#4748/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/12/30 10:30 (195)
そばにいるだけで 31−12 寺嶋公香
★内容
* *
遠かったけれども、電話口からBGMのように流れ聞こえてきたのは、相羽
の声に間違いなかった。
「何で?」
富井が、信じられないという風に視線をさまよわせた。その焦点を、すでに
切られた電話機に落ち着かせ、続きを口走る。
「白沼さん家に、何で相羽君がいるの?」
「さあて」
町田は腕組みをしたまま、首を大きく傾げた。右だけでは足りなくて、左に
も傾ける。
「お茶を入れてるとこだったみたいよね。随分、楽しそうに弾んだ声で」
井口が感想を漏らす。ぺたりと床に座り込み、両腕を前で組み合わせている。
「今日の約束、忘れちゃってるのかな……」
「そんなことないと思うけれど」
純子はつぶやいてみたものの、現実の前に語尾を濁さざるを得なかった。
もうすぐ三時になる。約束した時刻は、とうに過ぎていた。
先ほど――二時過ぎに、珍しく遅れている相羽を心配して、家に電話を入れ
てみたが、留守らしくてつながらなかった。
その後、間違いなのか悪戯なのか無言電話があってから、しばらく経って、
白沼からの電話が掛かってきた。彼女の話の中身は、町田の家に集まった面々
に今、少なからずショックを与えている。
「白沼さんの話を信じれば、忘れてることになるわね」
町田は腕組みを解くと、脱力したように手を後ろについた。伸ばした足の先
を、左右にふらふら揺らしている。
「もっと悪く解釈するなら、私達の方をすっぽかして、白沼さんと会っている
とも」
「でも、白沼さんは電話してきてくれたのよ。今日、相羽君が私達と約束して
たことを覚えてて……。相羽君にしたって、わざとすっぽかしたんじゃなく、
忘れてしまっただけじゃないかな」
純子はどこか引っかかりを感じながらも、そう弁護してみた。正体ははっき
りしないが、何となくしっくり来ない。判断しようにもほぼ全てが霧の中で、
分かっているのは霧の向こうに何かがあるということだけのような、そんな気
持ちになる。
「相羽君のこと、信用したいけれど、電話で聞いた話も事実だわ。どうしよう」
井口が途方に暮れたように、宛先のない話しぶりをした。
富井に至ってはさらに重症らしくて、へこんでしまっている。膝を抱えて座
り、頭を横にもたせかけた格好だ。そしておもむろに、両手を握り合わせる。
「はあーっ。何か理由があるって、信じてるからね」
まるでお祈りだ。
友達のそんな様子を前に純子は、自分自身の心にも霞がかかって、もやもや
としていることに気付いた。
(この、すっきりしないのは何故なんだろ? 変なものが喉の奥に引っかかっ
てるみたいに、気分が落ち着かない。あいつがここへ来ないからってだけじゃ
なくって……)
目を瞑り、もやもやした頭を振ると、おぼろげながら答が見えた。急いで顔
を起こし、瞼を何度もしばたたかせて、その答を確固たるものにする。
「――私達、相羽君の口から何も聞いてない」
純子の言葉に、間を置いて、井口が反応した。
「それはそうだけど、紅茶がどうこうって、白沼さんに話しかけていたわよ。
聞こえたでしょ、純子も」
「うん。でも、それだけよ。相羽君が私達のことを忘れちゃったかどうかは、
分からない。白沼さんがここに電話してきておいて、相羽君が電話に出ないの
も何か変。そう思わない?」
純子の説明はなかなか筋道が立っていた。故に、皆の頭から当初のショック
を振り払う効果があったようだ。
「こっちから電話して、聞いてみようか」
町田が場に問うと、全員がうなずき返した。
電話機に手が伸びた。
「白沼さん家の電話番号、覚えてる?」
* *
先に聞いていた時刻より五分ほど遅れて、白沼の両親が帰宅した。お手伝い
さんはいなくても、運転手が荷物運びをして、一気ににぎやかになる。
相羽はようやく解放された心持ちになった。何しろ、電話させてもらえない
上に、ずっとお喋りに付き合わされ通しだったのだ。
(大遅刻だ。こうなったら、電話を入れずに直行するか?)
