#4728/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/12/24 0:34 (197)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【52】 悠歩
★内容
「何がだね」
「何年刑務所に入ることになる?」
「さて、それは私が決めることじゃないが………良くて終身刑、悪けりゃあ死刑
もあり得るな」
「だろうな………ちっ、せっかくいい夢が見られると思ったんだが」
もう片方の手錠がはめられようとした瞬間、ボルドは突然将軍の腕を振り払っ
て立ち上がり、後方に下がった。
周りを囲む警官隊に緊張が走り、一斉に銃口がボルドに向けられる。
「待て、撃つな。逃げられはしない」
将軍がそれらを制止すると、ボルドは声を上げて笑い始めた。
「何がおかしい? ボルド・バトゥ」
「いやいや、失敬、失敬。俺の負けだよ、将軍サマ。手下も全員捕まっちまった
らしいし、もうにっちもさっちも行かねえや。けどよ、どうにもお国の法で裁か
れる、ってぇのが気に食わなくてなあ」
言いながら、ボルドはじりじりとなおも後方へと下がる。だが後ろには窓があ
るだけだ。
「いかん、ヤツを止めろ!」
ボルドの考えを察知した将軍は、命令を発すると同時に自分も駆け出していた。
が、しかし後ろに控えていた警官たちも、片足の不自由な将軍にも、それを阻止
することは適わなかった。
破壊音が室内に響く。
ガラスの砕ける音、窓枠の折れる音。
ボルドが窓ガラスの中に、身を投じたのだ。
宙に浮かんだボルドの身体は、その一瞬のちに全員の視界から消える。間を置
かず聞こえて来たのは、どさりという、鈍い音。
「くそっ、しまった」
ボルドの姿を求め、将軍はガラスを失った窓枠から外を見下ろす。散らばるガ
ラスと木片、そしてその中央に求めるボルドの姿があった。周囲の白い雪が、淡
いピンク色に染められていた。
「警部、上の階に監禁されていた子どもたちを保護しました」
敬礼する警官の後ろに、数名の少年少女の姿が見える。劣悪な環境下で、人ら
しい扱いを受けていなかったのだと、距離を置いて見ても分かった。皆やつれ、
顔や腕など服の外に出た部分に、傷跡のある者も少なくない。
「ありがとうございます、おかげで助かりました」
一人の少年が前へ進み出て、深く頭を下げた。その頭が上げられたとき、少年
の口からは驚きの声がこぼれる。
「えっ、あ………将軍………えっ、警部、さん?」
その声に他の少年少女も、それぞれの位置から半歩ないし一歩進み、警部の顔
を覗き込もうとする。それから少年同様、口々に驚きの声を上げた。
「ん、まあそういうことだ。それにしても、ずいぶん痛めつけられたな、ネス」
警部の見下ろす少年、ネスの全身には他の子どもたちに比べても、著しい暴行
の痕跡が残されている。
「ああ、これ? ちょっと稼ぎをちょろまかしたのがばれて。ははっ、しばらく
飯、食わせてもらってないんですよ。あ、俺だけじゃなくてベネッタたちも。何
かない、ですかね?」
傷跡の痛々しさにも拘わらず、ネスは陽気に話した。
「そうだな。君たちにはいろいろ、聞かせてもらいたいこともあるしな。署で何
か、食べるものを用意させよう」
「あの………俺たち、警察に行かなきゃならないんですか?」
途端にネスを初めとする子どもたちの顔が曇る。無理もないことだった。スラ
ムの子どもたちにとって、いままで警察は敵になることはあっても、味方になる
ことはなかったのだ。子どもたちにしてみれば、ボルドも警察も変わりないのか
も知れない。
「心配しなくていい。話しを聞くだけだから。それに、君たちのこれからのこと
も、考えよう」
「あの、その前に俺たち、行きたいところがあるんです」
「ん、どこへだい」
「デニスのところへ………みんな、デニスの絵がちゃんと描けたのか、心配で」
「お願い、行かせて下さい」
「お願いします」
子どもたちが警部の周りを取り囲み、幾つもの声が懇願をする。
警部は迷った。この子どもたちも、実は幾つかの犯罪に関わっている。だがそ
