AWC そばにいるだけで 54−1(文化祭編−前)   寺嶋公香


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#5281/5495 長編
★タイトル (AZA     )  00/11/30  00:18  (200)
そばにいるだけで 54−1(文化祭編−前)   寺嶋公香
★内容                                         04/04/11 11:19 修正 第2版
 十六歳の誕生日の次の日は日曜で、都合がよかったと言える。
(このままだと、きっと嘘つきになってしまう……)
 純子は、机上に置いた文化祭のプログラムを見下ろしながら、ため息をつい
た。頬杖を外すと、跡がかすかに赤くなっている。
 見下ろすとは言っても、心を占めるのは別のことばかり。
(私、相羽君が好き)
 想いを胸の内だけでつぶやいてみた。
(琥珀の男の子だって分かってから、もう我慢できないくらい、意識してしま
ってる。相羽君が好き)
 仮決めのプログラムを横へやり、両腕で枕を作ると、頭を載せた。顔は、真
下を向いている。腕で瞼を圧迫されて、じんとした、鈍く弱い痛みを感じる。
(もし、あのとき)
 夢を見るような眼差しになって、あり得ないことを空想し始めた純子。遠い
昔のことに感じられる、あの出来事を思い出しながら。
(相羽君が告白してくれたとき、琥珀の男の子だと分かっていれば、違う返事
ができたかもしれない)
 後悔の念が浮かびかけ――純子は腕枕を解き、かぶりを振った。
(そうじゃない。私に勇気がなかったから、相羽君を傷付けてしまった。みん
なも、自分自身も傷付いている。いいと思ってしたのに……こういうのも、ヤ
マアラシのジレンマって言うのかな)
 少し前に覚えた言い回しが、ふっと甦った。本当かどうか知らないけれど、
ヤマアラシは二頭いれば親愛の情を示すために抱き合おうとして、その棘でお
互いを傷付けてしまう、という。
(さしずめ棘だらけね、今の私は。ああ、隠すことのできない想いと分かって
いたのよ。分かっていたのに……)
 後悔するのは、これで何度目だろう。殊に、相羽イコール琥珀の男の子と知
ったときから、頻繁になっている。
(今さら、取り消せない)
 散々悔やんで迷って、友達の顔が浮かんできて、最後にあきらめの境地にた
どり着くのも、毎回のことだった。
(郁江や久仁香は、相羽君と会うだけでも一苦労なんだから。私は、学校に行
けば会える。それで充分)

 通学のため、駅への途上で唐沢と会った。その姿を捉えた途端、心臓がどき
りとする。目を逸らしこそしなかったが、逃げ出したい気持ちには違いがない。
冷や汗をかく気分で、何とか朝の挨拶をしようとするが、頬の筋肉が強張る感
じ。土曜日のことが思い出され、どことはなしに、気まずい。
「おはよう、涼原さん」
 唐沢が先に口を開く。見れば、彼の表情にもわずかながら、気まずさらしき
ものが浮かんでいた。それを打ち消そうとしての、懸命な笑顔のように思える。
 純子は学生鞄の取っ手をしっかりと握り直した。
「おはよう、唐沢君」
 言えた。たったこれだけのことで、随分疲労した気になる。
 純子の横に並んだ唐沢は、ペースを合わせて歩きながら、しばらくの間、黙
っていた。鳴らない口笛を吹こうとするみたいに唇を尖らせている。何か言い
たげなのだが、うまい言葉が見つからない、そんな風情。
「土曜日」
 今度は純子が口火を切った。沈黙よりも、ここは喋っている方が気楽だ。
 唐沢がびっくりした顔つきで、「えっ」と目を向けてくる。
「誕生日プレゼント、ありがとうね」
「……ああ。気に入ってもらえたのなら……それでいいよ」
「嬉しかった」
 微笑みを作りながら、感想を簡単に述べる純子。
 本当は、言いたいこと聞きたいことがいっぱいある。
(唐沢君、あの告白は本当に本気だったの? それとも私の背中を押すため、
わざとお芝居をした? 本気なら、どうして相羽君の応援をするみたいな真似
を? 相羽君との仲はどうなってるの? もしも、今の私が相羽君を選べると
したら、唐沢君はそれでいいの?)
 一昨日の夜からずっと抱いているもやもや。相羽が琥珀の男の子だと分かっ
た事実がなかったのなら、このもやもやはより一層重荷になって、純子に覆い
被さったことだろう。
「ごめんね」
 気が付くと、謝罪の言葉が出ていた。間を置かず、唐沢が不思議そうに顔を
向けた。
「私、唐沢君の気持ちに応えられなくて」
「なるほど。そのことか」
 鼻の下をこする唐沢。ほんの短い間、目つきが鋭くなり、表情が硬くなる。
が、抜けるような笑みのあと、唐沢は声のトーンを上げた。
「気にする必要なし。そんなくだらない」
「くだらなくないわ。唐沢君の真剣な――」
「いいんだよ、俺のことは」
 ぴしゃりと、釘を打ち込むみたいな調子で言う。空気の緊迫感が高まったと
ころで、唐沢は肩をすくめた。一気に弛緩する。
「俺はもう、涼原さんが泣くところを、見たくないから」
「……」
 純子は何も言えなくなる。足が止まりそうになる。
「おーい、遅れるぞ」
 引き返してきた唐沢が、手を取った。

