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★タイトル (GVJ ) 96/ 1/30 16:54 (182)
パントマイム・ダンサーズ 00-03 青木無常
★内容
00-03
「ただいま」
と、さすがに疲れはてた面もちで玄関をくぐった優は、見なれない靴が二足、あが
りがまちにならんでいるのに気がつき、眉根をよせた。
ごついコンバースの白いスニーカーは男もの。もうひとつのケッズのブルーのシュ
ーズは、サイズからして持ち主は女性だろう。
しばし、しげしげとその二足の靴に目をやっていた優の顔に、徐々に、おどろきと
期待、ついでよろこびがふくれあがる。
「おとうさん! おかあさん!」
叫ぶよりはやく、靴を宙にとばすようにぬぎ散らかし、どんどんと音をたてて板の
間をかけぬけた。
リヴィングのソファにくつろいでいたなつかしい父の顔が、呆然とたたずむ優の姿
を目にして、くしゃくしゃな笑顔を満面におしあげる。
「優! 元気だったか!」
中腰で立ちあがりかけるのへ、
「おとうさん! いつ帰ってきたの?」
歓喜に声をはずませながら優は、父にむかって肩口から思いきり、体当たりをくら
わせた。
おう、と身長百六十五の筋肉質な中年は、うれしげに声をあげつつ娘の両わきに手
をさし入れると、ふわりと宙にもちあげる。
「ははは、あいかわらず元気だなあ、優は」
快活に笑いながら上下に荒々しくゆさぶった。おろしてぇと悲鳴まじりに優が叫ぶ。
「いつ帰ってきたのよ。あたしなんにもきいてなかった」
ひとしきり交歓を終えてソファにおちついたころあいに、優はあらためてそうきい
た。
「ついさっきだよ。べつに予定してたわけじゃないんだが、なんだか急におまえたち
に会いたくなってな」
どこか照れたような表情をうかべながら、父は弁解するようにそういった。
ふうん、と生返事をかえし、
「ニューヨークのほう、最近はどうなの?」
「あいかわらずさ。みんな不安そうだよ。だからといって入門希望者が激増したって
わけじゃないがね。日本のほうは?」
そうね、といって優はかすかに笑った。
「こっちも、あいかわらず。でもね」と言葉を切る。「こっちはこっちなりに、なん
てのかな、けっこう一生懸命にやってると思うよ」
ははは、と父は楽しそうに声をたてて笑った。
「こっちなりに一所懸命か。そいつはいい」
「おかあさんは? いっしょに帰ってきたんでしょ?」
「ああ、いま台所で恵さんと夕食のしたくさ。長旅のあとぐらいゆっくり休めって、
みんないったんだがね、勝と優にひさしぶりに手料理をご馳走するんだってはりきっ
てしまって」
「けっこうですこと。あげくのはてに、居間で旦那と娘が大さわぎをくりひろげてる
のに気づきもしないで料理に夢中ってわけ、ね」
と皮肉な口調で論評するタイミングをねらったように、
「おあいにくさま。それほど鈍感だと思われてたとは、知らなかったわ」
と、コーヒーセットをのせたトレーを手に、母が居間に歩をふみいれてきた。
「げ。立ち聞き」
「まあ人聞きのわるい。あんたが帰ってきたみたいだから、お茶を用意して運んでき
たのがいまだったのよ。そう、帰りしなに買ってきたザッハトルテ、いらないっての
ね。それじゃお父さまと勝ちゃんと三人で山わけかしら。あらうれしいこと」
抗議と哀願のいりまじった悲鳴をあげる娘に、拳法、合気道、薙刀、三つあわせて
十数段のの実力者とは思えない華奢な手が、慰撫をこめてかるく額をこづき、テーブ
ルに茶器とポットをならべはじめた。
ケーキはケーキ、ととび跳ねる娘を母は笑いながら制し、食後にお兄ちゃんもいっ
しょに、ね、と軽くいなして父のとなりにおちついた。
たがいの近況やらなんやらを声高に交わし、ひとしきり笑いあい再会を祝しあって
から母がふたたびキッチンへ戻った機を、まるで待ちかまえていたように父が、ふい
に真顔になって問いかけた。
「優、右肩はどうした?」