挨拶もそこそこに退出したいところだが、さすがにできない。留守中に上が
り込んだのは元より、間接的とは言え白沼に怪我をさせたのだから、当然。
「すみませんでした」
いわゆる「よい家柄」の家庭。さぞかしどやされるだろうと覚悟しつつ、緊
張の面持ちで状況を伝え、頭を下げる相羽。
「わざわざ、すまなかったね」
立派な鼻髭を持ち、肩幅のあるおじさんは存外穏やかな反応を見せた。
一方、母親は娘に近寄り、足の具合を診ている。ただ、普段はお手伝いさん
任せなのか慣れていないのは明白で、短い間だが包帯の上から足を眺めて途方
に暮れていた。次いでおっかなびっくり包帯を外しにかかり、湿布を剥がして
腫れ具合を目の当たりにすると、また元のようにした。
「軽くて安心したわ。どこにも傷を負っていないようだし、相羽君も気にしな
いでいいのよ」
「でも」
「本当よ。絵里佳は大げさなとこらあるから。――違うの、絵里佳?」
母に尋ねられた白沼は、一瞬の間を取って、「ううん」と大きな身振りで首
を横に。顎を引き、上目遣いをする姿はかわいらしさを前面に押し出していた。
「真実、誓って、足、痛いのよ。相羽君は悪くないんだけれど、出会い頭で、
びっくりしちゃって、足がくにゃってなってしまったのっ」
「その割には、大して腫れていないように見えたが」
父親は上着を脱ぎながら、やや冷たい調子で言った。
「遠くから見たって分かんないって、パパ」
対する娘は、その指摘を封じ込めるかのごとく、甘えた声を出し、さらには
接近してきた父親の首周りに抱き付いた。
相羽は突然の疎外感に襲われた。来客の立場にある居心地の悪さではなく、
脳の奥底に突き刺さるような、寂寞とした想い。
家族。
両親が揃って居る家庭の風景に、痛烈な刺激を受けた。
「どこかへ電話していたのか? 買い物が終わった頃に電話したんだが、話し
中でつながらなかったが」
「え? ええ、ちょっとだけ。相羽君もご用があって使ったの。ねえ?」
白沼に話を向けられたが、ほとんど耳に入っていなかった。
かすかではあるが、目頭が熱くなっている。
(――いけない。こんなこと、滅多になかったのに)
乾いて張り付きそうな喉を気力でこじ開け、空気を通す。声が裏返らないよ
うに注意しながら、相羽は早口できっぱりと言った。
「長居してすみません。もう、本当に失礼します。白沼さん、ごめんな。お大
事に」
* *
「どーなってんのよ、もおっ!」
町田は送受器を力一杯握りしめ、音を立てるほど激しくフックに戻した。旧
いタイプの電話機故、なかなか頑丈にできているとは言え、無茶をすると傷が
着く。
白沼家へ何度かけても話し中だった。
「二人で遊んでいるにしても、よそへ電話かけまくってるなんてのは、おかし
な状況だわ」
鼻息荒く、町田。
「受話器を外しているのかも」
「白沼さんとこの電話は、そういう機種じゃなかったようだけれど」
井口が冷静に指摘した。
一瞬言葉に詰まった町田は目元をわずかに赤くし、話を再開させた。彼女自
身は白沼宅を訪問した経験がないのだから、別に恥じる必要はないはずだが。
「と、とにかく、話し中でもないのに話し中の状態になるようにしてあるんじ
ゃないかってことよ」
「でも、何のためにー?」
「当然、誰にも邪魔されないように」
「……それだとやっぱり相羽君、白沼さんと二人で楽しく過ごしてることにな
っちゃうよぉ」
富井が泣きそうな調子で言った。
「そこまでは、まだ分かんないって。さあて、こうなったら、直接訪ねるほか