 電車に乗り込むまで、相羽と顔を会わせるんじゃないかと、期待とも不安と
もつかぬ心持ちでいたのだが、そういうことは起こらなかった。
「相羽の奴なら、早朝練習だぜ」
 純子が何も言わないのに、唐沢はそう説明した。右を見上げると、唐沢は吊
り輪に手首を引っかけ、だらーんとしている。
「あいつ、武道をまたやり始めたって言ってたろ。ピアノもやってるから、時
間足りなくて、朝を武道に当ててるんだとさ。で、そのまま学校に向かう」
「……学校の部活でもないのに、そんな朝早くから、相羽君の練習相手をして
くれる人って、いるのかな?」
 ぜひとも知りたい事柄ではないが、ふと気になった。が、疑問を口にしてみ
たものの、唐沢がこんなことまで把握しているはずもなく、首を傾げるのみ。
「いくら相羽でも、こればかりは両立できないと思うな。グローブを着けてい
ても、拳を痛めることは割合あるんだぜ。知らないはずないのに。俺が心配す
ることじゃないけれど……虻蜂取らずにならなきゃいいんだが」
「……ピアノだけ、やってほしいのに」
「君が頼めば、相羽はそうするさ」
「そんなことないわ。前、体育祭のあと、口喧嘩になっちゃった」
「あれは、周りに俺達がいたからじゃないか」
 電車が速度を落としていく。唐沢は倒れぬよう、吊革を持ち直した。
「早く止めてやらないと相羽の奴、自棄を起こして手を壊すかもなあ」
「まさか。そんな人じゃない」
「なるほど。相羽のことなら、俺よりも詳しいよな」
「そういう意味で言ったんじゃ」
 純子が否定しようとすると、唐沢は突然、車窓の外を指差した。と同時に、
鋭く叫ぶ。
「あ! あれ見て!」
 吊革の輪が大きく揺れる。
「な、何?」
「――飛行機雲だ」
 指差す向こうには、間違いなく、できたての飛行機雲が、今も長さを伸ばし
つつあった。しかし……。
(それって、声を上げるようなことじゃないんじゃあ)
 心中、唖然としてしまう純子。開いた口が塞がらないとまでは行かなくても、
しばらく問い返す気力も失せる。
「素晴らしい。いい形だ」
「な……一体、何なのよー」
「いやあ、久しぶりに見たなと思って。すっずはっらさんは、興味ない?」
「それは、天文に関係していなくもないから、興味はあるけど。唐突だわ。お
かげで何の話をしていたのか、分からなくな――」
 言い切らない内に、思い当たることがあって、口を閉ざした純子。まだ外を
眺めたままの唐沢の横顔をちらと見やり、考え込む。
(もしかすると、唐沢君はこれまでの話を打ち切りたくて、わざと関係ないこ
とを言い出した?)
 その解釈で当たりらしい。以後、唐沢はおちゃらけ話に終始した。最寄り駅
に到着し、結城らが合流しての、学校までの道すがらでも、それは変わること
はなかった。
 ただ、少し気になるのは、唐沢の様子がいつもと違うこと。
「変に陽気だね、今日の唐沢君」
 結城の耳打ちに、純子もうなずける。言葉では説明できないけれど、普段の
明るさとは違う。
(やっぱり、私や相羽君のことが関係している……のよね、多分)
 純子は敢えて、意識しないように努力した。唐沢とまで、これまで通り話せ
なくなっては、やりきれない。
 校舎本館三階まで上がり、唐沢や結城達に続いて教室に入ろうとする。その
寸前で、純子は別のクラスの男子に呼び止められた。
「あ、涼原さんっ」
「はい?」
 声に振り返ると、男にしては色白の、細いイメージ――針金製のハンガーを
連想させるような――生徒が、真っ直ぐに立っていた。どうかしたのか、目玉
が落ち着きなく動いて、定まっていない。ようやく止まったかと思うと、伏し
