#150/1336 短編
★タイトル (FAM ) 93/10/15 21:33 ( 96)
フローラ(すかんち)−−お題−− KMP
★内容
街は金色に枯れて輝く草原に浮かんだ小さな砂糖菓子。
ラルフィは麦藁の影に隠れた大きな黒い目でサーカスの事を思い出す。きっと
今ごろは遠い港町か、それとも山間の小さな村か。
団長のデイル親方の太鼓腹。焼き立てのとうもろこしの香ばしい香り。人間ロ
ケット、エルビンさんの大砲の轟音。終わることのない旅とカルナヴァル。そし
ていつも貨車の中で一緒に眠った、かけがいのない友達を思い出す。
フローラ。彼女はとてもきれいだった。
巨大な頭にかぶせられた錦糸の織物。ローマ神殿の柱のような足に飾った金色
の鈴を響かせて彼女は歩き、立ち、玉を持ち上げ、そして踊った。その見事な事
といったら!どこの街の、どんな人でも彼女が動くたびにため息をつき、後ろ足
で立ち上がった時には声も裂けよとばかりに歓声を上げた。どんな演し物も彼女
の前には読み古した新聞ほどの価値もない。たとえ伝説のキマイラが居たとして
も彼女の前では安酒場の毛の抜けた犬でしかないだろう。
だからサーカスのポスターはいつでも彼女の大写し。遠く印度からやって来た
象の王族シャーマン家の令嬢。歌い、水を吹上げ、異国の踊りを披露する。ああ、
信じられない。あれが象。なんて美しく、なんて優雅なんだろう!
アルフィは彼女の相棒。こまっしゃくれた子供。あと何十年経とうが、永遠に
変わりはしない子供。彼女を連れてきらびやかなステージを巡り、クライマック
スには身体をその長い鼻で巻かれて高だかと持ち上げられる。バーイ、この街の
皆さん。またいつか会いましょう。
夜は長い迷宮。
団員のあるものは街の酒場へ、あるものは早々に床に就く。ぼんやりとした灯
火ががらんとしたテントに大きな影を投げかける。アルフィはフローラの身体を
洗い、藁でふかふかの寝床を用意する。フローラの大きな顔の横に自分の小さな
ベッドを作り、誰にも聞かれないようにささやく。
「もうこんなサーカスは逃げだそう、ねえフローラ。ふたりだけでもやって行
けるよ。お金だって結構あるんだ。ああ、フローラ、君がお金を受け取れたらな
あ。今ごろは素敵なサーカスが出来ただろうに。」
フローラは優しい目をして笑う。アルフィは彼女が笑っているのを知っている。
灰色の空には鯨のような雲が渦を巻いている。冷たい氷のような雨が容赦なく
降り注ぐ。葉の落ちた森は魚の骨のようだ。
鎖をはめられて泥の中にたたずむフローラ。その細かいしわの一筋一筋に沿っ
て雨は流れ、足元に大きな水たまりを作って行く。
「あの女郎、また飯を食わねえ。」団長のデイルが泥だらけの長靴を脱ぎなが
ら毒づく。「ああ痩せてきちゃあ使い物にならん。」
「また買えばいいじゃない。もう十分元は取ったんだし。」ひまわりの種を噛
みながら女房のモーリーが言う。「モロッコから荷が届くそうよ。」
「ああ。」どっかりと腰を降ろし、太鼓腹を撫でさすりながらぬるいエールを
あおる。「すると今度はエジプトの王家の子孫、ファラオ33世という訳か」
「おまえさんは本当に商売熱心だねえ。」
外は青く暗い闇となり、雷鳴が青白い竜となって舞い降りる。
大砲男・エルビンが分厚い胸にたまった汗を拭っていると、ふらふらとサーカ
スに歩いて来る小さな影を見つけた。病み上がりの頬のこけた顔、ボロのような
毛布を抱え、夢遊病者のような足取り。
「よう、アルフィン。流行病いは治ったかい。いや、随分と久しぶりじゃない
か。」大砲男は駆け寄ると子供の背中を叩く。アルフィンはそれだけでよろめい
てしまう。
「まだ本調子じゃないな。まあしばらくはゆっくりすればいい。なあ。」アル
フィンは暗い目でエルビンを見上げると震える声で言った。
「ありがとう、エルビンさん。フローラに会いに来たんだ」
アルフィンはそのままどんよりとした目付きで大砲男の前を通りすぎて行く。
穴だらけの灰色のテントの中はすえたような悪臭に満ち満ちていた。見る影も
なく痩せこけ、横倒れになった灰色の山。アルフィンは転びそうになりながら駆
け寄り、前より随分小さくなった頭にしがみつく。何分も、何時間も。
小さな灯火をフローラの頭の側に置くと、アルフィンはフローラに語りかける。
「逃げようよ、ねえフローラ。お金ないけど、二人ならきっとうまくやれるさ。
黄金のコンビだもの。どこのサーカスだって敵いやしないよ。お客さんがたくさ
ん待っているよ、そう。世界中にさ。」
フローラの脂だらけの瞳がゆっくりと開く。暖かくて、寂しげで、とても深い
瞳。アルフィンは弱った身体に魂心の力を込めてフローラを立たせようとする。
明け方の街は深いクリームのような霧が漂っている。灯火をかかげ、ゆっくり
と小さな影と山のような影が動いて行く。街から外へ。
やがて冷たい草に覆われた丘が続き、砂丘が海へ向かってなだらかに続いてい
る。海は黒く、名も知らぬ鳥が二人の上を輪を描いて飛んだ。
渚に向かって切り立った崖が見える坂の途中で、灰色の山はゆっくりと、崩れ
るようにして倒れた。
「もうちょっとじゃないか、ねえ、フローラ。ああそうだ。安んだ方がいい。
無理する事なんてないさ。もう誰も追いかけてなんて来やしないさ。ねえ、ゆっ
くりしよう。旅はまだ長いんだから。」
フローラの瞳がアルフィンを見つめる。もしかしたら「さよなら」って言った
のかも知れない。でもアルフィンはその言葉だけは聞きたくなかった。絶対に聞
きたくなかった。
海の彼方に白い光が満ちあふれる。浅瀬がにわかに透明になって、虹色の宝石
を散りばめたように輝く。二人は渚に打ち寄せる波のそばで、ずっと波の音を聞
いていた。その瞳が何も見ていないのに気づいてからもずっと。
街は金色に枯れて輝く草原に浮かんだ小さな砂糖菓子のようだ。
アルフィンは腰を降ろしていた岩から立ち上がり、長い旅のための荷物をその
小さな背中に背負う。風がざわっといって、茶色の兎が森に向かって走って行く。
「また会えるさ、きっとね。フローラ。」
荷馬車が道をやって来る。アルフィンは手を振って駆け寄って行く。
「また会ったら、こんどこそ一緒にサーカスを作るんだ。なにしろ黄金のコンビ
なんだからね。」
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にじかんよんじゅっぷん!ああ疲れた。今夜はスタジオ、明日はコンサート。月
曜までにプレゼンテーションを一個。この忙しいのになにやってんだろ。
KMPでした。