はいつになく暗く
陰り、青冷めた膚には子供の目にもあきらかなほど死の闇が濃くつきまとっていた。
息を飲み、何かされたわけでもないのに泣き出してしまったほどに。だから、あれは
絶望から出た言葉だったのでないかと思ってはみても、それはあくまでわたしの推測
でしかない。ともかく母はそう告げ、そして二度と帰らない人となってしまったので
ある。
 けれどわたしは母の言葉を守らなかった。わたしたち親子がこの森へ住むようにな
って以来ずっと食糧や生活必需品などを運んでくれたりして、何かと尽くしてくれて
いた心優しいハンス=ブレーゲ老夫婦のもとへ引きとられ、以後七年の間町で暮らし
たが、どうしてもその生活になじみきれず、結局この小屋へとまい戻り、今もまだ人
々の口にのぼる母の名声に寄生するように占い師をしている。ただし、希代の占い師
・マリア=フォルストの一人娘といってもわたしは母ほど強い能力に恵まれなかった
ので、母のように招かれて遠くの街まで出向いたりはせず、この森の小屋と、せいぜ
いが町にあるハンスの家で、母の名を頼って訪ねてくる客を待つだけだったが。
 当然ではあるけれど、その者たちは一様にわたしから告げられた母の死に対し、隠
しようのない失望を瞳中へと浮かべた。そして彼女の娘であるというわたしの存在に
、またわずかの希望をつなげる。
 わたしはたしかに母から占いの手順を習ってはいたが、凡庸なわたしと非凡な母と
ではその才能は質からして比べものにならない。わたしは、占いというものに関して
無知な彼等から受ける、蜘蛛の糸にもすがらんばかりの期待と、どうあがいてもそれ
には添いきれないであろうという自己嫌悪との狭間でもどかしさや後ろめたさを感じ
つつも占うという煩悶とした日々をくり返し、そうしてまたたく間にこの三年が過ぎ
た。
 はじめのうちこそ母の占いによる救いを求めて訪れる客ばかりだったが、さすがに
三年も経つと徐々にわたしの占いを目当てとする顧客も現れはじめ、森に戻った当初
はハンスの好意に頼るところが大きかったこの生活もどうにか軌道にのり、自分の力
で日々の糧ぐらいは確保できるところまできている。わたしは、母が何よりも深く愛
し、また母との思い出が森のあちこちで濃くあざやかに残っているここを去ることは
できる限り避けたかったし、それに、占うという事以上にわたしに適したものを見出
せないので、この状況の好転に少なからず胸を撫でおろしたものだった。きっとこの
ままわたし一人ひっそりと暮らす分には何も不都合はあるまいと。
そうして日常にゆとりというものが生まれ出した頃、あの夢がわたしを悩ませるよう
になったのだった。

                                                                   続.






前のメッセージ 次のメッセージ 
「連載」一覧 紫野の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE