#199/1336 短編
★タイトル (XVB ) 94/ 2/20 0:48 (190)
背中の子 $フィン
★内容
おかあちゃん、ひもじいよお 背中の子が泣いておりましたのを覚えておりま
す。
よしよし、いい子。おとうちゃんが帰ってきたら何かいいもの持って帰ってく
れるはずだよ。それまで我慢していようね。わたくしは背中で泣く子をあやしな
がらわが子ともどもあの人の帰りを待ちわびておりました。
背中の子はわたくしがそう云い聞かせても、なかなか泣きやみません。それど
ころがわたくしが背中をゆすればゆするほど、その泣き声は大きくなってまいり
ます。
わたくしはこの子のひもじさを少しでもいやすことができれば思い、背中の子
に川の水を飲まそうとしたこともありました。けれどもわたくしの願いとは裏腹
に背中の子は川の水を少し飲んだところで、たまたま通りかかった村人に止めら
れてしまいました。あのときもっと水を飲ませておけば、この子にひもじいと訴
えられることもなかっただろうに、わたくしは今だにそう思っております。
背中の子はまだ泣いておりました。わたくしの肩にかかる重みはその泣き声が
大きければ大きいほど、その重みを増していきます。
せめて晴れていればいいのに・・・わたくしはそう思い、空を見上げました。
そのときの空の色はわたくしの心にも似たどす黒い灰色でした。灰色の雲からは
細い糸のような雨が降り続けておりました。
晴れた日であれば、わたくしは背中の子のためにこおろぎを与えて機嫌をとる
のでございますが、その日はあいにく雨が降っておりましたもので、こおろぎを
とることはできませんでした。
こおろぎを何に使う・・・ですか? もちろん背中の子のためでございます。
背中の子は大のこおろぎ好きで、わたくしがこおろぎを与えますとしばらくの間
は一人で遊ぶのでございます。こおろぎの羽をむしり、ただただ無心にはしゃぎ
まわる背中の子の姿を見るのはわたくしには忍びなく、わたくしの幼いころお父
様やお母様から存分におもちゃを貰ったことを思い出しては、ああこんなとき少
しでも背中の子にもっともらしいおもちゃを与えたいそんならちもないことを思
ったり、そんなものしか与えることのできないわたくしの親としてのふがいなさ
を考えると涙がでそうになるのございました。
そうかと云って、わが子のためにわたくしの実家から金子を無心するわけにも
まいりません。わたくしはあの人のものになるためにわたくしの実家から大量の
金子をいただきました。
それもこっそりいただきました。こっそりいただくことは盗人だと云われるの
ですか。ええ、わたくしもそう思います。わたくしがそのようなはしたないこと
をしたのはある重大な理由があるのでございます。
わたくしのご先祖はなんでも平安のころ、京の都にでた物の怪を退治した豪の
者だったとか聞いております。そこでご先祖は時の朝廷からその武勳を認められ
て今の地の長を仰せつかったそうです。
そしてわたくしの家にはその証拠の品の京の物の怪を退治したときの槍が治め
られておりました。その槍は元々は白い布を巻いてあったものだと聞かされてお
りますが、長い年月の間に黒く変色しております。家のものがいうには囲炉裏の
すすがついたと云っております。わたくしはそうは思いませんでした。それがす
すの色ではなく、物の怪の血を受けて黒く変色したように思えてなりません。そ
れに夜誰もいない部屋のランプの火もともっていないのに、槍だけが青白く妖艶
な光を出しているのでございます。わたくしには槍に物の怪の呪いが宿っている
ようで、その黒い槍に近づくたびにで何かしら背中がぞくぞくとする悪寒のよう
なものを感じておりました。
わたくしは黒い槍のそばで大きくなり、恋をする年頃になりました。そしてわ
たくしは恋をしました。これ以上ないというぐらいの誠の情熱的な恋をしました。
わたくしの恋の相手は村から街に、街から都、都から村に渡る旅芸人でした。
山奥のへんぴな村に旅芸人がくるのは久しぶりのこと、かれこれ五年ぶりかと
いったところでしょうか。娯楽らしきものもない当然あらわれた旅芸人の一座、
言葉もうまくしゅべれない二つになる幼児から、米寿を迎えるお年寄りまで、ど
んなものを見せてくれるのかと、村中が浮き立つほどでありました。
とりわけわたくしたちの間では男優の方が都から送られてくる絵写真のようだ
と評判でありました。そしてわたくしの家に、村の興行権を得るため旅芸人の長
と一緒に来たのが噂のあの人でした。
わたくしはお母様のかわりにお茶をお持ちしたいと云いました。お母様はまだ
わたくしには早いと云いましたが、どうしてもとわたくしが云うと、気をつけて
いくのですよと云いました。
わたくしは緊張しました。お茶が揺れます。そして、わたくしは無作法してし
まいました。わたくしはあの人の上にお茶をこぼしてしまったのです。お父様は
