#4795/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 4/29 16:23 (200)
そばにいるだけで 35−2 寺嶋公香
★内容
純子が中学の三年間ずっと同じクラスになったのは、相羽の他には唐沢と白
沼、遠野の三人だった。
その内の二人は純子と一緒のクラスになれたことを喜んでいるだろうけど、
残る一人はそうでない可能性が高い。もっとも、白沼にしてみれば相羽と同ク
ラスになれさえすれば、あとは大した意味はないかもしれないが。
「ねえ、涼原さん。ちょっと教えてほしいことがあるんだけれど、いいかしら」
一時間目が終わったあとの休み時間、珍しくもその白沼の方から純子へ話し
掛けてきた。わざわざ席の近くまでやって来ての行為だから、ついでの話では
ないらしい。
「はい?」
耳に粘り着くような調子の声に、嫌な予感を抱く。純子は緊張して堅苦しく
応じてしまった。椅子の上で背筋を伸ばす。
「あなたって嘘つきね」
「……何でそんなことを」
緊張が一気に解けた。ぶしつけな言い方に眉を寄せる純子。
白沼はほくそ笑みながら、髪をかき上げた。さらに指差してくる。
「前、私が質問したら嘘を教えてくれたわ。違う?」
詰問されても、すぐには理解できない。
純子が心当たりを思い浮かべようとする間に、白沼は言葉をつないできた。
「鷲宇憲親のサインよ」
「あっ、あれ」
言われた瞬間、分かった。
(そんなひどい嘘じゃないわよねえ。きっかけ自体は相羽君のおかげよ。久住
淳をやってることはまだ誰にも内緒なんだし、仕方ないんだけど)
という抗弁を口には出せない。純子が押し黙ると、白沼は勝ち誇った風に腰
へ両手を当てた。
「何よ、自分がタレントやってるんじゃない。今日は口紅着けないの?」
「白沼さん……」
「タレントやってることも、鷲宇憲親と知り合ったことも、どうして隠すの?
もっと大っぴらに自慢したらいいじゃないの。別に羨ましくなんかないけれど
ね。私だってパパに頼んだら、有名人のサインぐらい」
早口になるに従い、喋る内容に反して白沼の表情から余裕が薄くなっていく。
純子はどう応じればいいのか、返事に窮してしまう。
白沼は純子が喋らないのを悪意に解釈した。
「お腹の中で笑ってるのかしら。『今まで秘密にしてきたけれど、私って芸能
人してるのよ。凄いでしょ』、こんな感じ?」
「そんなの、全然思ってない」
「口では何とでも言えるわよね」
「どうしろって言うの。私が何を言っても信じてくれないんじゃあ……」
叫びたいのを我慢すると、声が低くなった。歌のレッスンの成果か、男子の
声に聞こえなくもない。
対する白沼は、冷たい調子で言い放った。
「最初のときに正直に話してくれりゃよかったのよ」
「あのときは、まだ……」
再び口ごもるしかない。
「あなた見てると恐くなるわ。何にもしてませんて顔して、何でもやってしま
うんだから。いいわよねえ、ちょっと笑うだけで男の子達みんなからちやほや
されるし」
「そんな」
「自覚ないのね、いい気なものだわ。でもね、私、絶対に負けないから」
白沼が口調を改め、強く言い切った瞬間、チャイムが鳴り響いた。
「あの、それどういう」
純子が聞き返しても、白沼はさっさときびすを返して行ってしまう。あるい
は、チャイムの音と重なることまで計算していたのかもしれない。
(……何よ。私だってぎりぎりのところまで打ち明けてきたのよっ)
新学年早々、嫌な気分に浸ってしまった。
厄日なのかもしれない。
「久しぶりだね、涼原純子君だったかな」
会いたくない部類に入る人と道でばったり会ってしまったとき、どう振る舞
うのがいいだろう? 無視したり、正直な気持ちをぶつけたりすることのでき
る相手ならまだしも、それができない人間関係、たとえば生徒と先生のような