なさそうね」
「本気? 今すぐに?」
不安の響きいっぱいの純子の声。
(最悪の場合、喧嘩になるんじゃあ)
とは思うものの、はっきりさせたい気持ちに変わりがないのもまた事実。
町田は当然のごとく、「もっちろん」と答を返した。
「みんなで行って、確かめるのよ」
「そんな。全員で押し掛けなくたって、一人か二人で……」
「こういう話は、勢いも大事。四人で問い詰めれば、話をするにしたって有利
なのよ。分かるでしょ」
「最初からことを荒立てようとしなくても……」
純子が最後の踏ん切りをつけないでいたおかげで、時間を食ってしまった。
やいのやいのとやっているとき、呼び鈴が突然鳴らされた。通常なら心地よ
く聞こえるその音色も、今ばかりはけたたましいだけに感じられる。
「はあい! どなたで」
玄関へ向かう町田に、純子達も続く。無論、相羽が来たのかもしれないと考
えたからだ。
果たしてその想像は当たっていた。
「遅く、なって、ごめん」
相羽は息を切らしていた。両肩が小さく上下している。こうして向かい合っ
ている間にも、額や首筋に汗が浮かび、流れるのが見えた。
「ど――どうしたっていうのっ? 約束してたのに、さっきの電話……さっき
じゃなくて、だいぶ前だけどっ」
「待って、芙美」
興奮も露にまくし立て始めた町田を、後ろから制す純子。実際に手を伸ばし
て口を押さえようとさえしたが、そうするまでもなく町田は口を閉じてくれた。
「相羽君。来てくれてありがとう。そんな息が切れるまで飛ばさなくてもよか
ったのに。危ないわ」
「え、あ、ああ」
いきなり謝意を示され戸惑ったらしい。相羽はしゃっくりのときみたいに言
葉を詰まらせた。
いつもと違う雰囲気に純子は軽く笑んでから、先に進んだ。
「ただ、今日はびっくりしたわ。いつも時間ぴったりに来るあなたが、遅れる
なんて! 夜、大雪になるかもね」
「……ホワイトクリスマスもいいでしょ」
「そうね。でも、その前に。よかったら教えて、遅れたわけを」
純子は穏やかに聞いた。
険悪にしたくない、折角のクリスマスをつまらなくしたくない、そういった
気持ちもあったけれど、何よりもまず、相羽の性格を見越しての物腰だった。
(どんなときでも言い訳しないんだもん。今みたいにこっちが強く出られる状
態だと、特にそうなんだから)
さあどうぞという風に、心持ち両腕を広げた。
相羽は鼻の頭をかいて、ぼんやり眼を細める。瞬きが激しくなってしばし迷
う仕種を見せてから、唇をひと嘗めして、始めた。
「自転車で調子に乗って飛ばしていたら、角で、人とぶつかりそうになって」
相羽がそう話している間、口を挟みたくて仕方ないのか、身を乗り出しかけ
る町田。富井と井口も同様だ。
純子は視線を送り彼女らにストップしてもらった。ところが、直後、
「その相手の人が、偶然、白沼さんで、足に怪我をした様子だったから――」
この話には純子達も静聴できず、驚きの声を上げざるを得なかった。
「白沼さんと?」
「なるほど、それで……」
「相羽君は何ともなかった?」
「怪我って、どんな様子なの?」
四者四様の反応をすると、玄関口の空間は下手な会議でもやってるみたく、
たちまちかしましくなる。
相羽は「白沼さんの怪我は捻挫。僕は何ともない」等と質問に答えてから、
問い返してきた。
「さっき町田さん、なるほどって言ったよね? 何で?」
「白沼さんが電話してきたのよ」
「えっ」
喉を詰まらせたように言葉をなくす相羽。眉間にしわが刻まれる。
−−つづく