AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【34】 悠歩


        
#4710/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:26  (199)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【34】 悠歩
★内容
「どのようなご処分もお受けいたします」
「ん、ああ?」
 少女たちの姿が見えなくなるまで見送った老伯爵は、突然の言葉を解すること
が出来なかった。振り返った先には、思いつめた顔の御者が立っている。
「私は分不相応にも、主である伯爵さまのご不興を買う真似をいたしました。覚
悟は出来ております」
 下げられた頭を見ながら、老伯爵は御者の言葉を理解しようとするが、思うよ
うに思考が働かない。いまもなお、耳の奥に残る少女の歌への感動が、その他の
ものを受け入れさせないのだ。
「良い歌だった………あの時聴いた歌は、間違いなくあの少女のものであったが
………間近で聴いてそのすばらしさを改めて知った。が………あんな幼子にあれ
ほどの歌が歌えるとは………」
 思い出すだけで、再び心が震える。
 こぼれる涙を拭いもせず、老伯爵は静かに馬車へ乗り込んだ。
「伯爵さま?」
「無駄になってしまったな」
 老伯爵が言うのは、まだ馬車の後ろに積まれたままになっている、食料や衣服
のことである。少女たちに与えようと買ったものだが、渡すことが出来ずに残っ
たものだった。初めは住まいまで送るつもりだったのが、途中から歩かせること
になってしまった。怪我をしている少女と、幼い少女に持たせるには、画材だけ
でも精一杯であろうと判断してのこと。
「それに………私がもらってくれと頼んでも、あの少女は拒んだだろうな」
 凛とした少女の姿を脳裏に蘇らせ、老伯爵は思う。
 デニスの時もそうであったなと、笑いながら。
 何か自分は間違っていたのではないかと。
「なぜ処分の必要があるのかね。君は私の身を案じればこそ、言ってくれたのだ。
良い友人に感謝こそしても、処分などと考えようものか」
「は………伯爵さま」
 長く老伯爵に仕えた御者は主の言葉に涙し、深く頭を下げた。
「そう何度も頭を下げるものではない。そろそろ馬車を出してはくれないか?」
「はい」
 御者は自分の定位置に乗り込み、手綱を持つ。だがすぐには馬車を出そうとは
せず、主を振り返った。
「お訊ねしてしてもよろしいでしょうか」
「なんだね」
「なぜ伯爵さまは、お名乗りもせず、油絵の道具を与えたのが自分であることも
伏せるよう、あの娘たちに申したのでしょう」
「………それは、私が罪深いからだよ」
 老伯爵は瞼を閉じ、深く息をつきながら答えた。
「そもそも、あの子たちの暮らしを知らなかったことが罪だ。スラムを生む原因
になった工場は、私の領内にあり、私が管理していたものなのだから」
「しかしあれは陛下から仰せつかって………しかも伯爵さまは直に運営していた
訳でもありませんし」
「それは言い訳なのだよ。私はスラムの存在を知りながら、今日まで何もして来
なかった。街が復興すれば、その恩恵は全ての者に行き渡ると考えていたのだ。
自分の罪に気づかず、それを償うこともせず」
「お言葉ですが、戦争は伯爵さまがお生まれになる前から始まっていました。伯
爵さまの罪ではありません」
 ゆっくりと馬車は動き出していた。
「ありがとう。だがあの少女は、伯爵である私を恨んでいても不思議ではない。
それだけ辛い目に遭って来たのだろうから。だから私は名乗れない。名乗って罪
深い私が、ものを与えることで恩をきせるような真似が出来ようか………」
「しかしながら」
 蹄の音が、心地よく響く。老伯爵には応える御者の声も、歌のように聞こえて
いた。
「あの娘は気づいていたようです。去り際に、こう申しておりましたから。『あ
りがとうございます、伯爵さま』と」



 荷物は大きく、思っていた以上に重い。
 怪我のために体調の優れないマリィには、ただ持っているだけでも辛い。一歩
脚を踏み出すのも重労働となっていた。
 けれどそれを苦痛とは感じない。
 マリィの負担を少しでも軽減しようと、荷物を下から支えてくれる少女。実際
にはマリィの手助けになるどころか、かえって歩きにくくなってしまっているが、
その姿がマリィを和ませる。
 それにこれでデニスの夢が叶えられるかも知れない。それを思えば多少の辛さ
も、楽しさに変わる。
 マリィは信じていた。道具さえあれば、デニスは誰にも負けない絵を描けるの
だと。そして必ずコンクールをきっかけに、立派な画家になるのだと。
 アパートの間近まで来て、マリィはその入り口に立つ人影を見つけた。昨日に
続き、またボルドが何かを仕掛けようというのか?