れもボルドに強制されたこととして、大きな罪には問われないだろうが、調べる
必要はあった。ただ今回の任務はあくまでも、ボルドの組織の撲滅にある。この
子どもたちは、その任務の中でたまたま見つけた被害者でしかない。
「まあ、いいだろう」
笑みで応じた警部の声に、黄色い歓声が上がった。
デニスの頭は、いまにもパニックを起こしかねない状態となっていた。
どこかへ姿を消してしまったルウ。アパート内を探してはみたが、見つけるこ
とは出来なかった。この雪の中、まともな防寒具もなく外へ出てしまったらしい。
その身体が心配される。本当なら、いますぐにでも探しに行かなければならない。
けれど病気に苦しむマリィも放ってはおけない。マリィの容態は回復の兆しを
見せるどころか、秒刻みに悪化する一方であった。レナの死の記憶もまだ薄れな
いデニスの頭を、不吉な予感が占領しつつある。
最悪、デニスの愛する二つの魂が、神に召されてしまうのではないか。いまの
デニスは、それをただ手を拱いて見ることしか出来ない。
何一つ、楽しいことを知らず十数年を生きてきたデニス。神の存在など信じて
はいなかった。それがマリィと出逢い、ルウと出逢い、少しだけ信じられように
なっていた矢先。夢を断たれ、愛する人が奪われようとしている。信じかけてい
た神は、憎しみの対象と変わり始めていた。
「どうすりゃ、いいんだよ」
弱音は吐かない。弱音を吐いたら、スラムでは生きられない。それを信条とし
てきたデニスだったが、脆くも崩れてしまう。ふと見れば暖炉の炎も弱々しく、
紅い揺らめきは断末魔の輝きを放っている。間もなく火は消える。だが新たにく
べるべき薪はない。
苦しげなマリィの息づかい。それが聞こえる度、デニスの鼓動は早まり、呼吸
するのも辛くなっていまう。
医者を呼びに行こう。その途中、ルウを探すことも出来るかも知れない。そう
考えて、ドアまで行きかけるデニスだったが、手がノブを回すことはない。今日、
数え切れぬほど繰り返された行動。
スラムに医者はいない。呼ぶためには、街まで行かなければならなかった。だ
が貧しい者を診るため、スラムまで足を運んでくれる医者などいるはずもない。
それはレナのときで、よく分かった。街の者の多くは、スラムの住人を蔑み、恐
れている。スラムに入ることを拒み、そこでの人の生き死に関心を寄せることは
ない。医者もその例外にはないのだ。たとえ通常以上の礼金を用意しても、来て
はくれない。
それに自分がいなくなった間に、マリィに最期の時が訪れてしまうのではない
か、という恐怖もあった。マリィが死んでしまうなどと、決して認めたくはない。
そんなことはあり得ない。だが、看取ることなくマリィが逝ってしまうことへの
恐れ。相反する二つの思いが、デニスの頭を駆けめぐる。
「デニス………デニ、ス」
名前を呼ばれたデニスは、余計な考えを忘れようと頭を振った。それから掌で
自分の頬を叩く。強張った筋肉をほぐし、笑顔を作るために。
「どうした、マリィ」
静かにベッドへと近づき、デニスは優しくマリィの手を取る。異様に熱い手を。
「ル……ウは、ルウ………は?」
天井を見ていたマリィの頭が緩慢な動作で、デニスの方へ向けられた。わずか
に頭を傾けるだけのことが、マリィにはとても辛そうだった。
「まだ帰ってこないんだ」
マリィを安心させようと、笑顔を作ったデニス。けれど質問されたことへは、
彼女を不安にさせるものしか答えられない。
「雪が………ふって、るの、よ………どこ、へ」
一音一音を苦しげに発するマリィ。
こんな時に、ルウはどこに行ってしまったのだろう。自分はともかく、病気に
苦しむマリィにまで心配を掛けて。
「おまつり………」
唐突にマリィが放った単語。また記憶の混乱だろうか。
「ほら………花火、の……おと、きこ………る、よ」
「花火?」
デニスは耳を澄ませてみる。だが吸音性の高い雪に包まれたスラム街に、響く
物音は何もない。
雪の降る勢いが、少し和らいだのだろうか。橙色の陽が射して来た。光は雪に
反射され、その強さを増して部屋に届けられる。後方に光を受け、影になって見
えるベッドのマリィ。
