#4771/5495 長編
★タイトル (AZA ) 99/ 2/27 17:24 (200)
そばにいるだけで 33−1 寺嶋公香
★内容
寒かろうが雪が降ろうが関係ない。学校では女子の動きが慌ただしくなる熱
い季節――バレンタインデーが迫っていた。
「どうする?」
下校の途中、井口が口火を切った。
「当然、相羽君に」
決まりきったことを答えるのがばからしいのか、富井は降りたんだ傘を前後
に振り回した。雨上がりの小径は、そこここで夕日を反射している。
町田が付け足した。
「調理部全員で作って、相羽君に食べさせることになったでしょうが」
「それとは別口で、個人的に」
「抜け駆けなしって言ったのは、郁江じゃなかったっけ」
井口が首を傾げて、富井の真意を確かめようと肘でつつく。
「だから、こうして宣言して渡すのは抜け駆けって言わない。でしょう?」
「……確かにそうだわ」
井口の表情に、力が抜けたみたいな苦笑が広がる。
「他にあげる相手はいない?」
重ねて尋ねてきた井口を、他の三人は目を細めるなり、唇を尖らせるなりし
て訝しんだ。代表する形で町田が質問返し。
「珍しいわね。ここ何年かは一本槍だった久仁が、そういう話題の振り方をす
るなんて。どういう風の吹き回しかな?」
「特別な理由はないけど」
口ごもりそうな井口の物言いに、町田はさらにずばりと切り込んだ。
「ごまかさずに吐くんだ。分かってるんだからね」
「えっ、何をよ」
「大方、他にもよさそうなのを見つけたんでしょ」
「……」
指差された井口はしばらく絶句。その隙に今度は富井と純子が騒ぎ始める。
「ええ? 久仁香、本当に?」
「相羽君の他に誰がいるって言うのよお、久仁ちゃん」
二人の勢い、特に富井に詰め寄られて、井口は困った風に歯を覗かせた。そ
れでもまだ答えようとしないので、町田が最後の一押しとばかりに推論を述べ
始めた。
「今頃になって言い出すってことは、大方、転校生だな? そういえば、久仁
のクラスに転校生が来てたね」
「坂祝君……だったよね」
純子が言った。芸能関係で付き合いが広範になるに従って、人の顔や名前を
覚えるのも得意になってきている。
「まだ会ったことないけど、よっぽどいい感じなんだ?」
「ま、ね。無口で、ほとんど会話したことないんだけど、見た目はもろ、好み
なのよ。迷っちゃうわぁ」
井口の変化に、富井と純子は多少なりとも興味を引かれた。
「相羽君よりいいって、見てみたいー! ぜひっ」
「相羽君は相羽君でとってもいいのよ。タイプが違うの。好みの問題だからね、
変に期待したらだめ」
「そうね」
同意したのは町田。情報通を自認する彼女は当然、転校生チェックも漏らさ
ず済ませていた。
「芸能人にたとえると、桜田篤弥を細面にした感じかな」
「そうそう! それそれ」
我が意を得たりとばかりに、井口は手を叩いた。
しかし町田の論評は終わっていない。とうとうと続ける。
「そこへあと、鰐渕の凄みを加える。どうかしら」
「ああっ、そういうこと言う? 私が鰐渕好きじゃないの知ってるくせにーっ。
そんなたとえは嫌」
拍手して損をしたと言いたげに、そばかす顔でむくれる井口。
町田はふっと表情を和らげた。充分に楽しんだ、そんな風情だ。
「まあまあ。それこそ好みの違い」
「つまり、会ってみなくちゃ分かんないってわけね」
大きな嘆息をする純子と富井。
(みんな気楽というか、のんきよね。北村先輩のことを相談するつもりだった
けれど、やめておいた方がよさそう)
考えると頭が痛くなりそう。
純子のそんな悩みもつゆ知らず、町田は井口へ肩をそびやかす素振りをした。
「何にしても、相羽君のことをあきらめたわけじゃないんだし、状況に変化な
