AWC 戦え!! サンタクロース ─Santa Claus, Be Fight!!─(02) 悠


        
#5338/5495 長編
★タイトル (RAD     )  00/12/24  00:10  (185)
戦え!! サンタクロース ─Santa Claus, Be Fight!!─(02) 悠
★内容



 赤子の泣き声を、心地よく感じる者など居はしない。
 保護を求めるため、己が危機を知らせるため、赤子に唯一許された方法。それ
は聞く者に対して、発する者同様の焦燥感を覚えさせる。
 ましてそれが赤子から、わずかばかり歳を重ねた、赤子同様に力を持たない者
を、ただ狼狽えさせるばかりだった。
「いつまで泣かせておくつもりだよ!」
 幼子を怯えさせるには充分に過ぎる粗暴な声。
 原色が目に痛いカーラを髪に絡ませ、黒色の下着が汚らしく透け通ったネグリ
ジェ姿の女が年端の行かぬ少女を威嚇するには充分すぎる視線をともに現れた。
「ごめんなさい、透ちゃん、オムツがぬれてるみたいなの」
 少し身を竦めながらも、少女は快活な言葉を返す。怯えた心を隠し、女を怒ら
せないようにと。だが少女の健気な意図も女には通じない。
「分かってんなら、さっさと代えてやりゃあいいだろう。このグズが!」
 自分を罵倒する言葉に、少女の表情が変化した。それまでの怯えとは別のもの
―――怒りの感情が顔に浮かぶ。
『グズ』
 この言葉が抗っても敵わぬ相手へ、隠すことのみが己を守る唯一の手段である
ことを忘れさせてしまった感情が。
 柚花(ゆずか)―――父母からもらった名前。
 面影さえ覚えてはいない両親から授かったただ一つのもの。
 少女がなによりも大切に思っているその名前を、女は故意に捩り、罵ったのだ。
 しかし少女のささやかな抵抗も一瞬のこと。目の前に立つ女に対して、後ろで
泣き続ける赤子と変わらぬ程度にしか自分を守る力を持たない柚花は、すぐにそ
の感情を押し殺す。幸いにも粗暴であるが、鈍い女は柚花のそんな表情を見とめ
ることはなかった。
 いや、「幸い」と言うのは早計だったかも知れない。表情に気づこうと気づく
まいと、柚花を責め立てる女の姿勢が緩むことはないのだから。
「すぐかえる」
「あー、もういい!」
 ベビーベッドの下に置かれた紙オムツに伸ばした柚花の腕は、不必要に強い力
を込めた女の手でつかまれてしまった。もし男の登場がわずかに遅れていたら、
柚花はそのまま女によって、床へと叩きつけられていただろう。
「なんだ、朝っぱらからやかましい」
 寝癖頭もそのままに現れた男。普段は女同様、少女には恐怖を与えるだけの存
在であったが、このときに限っては救いとなった。もっとも男自身にその意図は
全くないばかりか次の瞬間から女に同調し、柚花を責めるつもりでいたのだ。
「またこいつが、透を泣かせているんだよ」
 乱暴に腕を振りほどかれたため、柚花はよろめいてしまったが、叩きつけられ
るよりはよほどましである。
「まったく、とんだ無駄飯喰いだよ」
 赤ん坊はまだ泣き続けていた。その声でなお煽られた怒りを露に、女は強く床
を踏みつけた。実の我が子の前ですら、本能として持ち合わせているべき母親の
顔を見せることがない。
「なんでもいいから静かにさせろ。こっちは夕べ遅くて疲れてるんだ」
 男の言葉は、主に柚花へと向けられたものなのだろう。女よりもさらに凶悪な
視線を少女へ送っていたのだから。しかし女は、この言葉に過剰な反応を示した。
「偉そうに言わないでよ! 疲れてるのは、アタシだって同じなんだからね」
「ああん、なんだお前は」
 女の剣幕に男も怯んではいない。まともにそれを受け止める。
「わ、わたし、学校にいってくる」
 自分に向いていた矛先が逸らされたこの機を柚花は逃さない。まだだいぶ早い
時間ではあったが荷物を手に、ドアへと急ぐ。
「だいたいアンタのせいだろう、あんな役立たずを養うことになっちまったのは!
」
 空気が割れてしまいそうな赤子の声とともに、そんな声を背中で聞きながら。