笑顔は瞬時にしてしぼみ、かわりに、うわ、バレたか、といった表情をうかべて優
はしゅんと萎縮した。
しばしためらった後、
「ちょっと打撲。森先生に看てもらったからもうだいじょうぶだけど。死ぬほど痛か
った。友だちに心配かけたくなかったから、顔には出さなかったけどね」
いって父の顔色をうかがいつつ、ぺろりと舌を出してみせる。
しかつめらしくそんな娘の様子を見ていたが、ふう、と父はため息をついた。
「ケンカか?」
娘は身をちぢめて小さく、うん、とうなずいた。
そんな優を父は、無言のまま、視線で問いつめた。
どこまで話していいか判断をつけかねてしばし優はだまりこみ、結局、父や母によ
けいな心配をかけてもしかたがないと見切りをつけた。
いくつかの事実を端折って、自分に非はないこと、警察もそれを認めてくれたこと、
相手は逃げてしまって素性もしれないこと、などを口にする。
なんの用事で帰国したのかは知らないが、いずれ数日中に父も母も、ふたたびアメ
リカに戻ることになっているのだろう。現実的に考えても、あの奇妙なできごとをく
わしく聞かせたところで無用な心配をつのらせるだけで、おたがいになんの利益もな
さそうだった。
優の弁明をだまってきいていた父も、そのあたりのことを敏感に察したのかもしれ
ない。もう一度、小さなため息をひとつもらし、そしてうなずいた。
「わかった。きみも、きみの友だちにも、なんの非もないんだな」優がうなずくのを
待って、「よろしい。だが、これだけは忘れるな。多少拳法が使えるからといって、
きみはしょせん女の子なんだということを、な。あぶないことに首をつっこんじゃい
けない。もしそういう事態にまきこまれてしまったら、ためらわずおじいちゃんや水
無月くんにでも、相談するように。ぜったいに自分ひとりで解決しよう、などと思わ
ないこと。わかったね?」
しかつめらしく諭す父に、見てくれだけは神妙に、うなずいてみせる。
べつに好きこのんで厄介事に首をつっこむ気などないが、そこらの男の子より頭脳
的にも体力的にも、たいていの事態には的確に対処できる自信が、優にはあった。
もっとも、今日の昼間のような異常事態など、二度と願いさげではある。
そんな優の心中を知ってか知らずか、ふと、厳粛を装った父の顔がゆるみ、瞬時、
慈愛と、そして哀しみを秘めた微笑がうかびあがった。
「忘れないでくれ優。きみがどんな境遇にあろうと、わたしも、おかあさんも、いつ
もきみの幸せを心から祈ってるんだと。だから――どんな逆境でもあきらめずに、ふ
たたび笑顔を見せあう日を迎えられるよう最善をつくすことを、きみも、そしてわた
したちもおたがい、誓いあおう」
真顔でそう口にし、じっと優を見つめた。
なにをいってるのかなあと呆然としつつも、優もまた神妙にうなずいてみせる。
そんな娘の姿に、かすかに微笑みつつ父もうなずき返し、突然、照れまくったよう
に、目をそらして笑いながら立ちあがった。
「さて、母さんの料理の手伝いでもしてくるかな。ニューヨークじゃなんでもアメリ
カ式に分業だったから、どうもこうしてすわっているだけだと落ちつかなくなってし
まってね」
そんな父のうしろ姿を笑いながら見おくり、思い出したように、
「おじいちゃんは? 奥?」
問うた。
「ああ。芹沢さんのご隠居と、碁でもうってるようだよ」
キッチンに消える背中がそうこたえるのに「わかった」と応じ、離れの和間へと小
走りにむかった。
ぱちり、と碁盤を打つ冴えた音が、半開きの障子のむこうからきこえてきた。歩調
をおとして室外からちらりと、様子をうかがう。
芹沢家のご隠居の禿頭を前に、祖父は碁盤から目をあげようともしないまま、
「おかえり、お嬢ちゃんや」
としわがれた声で告げた。
「ただいま」
とささやきながらぴょん、と二人の横に腰をおとし、白と黒の丸い石がならぶ盤上
に視線をむける。
芹沢家のご隠居は、九十近い祖父の、今では唯一の友人だ。若いころは二人で大陸
を放浪した仲でもあるらしい。数年前から事業を三人の息子にまかせっきりにして、
