AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【53】 悠歩


        
#4729/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:35  (182)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【53】 悠歩
★内容
 言葉が出ない。デニスの心の内では、感情が激流のように渦巻いているのに、
それを言葉にすることが出来ない。生命の印でもある温もりが失われていく腕を
抱きしめ、目の閉じられた愛しい人の顔を、涙に霞む向こうに見つめるばかりだ
った。
 ぽん、と肩を叩かれもデニスは動くことを拒んだ。何もかも終わってしまった
いま、デニスには指先一つを動かす気力もない。動かす理由が見つからない。
 全てが凍りついた感覚。時間さえもが、流れていくことを止めた。永久にこの
状態が続いてもいい。続いて欲しい。デニスは願った。百年、千年、万年、マリ
ィの寝顔を見ていようと。
『ルウ』
 もう動かされることのなくなった唇。
 もう聞かれることの出来ない声。
 その唇が動き、その声が語った名前が思い出された。
 マリィが最期の時まで気にし続けた少女の名前。全てが終わった訳ではない。
マリィの愛した少女を忘れ、自分一人が悲しみに暮れていてはいけない。マリィ
の意志を継ぎ、少女を守ってやらなければ。
 気がつけば少女はデニスの後ろに立っていた。
 肩を叩いても何の反応も示さなかったデニスを、ただ静かに見守っていたのだ。
 たまらない気持ちになって、デニスは少女を抱きしめた。強く、強く。初めて
だった。デニスとマリィ、二人きりになってしまった生活に潤いをもたらした少
女を、これほど強く抱いたのは。その身体は驚くほど小さく、軽く、儚く、そし
て冷たかった。
「ごめんな………放っておいて。服、なんとかしなきゃな」
 床に落としたままだった毛布を拾い、少女の頭から全身を包み込む。
「着替えなきゃ、ルウまで病気になっちまう。けど………どうしようか。着替え、
ないもんな」
 頭巾のように頭に被った毛布から、小さく艶やかな顔が覗いている。不思議そ
うにデニスを見て、それからベッドのマリィを見つめた。
 そんな少女の肩に、デニスは手を置き、言った。
「マリィな、遠くへ行っちゃったんだ………レナのところにな。だから、これか
らか………ルウと、俺と、二人きりで………がんばらないと、いけない、んだ」
 認めたくなかったマリィの死。それを言葉にしたデニス。吹っ切れたのではな
い。少女のため、それを願うだろうマリィのため、強くなろうとしたのだ。挫け
そうな気持ちを、紙一重に堪えて。
 もう一度、少女がデニスを振り返った。そして小さく首を横に振る。
 少女もマリィの死を認めたくないのだろう。デニスはそう思った。だがその後、
少女は微笑んだのだ。にっこりと。
「あっ………」
 デニスは思わず息を呑む。
 少女の見せた微笑みは、これまでにデニスが経験をしたことのないものだった
のだ。
 幼い頃から、デニスは人から微笑みを向けられることなく育った。貧しい家に
生まれ、母が笑うのを見たことはない。工場に売られてからは常に、罵りの言葉
だけが浴びせられていた。デニスにとって自分へと向けられる大人の顔には、悲
しみと苦悩、嘲りと蔑み、そのいずれでしかない。それがマリィたちと出逢い、
初めて微笑みを向けられることを経験した。そして自分も笑うことを知った。
 けれどそれは対等な立場同士の間に交わされるやりとり。思いやりや慈しみ、
それらの感情も同じ境遇の下に集った、仲間たちのとの交流であった。
 少女の見せている微笑みは、それとは違っていた。対等な立場の者としてでは
なく、ましてや歳下の子どもが目上の少年を頼って見せる微笑みでもない。
 少女の不思議な表情に、デニスは自分でも信じられない行動を執ってしまった。
泣いたのだ。自分よりもずっと歳下な少女の胸に縋って。
 経験のないデニスに知る由はなかったが、少女の見せた微笑みは大人、母親が
幼子に愛を込めて送るそれと同じものだったのだ。見返りを求めはしない、ただ
悲しみに暮れる幼い魂を無償で包み込む、そんな微笑み。デニスの半分も生きて
いないはずなのに、小さな少女が大きな包容力で、デニスの悲しみを優しく受け
止める。
 柔らかく、そして小さな手がデニスの髪をそっと撫でる。
 まるで立場が逆と分かっていたが、デニスはしばらく、その心地よさに身を委
せてしまう。少女の温もりに包まれている間だけは、マリィの死による苦しさが
和らぐように感じられた。
 そんな一時も、いつかは終わりを告げる。
 デニスの顔が少女の胸から離された。デニス自らの意志ではなく、少女がそっ
と促すように手で押し、離したのだ。
 突然感じる寒さ。デニスは自分の顔が、冷たく濡れているのに気がついた。涙
ではない。いままですがっていた少女の服が濡れていたのだ。
 デニスは思い出す。雪の降る中を歩き、濡れて冷え切った身体で帰って来た少
女に、まだ着替えもさせていなかったことを。それなのに縋っている間、デニス
は少女の服が濡れていることを感じなかった。温もりを感じていた。
 すぐに着替えさせなければならないのだが、いまデニスにはそんなことすら考
えられない。床に膝をついたまま、少女の顔を見上げるばかりだった。
 変わらぬ微笑みがそこにある。どこかで見たことのある眼差しがデニスを見つ
めている。
 どこで見たのだろう。
 ああ、そうだとデニスは思い出す。
 初めて見た、デトリックの絵だ。
 あれはイコンと言うのだろうか。その腕の中に抱かれた赤ん坊を見る、聖母の
眼差しだと。
「えっ………?」
 デニスが声を上げたのは、少女が頷いたからだった。初め、デニスは自分の心
を見透かされたのかと思った。だがそうではなかったらしい。
 ゆっくりと歩き出した少女は、デニスの横を通り過ぎる。そしてマリィの眠る
ベッドの前に立つ。
 頷きの意味を求め、デニスの視線も少女の背中を追った。
 少女は手をとる。寝息すら立てることのない眠りに就いた、マリィの手を。そ
して自分の小さな二つの手を添える。
 小さな唇が動き出す。すでに外気と変わらなくなった部屋の空気に、歌声を響
かせるさめに。


