#4742/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/12/30 10:21 (199)
そばにいるだけで 31−6 寺嶋公香
★内容
「うん、そうねえ、どうしようかなっ。年齢が同じぐらいだったら、考えてみ
てもいいかも。あは」
「……ついでに聞くけどさ。年上や年下よりも、同じ年齢の方がいい?」
「同い年の方が親しみ持ちやすいかもしれないけれど、多分、好きになったら
関係なくなる」
純子は、ひょっとするとそうなる(そうなっている)かもしれない相手に対
して、一瞬の視線を送った。
相羽の方は、いくらか考える風に口をすぼめ、目を細める。
「さっきと矛盾してないか、それって」
「あ? ああ、今の鷲宇さんは尊敬できる人よね。『いいかな』っていうのに
は、こういう意味も含まれるんだから」
「ははぁ……はぐらかされたような気がするのは、僕だけでしょうか」
「――多分、違うわね」
純子は照れ隠しに明後日の方向を見上げた。笑いをこらえながら伝える。白
状する。
「私もはぐらかしたつもりだから。鷲宇さんは尊敬のできる人」
そのあとにつなげようかどうしようか迷っていた言葉は、結局胸の奥に仕舞
い込んだ。
(好きな人はまだいないけれど、好きになれそうな人ならいるのよ)
* *
前もって日を知らされたとき、やられたと痛感した。
(忘れてたと言ってとぼけることもできるけど)
当日を迎え、相羽はカレンダーを見つめながら深い吐息をした。
視線の先の日付には、控え目に小さく赤丸が入っていた。
以前交わした(交わさせられた?)約束――白沼邸で一緒に映画を観る――
を果たしてと、彼女自身が希望してきた日である。
そして。
希望してきた際に、「何の日か、覚えててくれてるかしら?」と、意味深に
白沼が言うものだから、相羽は否応なしに思い出したのだ。問題の日が、白沼
の誕生日でもあるという事実を。
(誕生日プレゼント、用意しちまったしなあ)
頭をかきむしりながら、机の片隅に置いた小箱を見やった相羽。
「あーあ。俺って、ほんと、ばか。間抜け」
無意識の内に口走って、ベッドに身を投げ出した。大の字になってから、頭
を傾け、時計で時間を確かめる。約束した時刻に間に合うには、そろそろ準備
を始めなくてはいけない。
(せめて、知り合いに見つかりませんように)
心中でお祈りのようにつぶやくと、相羽は覚悟を決め、上体を起こした。
それからの行動は素早かった。てきぱきと着替えをすませ、ブルゾンの右ポ
ケットに小箱を滑り込ませた。
「おっと」
鏡の前を横切ったとき、自分が浮かない顔をしていると知れた。
(女の子の家に行くんだぞ。楽しいことじゃないか)
強く唱え、唇の両端を上向きに引っ張った。多少、楽しげな表情になった。
盛り上げた気分が壊れない内にと、相羽は早速にでも出発することにした。
自転車を疾駆させると、冬の空気は寒風と化した。漕げば漕ぐほど、きつく
なる。身体も温まって来るから五分五分と言えなくもないが、指先が痛い。手
袋をしなかったのは、失敗だったかもしれない。
ともあれ、自転車を飛ばしたのとは関係ないだろうけど、知っている顔と出
くわすことなく、白沼の家に到着した。
(さて、と)
サドルから降り、深呼吸。やはり、某かの覚悟を要する。
自転車のスタンドを静かに立て、門柱のボタンをゆっくりと押し込んだ。
「はあいっ」
インターフォンを通して、白沼の弾んだ声が聞こえてきた。
ご両親は?と尋ねると、夜まで帰って来ないわという返事があった。
相羽は脳裏の片隅でもしやと思いつつ、重ねて聞いてみた。
「前に寄せてもらったときは、お手伝いさんが出て来たのに、今日はそうじゃ
ないんだ?」
