#4746/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/12/30 10:27 (200)
そばにいるだけで 31−10 寺嶋公香
★内容
個々に別れてプレゼント購入を済ませると、少しばかり遅めの昼食をファー
ストフード店で摂った。
「さて、あとは二十四日を待つばかりか」
食べ終えて、手をはたく町田。ハンバーガーを包んでいた紙にフライドポテ
トの油かすが散る。十の指先を素早く拭くと、濡れティッシュを形よく丸めた。
「今度はキャンセルなしよ、純」
「私? ええ、しばらく暇だから安心して」
純子自身、楽しみにしている故、顔いっぱいに微笑が広がる。
と、井口が思い立ったような調子で始めた。
「ねえ、純子。今はどんなことをやってるの?」
「ええっと。モデルが多い」
ほっぺたを人差し指でかきながら、素早く答える純子。あとはジュースをす
すってあやふやにしようとしたが、コップには氷しか残っていなかった。
「もっと具体的に聞きたいわ」
井口が重ねて尋ねてきた。続いて町田、富井も。
「そうね。『モデルが多い』と言うからには、他にも何かやってるはず」
「いつかみたいに、きれいな海で撮影は? どこか外国とかさあ」
純子は三人からのプレッシャーに、胸を起こした。そうせざるを得ない。
(ほんとのことを打ち明けたい)
喉の奥から、言葉が頭を覗かせていた。
けれど、約束を破れる質ではない。心中で首を振り、言いたい気持ちを仕舞
い込む。
「ねえ、みんな」
面を起こし、三人を見渡す。改まって何ごと?と不審そうな皆の表情に、思
わず頬が緩む。
純子は笑顔で始めた。
「たとえばの話だけど……もし、私が何かの間違いで歌手やタレントでデビュ
ーして、すっごく人気が出て、みんなと会う時間が全然なくなるようなことに
なったらどう思う?」
「……何ごとかと思ったら、夢みたいな話を。そりゃまあ、ないとは言い切れ
ませんが」
町田が呆気に取られた風に、瞬きを何度もしながら反応した。純子の仮定の
中身に呆れているのではなく、純子がこんな質問をすること自体に珍しい物を
感じた様子だ。
「あなたがモデルやってることそのものが、偶然だものね。この先、何がある
か分かりゃしない」
「友達が人気出て有名人になってくれたら、嬉しいような気がするけれど」
井口がゆっくりしたペースで話して、富井の方を見る。
あとを富井が引き受けた。
「会えなくなるのは嫌だよ、純ちゃん」
今、本当にそうなってしまったかのごとく、心配げな目で見上げてくる富井。
おまけに純子の手を握りしめてきた。
純子は苦笑いを見せた。手を握り返しながら、「ありがと」と短く答える。
「うん。みんなといつでも会えるように、地味なお仕事ばかりやっていくから
ね――なんちゃって。あははは!」
明るい笑い声に、他の三人は再びきょとんとする。
やがて全員から突っ込みが入った。
「そういう心配は、一人前になってからにしなさいねっ」
* *
クリスマスイブ当日……という言い方は正確でない。イブとは前夜を意味す
るから、「クリスマス前夜当日」となってしまう。「夜」と「一日」をイコー
ルで結ぶのには無理がある――本来は。
ともかく、十二月二十四日。
朝から雪がちらついたものの、積もる気配はなく、そのまま昼前にはやんで
しまっていた。
相羽信一は稽古場での餅つき大会を終えて、帰宅したばかりだった。
「クリスマスに餅つきをやるとは思わなかったなあ」
入れ替わる形で出かける母に対して、信一は苦笑混じりに伝えた。そうして、
昼食のチャーハンを口に運ぶ。
「正月まで保たないね、これ」
食堂のテーブルの真ん中辺りに、もらってきたつきたての餅が載っている。
「冷凍庫に入れるといいわ。切って小さくしないといけないわね」