場合は特に困る。
ましてや、今日の純子は白沼から理不尽な言葉を投げられたせいもあって、
機嫌はよくない。
(今日はこういう運の日なんだわ)
心中であきらめ、冷静になるよう努力してから返事する。
「お久しぶりです、紅畑先生」
この元先生のことを、純子は敬遠していた。短期間、授業を受け持ってもら
っていたときから、具体的な説明はできないが、好きになれないでいる。敢え
て理由を挙げるなら、
(相羽君と反りが合ってなかったみたいだったから)
という点に尽きるかもしれない。
「学校の帰りかな」
風は春めいてきているのに、紅畑は丈の長いコートを羽織り、ポケットに両
手を突っ込んでいる。下は背広のようだが、仕事は何をしているのだろう。
「はい」
純子が答えると会話が途切れた。
と言って、そのまま立ち去るのもはばかられる雰囲気が漂う。紅畑がじっと
見つめてくるからだ。
「あの、何か」
紅畑は戸惑い気味に問う純子の前にゆっくりと移動、そのまま仁王立ちした。
「今、時間はあるかな」
「いえ……これからお稽古事がありますから」
「それは大事な稽古なのかね」
純子が静かに、しっかりと首を縦に振ると、紅畑は肩をすくめた。ポケット
に両手を入れているせいで、コートが大きく上下する。
「しょうがない。簡単に言うとだね、今、僕は絵のモデルになってくれる子を
探している。もし気が向いたらここへ電話してくれないか」
ポケットから出た右手には、あらかじめ名刺が一枚握られていた。
分からぬまま受け取る純子。自然、名刺にある肩書きに目が行く。
「先生って画廊を経営されてたんですか」
「ああ、まあね、道楽さ。本当は画家を目指している。今度のコンクールに出
す絵のモデルが必要でね。謝礼は無論する。さっきも言ったように気が向いた
ら連絡してきなさい。あるいは直接来てくれてもいい。自宅の住所は裏に書い
てある」
「はあ」
言われたので裏返す。細く角張った字で住所が記してあった。
「でも、今度で三年生、受験なんですが」
「そうか、それは計算外……いや、勉強してる姿でかまわない。涼原君がモデ
ルなら、どんな構図でも傑作に描ける自信があるんだよ、私には」
薄く笑う紅畑先生。自信に満ちていると言うよりも、獲物を見つけたカマキ
リのような冷たさが強く出ている。
「先生のご自宅で、勉強ですか?」
「今、早急に結論を出そうとしてるね。返事は早い方がいいんだが、もう少し
じっくり考えてからでもいいだろう。さあて、引き留めてすまなかったね。遅
れないように」
片手を上げて別れの挨拶とした紅畑。そのまま悠然とした足取りで歩いて行
き、角を折れて見えなくなった。
(……変なの)
不自然さを感じたものの、今の純子は急ぐ身分だ。名刺を財布に仕舞ってか
ら、遅れを取り戻すために駆け足になった。
* *
授業が厳しく感じられるのは気のせいではない。学期始めはのんびりしたも
のだという認識を改める必要がありそうだった。受験の学年なのだから。他の
クラスがだいたいそうであるように、三年五組もほぼ全員が進学希望者だった。
「こんなことなら春休み、もっと遊んでおけばよかった」
忙しさの合間を縫って一番遊んでいそうな唐沢が、ぽつりとつぶやく。給食
が終わるや否や、手帳を金属製の筆箱で押さえて机の上に開き、腕組みして見
つめていた。スケジュール欄を埋めるのは、女の子の名前。
「いつだって遊んでるじゃないか」
と、呆れ口調で覗き込むのは長瀬。続いて、入れ代わり立ち替わり、相羽と
柚木も唐沢の手帳を見下ろした。
「これでも減らしたんだぜ」
どこか自慢げな唐沢の口調だ。
「スケジュール調整に苦労したのしないのって」
「苦労が嫌なら、やめりゃいいだろ」
「艱難辛苦を我に与えたまえ」
午前中の授業で出たばかりの言葉を使った唐沢。ついでとばかり、こうも付
け足した。
