AWC 『気分次第で責めないで』10−1<コウ


        
#3072/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ     )  93/ 4/ 6  17:19  (105)
『気分次第で責めないで』10−1<コウ
★内容
気が付いたら、実家のベットの中だった。妹が、ドアから首だけ入れて、「スキー
を買い行くから乗っけてって」と言っている。思い出せば、俺は、人間不信の極地
から、ベンザリン10mg二錠をビールで飲んで、ベットにもぐり込んでいたのだ
ったが(不信症には不眠症の薬がいい、と、高野悦子も言っている)、じっとして
いればいる程に、どんどん、人間が信じられなくなるのが分かる。「感情の変化は
唯一行動にのみ拠る!」と森田正馬(もしくは戸塚ヨットスクール校長)も言って
いる。

俺は、シーツをめくると、ベットから起きた。妹のあっしー君になる事にしたのだ
った。

アルペン八王子店は、俺の実家から車で五分の所にあるのだが、そこは、つい去年
までは、百姓どもが、ビニールハウスでトマトやキュウリを作っていたのだが、立
松和平の小説なんて誰も読まないから、すっかりと開発されていしまって、今では
、片側3車線中央分離体付きの大きな道路が出来ていて、道路の両側には、スーパ
ーアルプスやトイザラスや31アイスクリームやデニーズやダイクマやその他色々
の郊外型大規模小売り店が軒を連ねないで、綺麗に並んでいる。夜、車で走ってい
ると、ネバダ砂漠の真ん中に突然現れたラスベガスのイルミネーション、もしくは
経験的に言うならば、雄琴のネオンの中を走っている様であり、中でも、アルペン
八王子店は店全体がライトアップされていて、一際目立っていた。

『開幕!SKY激サイティングバーゲン』『91’92’MODEL徹底大放出』
『3割4割引、当然!』という、旗が、北風にパタパタしていて、外は、真冬だか
ら、当然寒いのだけれども、(車の中も寒かった、というのは、ヒーターが故障し
ているので)店の中に、一歩入ると、暖房のききすぎで、もの凄く暑い上に、もの
凄く混んでいて、客どもの人いきれで、ムンムンしていて、とたんに、くらくらし
て来た。かててくわえて、目に入る物全てが、やたらと派手で、所狭しとぶら下が
っているスキーウェアやスキー板の柄が、目にチカチカするし、そこいらへんに、
テレビが吊るしてあって、ブラウン管の中では、サイケデリックなスキーウェアを
着た荻野目洋子が、「ねぇえっー、もっと強く、だきーしめてー下さーい」と、く
ねくね腰を揺すりながら、ギャンギャン叫んでいて、あたりを見回せば、岡本太郎
かアンディー・ウォーホールの失敗作ないみたいな、派手ないでたちの若者どもが
、キャーキャーピーピー言いながら、べたべたしていて、それはもう六本木のディ
スコ(行った事はない。あるが、入れてもらえなかった)か、ビートルズの『サー
ジェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバムの写真の中
に迷い込んだ様な、気分であって、二十八の俺は、とてもついて行けそうにない。
昔、飲み屋に親父を迎えに行った時に、店のケバケバしさに圧倒されて、ドキドキ
して、「早く大人にならないと」と思ったのに、どこで間違ったのだろう、と、思
いつつも、目眩はするわ、のぼせるわで、テレビゲーム光過敏性てんかん、もしく
は、心臓神経症の発作寸前だった。

