#5337/5495 長編
★タイトル (RAD ) 00/12/24 00:09 (117)
戦え!! サンタクロース ─Santa Claus, Be Fight!!─(01) 悠
★内容
戦え!! サンタクロース ─Santa Claus Be Fight!!─
真一文字に結ばれた唇の両端が、その力を失いかけているのをはっきりと見て
とれる。やがて少女の口元は、数字の8を寝かせたような形へと変わった。まる
でこちらを睨みつけているような瞳には、ほぼ限界まで堪え蓄えた涙が光ってい
た。長い黒髪から分離した小さな三つ編みが、耳の横で小刻みに震えている。幼
い身体の震えが、そのまま髪へも伝播されているのだ。少女が声を上げ、泣き出
すまではもういくらも時間を必要とはしないだろう。
男はひどく不愉快な気分になる。ほどなくして耳に届いてくるかも知れない泣
き声を想像し、腹立たしさを覚えた。
「これだから、ガキは嫌いなんだ」
これから泣こうとする少女を牽制して吐いた言葉に、他ならぬ男自身がおどろ
く。
なんだ、この声は?
未成熟な声帯から発せされる、高い声。虫酸が走る。
これはガキの声だ。俺の大嫌いな、ガキの声だ。
男は、子どもだった。
身の毛もよだつとは、このことだ。男がこの世でもっとも嫌う子どもの姿に、
男自身がなっているのだから。
ちっ。
相手に聞こえてしまうことも構わず、いや、むしろ相手に聞こえるようにと、
大きな舌打ちをしてやる。
「泣くんじゃねえぞ。泣いたらしょうちしねえからな」
相手が子どもであることに腹が立つ。そして自分が子どもの姿をしていること
に腹が立つ。当然、少女にと放つ男の言葉には、思いやりの一片すら含まれては
いない。ただ乱暴なだけのものになる。
少女はその言葉に従おうとした。小さなあごが、微かに上げられる。目に溜まっ
た涙を零すまいとしての、工夫らしい。
ガキらしい浅知恵だ、心の中で思う。
子ども好きだとぬかす物好きなヤツならば、健気な姿だと心打たれるであろう
そんな仕草も、男には不愉快さを増幅させられるだけの行為だった。
だから次に男の口から吐き出される言葉は、乱暴を通り越して凶悪なものとな
る。
「泣くんじゃねえぞ。いまも、これからも、ずっとだ。もし泣いたりしたら、ホ
ンキでゼッコーだからな。一生、もうおまえとは、口をきいてやらないからな」
男の言葉は、少女に絶大な効果をもたらす。
「な、ながない………ないで、ない………よ」
淡いピンク色の袖で、少女は涙を拭う。その瞳から、溢れ出さぬうちに。目を
掻くふりをして。
嘘つきなガキめ。
泣いているじゃないか。
嗚咽混じりの言葉が、お前の嘘を暴露している。
嘘を繕おうと、少女は笑って見せた。歪んでくしゃくしゃになった顔で。
小汚い顔だと男は思う。
男は少女になにか言おうとした。少女の嘘を責めようとしたのか。だがそれは、
言葉として発せられぬうち、もう忘れてしまった。男がそれを言ってやるより先
に、別の声に邪魔されてしまったためだ。
「ほら、なにグズグズしてんの。もう行くわよ、さっさと乗りなさい」
それは男の言葉より凶悪で、男が子どもであることより不快な、大人の声だっ
た。
声に負けぬほど、醜悪な大人の女が少女の腕をつかむ。まるでそのまま、遠く
へ投げつけでもするかのような勢いで少女の身体を引いて行く。男はただ、それ
を見送るだけだった。
黄色いプレートの車。軽自動車の後部座席へ、まさしく少女は引きずり込まれ
た。その間際、少女が男へ振り向く。声は聞こえなかったが、唇の動きは、はっ
きりと読みとることが出来た。
泣かないよ、と。
「うそつけよ」
男は呟く。
たぶんもう、声が届いていない、車中の少女へと。
いや、届いたのだろうか? 少女が振り返った。
しかし男には確認する術はない。
その矮小さには不似合いな、けたたましいエンジン音が響きわたり、軽自動車
が走り出した。
「くそっ!」
少年の身体を持つ男も走り出す。
言えなかった言葉を。
忘れてしまった言葉を言うために。
「だから、ガキはきらいなんだ」
自らを罵る。
廃車寸前の軽自動車ではあるが、速度を上げて走るそれに、子どもの足で追い
つけるはずもない。男と軽自動車との距離は、確実に広がって行く。
そら見ろ、お約束通りだ。
男が自分を嘲笑ったのは、足に手に、強烈な痛みを覚えたからだ。ふいに視界
から消えた車に代わり、男の目に飛び込んできたのは灰色の、埃臭いアスファル
トだった。そう、やたらと頭に重心のかかる、不便な子どもの身体は簡単にバラ
ンスを崩し、転んでしまったのだ。
「ちくしょう!」
悪態に痛みを隠しながら、男は立ち上がる。だが、追いかけていた車の姿は遙
か遠く、豆粒ほどの大きさとなっていた。
膝を払うと、強い痛みが走った。手についた赤い血。膝にすり傷が出来ている。
もう追いかけることも適わない。追いかける気力もない。
だから男は、思い切り息を吸い込む。
ありったけの大声で、その言葉を叫ぶために。
……………。
あれ? 俺は何を言いたかったんだろう?
白と黒ばかり、まるで未完成なデッサン画のような街が寒々しい。
神経を逆なでする電子音が、男の鼓膜を容赦なく攻撃する。
「やかましい! このクソが」
半ば、殴りつけるようにして、叫び狂う目覚まし時計のスイッチが押し叩かれ
る。安物の時計は一瞬嫌な軋み声を上げて、朝の勤めを終える。あるいは壊して
しまったのかも知れないが、気にはしない。不愉快な目覚めを迎えた男は、沸き
上がる怒りを抑えるだけで精一杯だった。
思い出すことが疎まれる、幼い日の夢。二十数年、三十年近く前の古い、忌々
しい記憶を呼び起こす夢。何度も繰り返して見てきた夢。
久しぶりだったが、その夢を見た直後の男は、決まって気持ちが酷く荒々しく
なってしまう。こみ上げてくる怒りに己の身体を制御しきれず、乱暴な振る舞い
に出てしまう。三ヶ月ほどこの部屋で寝起きをともにしていた女が出て行ったの
も、それが原因だった。
暴れたい。
そんな欲求が男を支配する。
自分でもそれが理不尽なものであると、充分に承知していた。承知はしている
のだが、怒りを止めることが出来ない。
何に?
それすら、よく分からない。
「バカヤロウ」
幾度となく過ちを犯してきた理不尽な怒りを、今朝はどうにかそんな悪態一つ
で堪える。ただ枕元に目を遣ると、男の指定に従い時を知らせてくれた時計が、
恨めしそうに文字盤のガラスにひびを入れた姿を曝していた。
(続く)