#4799/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 4/29 16:29 (156)
そばにいるだけで 35−6 寺嶋公香
★内容
久住淳のテレビ初出演が六月下旬に決定した。デビューからおよそ半年とい
う区切りだ。
「押しに押して、枠を作らせたのよ」
市川が誇らしげに語る。
「新人歌手の初登場が一時間とは言え特番。焦らした甲斐があったというもの」
「それはどちらかと言えば鷲宇さんの戦略だったのでは」
杉本が口を挟むと、市川は丸めた週刊誌で彼の頭をぽこんとはたいた。事務
所の一室には短い笑いが起こった。
「それが何か問題でもあるわけ?」
「い、いえ、別に……」
「意見の一致を見て、押し進めた結果よ。全ては久住淳のため」
市川は勢いを保ったまま、純子の方を雑誌の先で示した。
「あの、特番て、まさか」
おずおずと挙手し、質問しようとした純子は途中でその手を引っ込めた。市
川のやる気がいつにも増して凄い。肌で感じ取れるほどだ。
幸い、市川は純子の聞きたいことについて応じてくれた。ただし、質問の意
図を汲んでのものか、はたまた話の流れ故の偶然かは不明だ。
「久住淳のピンだけでやるつもりだったけど、さすがにそれは無理」
「ピン?」
「一人って意味よ、覚えといて。デビュー曲だけで一時間は持たないものね。
そこで最初は、女の子としても登場するなんて案を考えたんだけど、あちこち
からNGが出たので取り止め。代わりに、ビッグアーティストとの共演番組に
することになったわ。テレビ局側も大乗り気」
「ビッグアーティストって、だ、誰ですか」
さっきから尋ねてばかりいる。市川が事前に大まかな点しか伝えてくれない
し、資料のプリント類もほとんど用意されてないからだ。企画で他人をあっと
言わせるのが趣味――そんな感じの性格なんだと最近になって飲み込めてきた
から、もうあきらめの境地である。
(それよりも、大物って? ただの新人と並べられたら、みんな気を悪くする
と思うんだけどな)
純子の心配をよそに、市川は流暢に続けた。
「テレビ局が首を縦に何度も振ったほどの大物。しかもまだ日の浅い私達に協
力してくれる人物となったら、一人しかいないでしょう」
何となく想像はついた。でも、口にはしないでおく。
心の中では不安感が膨らむ一方。電子レンジで加熱しすぎたお餅状態だ。も
う少しで小皿からはみ出し、縁の外へ垂れ下がる。
(もしかして、鷲宇さん自身と? だめ、全然っ。歌唱力が違いすぎる! だ
いたい、鷲宇さんの曲って大部分がロックだったんじゃあ? ああっ、せめて
星崎さんや香村君ならやわらかいバラードもあった――)
淡い望みも市川の一言で打ち砕かれた。
「師弟共演よ」
「……はあ」
「鷲宇憲親がそばにいれば、あなたもリラックスできるでしょう。一石二鳥ど
ころか三鳥にも四鳥にもなるわ」
身体が揺れている気がした。椅子はしっかりしているから、頭の中が回って
いるのかもしれない。
「鷲宇さんと一緒に出るということは、鷲宇さんのナンバーも唄えなきゃいけ
ないのでしょうか……?」
「もっちろん」
肯定してほしくない問いにイエスで即答された。純子は胸元を手で押さえた。
(何だか、凄く心臓に悪いような感じがしてきたわ)
「それとね、番組の締め括りとして新曲やるからそのつもりでいてね」
精神的体勢を立て直せない内に、最後の一撃をもらった。
純子はもはや声なき叫びを上げるしかなかった。
「レッスンなら安心していいわよ。鷲宇さんが明日にも帰って来るから、ばっ
ちりみっちり仕込んでもらえる」
「でも……六月の下旬までって、時間が。私、テストに修学旅行もあるんです」
「問題なし。今度は唄えるようになればいいから。スタジオ録りだから何度か
試して一番いいのを残すやり方でいける。レコーディングのときほど完璧じゃ
なくてもいい、レベルを保つのが肝心よ」
「そういうものなんですか?」
疑問を呈するが、市川の方は特に取り合う風でもない。さらっと流す。
「常にパーフェクトでいられるに越したことないけどね。難しいわよ。それよ
りも、体調を絶対に崩さないように。修学旅行の間は充分に注意なさい。生水
を避けるのはもちろん、変な夜更かしもだめ。怪我なんてもってのほか。行動
も疲れが残らないよう、セーブして」
「はい」
トーンが下がったかもしれない。
(はしゃげないね、きっと。枕投げぐらいならいいかしら?)