ふらふらしている俺の、上着の袖を引っ張って、妹は、店の奥へ奥へと、連れてい
く。「こっち、こっち」
妹に連れていかれた先は、NISIZAWAというメーカーのコーナーだった。ニ
シザワなんて聞いた事がない。それに、ここだけ、随分空いている。近くに非常階
段があって、緑色の『EXIT』が目立つ程に薄暗くて、ダンボール箱が積んであ
ったりする。柱の陰から、笑うせーるすまん、が出てきそうだ。
「ニシザワなんて、聞いた事ないぜ」と俺が言った。
「有名よ」と妹。
「K2とかロシニオールとかが、いいと思うけれどもなあ」
「へえ、詳しいのね」と、妹は、見上げる。
妹は、俺が、スキーなんて一回も行った事がない事を思い出したのだ。自称ツーの
妹によると、板が固いNISIZAWAがいいそうだ。ロシニオールは、二十万も
三十万もする物だったらよいのだけれども、十万以下のロシニオールは、本当のロ
シニオールではなくて、台湾メイドのロシニオールだから、駄目だと言う。何処で
、そんな知識を仕入れてきたのか?

「もう買うのは決めてあるの」と言うと、妹は、尻のポケットから、チラシを出し
た。昨日か一昨日、俺が破いたチラシだ。

板/NISIZAWA・デモンストレーターNo3カーボン・・・・69000円
バインディング/ルック・Fスポーツ・・・・・・・・・・・・・・28000円
取付費・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3000円
合計100000の品、ズバリ¥69800

バインディングとは、要するに靴を固定するものだ。締具の事だ。しかし、バイン
ディングと言った方が高く売れるから、そんな呼び方をしているだけだ。
「値切るのは、お兄ちゃんの役目だからね」
「え」俺の一番苦手な事だ。自動販売機以外での買い物は大嫌いなのだ。「ずばり
69800円って書いてあるじゃないか」と俺は値札を指さした。
「こーんなもん」と顎をしゃくって、妹が言った。
「第一、店員なんて、いないじゃないか」
「ほら、あそこにいる」と妹が指さしたのは、テレビで見た渋谷のチーマーみたい
なヤローだった。
「あれが店員か」
「ちょっと、すいませーん」と妹が手を振る。
やってきた店員は、色が真っ黒で、髪の毛は脱色した長髪で、右の耳にはピアスが
三つ、反対側の耳たぶには、入れ墨をしている。見るからに軽薄な小僧だ。

妹が、チラシで説明をすると、店員は、棚に立てかけてあった、NISIZAWA
・デモンストレーターNo3カーボンを、肩に担いた。妹が俺のわき腹をつつく。
「あの、ちょっと」と俺。
「へえ?」
「あの、それ、69800円だよね」
「そうっすよ」
店員は、スキーを担いだまま、ぽけーっとしたアホ面をして、俺を見ている。困っ
た。値切るのに最も適当な台詞は何か?色々なパターンが、頭の中で、ぐるんぐる
んしている。まさか6万にはならないだろ。しかし、「三割四割引き当然」だった
ら、それが定価の様なものであって、もっと値引きしてくれて、初めて、当然では
ない値段になる様な気もする。かといって、余りにも馬鹿馬鹿しい値段を言って、
ふんだくるだけふんだくってやる!というイメージになったら、反感を買うもので
、流行り病で苦しんでいるオトッツァンに高麗人参を買ってやろうと、致し方無く
盗んでしまった娘には、寛大でも、遊び半分に盗んだ金には、大岡裁きは厳しいの
と同じであって、止むに止まれず、差し迫った、金額、という金額を言いたいのだ
が、それがいくらなのだか、分からない。「三割四割引き当然」と言っても、三割
引きと四割引きでは、全然違う。10万の35%引で、6万5千は適当か?思い切
って駄目元で、6万を言ってみるか?値札は69800だ。6万から初めて、それ
では、真ん中の、6万5千で諦めてやる、しかしそれ以上は一文も出せない、とい
う雰囲気にしてみるか?駄目だ、駄目だ。大それた事を言って、断られたら、もと
もこもない。

「6万にならない?」と、突然、妹が言った。
「いいっすよ」あっさりと言うと、店員は、スキー板を担いでさっさと行ってしま
った。
あっけにとられた。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「空中分解2」一覧 コウの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE