AWC Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【16】 悠歩


        
#4692/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/12/24   0:17  (198)
Silent Angel 〜声なき天使の歌う歌〜【16】 悠歩
★内容
「………」
 受け取ったマリィも、瞬間、声を失う。
 もちろん、絵の完成度などマリィには分からない。だがいま手にしている絵は、
マリィの心を打つのに充分な、充分すぎるものだった。
 そこには椅子に腰掛けたマリィがいた。膝の上には白金の髪の天使、ルウ。
 二人は見つめあっている。
 ルウは自分を抱いているマリィを見上げ、こぼれんばかりの笑顔で。
 ルウを見つめるマリィの笑顔は抑えられている。が、そこは安らぎ、慈しみと
言った感情が満ちあふれていた。
 これは作者の力量なのだろう。本物の自分に、こんな表情が出来るはずはない
とマリィは思う。
 うす汚れた部屋。調度品などは何もない。
 二人の来ている服も実物のまま、お世辞にも綺麗とは言えないもの。
 見慣れた光景、見慣れた服。
 いつかは過去の辛かった時代の話として、思い出にすることを目標にして来た
生活。決していまそこにいることをマリィも、デニスもよしとはしていない場所。
 なのに絵の中のそれらは輝いて見える。
 マリィとルウを中心にして。
 もしかすると、マリィはその絵の中に自分の求めるものを見たのかも知れない。
特に何かを美化したようには思えない絵の中に、現実のマリィが求め続けている
夢を。
 マリィは絵を持っていた自分の手が、誰かに引かれるのを感じた。画帳を横に
動かすと、心配そうな顔でこちらを見つめる少女の顔が現れる。
「どうしたの? ルウ」
 その表情の意味が分からず、マリィは身を屈めて、妹の名を与えた少女に訊ね
る。すると爪先立ちをしたルウの、作りもののような小さな掌がマリィの頬を撫
でていった。
「えっ………あっ!」
 ろうそくの明かりを受け、ルウの掌の中で何かが光る。それを見て、マリィは
ルウが心配そうな顔をしていた理由を悟った。
 ルウの掌の輝きは涙。
 自分でも気がつかないうちに、マリィは涙を流していたのだ。
「マリィこそ、どうしたんだよ………なんか、俺の絵、まずかったかな………」
 ルウとマリィの上に、覆い被さるように影が落ちる。
 マリィの涙を心配したのだろう。ルウのすぐ後ろに、デニスが立っていた。
「違のう………なんか、デニスの絵があんまりすてきだったから。私、感動しち
ゃったみたい」
「そ、そうかい」
 マリィの言葉に、デニスは照れくさそうに頭を掻いた。自分の絵を褒められた
とき、デニスは面白いほどに恥ずかしそうにする。きっと高名な画家になったと
しても、そんなデニスの態度は変わらないだろうとマリィは思う。そう言った人
物と面識がある訳ではないが、有名な画家と聞くと尊大な態度をイメージしてし
まうマリィは、そんなデニスを好ましく感じた。
「ル、ルウはどうかな? この絵、気に入ったかな」
 照れを隠すためだと、あからさまに分かってしまう。マリィから画帳を返され
たデニスは、逸らした視線を幼い少女へ向けて訊ねる。
 言葉を持たないルウは、声の代わりに表情を作るための筋肉全てを笑顔のため
に駆使し、身体中で頷く。
「よし、それじゃあ」
 矢庭に描かれたばかりの絵が、画帳から切り離される。
「この絵、ルウにプレゼントするよ」
「えっ」
 マリィが声を上げたときには、もう水彩画は嬉しそうなルウの胸に抱かれてい
た。
「ん、なんだい、マリィ」
 まるで、キャンディを与えたときと変わらない表情のデニス。
「ルウに、あげちゃっていいの?」
「えっ、どうして。いつも、そうしてるだろ」
「だって、初めて描いた、色のある絵でしょう。それにその絵を描くのに、絵の
具、全部使っちゃったみたいだし」
「はははっ、そんなことか。いいんだよ。画家ってやつは、自分の絵をいつまで
も大事に持っておくモンじゃない。それが喜ぶ人の手に渡ってこそ、画家にとっ
ての幸せなのさ」
 いつもの軽口で、冗談めかしながらデニスは答えた。しかしそれが冗談ではな