純子の思いを知ってか知らずか、市川は話題を次に移した。
「新曲も鷲宇さんが作ってくださるわ。それで、今度の曲がすぐにそうという
わけではないんだけれど、段々激しいリズムも取り入れたいから、男の子並み
の体力を着けるように――」
* *
日が長くなりつつあるのを実感できる時刻、相羽が稽古から戻るのと母親の
帰宅とがちょうど重なった。
「貸して。持つよ」
買い物袋を見て手を伸ばす。
「ありがと。だけど、疲れてない?」
「全然。やり足りないぐらいだよ」
エレベーターの中で親子二人きりになった。五のボタンを押す。途中の階で
止まることなく一気に行けそうだ。
「一つ嫌な知らせがあるんだけれど」
扉が閉まると同時に母が切り出した。
(嫌な? どうせ、純子ちゃんが忙しくなるっていう話だろうな。また僕をか
らかうつもりなんだ)
早合点して口元を歪めた信一。買い物袋とスポーツバッグそれぞれを持つ手
を入れ替え、間を取ろうとした。
しかし、母の口から次に出た言葉は違った。
「酒匂川の人達に調べられているのかもしれない」
「え? 調べられてるって」
「しばらく前に、会社の方に電話で問い合わせがあったのね。『ファーストキ
ス』の広告を制作した者の名を知りたいという。『ハイタニ』とかいう企業の
宣伝次長とか何とかって名乗る男性からだったそうよ。名前は大木。それで私
は原則的に名前を出さないようにしてもらっているから、電話を受けてくれた
人は折り返し連絡を入れますという返事をしたの」
「それで?」
「それっきり」
「……」
信一が返す言葉を探しあぐねている間に、エレベーターは五階に着いた。足
早に降り、自分達の部屋に向かう。
玄関ドアの内側に入り、明かりが灯されてから話は再開された。
「嫌な予感がしたから、私の方で調べてみたわけ。そうしたら、『ハイタニ』
という会社は確かにあったものの、そこに大木なんて社員はいなかった。もち
ろん、折り返しかけるための電話番号もでたらめ」
「何だよ、それ?」
冷蔵庫に買い物してきた品を仕舞いながら、大きく叫んだ信一。ちょうど手
にしていたしめじのパックが音を立てる。
素早く着替え終わった母親が、髪を整えながら応じる。
「確証はないけれど、酒匂川の人という可能性もあると思うわ」
「だとしたら……まさか、あの口紅の広告。僕の後ろ姿を見ただけで分かった
のかな?」
「あなたはお父さんに似ているのよ。気付かれても不思議じゃないわ。それに、
私が広告関連の仕事に携わっていることは、向こうも容易に想像つくでしょう
し。気にしない気にしない。私が頼んだことだしさ、広告出演」
明るい調子で告げると、母は夕飯の仕度に取りかかった。
「さあ、ここはもういいから、着替えてきなさい」
「……」
「洗う物があれば、篭に放り込んでおいて。分かった?」
「うん。分かった」
口ぶり同様、動作がのろくなった。脱衣所に入ると、バッグから胴着やタオ
ルを出し、篭に入れた。それから服を脱いで、着替え始める。全ては機械的な
行動。
顔を水で洗うと、幾分落ち着けたようだ。新しいタオルで荒っぽく拭く。
(放っといてほしいよな。いくら説得されたって、僕らの意志は変わらないん
だから。それぐらい分かってるはず)
靴下を左右とも脱ぐのにいつもの倍ほど時間を要した。手際が悪くて、壁に
手を突いてしまう。
(畜生。音楽科に入るのは険しいか? そりゃあ、僕らが折れれば、できるだ
ろうけど……選択肢にないことを考えるのは時間の無駄。一流へのこだわりを
――いや、父さんの通った道へのこだわり、だよな。そういうこだわりを捨て
て、別の学校にするのは……だめだ、捨てきれない。やるからにはやっぱり)
シャツの袖に腕を通したあと、ボタンを留める。三つほど留めたところで気
付いた。
(……一つ違いになってる)
苛立ちはあったが、手つきはあくまで穏やかに。最初からやり直してようや
く着終わった。
(いっそ、J音楽院へ?)
気持ちが飛んだ。父が最後に学んだという外国の音楽学校に思いを馳せる。
(あそこは基本的に年齢制限がないそうだから、一気にJ音楽院に入る……な
んてのは夢のまた夢だよな、やっぱ)
空しくなってきた。霞を掴もうと背伸びしてあがいてるみたいで、現実味が
ちっとも感じられない。
自嘲的な表情になった自分を鏡で見つけ、激しく頭を振った信一。先ほどタ
オルで吸い切れなかった水玉が、滴となって飛んで行く。
(母さんが許してくれるかどうか自信ないし、それに、純子ちゃん……離れ離
れになるのは)
もう一度鏡を覗き、いつもの顔付きを取り戻してから小部屋を出た。
「母さん、夕食は何? お腹空いたっ!」
* *
――つづく