    Christmas Christmas Christmas
    雪が降っている
    Christmas Christmas Christmas
    暖炉の火は小さくて
    Christmas Christmas Christmas
    部屋の明かりは短いろうそく
    Christmas Christmas Christmas
    テーブルのごちそうは
    一切れのパンとスープだけ

    それでも楽しい Christmas
    パパがいるから ママがいるから
    それだけで 私は幸せなの

    パパが歌うの   Christmas
    だから私も歌うの Christmas
    ママが笑うの   Christmas
    だから私も笑うの Christmas

    お願い神さま 一つだけ
    プレゼントなんて なにもなくていいの
    パパとママが いつまでも
    ずうっと 幸せでいられますように

    大好きだよパパ
    愛しているわママ

    Christmas Christmas Christmas
    いつまでも
    Christmas Christmas Christmas
    仲良くしてね
    Christmas Christmas Christmas
    Christmas Christmas Christmas
    Christmas Christmas Christmas


 クリスマス・ソングなのだろう。
 デニスの知らない歌。
 目の錯覚だろうか。
 デニスの目には、歌っている少女の身体が淡い光に包まれているように見える。
背中には、白い翼が現れたようにさえ思えた。
 少女の微笑みが、デトリックの絵の記憶と重なった結果、見えた錯覚。
 遠くから、鐘の音が聞こえてきた。雪降る中、静かな街に響き渡る。
 聖者の生誕を祝う鐘。
 その日に生を終え、静かに眠るマリィ。
 マリィのため、弔いの歌を歌う光に包まれた天使。
 悲しいはずなのに、デニスはしばらくその光景に見入ってしまった。窓から射
し込む錯覚ではない光が、少女とベッドの影を長く延ばす。デトリックの筆に勝
るとも劣らない、一枚の美しい絵画を見るような思いだった。
 ごほっ。
 デニスを現実に返したは、一つの咳だった。それが自分のものでないと、本人
にはよく分かっている。ならばそれは、少女がしたものである。
 ごほっ。
 えっ?
 二つめの咳に、デニスの眉は寄せられる。ベッドの上の毛布が、わずかに上下
したように感じられたのだ。まさか、いや、そんなはずはない。きっと少女の手
が触れ、それで毛布が動いたのだ。
 ごほっ、ごほっ。
 三度繰り返された咳。少女は触れていないのに、また毛布が上下運動をした。
さきほどよりも激しく。そして二度と耳にすることがないと思われた声が、聞こ
えた。
「ルウ………よかった………帰って来たのね」
 間違いはない。二年前のあの日から聞き続け、いまではすっかりと耳に馴染ん
だ声。再び聞くことはもう適わないと思われていた声が、朱の射した唇から発せ
られたのだ。
「マリィ!」
 絶叫にも近い歓喜の声とともに、デニスはベッドへ駆け寄る。小さく肩をすく
めたマリィが、目を丸くしてデニスを見上げている。
「どうしたのよ、そんな大きな声で。びっくりするじゃない」
 しっかりとした声。そこに苦しげな様子は感じられない。
 デニスはマリィの手を取って胸に抱く。
「か、身体は………いいのか?」
 それだけのことを言うのに、何度も喉を詰まらせる。視界を邪魔する涙を拭う
と、そこにはマリィの笑顔があった。その顔色は信じがたいほどに、生気を取り
戻していた。
「心配してくれたのね………ありがとう、デニス。少し眠ったら、なんだかすっ
かり気分が良くなったわ」
 マリィの手は温かかった。先ほど抱いたときには、冷たくなっていたはずの手
が。
 自分は何か勘違いをしていたのだろうか。疲れて眠りに就いただけのマリィを
死んでしまったと思いこみ、一人で取り乱していただけなのだろうか。
 デニスの胸から、マリィの手が抜け出す。考え事を中断して、デニスはその行
方を目で追う。その手の行き先は、デニスの隣り立つ、少女の頭の上だった。
「歌が………聞こえたんだ」
「うた?」
「うん………よく思い出せないけど、私、なにか怖い夢を見てた。どこか暗い道
を、一人で歩いていたような気がする。心細くて寂しくて、もうデニスやルウと、
逢えないような気がして………その時ね、ルウの歌が聞こえたの。歌に勇気づけ
られて、歌を頼りに歩いて来たら、またルウとデニスに逢えたんだよ」
 まさか、と思いながら、デニスは横に立つ少女を見つめる。
 マリィは一度、本当に死んでしまった。黄泉の国に向かって旅立ってしまった
マリィの魂を、ルウの歌が呼び戻した。




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