「苦労を乗り越えてこそ、喜びもまた大きいというじゃないか。なあ」
「……とにかく、春休みどうこうって話は、わけ分からん」
「それはだな」
唐沢は相羽の方を見やると、手招きの仕種を小さくした。
「うん?」
「春休みの間、涼原さん達のグループとどこか遊びに行ったか?」
「その話なら前にも言ったろ。うまく時間が取れなかったって」
相羽が疲れたように肩を落とした。片手を唐沢の机につく。
「サッカー観に行ったときにも伝えたぜ。忘れたか?」
「覚えてるさ。念のための確認だよ。――つまり、わたくしが言いたいのは」
唐沢は軽く握った拳で咳払いをすると、演説調で始めた。残る三人はへいへ
いと聞き役に回ってあげる。
「色んな女の子と遊べたはいいが、当然あると思っていたものがなかったこと
で、どことなく欠けた気分なんだな。ぱっと見は満月でも本当は満月じゃない
っていう、微妙な感じ。どうよ、このたとえ? なかなかうまいだろ?」
「勝手にやってくれ」
「もっと分かり易く言えんのか」
長瀬と柚木の言葉による突っ込みと、肩をすくめるという相羽の態度に、唐
沢は大きく両手をあげた。
「よっしゃ、はっきり言いましょうっ。今ならまだ遊びに没頭できる身分。だ
から早いとこ、涼原さん達とどこかへ遊びに行こうぜ」
「春休みできなかった分を、これからするってことか」
長瀬の揶揄めいたコメントに、唐沢はしかし胸を張ってうなずいた。
「その通り。完全な満月を作るためにな」
「しかし……前みたいなことやろうとしたら、先立つ物がないだろ」
内心、気乗りしない相羽は、懐具合の問題を持ち出した。
「サッカー観戦でだいぶ使ったし。唐沢だって、毎日デートしてやりくり大変
じゃあ?」
「俺のキャリアを甘く見るなよ。穴場はどこにでもあるもんだ。それに、予算
がなくてもムードでカバーできる」
自信満々と顔に書いてある唐沢。
「というわけで調理部の相羽クン。つなぎ取ってくださいな」
「わざわざ頼まなくたって、自分で言えるくせに。分かんない奴だなあ」
「だって、おまえがいないと動かないメンバーがたくさんいるんだもんな」
「……」
相羽は返事の内容を考えて、結局何も言わずに済ませた。代わりに。
「どっちにしろ、涼原さんは多分無理」
「何でだ」
手帳をポケットに押し込んだ唐沢が、立ち上がらんばかりの勢いで机を手の
平で打ち鳴らし、聞き返してきた。
「タレントの方が忙しくなってきたってさ」
「ああ……ポスター、見た。あれでファンになる野郎が急増するな」
話題が変化し、純子のポスターのことで場の空気は急騰。
長瀬が確認するような調子で言った。
「一、二年生の一部が騒いでるよな。うちのクラスまで何人かグループでわざ
わざやって来て、遠巻きに眺めるだけ」
「あー、あれ、やっぱり涼原さんを見に来てるんだな」
柚木は大きな身体を揺すり、納得した風にうなずく。
「それにしても初めてあの宣伝見たとき、びっくりした。何も聞かされてなか
ったから」
「その点、俺と唐沢は、涼原さんがモデルやってるってことだけは教えてもら
ってたんだ。いいだろ」
長瀬のジョークめかした自慢口調に、柚木は大真面目に「うん。いいよなあ」
と応じた。長瀬と唐沢は調子に乗った。
「相羽が一番羨ましいぞ。何せ、涼原さんをスカウトしたんだ」
「違うって」
苦笑を浮かべて矛先をかわす。
「とにかく、唐沢。涼原さんにも話はしてみるけど期待するなよ」
「ああ、残念だが、しょうがねえなあ。しかし、忙しいんだったら、副委員長
も断ればいいのに」
純子は今学期、副委員長に選出された。他にも有力な生徒がいる中で多数得
票したのは、ひょっとすると、口紅の広告の効果が思わぬ形で現れたのかもし
れない。
「ほんとだよ。クラスの仕事までこなしてたら、忙しくて身が保たなくなるん
じゃないかねえ」
−−つづく