#3070/3137 空中分解2
★タイトル (HBJ ) 93/ 4/ 6 17:16 ( 41)
『気分次第で責めないで』8−1<コウ
★内容
翌朝、俺は、最近四半世紀でもっとも心地よい目覚めを味わった。会社に行っても
、うきうきしていた。コクヨのパイプ椅子も、全然、気にならない。みんなは、例
によって、演技をしている。
武は、何時もの様に、難しい問題を抱えている振りをして、山の様に積まれた書類
をパラパラめくっては、髪の毛をかきむしったり、両手でぱんぱんと頬を張ってい
るが、あれは、眠くてしょうがないからであって、昨日のボーナスでソープのはし
ごをしたに違いないのだ。目の下に隅が出来ている。
岩田は岩田で、折角綺麗に、バリバリに、糊のきいているワイシャツの袖を、わざ
と無造作にまくり上げて(これは『金閣寺』の溝口の先輩が、天皇の刀で鉛筆を削
るのと同じ心理学)アメリカ人のやる様な、シュラッグや、その他色々の大げさな
ジェスチャーをまじえながら、田丸に向かって、何かを説明していているが、田丸
は田丸で、クロズ(香港で騙されたクロスの偽物)のボールペンを、額に当てたり
顎に当てたりしながら、考える振りをしたり、意見を言ってみたりして、岩田と一
緒に、ネスカフェのCMに出てくる様な、爽やかな朝のオフィスにおける、バイタ
リティー溢れるヤッピーを装ってはいるが、実は、夕べ、しば漬けのお茶漬けを食
ってから、孤独なベットで枕を濡らしたに違いないのだ。
斜前の宮本は宮本で、鼻の下にサンリオの鉛筆をはさんで、頬杖をついて、ぼけー
っと何も考えていない刹那主義者の振りをしているが、夕べ、旦那さんと相談した
、マル優越えたらワリシン、の続きを考えているに決まっているのだ。
普段だったら、こういう連中も見ていると、なんとも言えない違和感、エアロビク
スのインストラクターが、脈拍210で、心臓が破裂しそうな程に苦しいのに、ニ
コニコ笑っている様子を見ている様な、気持ちの悪い、へんてこな気分になるのだ
が、今朝は全然平気だった。
何故かと考えたが、簡単な事だ。みんな、俺と花田さんの関係を知らないからだ。
俺は、今まで、自分はアプリオリ(これは三省堂の国語辞典に載っている意味にお
いてそうなのであって、カントとは関係ないので念のため)に演技が下手糞で、そ
れで損をしてきたと思っていた。しかし、演技の成功とは、演技の上手い下手とは
関係無いのだ。持つべき物を持っていたら、演技が下手でも、安心なのだ。印篭を
持っている越後の縮緬問屋は、悪代官に虐められるのが楽しいのだ。東大の卒業証
書を持っている奴は、足し算をする時に、指折り数えても恥ずかしくないのだ。
そして、今日の俺が、そうなのだ。花田さんとの関係は、俺だけが知っている。俺
から、花田さんとの関係を言う積もりはないが、もし俺達の関係がばれたとしても
、俺はちっとも困らない。ちっとも困らないから、演技しやすい。わははははは。
俺は心の中で笑った今度は俺の笑う番だ。わはははは。