目がちになった。
 そのまま、早口で言い出す。
「四組の鳥越っていうんだけどさ」
 すぐ、相羽と同じクラスだと気付いた。そういえば、彼と相羽とが話してい
るのを見たような記憶が、おぼろげにある。
「て、天文部に入らない?」
「え……っと」
 朝っぱらからの唐突な勧誘に、返事に詰まった純子。当たり障りのないとこ
ろから聞き返してみる。
「当然、鳥越君は天文部なの?」
「そ、そうだよ。四月からずっと。楽しいよ。昼の定点観測、あ、太陽の定点
観測はあんまり面白くないけれど、合宿で夜空を見るのは、その、結構いい望
遠鏡があるし」
 言葉が出なくなったあとも、身振り手振りがしばらく続く鳥越。天文部につ
いて話したいことがいっぱいあるのに、伝えきれない。そんなもどかしさを訴
えているようだった。
 純子は自然と微笑んだ。
「そうだよね。私も好きだから分かる。暇さえあれば、夜空を見上げていたも
の。南十字星を見に行ったときなんて、感激しちゃった」
「ああ、やっぱり、星が好きなんだ」
 よかった、とため息をつく仕種をする鳥越。
「やっぱりって?」
「あ、あの、相羽から聞いたんだ」
「相羽君から……。それで勧誘しにきたわけね?」
「そうだよ、うん」
 いい加減に落ち着けと、自らを激励するかのように、鳥越は胸を叩いた。
「涼原さんが忙しいってことは、も、もちろん知ってる。モデルとかやってる
んだってね。それでも、天文部に入ってみてよ。暇があるときだけでも、参加
してほしいんだ」
「私も入学したてのとき、天文部もいいかなって考えた。でも、都合のいいと
きだけ参加するなんて、そういう姿勢じゃ、先輩に失礼だと思ったから」
「ちゃんと説明すれば、分かってくれると思う。全員、優しい人ばっかりだか
ら。だいたい、先輩と言っても三人しかいないんだよ」
 純子は四月の部活見学を思い起こした。うん、確かに三年生が抜ければ、そ
のくらいだった。もう少しいたような気もするが、見栄えをよくするためのい
わゆる幽霊部員だったのかもしれない。
「入りたい気持ちは、今でもあるんだけど」
 迷うものの、やはりたまにしか参加できないと思うと、二の足を踏む。
「――実はさ、相羽の奴も、入る気があるようなこと言ってたんだ」
 鳥越がさらりと言った。これまでの口振りが嘘みたいに、冷静で、さりげな
い調子だった。
「相羽君が?」
 声が少しだけ大きくなった。期待感と疑問とが同居する。
(相羽君もピアノと武道で、割と忙しいはずなのに。もうすぐ試合があって、
それが終わったら暇になる、ということかしら)
「入りたいって言ってた」
 淡々として答える鳥越。一番初めに比べると、話し方は落ち着いてきたが、
その代わり勢いにちょっとブレーキが掛かったような。
「同じ中学同士ってことで、入ってよ。少しでも、部員を多くしたいんだ」
 鳥越が手の平を合わせたのと同時に、予鈴のチャイムが鳴った。
「あ、またあとでね。考えておくから」
 純子は急いで教室に入った。一時間目の授業で、当てられる可能性が非常に
高いのだ。朝の休み時間の内にそのチェックをしておくつもりだったのが、思
わぬ長話ですっかり当てが外れてしまった。
「頼んだよー!」
 鳥越も同じく急ぎ足で、四組へと走っていった。
 授業が始まる直前になって、純子は、
(相羽君、いつ来たのかな。やっぱり、会って挨拶だけでもしたかった)
 と多少の後悔を覚えた。

――つづく





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