怒りました。だってわが家に来られるお客様のためを思って、来る日も来る日も
お茶の立て方を愛情込めて教えてくださったのに、わたくしはこれから本番とい
うところで、お客様に不快な思いをさせてしまったのです。ああ、お父様のせっ
かんが待っていることも恐ろしいですが、客人に無作法をしてしまったことが悔
やまれてなりません。わたくしはなんという罪作りなことをしてしまったのでし
ょう。
でも、そんな無作法をしたわたくしに、あの人は優しく云ったのでございます。
熱くないよ。大丈夫だよと、その言葉を聞いたとたん、わたくしの胸は高まりま
した。一目、一言で恋に落ちるとはこのようなことを云うのですね。わたくし都
から送られてくる便りではこういう一生に一度の恋もあるものだとは知っており
ましたが、わたくしのような女にもこういった恋に巡り会えるとは信じておりま
せんでした。
恋です。わたくしの初めての恋です。わたくしはもう夢中でした。明けても暮
れても思い出すのはあの人のことばかり、夢の中でもあの人があらわれてくる始
末です。もちろんわたくしはあの人に逢うために家を抜け出してあの人のお芝居
を見に行きました。毎日あの人が登場する時間を紙に書いて、それでも忘れない
ようにくぎで身体にも刻み込みました。
今だに身体の傷となって残るぐらいあの人のお芝居は大層すばらしいものでし
た。わたくしの家に伝わる物話を参考にした物の怪退治の話です。勇ましい姿の
あの人が、物の怪を槍で突き刺しておりました。物の怪は血みどろになって倒れ
叫びます。呪ってやる。呪ってやる。呪ってやる。拍手喝采の渦に紛れて物の怪
の叫びは消されてしまいましたが、わたくしは確かに聞こえました。
わたくしも物の怪に負けないぐらい、愛するあの人にために精いっぱいの声援
を送りました。愛してます。愛してます。愛してます。
あの人は物の怪を足の下に置き、さかんに手を振っております。ぐるりと首を
巡らします。わたくしと目が逢いました。あの人は白い歯を見せにこりと笑いま
した。嬉しかったです。わたくしよりも見目美しい方は沢山おられたはずなのに、
わたくしのためだけにあの笑いを投げかけてくれたのだと信じております。わた
くしは有頂天で、嬉しくて涙を出してしまいました。ほらその時の涙をこうして
瓶につめて持っていますのよ。
わたくしはこのとき誓ったのでございます。この方こそわたくしの生涯の伴侶
になる方だって、わたくしはあの人の妻になるつもりで、お芝居が終わった後旅
芸人の方々がとまっている宿、とうの昔に廃寺となっているのを仮の宿としてと
まっているところまで行きました。
旅芸人の方々はみんな騒いでお酒を飲んでおりました。あの人も一緒になって
笑っております。あの人はわたくしを見ると席を立ち、わたくしを誰もいない沼
のほとりに連れ込み愛してくれました。げこげこげこ・・・ひきがえるの声がわ
たくしたちを祝福していたのを覚えております。
あの人との逢引はお芝居が終わった後も続いておりました。毎日毎日ひきがえ
るが哭く沼までわたくしは行き、あの人をわたくしに少し遅れてやってきます。
あの人は同じ行為を繰り返しては去っていきます。あの人の後姿を見ながらわた
くしはあの人から愛されているそれだけで十分でした。
そんなある日のことです。いつものようにひぎがえるが哭く沼であの人がわた
くしから離れてから身支度をする合間にわたくしを見つめ、にこりと笑いました。
そして、一緒に所帯を創ろう。そのためには金子が必要なんだと云いました。わ
たくしは遅かれ早かれそのような日が来ることは気がついておりました。そして、
所帯を創るためには金子が必要だということも気がついておりました。
さっそくわたくしは家に帰りお父様、お母様にあの人との所帯を持ちたい、あ
の人が云うには金子は必要なんだと云いました。
わたくしの言葉が終わるか終わらないかのうちにお父様はわたくしの頬をぶち
ました。お母様はわたくしの身体を抱いて泣きました。わたくしはこのときは大
層驚いてしまいました。今までわがまま一つ云ったことないわたくしが唯一あの
人のために金子をねだり、お父様、お母様の本当の顔を見たのでございます。今
までのお優しかった顔の下に般若のような恐ろしい顔が隠されているとはわたく
しにも想像すらできなかったことでした。
あああ、今考えても恐ろしゅうございます。わたくしそのときはっきりとわか
りましたの。わたくしの本当の親はとうの昔に殺されて物の怪の夫婦が何喰わぬ
顔でわたくしの親変わりとなっていたのだって、そうに違いありません。ええ、
きっとそうです。それならば、わたくしに特別優しかったのも合点がいきます。
今までわたくしに大層優しくしてくれたのだってわたくしが大きくなって油がの
ったころに物の怪たちがわたくしを食べようとしていたのだと感づきました。
だけどわたくしはか弱き女です。正面きって物の怪に向かって行っては、返り
打ちにあってしまいます。そこでわたくしは一計を練り、お医者さまからいただ