 マリィの緊張を察したのか、声を掛けるまでもなく少女は足を止める。一拍遅
れてマリィも少女を庇える位置で立ち止まり、荷物を下へ置く。
「そこでじっとしてるのよ」
 小声で少女に告げると、マリィはさらに数歩前に進んだ。万一の場合、少女を
逃がすことを考えれば自分との距離をとっていた方がいい。さらには荷物からも
離れておきたかった。デニスの夢のため、絵の道具も守りたい。しかし少女がそ
れを持って逃げるのは難しいだろう。距離さえ空けておけば、自分に気を取られ
ている相手は荷物は見逃す可能性も高い。マリィは自分を囮に、少女と荷物の無
事を図るつもりだった。
 相手もすぐ、マリィに気がついた。姿を認めると、小走りに駆け寄ってくる。
 緊張が高まる。
 少女に逃げるよう、合図すべきか。そう思ったとき………
「マリィ!」
 親しげに自分の名を呼ぶ声が、マリィの耳へと届いた。
 手を振りながら接近してくる相手の顔が認識されると、緊張はにわかに消え去
ってしまう。
「もう、誰かと思ったじゃない」
「はあ?」
 やや怒気を含んだマリィの言葉に、息を弾ませた相手は怪訝そうな顔をする。
「おい、マリィ………どうしたんだ、その………」
 マリィの見知った相手、それはネスだった。近づいて来て、マリィがようやく
相手を彼だと知ったように、ネスもまたマリィの怪我に気づいたのだろう。驚い
たように、マリィの顔を指さした。
「なんでもないの………それより、ネスこそどうしてここに?」
「あ、ああ………」
 ネスもスラムに住む少年。以前はマリィと同じアパートで寝起きをともにした
仲間。マリィが語ろうとしなければ、深く問いただすことはしない。
「これ、受け取ってくれよ」
 そう言ってネスは、ポケットから小袋を取り出して、マリィの手に握らせた。
 ずしりとした感触が、マリィの手に伝わる。
「ちょ、ちょっと。なによ、これは?」
 中身はお金であった。
 大金ではない。けれどマリィやネスにとっては、貴重なものであることは違い
ない。手垢に汚れた数枚のコイン。
「聞いたんだよ。デニスのヤツ、なんか偉い人に、絵のコンクールってえのに誘
われたんだろ」
「えっ………あっ。どうしてそれを」
「へへっ、忘れたか。俺、地獄耳なんだぜ。で、道具を買うお金がなくて、諦め
るって話を知ってさ。他の連中、フランシスやリリアたちと相談して、俺たちも
なんとか協力しよう、ってことになったんだ。これ、少ないけど稼ぎをごまかし
て、みんなで集めたお金なんだよ。女の子たちは、見張られていて外出が難しい
んで、俺が代表して持って来たんだ」
「だめよ、受け取れない」
 小袋ごと、マリィはお金をネスの手に返す。
「そんなこと言わずにさ、頼むよ。俺たちだって、デニスを応援したいんだ」
「気持ちだけで充分よ。それはデニスにも伝わるわ………それにね。あっ、いい
のよルウ」
 マリィが脚を引きずりながら荷物のところまで戻ろうとすると、少女がそれを
運ぼうと手を掛けた。だが少女が一人で持つには、それは重すぎる。
 それを見たネスが、マリィに肩を貸してくれた。
「ほら、道具は用意できたの」
「へぇ………すげぇな。これ、マリィが?」
 袋の中身、油彩の道具一式を見ると、ネスは感嘆の声を上げた。
「ん………ほとんどはルウのお手柄なんだけど」
 老紳士と約束もあったマリィは、そう説明をする。
 お手柄と言われたのが嬉しいのか、少女の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「けど、それならなおさら、このお金は受け取ってもらわないと」
「えっ、でももう、道具はあるのよ」
「ばっかだなあ………期限はもう、いくらもないんだろ」
「ええ………確か二十五日までだったわ」
「だったら、デニスは仕事どころじゃない。寝る時間も惜しんで絵を描かなきゃ、
間に合わないじゃないか。けどその間、デニスも飲まず食わずって訳にはいかな