 安物の腕時計はすでに約束の時間に達していたが、男の足取りが速まることは
ない。
重くのしかかって来るような灰色の雲。懐に鋭利な刃物を忍ばせた冷たい風が頬
を斬りつける。十二月を迎えたばかりのその日は、ただ外を歩くだけのことにも
苦痛を感じさせる。しかし落としがちの視線を少し上げてみれば、目に映るのは
そんな気分、寒さとそぐわない風景。
 パン屋にCDショップ、ゲームセンターにコンビニ、時計店に不動産屋までも
がそのウインドウに白い星やサンタクロースを走らせている。立ち並ぶ街路樹に
は落とした葉に代わって色とりどりのイルミネーション。
 耳を両手でふさいでもなお聞こえてくる、大音量のクリスマス・ソング。
 気の早い店では十一月の半ばには始まり、それでもまだその日まで三週間以上
あるというのに高いテンションを保ったクリスマス支度。
 たった一日の、くだらないイベントのため、よくもこれだけ乱痴気騒ぎを続け
られるものだ。
 天候の悪さに大きく心を支配された男は、一歩街中で足を進める度、不快さを
増していった。
 あまりの不愉快さに男は歩を止めた。
 そして、笑う。
 初めは低く、次第に声を高くし、笑った。
「で、俺は? 何をしに、どこへ行こうとしているんだ………こんなに忌々しく
思いながら、乱痴気騒ぎの片棒を担ぎに行こうとしているじゃないか」
 道行く人が怪訝な顔で男を振り返る。が、ほんの一瞥をくれただけで、それぞ
れの目的地へと進むため、足を止めることはない。
 些細な出来事に時間を取るほど余裕がないのか、男の鋭い視線に怯えたのか。
 そのことがまた、男には不愉快だった。