いたお薬を夕食の席に混ぜることにしました。もし失敗すればわたくしの命はあ
りません。まさしくこれぞ、命をかけた恋でございます。ます細心の注意を払い
薬物を入れ、その夜、物の怪のお父様はもちろんお母様、下女、下男、猫の子一
匹まで眠りに落ちました。そしてわたくしはお父様、お母様を殺した物の怪たち
すべてにあの槍で正義の裁きをつけたのでございます。
物の怪たちを退治した後、家の中の金子をすべて風呂敷包に入れ、あの人のと
ころに嫁ぎました。もちろん他に仲間がいてはいけませんから、あの人と一緒に
駆け落ち同然でここまで落ち延びてきたのでございます。わたくしは物の怪を退
治をしたことをあの人に話してもよかったのですが、か弱き女子がそのような勇
ましいことを話すと何やら自慢しているようでもあり、物の怪より強い女子とも
見られそうであの人には黙っておくことにしました。
そんなこんなで誰一人祝うものもいない二人だけの新婚生活が始まりました。
あの人はたまに気が向いたときにふらっとわたくしと肌を合わせ、朝になると去
って行きます。あるときはべろべろにお酒を飲んで、他の女子の匂いを漂わせて
帰ってきたこともあります。わたくしはあまりいい気はしませんでしたが、じっ
と肌をあわせているとあの人の温もりがわたくしに伝わってきます。そして愛し
てるよ。愛してるよと耳のそばでささやきます。あの人の声を聞くたびにわたく
しは愛されている。他の女子の匂いをさせていても心だけはいつまでもわたくし
のものと感じて再び愛欲に燃えるのでございました。
わたくしが実家から持ってきた風呂敷包みの中身がなくなったときあの人はか
わりました。あんなに優しかったのにわたくしを殴る蹴るの暴力を起こしたので
ございます。どうしてこんなひどいことをするのですか あの人に云いました。
あの人はわたくしを見て笑っています。こんなばずじゃなかったのに、わたくし
はあの人の顔を下から見たとき、あの人の真の顔を見ることができました。ああ
こんなところにも物の怪がついてきたのだと。だから物の怪は他の女子の匂いを
させていたのだと気がつきました。だってあの人が愛しているのはわたくしだけ、
わたくしが愛しているのもあの人だけです。物の怪はあの人とわたくしの仲のい
いことに腹を立ててあの人のいない夜にだけわたくしの元に忍んできていたに違
いありません。わたくしはあの人に化けた物の怪が寝ている隙に、退治しました。
あの人に化けただけあって、元気のいい物の怪でよく血が流れました。ほらあの
黒く残っているのが物の怪の血です。
物の怪を退治したのはいいのですが、わたくしが実家から持ってきた金子もあ
の人に化けた物の怪に盗られてしまいました。あの人も薄々物の怪がわたくしの
周りにいたことを気ずいていたのでしょう。物の怪を恐れてわたくしの元には帰
ってきません。きっとどこかでわたしたちのために働いているのだと信じており
ます。
ですが、あの人もいない、実家から持ってきた金子もない。か弱い女のわたく
しとあの人の間との子二人だけの生活は非常に苦しいものでございました。
かと云って先ほどお話ししたように実家には物の怪の死骸があるばかりでござ
います。それにわたくしは物の怪に育てられたとはいえ、一度家を出たものでご
ざいます。帰ることなどできましょうか。
ひもじいよお。ひもじいよお。おかあちゃん。ひもじいよお、背中の子供はま
すます大きい声で泣き叫んでおりました。
そんなことを云わないでおくれよ。家の中にはもう何にもないんだよお。さっ
きおまえが食べたのが最後なんだよお。わたくしは背中の子供をあやし続けてお
りました。あーん、あーん、あーん、あーん背中の子の声が呪文のように大きく
なっていくのが覚えております。
ふと、わたくしが気がつくと、わたくしの背中は軽くなっていました。背中の
声も聞こえません。そのかわり目の前には大きな肉の塊が落ちておりました。
わたくしはお腹がすいていたものでしたから、それを口の中に放りこみました。
今までに食べたこともないようなおいしいものでした。あますっぱくて、肉は柔
らかく舌の中でとろけるようでした。わたくしは無我夢中で人様にとられないよ
うに口の中に放り込んでいました。
腹は大きくなり、落ちついて考えると見も知らずのわたくしのようなものに、
こんなおいしいお肉を恵んでくれる奇特な方などおるはずがございません。わた
くしはそのとき悟りましたの、あの人が来たのだと。そしてあの人はわたくした
ちのためにこんなおいしいお肉をそっとおいて、そっとどこかに行ってしまわれ
たのだと思っております。
わたくしはあの人からいただいた、こんなにおいしい肉の蓄えをたくさん持っ
ておりますので、これからは背中の子にひもじいと云われることもないでしょう。
ですから、あなたは背中の子を一刻も早く探し出してください。よろしくお願
いします。
$フィン