「彼女達もお休みよ」
「ふうん」
「私が何でもしてあげるから、安心してよね」
「うん」
部屋へ導かれながら、生返事を繰り返す相羽は内心、これはまずい事態かも
と感じていた。
白沼の部屋は、相羽を出迎える用意ができあがっていた。掃除や整理整頓が
行き届いているのはいつものことなのかもしれないが、くっつかんばかりに配
されたクッションや、テーブルの上の丸い花瓶、そこに生けられた花々から香
る新鮮な匂いは、明らかに相羽のためのもの。
(この広い部屋に、香りが充満している……かなり前から準備していたんだろ
うな、多分)
考えると、気が重くなってきたような。
「相羽君はそこへ座ってて。そう、右の方」
座る位置まで指定された。相羽はクッションの上にあぐらをかき、白沼の満
足そうな笑みを見上げた。
「待っててよ」
言い置くと、白沼はレコードプレーヤーのスイッチを入れた。あらかじめセ
ットしておいたらしくて、クラシックが流れ出す。
(シューマンの蝶々……だっけ)
思わず言いそうになったが、飲み込んだ。わざわざ自慢げに曲名を口にする
必要なんてない。
「ケーキ持ってくるわ。飲み物は紅茶でいいのよね?」
「おかまいなく……ああ、忘れない内に」
ぎこちない動作でポケットに手を入れ、小箱を取り出す。白沼の期待感溢れ
る視線に、敢えて気付かぬ振りをし、うつむくと桃色に金ラメのリボンを整え
伸ばした。
「誕生日、おめでとう」
さりげなく差し出したつもりだったが、白沼は目の前に飛び降りてくるよう
な勢いで、座り込んできた。
「嬉しい! 覚えてくれてたのね、やっぱり。ありがとう。信じてたわ」
感激しきりの相手に対し、相羽は話を逸らす風に応じた。
「暑いね。上、脱いでいいかな」
「ええ、もちろんいいわよ。暖房も切りましょうか」
「いや、このままで」
相羽の返事に、白沼はもらったプレゼントをテーブルの角にきちっと置くと、
再び腰を上げた。
「本でも何でも見て、時間を潰しててね。ただし、テレビはだめよ」
そう言い残し、今度こそ部屋を出て行った白沼。長いスカートを翻すその後
ろ姿。見た目にもはしゃいでいるのが分かった。
「はーっ」
ドアが閉じると同時に、相羽は両手を組み合わせ、大きく伸びをした。肩が
凝る、精神的に。
することもなく、先ほど言われたままに本棚へ目をやる。しかし、男女の差
違以上に趣味のずれが大きいのか、触手は伸びない。
次に意識が向いたのはピアノだった。立ち上がり、近寄って手を掛ける。音
楽が流れる中、さらに演奏するわけにはいくまいが……。
(凄い。スタインウェイだ。信じられない)
メーカー名を確認して、相羽は少しばかりくらっときた。去年のクリスマス
に弾かせてもらったときは、夜、部屋の明かりを極端に落とした状態だったの
で気付かなかったが、こんな高級品だったとは。
かぶりを振って、改めて感嘆の息をつく。
「お待たせ」
ドアが開いた。振り返ると、ワゴンを押してきた白沼の姿があった。ガラス
――と思うが、本物の宝石である可能性も否定できない――できらびやかに装
飾された二段式のワゴンには、ティーセットとシフォンケーキ丸ごと一つ。紅
茶を入れるのに欠かせない砂時計の中では、青い砂が平らに積もっている。そ
してナイフやフォーク、小皿の類。
「ピアノが気になる?」
「まあね。それ、運ぼうか」
手伝おうとするのを、白沼は断ってきた。彼女一人でワゴンからテーブルへ
と移していった。目尻を下げて笑みを絶やさない白沼は、自分が相羽に何かし
てあげられることを楽しんでいるらしかった。
「弾いてみたい? 遠慮しないで」
「うーん……先に紅茶。飲み頃じゃなくなる」
子供にしては紅茶にうるさい相羽。
そのことを知ってか知らずか――いや、当然知っているに違いない白沼は微