く、本心であることは彼の目を見れば分かる。デニスがそう望み、ルウも喜んで
いる。ならば、マリィが口を挟む理由など何もない。
「悪いな、マリィ。初めての色着きの絵、いろいろ借りがあるんだから、まずマ
リィに渡すべきなんだろうけど………ルウを描いたのは、初めてだからさ」
「いいのよ、そんなこと。良かったね、ルウ」
 ルウが嬉しそうにしていると、ろうそく一本だけの灯火でも充分明るく思えて
しまう。心なしか、部屋の温度も上がったような気がする。マリィは、嬉しそう
にしている小さな頭を、そっと撫でた。



 この分では朝まで降り続くのかも知れない。雨音はいまだ衰える気配すらない。
 テニスの絵は、ベッドの横の壁に画びょうで貼り付けられた。マリィがここに
来る以前から壁に打ちつけられていた画びょうは赤茶色に錆びて、せっかくの絵
に穴をあけてしまうのは惜しい気もした。けれど強く望む少女のため、絵の四隅
は画びょうに貫かれることとなった。
 ベッドに入ったルウは、飽きることなくいつまでも絵の中の自分とマリィ見つ
めている。
「ルウ、いいかげんになさい。また朝に見られるでしょう?」
 あまりにもルウが嬉しそうなので、しばらく好きにさせてもやりたかったが、
小さな子どもの身体に夜更かしは毒であろう。正確な時間を知る方法がなくても、
マリィはおおよその時間なら感覚で計ることが出来た。もう午前零時はまわって
いるはず。
 ルウは素直に従ってくれた。くるりと向きを変え、添い寝するマリィの方へ顔
をよこす。話すことが出来ないため、意思の疎通をはかる上での不便もあるが、
基本的に素直なルウはその幼さに似合わず手が掛からない。
「んじゃ、俺は隣りに荷物を移して、そのまま寝るわ」
 昼間の出来事や、初めての水彩画に集中したことで疲れたのだろう。比較的、
夜に強いはずのデニスも大あくびをしながらドアに向かう
「うん、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 ガタッ。
 デニスの手がドアのノブに掛かろうかという、その瞬間、廊下から物音がした。
 マリィは半身を起こし、ドアに視線を送る。
 眠気にだらけていたデニスの表情が、にわかに険しく変わる。
「いまの………は?」
「雨音、じゃなさそうだな」
 物取りが、このアパートに来たことはない。その類の輩が狙うには、ここの住
人はあまりにも貧しすぎるからだ。ただし今日に限っては、デニスが老伯爵から
貰った代金の残りがある。スラムの者にとっては、充分に大金と呼べる額が。ま
た、それ以外にもボルドやその手下であるとも考えられる。物取りより、むしろ
そちらの可能性の方が高いし、質が悪い。
 マリィはヘッドから起き上がると、ろうそくの炎を吹き消した。しばらく暗闇
に目が慣れるのを待ち、デニスの方へ近づこうとした。が、それをデニスは無言
のまま、手を伸ばして制した。そらから、小さく顎を振って何やらマリィに指示
を送る。ルウのそばにいてやれ、と言うことらしい。
 頷き、マリィはベッドへと戻る。緊張感を察したらしい少女が、戻って来たマ
リィにしがみついた。ただルウ自身は、それほど恐がっている様子はない。マリ
ィにしがみついてきた小さく熱い身体は、震えることもない。おそらくはマリィ
たちの様子に、ただならぬ雰囲気を感じたのだろうが、ルウはまだここでの本当
に緊迫した場面を体験してはいないせいだろう。かえってルウの体温を感じるこ
とで、マリィの方が落ち着かされてしまう。
 それから、マリィは再びデニスを顧みる。
 デニスはマリィがルウの元へ戻ったことを確認すると、小さく頷き、ドアノブ
を握りしめた。音を立てぬよう、ゆっくりと回し、勢いよくドアを開ける。
「マリィ!」
 何かを発見したデニスが、マリィを呼んだ。それだけでデニスの見つけたもの
が、マリィやルウに危害をもたらす可能性はないと知れる。その可能性がわずか
にでもあれば、デニスがマリィを呼ぶことは決してない。
「早く、明かりを」
 その言葉がデニスから発せられるより先に、マリィはろうそくに火を着けなお
していた。貴重なマッチやろうそくを、やたらに使いたくはないが、最初に聞い
たデニスの自分を呼ぶ声にその必要性を察したのだ。