「僕がやっておくよ」
皆まで言われぬ内に承知した。忘れないよう、脳裏に刻みつける。
母親は微笑のあと、ふと眉を寄せた。
「包丁には気を付けて」
「平気さ。これでも調理部なんだから」
「そうだったわね。それよりも……今夜は大丈夫なのかしら、一人で」
ハンドバッグを一旦置き、母は頬に片手を当てた。
信一は口の中を空にしてから、返事する。
「問題ないって。夕方まではみんなと一緒だし」
「純子ちゃんもいるんでしょ」
「そうだよ」
「よかったわね。私も少し救われた気分」
「……どういう意味さ、それ?」
中華匙が皿の縁を叩いた。そのつもりはなかったのだが、勢い。
ハンドバッグを取り上げた母は、にっこりしてから言った。
「分かっているくせに、知らんぷりするなんて。もう行くから、夜の留守番を
お願いね」
実際のところ、いつもに比べて、今日のクリスマス会のことは緊張している。
来るはずだった勝馬や長瀬が、用事ができて参加不可能になったのだ。唐沢に
至っては予定が詰まっているとかで、元々来ることができないと宣言していた。
要するに、男子の参加者は相羽信一のみ。
人数が減ったから相羽の家でやるのに都合よくなるはずだったのだが、日も
押し迫ってきた段階で更なる予定変更を強いられた。
四日前、マンションの同じフロアの家庭で不幸があったのだ。そのため、ク
リスマスとは言え騒ぐのは忍びない。相羽と女子四人で相談した結果、いつも
の通り、町田の家に集まることになった次第である。
ともかく、信一はむにゃむにゃと曖昧な返事をして、母親を見送った。
その後、食器を片付け、餅を切って冷凍庫に仕舞い、久しぶりに小説執筆に
精を出していると、時間は淀みなく流れていった。
あと三十分――頃合いだと見て、身仕度に掛かった。
最近、自転車を使うと相羽はしばしば飛ばしたくなった。トレーニングのつ
もりで、つい漕ぐ足に力がこもる。もちろん、安全運転を心がける気も持ち合
わせているので、町中ではほどほどにしているが。
(雪が積もったら面倒だな)
マンションより相当離れてから、相羽は思った。空には雲が浮かんでいる。
一旦は収まった雪が、また降り出さないとも限らない。
(歩きの方がよかったかな。ま、今から歩いてたら間に合わない)
例によって時計を身に着けていない彼だが、体内の時間感覚は人並み以上。
どんな場合でも約束の時刻にぴたりと合わせるところなぞ、むしろ、優れてい
ると言ってもいいだろう。
だが、大きなトラブルに巻き込まれると、そうも行かなくなる……。
「あっ――と」
角から飛び出す影を視界に捉え、瞬時にしてブレーキを掛けた。きききっ!
と激しい音が悲鳴のように上がったが、相手とぶつかることなくストップ。
しかし、全くの無事では済まなかった。相手――白いコートの女性が、アス
ファルト道にうずくまったまま、起きあがれないでいる。「痛い」と、小声な
がら叫ぶみたいに口走るのが聞こえた。
「すみません!」
相羽は自転車を飛び降りるや、スタンドを立てるのももどかしく、駆け寄っ
た。そしてその途中で気付く。
「白沼さん」
名前を呼ばれるのを待っていたかのように、白沼が面を起こした。しかめて
しわの寄った目元が急速に和らいでいく。
「怪我は?」
しゃがみ込む相羽。目と目が合った。
「相羽君だったのね……足を挫いたかもしれないわ」
黒系統のタイツの下の左足をさすってから、白沼は改めて相羽を見やった。
声には弱々しさが漂う。
相羽は右手で顔をひと拭いし、こうべを垂れた。
「ごめん。僕の不注意で……」
「私も飛び出したから、それはいいの。でも、動けないのは……」
「どこかに行くところだったの? お詫びに送って行くよ」
「家に帰ろうとしてたのよ」
白沼は左手首を返して、腕時計に目を凝らした。何か用事でもあるのだろう