しでしょ」
「えへへ、まあ、そうなんだけどねー。郁江、共同戦線継続よ」
「はぁい。騒がすだけ騒がしといて、やれやれだわ、まったくぅ」
一くさり文句を垂れると、富井は話題をころりと換えた。
「でさあ、相羽君へあげるチョコ、調理部でも一人一人が作ることにしない?」
* *
相羽は最初にその犬を見かけたとき、雪だるまが四つん這いになって歩いて
いるのかと思った。
ランニングをやめ、ぼんやりと見守っていると、記憶にある声が耳に届く。
「こら、ハク、こら、そんなに引っ張るな。こらっ!」
ほどなくして、犬に引かれている人の顔が見え、声の主に確信が持てた。
「井口さん」
「この、力だけは強いんだから……え?」
犬にばかり集中していた井口の意識は、名を呼ばれても気が付くのが一瞬遅
れた。起こしたそばかす顔にはまん丸な目。そして少し朱が差した。
「相羽君! どうしたの? ああ、嫌だ。こんなところ見られちゃうなんて」
「犬を飼っているなんて知らなかった」
近付くだけ近付くと、相羽は腰を落とした。目の高さを犬とほぼ同じに合わ
せる。手は出さない。
「ハクっていうのが名前?」
「ええ。最初はシロだったんだけど、お父さんがハク、ハクって呼んでる内に、
シロじゃあ返事しなくなったわ」
「白の別の読み方か。見た目はムクって感じだよ、こいつ。大きいけど大人し
そうな」
人語を解したわけではないだろうが、ハクが一声鳴いた。
相羽はしゃがんだ姿勢で数歩後ずさる。声に驚いたと言うよりも、勢いよく
吐き出された息に押されたような具合だ。
「ふふふ、驚いた?」
「――噛まないよね?」
「悪さを何にもしなければ全く大丈夫。あ、それと、納豆の匂いは厳禁」
「納豆? まさかハク、納豆が好物だとか?」
「そうなのっ。ほんとにもう、変な物が好きで。納豆の匂いが着いた布巾に食
い付いたことがあったわ」
「ふうん、面白いやつ。手を出してもいいかな」
「どうぞどうぞ」
嬉しそうに促す井口。
ハクは、相羽が頭を撫でてやると、歯をむき出しにしてにーっと気持ちよさ
そうな表情になった。毛に埋もれそうな目が、初めての人間を興味深々といっ
た風情で見返している。
「いつも井口さんが散歩させてるの?」
「ううん。兄貴と姉貴とおじいちゃんと私とで交代で。今日はおじいちゃんが
体調崩しちゃって、ピンチヒッターなの。嫌だったんだけど、やってよかった」
「……おじいさんは大丈夫なのかい」
「あはは、心配してくれてありがとう。喉を痛めただけだから多分、大丈夫よ。
本格的に風邪を引かない内に休んでもらったわけ」
井口が手の平を上に向け、肩をすくめる動作をすると、ハクが反応して歩き
始めた。不意のことに、井口は前屈みになりながらぱたぱたと駆け出す。
「こらーっ、ハク! いきなり動くなー」
目の前の状況に、相羽は少し考え、手を伸ばした。ハクの首輪から伸びる紐
を掴む。
「あ、ありがと」
自然、手を添えられるのに似た格好になり、井口は声を小さくした。
「その調子だと散歩に連れて行くの、いつも苦労してる?」
「え、ええ。昔は私の方が力強かったのに、今じゃあこの通り」
「家まで付き合おうか」
大型犬に引っ張られる井口を黙って見てられなかった。
「――うん! そうしてくれたら助かる!」
井口は相羽からの申し出を大歓迎したが、その直後に不安を表明。
「結構遠いのよ。相羽君は用事があるんじゃあ……」
「用事と言えなくもないか。ランニングの途中だった。今日はこれで練習終わ
りにするよ」
「いいの?」
「平気平気。自主トレだから、あとから取り返せる。それとも」
相羽はハクをちらりと見やった。上から見ると白い塊が左右に揺れながら、
もぞもぞとうごめいている感じだ。