「あっ………」
 廊下に出たデニスは、屈んで何かを見ていた。そばに寄ったマリィは、手にし
たろうそくが照らし出すそれを見て、一瞬声を失ってしまう。
 マリィの部屋の前。
 それから滲みだした水が、水たまりを作っていた。外の激しい雨を、存分に受
けながらここまで来たのだと推察するに容易い。
 水たまりの中央に横たわる、ぼろ。
 人であるとは、すぐに分かったが、頭で納得するには勇気を必要とするほど、
それは悲しい姿だった。
「マリィ、ぼうっとしてるんじゃない! ベッドに運ぶんだ。いや、その前に服
を脱がせるんだ!」
 デニスの叱咤で、マリィは瞬間失っていた声を取り戻す。そして、ぼろぼろの
姿で横たわる者の名を喉から絞り出した。
「レ………レナ」と。



「レナ、しっかりして。私が分かる?」
 マリィが呼び掛けると、ベッドの中の少女は虚ろな瞳を開いた。だが焦点の定
まらないその目は、マリィを捉えてはいない。
「レナ、レナ?」
 再度呼び掛けると、レナは緩慢な動きでマリィの方へ首を動かした。額に載せ
ていた濡れタオルが落ちる。いつからレナが熱を出していたのかは分からないが、
その容態を一層悪いものにしたのは、雨に濡れたことが大きな原因であると疑う
余地はない。しかし皮肉なことに、マリィたちがレナにしてやれるのはその雨水
で濡らしたタオルを宛うことと、貴重な薪を惜しみなくくべて部屋を暖める以外
にはなかった。
「あ………マリィ………」
 しばらく焦点を合わせるための努力を行った後、ようやくレナはマリィの存在
に気づいた。
「うん、私が分かるのね。もうだいじょうぶ、ここは私の………私たちの部屋よ。
だから、安心してお休みなさい」
 マリィは落ちたタオルを、レナの額に戻しながら優しく言った。その手が、弱
々しくレナにつかまれた。
「マ、リィ………あの、あのね……わた、しね」
 苦しげな息づかいで、切れ切れに話そうとするレナ。そんなレナの手に、マリ
ィはつかまれていない方の手を重ねる。
「喋らなくていいから………いまはゆっくりと眠るの。ね?」
 諭すようにマリィは言う。が、レナの手にはわずかに力がこもり、なおも話を
続けようとした。
「私、逃げて………来たの。ボルドさん…のところ、から」
「うん」
「だめ………だわ」
 突然、レナがベッドから身を起こそうとした。マリィは慌ててそれを抑えつけ
る。
「起きちゃだめ。熱があるんだから………ちゃんと寝てなさい」
「だめ、だめよ………きっと、ボルドさん………たちが連れ戻しに………来るも
の」
「来やしないわ。いいえ、来たってレナを渡したりしない。デニスが守ってくれ
るわ。もちろん私だって」
 マリィはレナを安心させるために、そう言った。もちろん本当にボルドたちが
来たら、身体を張ってでもレナを守るつもりでいた。けれどレナは悲しそうに首
を振る。
「だめ………私、またマリィに………迷惑かけてしまう。分かって………分かっ
ているのに………分かっていたのに、ここに来てしまった………」
 幼子のようにレナは泣き出してしまった。マリィはそんなレナの手を、薄い毛
布の下に入れてやり、それから涙を指で拭う。
「迷惑なんかじゃない。私たち、仲間でしょう? 家族でしょう? レナが帰っ
てきてくれて、私、本当に嬉しいんだよ」
「いつもそう………マリィは、いつでも優しい………」
 拭ったばかりだと言うのに、レナの目からはまた新しい涙が溢れだす。身体が
高熱に冒されているため、気弱になっているのかも知れない。
「私は………私なんかより、レナの方がずっと優しいよ」
「ちがう………私は、憶病なだけ。私………みんなから、嫌われるのが……恐い
だけ………」
 拭っても、拭っても、レナの涙は止まらない。
 マリィはレナの涙を拭うため、何度もその指を動かすことになる。その度、こ
こで暮らしていたときよりも、レナの肌が酷く荒れているを感じた。濡れた服を
着替えさせる折り、さすがに娼婦の商売道具である身体を傷つけるような真似は
されていないと確認出来たが、ボルドのところで何か精神的な仕打ちを受けてい
たのだろうか。それを思うと、マリィの心も痛む。




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