#5223/5495 長編
★タイトル (AZA ) 00/10/31 0:15 (145)
そばにいるだけで 53−9 寺嶋公香
★内容
「あら」
期待外れと言うべきか、最初の一枚は、すでに二本足で立っている相羽だっ
た。てっきり、ベビーベッドの中の相羽を見られると信じ込んでいたので、拍
子抜けする。
それでも、じっくり見入る。半ズボン姿で、身長より大きい捕虫網を手に、
家を飛び出すところを呼び止められた、そんな風情の写真。振り向いた顔が何
やらびっくりしていて、おかしい。
「……ちびっこくて、かわいい」
吹き出しそうになりつつも、初めて見る幼少時の相羽に、純子の表情は自然
とほころぶ。
(今よりも、日焼けしてる。ピアノに触り出す前なのかな)
次の写真に目を移す。同じく、外で遊んでいる場面。大きな木を前に、小さ
い相羽を肩車しているのは、父親に間違いないだろう。
何枚か、そういった外で遊ぶ写真が続いたあと、ページをめくると一転して、
取り澄ました相羽がいた。どうやら、小学校入学のときのものらしい。澄まし
顔と言っても、全身に余計な力が入った様子もなく、帽子のつば下から覗く目
つきなんかは、今の相羽とそっくりで、クールな空気をまとっている。
(これなんかは、どうにか相羽君と分かるわ。でも、小学一年生の頃は、本当
に背が低かったのね。腕白で、気も強そうな印象……)
さらに小学校低学年の写真が並ぶ。運動会や音楽会の模様を撮った物が多い。
授業参観風景は見当たらず、ちょっと残念。
この頃の相羽は、肘や膝、鼻の頭など、どこかに必ずと言っていいほど絆創
膏を着けている。指にも切り傷のような痕が確認できた。指に怪我なんて、今
では考えにくい。
「……何だろう?」
いつの間にか、純子は不思議な感覚にとらわれた。最初は何だか分からなか
ったけれど、小学一、二年生の相羽を繰り返し目にする内に、これは既視感だ
と気付く。
(昔、この当時の相羽君と会ったことがあるような気分……まさかね)
口の中でつぶやいて、次の瞬間、自ら一笑に付す。
(小六のときから、相羽君を知ってるんだから、それより以前の相羽君を、見
たことある感じがするのは、当然よ。単なる気のせい)
結論付けて、新しくページを繰ろうとする。だが、どうしてもできない。心
に引っかかる何かが残る。
純子は目を瞑り、気持ちを落ち着け、静かにしてみた。立てていた片方の膝
を崩し、両足を折り曲げた状態で、ぺたりと座り込む。それから、両手をこめ
かみ、額の辺りにあてがった。
「――ううん。やっぱり、会ったことある――?」
根拠はまだ掴めないが、確信はあった。勘のようなものに過ぎないが、理屈
ではない確信が。
目を開けて、開いているページの写真を凝視する。分からない。頭を振った。
タオルがほどけそうになって、手で押さえる。
空いてる方の手で、次のページを開いた。
そこにある写真を見たときだった。
「――あっ」
思い出した。
記憶にある一人の少年の姿と、今目の前の写真の中の相羽の佇まい、着てい
る物、姿が見事に重なる。そして、
「琥珀の子!」
叫んでいた。
(相羽君だったんだわ。絶対、間違いないっ)
理屈ではなかった。これは感覚のもの。小学一年生の相羽を見た瞬間から、
受け取っていたのだ。
(どうしてこんな。凄い。これって、偶然? それとも)
気が付くと、心臓が一生懸命動いている。目覚まし時計のピークの音みたい
に、どきどき、どきどきしてる。
運命とか巡り会いとか、そんな思いが言葉になって、頭の中を行ったり来た
り。理性で歯止めを掛けようとしても、今、どうしようもなく、幸せな気分。
と、そこへ――浴室の方向から物音が。同時に、相羽の声が、少し聞き取り
にくいけれども、確かに届く。
「純子ちゃん。乾かし終わったら、ドライヤーを」
純子は振り返り、それから身体の向きを直した。ドアに対して真正面。静か
に待つ。
すると、かたっという音がいやに大きく聞こえた。相羽がノブに手を掛けた
らしい。ノブを回す音も、やっぱり大きい。
意識しすぎなのは分かっている。純子は胸元に、両手を添えた。少しは冷静
にならないと。
そうする合間に、ドアが開く。