 晴れていればそろそろ陽も高くなり、気温の上がって来る時刻である。しかし
膨大な重力さえ感じさせる雲は、陽の恵みを地上へともたらすことを拒み続けて
いた。吹く風の冷気は一層鋭さを増し、少女の小さな身体から冷蔵室の中の肉塊
宜しく体温をうばう。
 もう一時間になろうか。ペンキもはげ、ささくれ立ったこのベンチに、するこ
ともなくただ座っているのは。
 いや、正確にいえばもう四時間近くなる。ただひたすらに時の経過を待つのは。
 まだ冬休みを迎えたわけでもない、平日の日中、この年頃の少女が学校にも行
かず、こうしていれば否応なしに目だってしまう。無関心を装う人も少なくはな
いが、中年の女性に声を掛けられ一回、警察官を見かけて一回、場所を移動して
来た。
 遊戯具には乏しいが、程よい広さを持ったこの公園は、週末好天に恵まれれば
それなりの人手で賑わう。が、曇天の平日。昨日までと比べても一層寒さを増す
中、柚花のほかに、人の姿は見当たらない。そうでもなければ、学校をサボター
ジュして来た少女がいつまでも居られるものではない。
 しかし不審に思う人から声を掛けられる心配は少ないものの、柚花自身、快適
に過ごせる場所でもない。
 沈んだ心を癒すのに、冷風吹きすさぶ公園が適していようはずもない。寒風が
枯葉を巻き上げ、小さな柚花の身体を叩きつける。
「うえっ、ぺっ、ぺっ、ぺっ」
 口の中に入った砂を出すため、唾を吐く。同時に涙も出てきた。
 手にした手提げ袋。もとは鮮やかな色であったと思われるが、今では痛々しい
ほどにくすみ、汚れた袋を膝とを抱きしめた。
 この袋だけが、ランドセルを買い与えられなかった少女の通学道具である。
 柚花にとって今朝のような出来事は、日常茶飯事となっていた。だがあの養父
母もかつては柚花に優しくしてくれた時期もあった。
 柚花に本当の父母の記憶はない。物心つく前に死んでしまった。七年前、火事
に焼かれてしまったらしい。
 けれど、柚花は実の父母を恋しく思うことはない。今日のような仕打ちを受け
たあとでも。七年前の柚花はまだようやく一歳になったばかり。物心のつく前だっ
た。思い出す面影さえ記憶にはないのだ。
 ただ、養父母ともに柚花へと冷たく当たるようになったのは最近のこと。乳離
れすら済まないうちに引き取られた柚花、しばらく二人を本当の両親だと信じて
いた。また、長く子どもに恵まれなかった養父母も、柚花を実の子のように可愛
がってくれた。
 だが経営する会社が傾きかけ、養父の態度が変わった。その時、柚花は自分が
二人の子ではないと知ったのだ。やがて二人の間に男の子が生まれる。十年以上
も子どもに恵まれなかったのに。
 資金繰りに奔走する養父、生活のため夜の勤めに出始めた養母。忙しなさの中
でわずかばかり残された愛情は、実の子のみに向けられるようになった。もとよ
り子ども欲しさにも勝って、柚花に付けられた養育費名目の遺産に関心が高かっ
た養父母である。遅まきながら実子に恵まれ、金も使い果たしてしまったいまと
なっては少女への関心と愛情は朝霧の如く、名残りすら残さずに消えてしまった。
子守り、家事の一切を押し付けておきながら、柚花を「無駄飯食い」として疎ん
でいた。
 家の中にあって、少女には心安らぐ場所はない。
 在宅していればいる間、常に養父母から責められ続ける。赤子が泣けばさらに
責められる。養父母が留守にしていても、ことある毎に泣き出す赤ん坊を小さな
胸に抱き、どうしていいのか分からず、柚花もまた泣く。
 二人、いや赤子を含め三人から解放される唯一の時間である学校にも少女は安
らぐ場所を持つことが出来なかった。
 友だちは何人かいる。しかしランドセルばかりか、必要最低限の教材・文房具
すら充分に買い与えてもらえぬ柚花は、意地の悪いクラスメイトたちから格好の
いじめの対象とされた。加減を知らない子どもたちのいじめは、柚花を学校嫌い
にした。同情する友だちも慰めにはならず、かえって少女に惨めさを感じさせる
だけだった。
 そんな訳で家にも学校にも自分の居場所を見出せない少女には、こうして寒空
の下で時の経過を待つだけしか出来ない。もっともいくら時が過ぎたところで何
も好転することはない。まだ幼い柚花ではあったが、そんなことは承知していた。
「おじさんとおばさんがしったら、またおこられちゃうかな」
 呟いた言葉とともに、白い息が口元から立ち昇ったはずだが、強い風に吹き消
されてしまった。
 今日で三日連続、学校を無断で休んでしまった。養父母に連絡が届いているか
も知れない。
 人気もなく、寒く、寂しい公園でどれほどの時を過ごしたところで少女の心は
慰められない。もし自分に不幸を与えた人々を呪うことが出来れば、いくらかは
気も晴れただろう。けれどまだ齢を八つしか重ねていない柚花は、人を憎むほど
に心を汚してはいなかった。
 養父母も、意地悪なクラスメイトも、友だちも、まして何も知らない赤ん坊を
憎むことなどない。
「おなかすいちゃった」
 それが憎むこともなく、懐かしむ父母の面影も知らず、公園で無意味に過ごし
た結果。
「きやっ!」
 また一陣の風が吹き抜ける。
 身を竦めた少女だったが、風が通り過ぎるのを待たずに、小さな頭を持ち上げ
た。
 いま吹いた風か柚花の耳にかすかな音を届けたのだった。
 どこからだろう、何の音だろう、と少女は頭を振る。
 ゆっくりと回る頭が、ある一点で止まった。目的を見出した羅針盤のように。
「きこえた!」
 小さな唇が、声にならない声を漏らす。
 かすかな、かすかなメロディ。
 近くの商店街から来るのだろう。陽気なクリスマス・ソング。
 養父の事業が立ち行かなくなってから、柚花にとってクリスマスは楽しいもの
でなくなっていた。周囲の、同い年の友だちがサンタクロースからの贈り物を自
慢しあう中、柚花だけが一人、蚊帳の外となっていた。
 いまの柚花に、クリスマスは楽しいものではない。
 今年のクリスマスも、柚花の元にサンタクロースは来ない。
 分かっていた。幼い柚花でも、そんなことは。
 それでも、だからこそ、そのメロディに幼い心は魅了されたのかも知れない。
 静かに時の経過だけを待ちつづけていた小さな身体が、バネ仕掛けの人形のよ
うに、薄汚れたベンチから立ち上がる。そして、瞬きする間さえ置かず、魅力的
なメロディへ向けて走り出した。

(続く)




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