「ハクと一緒にランニングしてもいい?」
「それだと私が置いてけぼりになっちゃう」
「じゃ、決まりだね」
二人と一匹とで、散歩コースを回ることになった。
「相羽君はペットを飼ったことある? 今はマンションだから無理としても」
「引っ越すことが多かったしね。犬や猫はないよ。カブトムシとか、観察用に
蟻やキリギリス。これぐらいかな。ああっ、亀もあった」
「いかにも男子って感じ。飼えるんだとしたら、犬や猫、どう?」
「うーん、正直言うと、責任持って世話をする自信がなくてさ。もっと時間が
あればいいんだけどな」
「そうかあ。もしも時間の余裕があればOKなわけね」
「多分」
積極的には飼いたいと思わない、そんな気分が口ぶりに出たかもしれない。
(今は、『さあ、可愛がってやるぞ』って飼い始めるのは性に合わない。動物
の方が僕を選んだとしたら別だけど)
と、こんな主義主張を伝えても詮なきことだろう。相羽は冗談めかしてさら
りと言った。
「だいたい、トイレの始末って大変でしょ。特に散歩中、人通りの多いところ
でやられたら」
「それは言える! ハクは外では滅多にしないのが救いよ」
名前が出たことに反応してか、ハクが一声、短く鳴いた。
何だかおかしくて、相羽と井口は声を立てて笑った。
「――あ」
次の角を折れたとき、また知っている顔と巡り会った。
「わぁ、偶然ね。純子」
* *
純子が外出した本来の目的は肺を鍛えるためのウォーキングだったが、現在
抱える考えごと二つに頭を悩せる内に、いつの間にやら普通の速度で歩いてい
た。
タイツとジャージの中間仕様みたいなズボン、その縫い目に意味もなく指を
這わせていじる。
(香村綸……クンと同じドラマに出られるかもしれないなんて、一生ないチャ
ンスだろうなあ)
一つ目はドラマのこと。ご指名を受けた上に、ファン心理も少なからず作用
して、心のメーターは受けたい方にどんどん振れつつある。
ただし、今直面している最大の問題はこれではない。ドラマの話は受けるに
しろ断るにしろ、思い切れば簡単な気がする。
これに比べて、もう一つの方と来たら。
(どうやって断ればいいんだろ……)
はふぅ、と、らしくないため息をついたのは今日これで五度目だ。
北村先輩からの告白を受けて、純子は真剣に悩んでいた。おかげで忘れ物が
増え、欠かさず観ていたテレビ番組を逃し、疲れているのに寝付けない夜もあ
った。
(北村さんは決して悪い人じゃない。けれど)
考えた末に、やはりお断りしようとの気持ちを固めた。好きとかどうとかの
対象からは完全に外れている。
理由を付け足すのなら、好む本の傾向が微妙に違うという点がなくはない。
北村も理科好きのようだが、化学の実験に積極的なタイプ。純子は星や化石な
ど、言わば観察することに心を寄せるタイプと言えよう。小説のジャンルにし
ても、相羽の影響を受けた純子はミステリー中心なのに対して、北村は歴史物
専門らしかった。
(バレンタインが来る前に断ろうかしら)
そんな思い付きを浮かべた純子は、心ここにあらずの状態のまま、曲がり角
に差し掛かった。
と、目の前に二つの人影が飛び込んできて、はっと立ち止まる。
「――あ」
「わぁ、偶然ね。純子」
二人が相次いで言った。相羽と井口の姿をその目で認識し、純子は笑みを作
った。次いで、地面近くでもぞもぞとうごめく白い塊が視界に入ってきて、井
口が飼っている犬だと分かる。
「わあ、久仁香。散歩の途中?」
そう聞いてから、声を低める純子。
「それともまさか一足飛びで、相羽君とのデートにこぎ着けた?」
自分で言っておきながら――ちょっぴり、ずきんと、心が、鳴る。
(もしそうなら、おめでとうって自然に言えるかな……)
――つづく