どこか幻想的な光景は、この世のものとも思えない。幾本もの光の筋に、空中
の埃が輝いて見える。まるでそれは天からの使者が、マリィを迎えに来る前兆の
ように感じられ、デニスは身を震わせた。
「マリィ?」
「ルウ、おまつりを………見にいった、んだね」
「マリィ? おい、マリィ! だいじょうぶか、俺が分かるか」
デニスはマリィの近くにまで顔を寄せた。マリィの目だけが動き、デニスを見
つめる。
「デニス? なに………へん、だよ」
笑った。マリィが笑った。
力なく。
「デニス、おまつり………いったこと……ある? たのしいよ」
先刻の記憶の混乱とは違う。マリィはデニスを認識していた。だがその言動は、
異常に感じられる。
「マリィ、無理して喋るなよ。少し、やすもう」
「かるわ、ざ………私、たのしみに………してるんだ。つなわ、たり……ナイフ、
なげ……すごいの、よ。みに行こう、よ。私と、デニスと、ルウと………三人で」
「ああ、分かった。分かったよ」
デニスはもう、笑顔を保つことなど出来なくなっていた。
マリィは大丈夫だ。心配はない、すぐに良くなる。いつもの元気なマリィにな
る。
そう信じているはずなのに、なぜか涙がデニスの目を濡らしていた。
「花火がうるさいなあ」
苦しげだった息づかいが止み、歌うような滑らかさでマリィが言った。
「ルウ、どこに行ったんだろう………眠ったら、逢えるのかなあ」
ゆっくりと、ゆっくりと、マリィの瞼が閉じられようとする。
暖炉では、最後の薪が燃え尽きた。紅い炎が白くなり、黒い炭だけが残される。
立ち上った煙も、細く細く痩せて行き、ついには消えた。
マリィを眠らせてはいけない。
急激に温度が下がり始めた空気のせいか、それとも不吉な予感のためか。デニ
スはそんな思いに囚われ、マリィの身体を揺り動かす。
「マリィ、眠っちゃだめだ! マリィ、マリィ!」
まるで生まれたばかりの赤ん坊のように、座らないマリィの首が揺れる。それ
でもマリィを襲った睡魔は、強引にその瞼を閉じさせて行く。
「マリィ、マリィ、マリィ、マリィ、マリィ………」
もう他に言葉は浮かばない。デニスは睡魔を追い出そうと、懸命にマリィを揺
すり続けた。だがその努力も報われず、不安が確実な恐怖へ姿を変えるかと思わ
れたとき。一度閉じられたマリィの目が、再び開かれた。
「ルウ」
その唇が、呟いた名前。それから間を置くことなく聞こえてきた、古びたドア
が軋む音。
「ルウ」
またマリィが呟く。嬉しそうに。
つられてデニスが振り返ると、そこには幼い少女が立っていた。
「ばか、ルウ。お前、どこに行ってたんだ………こんな時に」
デニスは初めて、少女に腹を立てた。どんな理由があったにせよ、マリィがこ
んな時に姿を消し、不要な心配を掛けさせた少女を。だが叱りつけるつもりだっ
た言葉は、途中で飲み込まれしっまた。
少女の小さな身体を包む薄い服は、ぐっしょりと濡れていた。長時間、雪の降
る中にいた証だ。ドアにまで伸びた陽光が、濡れた金色の髪を輝かせている。
どれほど歩き回っていたのだろうか。どこでなくしたのだろうか。少女は木靴
を履いていなかった。靴をなくしてもなお、歩き続けたのだろう。その細い二本
の足は、血の気を失い青く変色している。
「お前、なんて恰好をしてるんだ」
最後の薪も燃え尽きたいま、冷え切った少女のために暖をとることは出来ない。
せめてその濡れた身体を拭いてやるためのタオルを探し、慌ててデニスは立ち上
がった。
タオルが見つからず、ルウの寝床を作るために用意していた毛布を手にしたデ
ニス。身体を拭いてやろうと近づき、ふと足を止めた。
少女の目は、歩み寄ろうとしていたデニスに向けられていない。酷く真剣な面
持ちで、別のものを見つめていた。その視線の先に、デニスは寒気を感じた。
手から毛布が滑り落ちる。
デニスの思考は、しばらくの間停止してしまった。何かを叫んだような気もす
るが、覚えてはいない。
次に思考が動き出したとき、デニスは手を抱いていた。
マリィの手を。
少し前まで、あんなに熱を持った手。それがいま、室温に影響され確実に冷た
くなっていく。
「……………」