相羽の姿が見えた途端、純子は立ち上がり、駆け寄った。頭のタオルはとう
の昔にほどけていて、床に落ちる。長い髪が、ふわり、広がった。
「相羽君!」
喜色いっぱいの顔で、両手を取る。
大きめのタオルを頭から被る相羽は、隙間から片目を覗かせ、純子を見つめ
返す。その眼差しが、何ごと?と驚いている。
「相羽君。これを――」
純子は片手だけ放して、ポケットから、さっき移したばかりの小さな巾着袋
を取り出した。それを手のひらに載せ、相羽の前にかざす。
「これをくれたのは、あなたね?」
「――」
目が見開かれる。しばらくして、相羽は頭からタオルを取り、そしてうなず
いた。
「そうだよ」
「あぁ――よかった!」
思わず叫ぶ純子。何がよかったのかと問われても、理路整然と説明するのは
無理だったろう。見当違いでなくてよかったのか、あの子が相羽でよかったの
か、あるいは相羽も気付いていたことがよかったのか。
次に純子は、立ち眩みを起こしたみたいに、その場に座り込んだ。力が全身
から抜けている。
「だ、大丈夫かい?」
「ええ。とにかく、びっくりしちゃって、だけど嬉しいような。――わぁ、私、
震えてる、ほら」
両手を揃え、相羽に示す。小さく震えていた。
「こんな偶然が起きるなんて、信じられないわ」
「うん」
片膝を着いた相羽は、純子の様子を窺ったあと、ひょいと首を伸ばし、部屋
を一瞥した。
「なるほど。アルバムを見たんだね」
「あ、ごめんなさい。勝手に見てしまって」
「全然かまわない。それよりも、純子ちゃんは何がきっかけで思い出したの?」
「きっかけなんて……ただ、あなたの小さい頃の写真を見ていたら、急に閃い
たのよ。ああ、この子だ!って」
「そっか。じゃ、もっと早く見てもらえばよかったな、アルバム」
苦笑いを浮かべ、腰を下ろす相羽。両手を後ろについて、疲れた風なため息
をした。
純子は琥珀を大事に持ったまま、相羽の顔を見た。
「相羽君は、いつ気が付いてた? まさか、初めて会ったときから?」
「残念だけど、そこまで記憶力よくはないよ。ただ、転校してきて、君を見た
瞬間から……」
流暢だった相羽が、不意に語尾を濁した。その代わりのように、改めて見つ
めてきて、純子の手の甲に手を重ねた。
「何?」
「えっと。あのときの女の子に、少し似ていると感じた。それで……中学何年
のときか忘れたけれど、琥珀の話をしてくれたよね。僕も同じ思い出を持って
いたから、ひょっとしたら、ってね」
「だったら、言ってくれればよかったのに」
人が悪い、と文句を言いたくなった純子だが、相羽の表情を目の当たりにし
て、やめた。
「初めて琥珀を見せてもらったとき、その形に覚えがあった。だから、あの女
の子は純子ちゃんだったんだ!って思ったんだけどね。しばらくして、琥珀を
くれたのは香村だったと、君が言い出しただろ。あれを聞いて、やっぱり自分
の勘違いだったのかなって、自信なくなってきてさ」
「そんなこともあったよね……」
あまり思い出したくない記憶だが、純子は脳裏に鮮明に再生させた。香村の
ことなんかどうでもいい。あのときの相羽の反応が、今なら理解できる。
(だから、香村君を目の敵みたいに、悪く言ってたんだわ。私ったら、ずっと
誤解したままで……)
どうしてこの人は言ってくれないのだろう。いつも、肝心なことを。
純子は相羽を見つめ返し、唇を噛みしめた。
(――ほんと、言い訳しないんだから。大事なことだけでも、はっきり言葉に
してほしいのに)
「いっそ、僕も自分の思い出を君に話して、確かめてみようかと考えたよ。実
際は、できなかったけどね。違うって言われるのが、恐かったのかもしれない」
「相羽君」
「でも」
相羽は手を引っ込め、組んだ。
「それでも、信じていた。あの子は純子ちゃんに違いない、と」
「……気付くのが遅れて、ごめんなさい」
「僕の方こそ、早く言い出せばよかった。こうしてはっきりするまで、長く掛
からずに済んだのに。ばかみたいだ」
「お互いにね」
純子がつぶやいて、笑い声を漏らすと、相羽もつられた。潮が退いていくみ
たいに最初の驚きが去ると、あとには、楽しげな空気が残った。
それから二人は、髪を乾かすのも忘れ、思い出話に時を費やした。
――『そばにいるだけで 53』おわり