#911/1336 短編
★タイトル (BYB ) 97/10/ 4 7:48 (155)
お題>幽霊(下) つきかげ
★内容
三時間ほど仮眠をとった私は、再び愛車のハンドルを握って職場へ向かう。心
の中でゲーハの変態野郎と呼んでいる課長とトラブルの後始末をして回る。
今日はサーバも順調に動いており、さすが朝倉皓平と心の中で、手を合わせた。
やはり、救ってやらねばなるまい。
樹理から私の携帯に連絡があったのは、一通り後始末の終わった午後5時くら
いである。一息ついて睡魔と戦っている私に、樹理が言った。
「できたわよ」
「何、晩御飯?」
「ばかもの。起きなさい。朝倉さんのとこへインストールにいくから」
「おっとぉ」
久しぶりに定時に退社した私は、車でマンションへ戻り、樹理を拾う。そして
彼のもとへと向かった。
助手席で樹理が言った。
「あのゲームは全部で12ファイルになるようね。主人公の探偵が、一夜に一人
づつ女性の体の一部分を切り取ってゆき、その体を水槽のなかで結合させてゆく。
13の体の部品を全て繋ぎ合わせた時、一人の女性が死から甦り、探偵の男を連
れ去ってゆく」
「詳しいじゃない」
「ヴェルセヴァルクには友達がいるの。昨日の夜、11回目のダウンロードが終
わっているはず。今晩、最後のダウンロードがあるわ。それが行われてしまった
ら、もう取り返しがつかなない」
うーんと私は唸る。ぎりぎりだった訳ね。
「もう一つ、判ったことがあるわ」
「何?」
「あのゲームを作った人、九堂秋穂という女性なんだけど、3年前に朝倉皓平と
知り合っている。かなり親しかったみたい」
「へぇ」
「秋穂の個展に、朝倉が訪ねていったみたい。でもすぐに別れている。その後、
秋穂は例のゲームの原型を作ったのち、22才の若さで他界しているの」
「自殺?」
「よくわからないけど、自殺ともとれる死にかたみたいね。冬の湖にボートから
落ちて水死とか」
わたしは、どきりとした。
「秋穂が死んだのが2年前。それから2年かけて、ゲームをヴェルセヴァルクが
完成させている。秋穂は自分自身をゲームの中で再生するようにプログラムを組
んだようね」
2年前。丁度私と彼が会社を辞めたころ。そして彼が水死した少女を延々と描
き始めたころ。私はうーんと唸った。
「秋穂がオフィーリアだったのね」
「なによ、それ」
「オフィーリアには、渡さないわよ、大事な彼を」
「酔ってる?明美」
樹理が変な顔をして、私を見る。
午後8時に、彼の住む洋館についた。彼は脳天気に私たちを出迎える。その妙
な陽気さは、一層すすんだ窶れと相まってとても不自然に見えた。
「うれしいな、こんな美人の友達をつれて来てくれるなんて」
ばかめ、樹理はビアンだよ、と心の中でせせら笑いながら、シナリオ通りの説
明を彼にした。樹理は私の同僚で、ウィルスバスターのプロである。
彼にもらったゲームを調べたところ、とてもたちの悪いウィルスが見つかった
ので、あわててきた次第。ワクチンをインストールして端末を掃除し終わるまで、
8時間はかかる。その間、電源は落としておいてくれと。
「えっ、電源落とすの?でも、ワクチンプログラムは走行するんでしょ」
樹理は涼しい顔で言った。
「不揮発性メモリのクリアは電源を落とした状態のほうがいいんです。とても特
殊なウィルスで、ファームウェアの情報も書き換えてますし」
「うん、そうだろうねぇ、OSレベルのチェックは僕もさんざんやったから、そ
れで見つからないってのは大したウィルスだよ」
へへんだ、と心の中で思う。電源を入れさせないのは、たんにダウンロードさ
せない為なんだよと。電源がはいると、既にダウンロードされたプログラムが立
ち上がり、いくら心霊的ファイアーウォールで端末を防御しても、内側から破壊
されてしまう。
わたしたちは、てきぱきとインストールを終え、ひきとめる彼を後に残してひ
きあげた。それが午後9時。樹理が絶対安全圏とよぶ午前5時まで後8時間ある。
樹理は私のマンションの部屋へ戻ると、今度は私の端末に細工を始めた。よう
は、朝倉皓平の端末としてサーバにいる幽霊から見えるように、細工するつもり
らしい。器用なやつだ。
2重の施策を講じて、午前零時を待つ。そして狙い通りに彼女は私の部屋へ来
た。
昨日のように、どん、と部屋が揺らぐと、照明がおちる。濃い闇が部屋を埋め