か、気が急いている様子だ。
相羽は意を決して立ち上がった。
「どっちでもいい。送る」
自転車を低く持ち上げ、白沼のすぐ横に持って来る。細いタイヤがからから
からと軽い音を立てた。
「乗れるかい、後ろに?」
「手を貸してちょうだい」
白沼の手を包むように取って立たせてやると、自転車の荷台に導いた。腰を
落ち着けたのを確認して、自分もサドルに跨る。足を後ろに振り上げて乗るい
つものやり方はできないので、前から跨ぐ形だ。
「荷物は何もなかったのかな」
早くも相羽の身体に両手を回し、頬を背に押し当てようとしていた白沼は、
問い掛けにきょとんとした顔を起こした。
「え? ええ。手ぶらよ」
「じゃ、行くよ。ゆっくり走るけれど、しっかり掴まって」
「いいわ。道は分かるわよね」
「もちろん」
短く答え、相羽はペダルを踏み込んだ。バランスを崩さぬよう、じっくり加
速していく。
道すがら、「まだ痛い?」「服は汚れなかった?」などと色々尋ねてみると、
白沼の反応は存外明るかった。
時間をかけて白沼宅に無事到着。門をくぐると、広い庭の片隅に自転車を押
して乗り入れた。
「歩けないから、肩を貸して」
「うん。お家の人は?」
大きな家屋は静かなままだ。自転車の音が聞こえなかったのだろうか。
「両親は買い物に出かけているわ」
「お手伝いさんがいるんだろ」
「いないの」
首を横に振る白沼。ようようのことで、玄関前に立った。
「今年のクリスマスは家族水入らずで過ごすつもりだったし、二十五日の夜に
は旅行に行くの。だから、早めにお休みを出したのよ」
「じゃあ、君一人になる?」
「そうよ。中まで連れてって。いいでしょう?」
相羽は少なからずためらったが、事情が事情だ。首肯すると空いている手を
白沼へ差し出した。
「鍵を貸して」
妙な感慨を相羽は抱いていた。
(今年は女の子の捻挫に縁がある)
白沼に言われた通りの部屋へ向かい、言われた通りの場所を探したが、薬箱
は見つからない。駆け足で居間に引き返し、その旨を伝えた。
白沼はコートを傍らに置き、ベッドみたいなソファに横になっていた。
「おかしいわね。お手伝いさんが勝手に場所を変えるはずないから、ママが自
分でやって、別のところに置いちゃったのかもしれないわ」
「どうする? 氷で冷やすとか」
「そうね、そうしてくれる? キッチンはこの部屋を出て――」
白沼は笑顔で台所の位置を説明した。
今度はすぐに見つかり、手際よく準備を整える相羽。
(冷やす他に……この間、道場でテーピングの仕方も一通り習ったけれど、そ
こまでやることないか? 相手は女子だしな)
結局、白沼が足を氷で冷やす間も、相羽は薬箱探しをすることに。
(畜生、広いなっ!)
遠慮しいしい、でも必死になって邸内を探し回った。階段を駆け上がり、滑
るように降り、ふかふかの絨毯に足を取られそうになりながらも長い廊下を走
る。さすがに家人の個室には入らなかったが、それ以外の場所は調べ尽くした
と言っていい。しかし、見つからなかった。残るはトイレと浴室ぐらい。
「ないよ。どうなってんのさ」
さしもの相羽も疲れと苛立ちで、口調が荒くなりかける。
弱り顔なのは白沼も同様だった。身体を少しだけ起こし、頬に手を当て、上
目遣いをする。
「他に思い当たる場所なんてないわ。困ったわね……。相羽君、湿布薬を買っ
てきてくれない?」
「――分かった。最寄りの薬局がどの辺にあるのか、教えて」
相羽は説明を聞いたあと、即座に飛び出して行った。
薬局の場所はすぐ分かったし、距離もさほど離れていなく、自転車があった
から早かった。
ただ……湿布と塗り薬を買ったら、財布の中身が少し寂しくなってしまった。
白沼の家に引き返すや、薬を渡す。さすがに手当ては本人任せだ。
−−つづく