AWC 万年床を待ちながら       椿 美枝子


        
#155/1336 短編
★タイトル (RMM     )  93/10/31  23:21  ( 68)
      万年床を待ちながら       椿 美枝子
★内容
「お邪魔しますね」
 貧しい文学青年の万年床を横目に手土産ぶらつかせ薄汚いスリッパをかろうじ
てつっかけると足の裏にはざらつく感触。部屋全体を覆う湿り気。
 全身ぴりつかせて警戒しながら、それでも上がり込んだのは多分好奇心。異性
の一人住まいを見るのは、はじめてだった。

 ひょろながい人影は素早く動き回り、本だらけの混沌から一人分の空間をこし
らえる。薄汚れた座布団を、こっち側の方が汚れていないから、と裏を返してか
らすすめて寄越すそんな様子を眺めていると、申し訳ない思いがしてやまなかっ
た。この部屋は本来、一人しか受け入れようとしていないのに。急遽二つ折りに
された万年床からはある種のにおいが漂っていた。それは、孤独な男の人のにお
いだった。そんな気がしてならなかった。
 故郷に遠く離れた恋人が居るという噂だった。それを思うと余計に居辛く思え
てならなかった。

 来なくても良かった。社交辞令かもしれなかった。さほど好みでもなかった。
相手の挙動にびくついていた。
 来たいと思った。認められている気がした。未来を語る人だった。どの角度で
目を合わせようか考えあぐねていた。

 くどい奴だな。
 ポスト構造主義と前衛芸術の絡まり合った話を聞き流し、しびれた足を持て余
しながら、そう感じ始めていた。膝を崩す描写は好きじゃないんだ。
 会話でもてなすのが流儀だ、というのが持論らしく、けれどすでにそれは会話
でなく演説だった。持参した菓子類はすでに空になっていた。そろそろ引き際か
な、そう感じ始めていた。

 突如、演説が途切れた。ラジカセからFMが流れていた事に、その時ようやく
気付いた。文学青年は考え込んだような表情のまま、しばらく曲に聴き入って、
そしてそれは私も知っている恋の歌で、つ、と顔を上げ私を覗き込み、尋ねた。

「恋人は、居ますか」

 動揺を抑える。
 卑怯な奴め。
 表情を整え、答える。
「文学が、恋人よ」
 歯が浮くぜ、ちきしょうめ、そんな事訊くなよ、こんな事言わせるなよ、ばか
やろう。

 万年床を尻目に部屋を辞いた。帰り際、唐突に詩を贈られた。なくした恋人へ
の挽歌、そう感じた。駅まで送りますよ、紳士ぶった口調。少しは期待していた
のかな私。一人電車に乗り、自嘲気味に呟いた。

 それだけだった。

「ねえ、あの頃」
 数年後の再会は昔よりも互いに取り繕った顔。
 文学青年は近頃めっきり演劇青年で、小難しい戯曲を書いては仲間を集め、時
折そこいらの芝居小屋で演じていた。ある日物珍しさで観に行くと、帰り際にばっ
たり出くわした。
「どうして私の事を、部屋によんでばかりいたの。どうして私に、あの詩を贈っ
たの。あの時、恋人、居たんじゃなかったの。結局、私、あなたのところには一
度しかお邪魔しなかったけど」
 影と憐れみに似た色を浮かべ、私に、答える。
「さあ。どうしてでしょうね」
 きかなきゃ、よかったかな。
 あの時の万年床と同じにおいが漂っていた。変わらぬ暮しを思い浮かべる。
「芝居、良かったよ」
 付け足しのように言って、きびすを返す。出を間違えた役者は振り向かずにこ
のまま去ろう、そう、このまま下手(シモテ)に退場だ。
 そして、二度と、会わずにいよう。演出ではなく、心から思った。


                  了

                       1993.09.10.24:00
                       1993.09.15.15:40




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