笑ましげに顔をほころばせた。
「すぐに入れるわ」
白沼は、あたかも新婚家庭での若い妻がするように、弾んだ調子でてきぱき
と行動した。
と言っても、彼女の様子に、相羽はほとんど注目していなかった。最前から
ピアノに気を取られていたことに加えて、出て来たティーセットの道具が今一
歩、本格的でなかったという理由もある。白沼の家ならば完璧な英国式の道具
立てをもしかしたら揃えているのでは……と心のどこかで、無意識の内に期待
していたのかもしれない。
幸せのオーラを発散している白沼は、ひっくり返した砂時計の砂が落ちきる
と、優雅な手つきで紅茶をカップに注ぎ始めた。
「砂糖は?」
問われて、相羽はしっかりと向き直った。
白沼が高そうな包装の施されたケースを傾けると、角砂糖が滑り出す。
相羽はカップの大きさと紅茶の濃さ、角砂糖の大きさを判断材料とし、さら
にはケーキの甘みを想像した後に答えた。
「一つで」
「私と同じね。ふふ」
くすぐったそうに、かすかに笑う白沼。彼女が角砂糖を入れるのを見て、相
羽はテーブルに着いた。
「自分でやるよ」
「あ」
有無を言わさず、角砂糖一個をつまみ上げると、紙を剥がしてからカップへ
落とし込む。蔦模様の彫られた小ぶりなスプーンで、音を立てずにかき混ぜた。
「全部、私がやるつもりだったのに」
「ま、いいじゃない。さてと。ケーキには蝋燭を立てるのかな、十四本」
ペースを取り戻し、相羽はシフォンケーキを指差した。
「やめておくわ。子供っぽいのは早く卒業したいものね」
「そう?」
異なる意見があったものの、言わずにすませた。言わなかった理由の一つは、
いかにも白沼らしい考えだと思い直したから。
「たくさん食べて。私はいいから。なるべく食べないようにしてるの」
「ダイエット?」
白沼の上半身から足にかけて、思わず視線を走らせた相羽。
「そうよ」
「にっこり」と「にやり」の中間みたいな笑みを浮かべ、白沼は腰に両手を
当てた。
「見られることを意識して、努力しているのよ。どう? 成果は出ている?」
「……僕が言うまでもなく……君がスタイルがいいのは、男子のみんなが認め
ている……」
台詞が途切れがちになった。何故って、このとき相羽は、文化祭での人気投
票結果に触れようかどうしようか、考えていたからだ。
(ベストスリーと言っても、純子ちゃんより下になったこと、気にしてるかも
しれないよな。黙っておこうっと)
咳払いを一つして、相羽は髪をかき上げた。
その鼻先に、ナイフの柄が接近。
「さあ、どうぞ。好きなように切って」
白沼からナイフを受け取ると、相羽は適当に二箇所を切って、ケーキをすく
い取った。小皿に移し、自分の方へ引き寄せる。
白沼はナイフを返してもらうと、相羽が作った切り口から続けて自身の分を
切る。薄く二枚を切り取り、重ねて皿へ。
「先に召し上がって」
「いただきます」
食前にするように両手を合わせた相羽は、白沼の様子をちらと伺った。相手
が軽く顎を引き、再度「どうぞ」の意志を示したので、相羽はフォークでケー
キを切り崩しにかかった。
視線を感じながら、一切れを口に運ぶ。
「いかが? おいしい?」
「――うん。ケーキはやわらかくて、クリームが極甘。紅茶にちょうどいい」
「でしょ。気に入ってくれると信じてたわ」
安心した様子で、白沼も食べ始めた。
「早速、映画にする? それとも、さっきの話の続き……ピアノ」
選択を委ねられ、相羽は多少、迷った。
(少しでも早く終わらせるなら、映画を観るべきだが。スタインウェイのピア
ノで、もう一度弾けるかもしれないのは魅力だよな。くー、正直言って、白沼
さんが羨ましいぜっ)
これほどの誘惑には勝てない。相羽はピアノを選んだ。
−−つづく