尽くし、端末のディスプレイだけが淡く輝いた。
「…なんの…まねだ…」
水晶球を抱えた樹理が、話かける。
「せっかくだから、遊んでいけば」
私はキーボードを操作し、樹理の作った呪符プログラムで秋穂に戦いをしかけ
た。樹理の作った半AI的呪符プログラム護法童子シリーズは、サーバに昇って
ゆき、後方攪乱をする。
こいつらは、逃げ道を断つ訳だ。さらに、強力な霊獣シリーズが秋穂に戦いを
挑む。護法童子はプロトコルを攪乱してサーバとの接続を困難にし、霊獣たちは、
メモリ領域から秋穂を追い落とし、ディスク上へ逃げ込ませる。
ディスク上には魔導師シリーズが待ち受けており、どんどん圧縮をかけて秋穂
を凍りつかせてゆく。秋穂の幽霊は次第に動きが鈍っていった。
「すごいわ、樹理。あんたって天才」
しかし、樹理はうかぬ顔だ。
「おかしい。こんなはずじゃない」
「え、でも、全部予定通りだよ。樹理の思惑通りに進んでるんじゃない」
「違うわよ。こんな程度で封印できるような存在なら、苦労はしないわ。なにか
を隠している」
「え、そうなの?」
そういえば、妙な事に私も気付いた。
「あれ、こいつ、パソ通のサーバ以外のところにアクセスしているみたい」
「ええ?どういうこと」
樹理が驚きの声をあげる。私はキーボードを操作して、秋穂の動きをトレースした
。
「これはえっと、インターネットに接続してるわ。それとこれは、外国ね」
「外国?」
「えっ、ひょっとして、これってペンタゴンに入ってる」
私は焦った。タスクを殺そうとしたが、手遅れである。秋穂の幽霊は私と戦う
ふりをして、米軍の軍事コンピュータをハッキングしていた。
樹理が、半ばあきらめた声でいった。
「彼女は、何をするつもり?」
「軍事衛星をコントロールしてるわ。地上にレーザー照射するつもりね」
朝倉は久しぶりに熟睡した。いつもなら深夜零時にダウンロードされるゲーム
も、今夜はされなかった。
ふと、目が醒めると、外が明るい。
「もう、朝か」
そう呟くと、いつものように、端末へ向かう。彼への仕事の依頼はいつも、メ
ールでくる。朝一番にメールを確認するのが、日課であった。
端末の電源を入れる。そこに現れたのは、少女の顔であった。彼の知っている
少女、九堂秋穂。
「待っていたわ」
「ああ」
朝倉は呟くように答えた。
「僕も、待っていた」
時間は午前3時。米軍の軍事衛星が彼の家の庭へ、レーザー照射しているなど、
知る由もない。
「持ってかれたわね」
「あーあ」
私はため息をつくと、ぶっ倒れた。疲労がどっと、押し寄せる。
「考えてみれば、秋穂と朝倉って相思相愛というやつじゃなかったのかしら。ど
うして、こんなややこしい事になったの」
私の問に、樹理はめんどくさそうに答える。
「朝倉さんは、秋穂の中に自分を破滅させるような深淵を見たのよ。それで怖く
なって逃げたんだわ。でも、その後の人生はただ、破滅を待つだけのようなもの
だった。なるべくして、なったのね」
「愛から逃げたっての?判らないな」
「男なんてそんなものよ」
ふん、と樹理は鼻で笑う。そういえば樹理は、ビアンだっけと私は思う。
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私は血塗られた剣を片手に、最後の身体部品を水槽の中へ投じた。蒼ざめた水
の中に、深紅の血が渦巻いてゆく。
魂の深淵のように蒼い水槽の水の底。冥界の底のように昏く輝くその水から、
一人の女が浮かびあがる。
私が愛した女。
私が殺した女。
一人の完全なる存在として甦った彼女は、私を抱き留めた。
「待っていたわ、私は」
その炎のように熱い口づけを、私は受けた。彼女の満月のように輝く裸体を、
私は強く抱きしめる。
「おれも、待っていた」
私のこたえに満足げに頷いた彼女は、ゆっくりと夜の翼を広げる。私たちは飛
び立つのだろう。やがて全てを焼き尽くす、太陽が昇る。その死滅の太陽に向か
って、私たちは飛び立つのだ。
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午前4時。ひとつの軍事衛星が軌道をはずれ、太陽の重力に捕らえられる。そ
こには、ふたりの人間の魂が収められていた。
愛し合う二人は、やがて太陽の炎で灼かれる。誰もさわる事のない炎が、二人
を焼き尽くすだろう。