今では悠々自適の生活、毎日のようにこうして優の祖父・三崎壮一の離れをたずねて
は碁盤をはさんで時を過ごしている。
優は、このふたりが何を語るでもなくひねもすぱちり、ぱちりとやっているのを眺
めるのが、なんとはなしに好きだった。
「さて」と、その芹沢のご隠居が黒石をうちながら一人ごちた。「彼界より、いよい
よ攻め入るか」
対して祖父はしばし黙考し、白髭をひねりつつぱちり、と白石をうつ。
「先兵、まずは二人」
ふむ、とご隠居は禿げあがった後頭部に手をあてる。
「包囲網は十重二十重」
ふん、と祖父は髭の下、唇を不敵にゆがめる。
「成長株よ。ゆめゆめ、あなどるなよ」
「あなどるまいて。まあ、迎えうつ側にしてみれば、あなどってもらったほうがやり
よいのだろうが、な」
「まさにな」
不可解な会話が交わされるのもまた、いつものことではあった。が、今日はとくに、
優にはその会話が意味ありげにきこえる。
「今日はこのあたりにしておこうか」
と祖父がいうのへ芹沢のご隠居もしかつめらしく「む」とうなずいて膝をくずす。
「さて」
と祖父がふいに、優にむきなおった。着物のふところからやせた胸もとが見えてい
る。
このがりがりの身体でいまだに、師範代である二十七歳の若者盛りの水無月俊彦に
さえ、正拳ひとつ、かすらせもしないのだから奇怪千万。もっとも、道場のほうはも
っぱら水無月にまかせ、たまにしか顔を見せず、まして組手、演武のたぐいなどめっ
たに披露しないせいか道場生の大半はこの老人をお飾りだけの道場主、実質的な師範
はニューヨーク支部の優の父・竜二である、と見ているようだ。勘ちがいもはなはだ
しい。
「どこぞで、やりおうてきたらしいの」
そんな危険きわまりない武技の使い手とは思えないのんびりとした口調で、祖父が、
そうきいた。
わかる? と笑いながら優も応ずる。父とちがって祖父は、優の喧嘩をとがめたこ
とは一度もなかった。時にはアドバイスを与えることさえあるくらいなのだ。だから
優も、気軽にいろいろなことを相談できる。
「おじいちゃん、タケルちゃん――って、おぼえてる?」
孫娘の言葉に、祖父は、目をほそめて笑った。
「おうおう、井の頭公園のお稲荷さんで、血まみれでたおれておったあの小僧か。な
つかしいわい。菊池のとこの小伜があずかるというて、つれていったはずだがの」
「そうだっけ?」
ときき返すのも、もともとが少年の記憶は優が五、六歳のころのもの、それもほん
の一時期のできごとであったとなれば無理もない。
「タケルに会うたか。あの獣のような小僧に」
「渋谷の博物館でね」
うなずき、優はタケルと出会ってからの一部始終をつつみかくさず、祖父と芹沢の
ご隠居に、語ってきかせた。
最後まで口をはさまぬまま、ふたりの老人はだまってうなずくだけだった。
優が語り終えた後もしばらくの間、和間に沈黙がわだかまった。
が、ふいに祖父が「よっこら、しょ」と冗長なかけ声とともに腰をあげる。
「どれ、お嬢ちゃんや、ひさしぶりに手あわせでもしようかい」
ぎょっと優は目をむいた。立ち居ふるまいもよれよれとして、万事のんびりとした
テンポで運ぶ老人だが、こと拳法の手あわせとなると容赦がない。朝の太極拳めいた
体操以外、習練らしい習練もつんでいない九十近い老人がなぜ、と思えるほどに、突
きぬけた強さとおごそかさを、この三崎壮一は秘めているのだ。
が、結局、あきらめて腰をあげた。体を動かすのはもとよりきらいではないし、存
分に力をふるえる相手も少なかった。
道場にいきかけるのを祖父が制し、庭をさし示す。優は素直にしたがった。芹沢家
のご隠居も野次馬きどりであとをついてくる。
「おじいちゃん。優。もうすぐご飯だからね」
とキッチンから母が声をかけてくるのにも、二人は適当に返事をかえすだけだ。
南むきの廊下から、庭へとおり立った。祖父は草履履き、優にいたっては、靴下を
ぬぎ捨て裸足になって、土の上に立つ。
そのまま、静かに正対した。
――TO BE CONTINUED.