いだろ?」
「だけど、デニスの食べる分くらい、私がなんとか出来るから。みんなに迷惑は
掛けられない」
 老紳士から道具をもらったことで、マリィたちが貯めていたお金はそのまま残
されている。画材を買うには不充分だったが、デニスの絵が完成するまでの食事
代は賄えるはずである。
「迷惑かけられないって?」
 ぶうっ。
 そんな音がネスの口より漏れた。音とともに、霧状になった唾が飛ぶ。
 しかしそれだけでは収まらず、ついにネスは爆笑し始めた。
「なによ? なんで笑うの?」
 マリィにしてみれば、ネスを笑わせるようなことを言った覚えはない。霧状の
唾を手で避けながら、些か不機嫌に訊ねる。
「だってさ、それじゃあまるで、マリィはデニスの女房みたいじゃないか!」
「そ、そんな………ばかなこと言わないでよ」
 否定するマリィだったが、その言葉に勢いはない。なぜだか、頬が熱くなるの
が自分でも分かる。
 身体の調子が悪いからだ。
 マリィはそんな言い訳を心の中で自分にする。
 そんなマリィの手に、再びお金の入った小袋が載せられた。さっきまで大笑い
していた顔に、真剣な表情を浮かべたネスによって。
「あのさ、気持ち分かるけど、俺たち仲間だろう? いまはこんなふうになっち
まって、一緒にはいられないけど、みんなデニスを応援してるんだ。マリィがデ
ニスのために、って思うように、みんな協力したいんだ。だから頼む、受け取っ
てくれよ」
「………うん、分かった。お金、頂くわ。みんなにも、ありがとうって伝えて」
 受け取った小袋を、マリィは二つの掌で包み込んだ。ずしりした重み。金額で
はなく、その重みは、いままでマリィが手にした中で最高のものだった。
「よし、じゃあアパートまで肩、貸すよ。っと、ちびちゃん、その荷物も俺が持
つから」
 画材の袋を引きずっていたルウへ手を伸ばし、ネスは荷物を受け取った。それ
からマリィに肩を貸し、アパートにと歩き出す。
「いいよ、ネス。あなた、仕事の途中なんでしょう? 早く仕事に戻らないと、
ボルドに酷い目に遭わされる………」
「なあに、嫌味の一つ二つを言われるくらいさ。もし殴られても、ヤツのへろへ
ろパンチなんて、屁みたいなもんさ」
 快活に笑うネス。けれどボルドに管理された生活が、それほど気楽であろうは
ずがない。それを知っているから、マリィはそのお金都合してくれたネスたちに、
心中何度も手を合わせていた。
「なんかさあ………」
「えっ?」
「雰囲気変わったよなあ、マリィって」
 話す、と言うより呟くようなネスの言葉。
「変わったって?」
「なんつうかさあ、言葉遣いとか仕草とか、女らしくなったなあって………あ、
いや、その、別にいままで男っぽかったって訳じゃ」
 ネスは真っ赤にした顔を、マリィから背けてしまった。
 もしネスが視線を逸らしていなければ、彼以上に顔を紅くしたマリィを見てい
ただろう。
 冬は太陽が天空に留まる時間も長くはない。それでも西の地平に傾き掛けた陽
は、すでに路上の雪を命の源である水へと返していた。
 だが雪はこれで終わりではない。本格的な冬は、まだこれからなのである。
 この国の冬は、とても厳しい。



 目の前にしながらも、それが現実だとにわかには思えなかった。
 もし誰かが耳元で「これは夢なんだよ」と囁けば、いまなら素直に信じてしま
っただろう。
 袋から油彩の道具を取り出し、カーペットもない床へ楽しそうに並べる少女。
その全てを袋から出し終えると、誇らしげな笑顔でデニスを振り返る。言葉はな
いが、広げられた腕がそれを早く手にするようにと、デニスを促している。
 とても手にすることなど適わないと思われていたものが、ここにある。すぐに
でもそれを手にとり、使ってみたい。そんな衝動に囚われる。




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