#3024/3137　空中分解２
★タイトル (PPB     )  93/ 3/28  17:21  ( 88)
殴り書き　　　　　　　　　　　　　　　　遊　遊遊遊
★内容

　ねばって、受付けで名刺を渡した。接客コーナーで、彼女はずいぶ
ん待たされていた。両隣のコーナーから、商談や打ち合せらしい人の
話し声が漏れてくる。つんと取りすましたような、このオフィスは、
彼女には落ち着けなかった。気むづかしい顔をした中年の男が入って
きた。ダメかもしれない……と、不安になった。が、頑張らなくては
ならないのだ、子供のためにも……弱気になりそうな自分を自ら励ま
して、彼女は深く深呼吸をした。

「はじめまして……」と丁寧に頭を下げた。
「ご用件は？」
　あごをしゃくり、彼女の名刺をもてあそびながら、男は横柄な口を
きいた。どすんと椅子にかけた。
「このオフィスでは、個人的な商売は禁じているんだがね。弁当屋、
保険屋、趣味の小物売屋、旅行屋などが、入れ代わりたちかわり、こ
のビルに入ってくるんだなあ、性懲りもなく……」
「………」
「で、あんたの用件は？」
　タバコに火をつけ、俺には、お前さんの用件は分かり切っているん
だという顔で、男は彼女を見据えている。

「あのおー、総務課長さんでいらっしゃいますか？」
「いや、総務課長も係長も、今、会議中だ。担当者も席をはずしてい
るので、わたしが出てきた。わたしはＳというんだが……」
　面倒臭いなという手つきでくれた名刺には、管理部次長Ｓとあった。
「次長さんのＳ様とおっしゃるのですか、はじめまして……私は○○
保険のＹと申します、ご多忙のところ、突然お邪魔いたしまして申し
訳ございません………」
「挨拶はもういいっ。ご用件は？　社内で保険の勧誘はできないんだ
よっ」

　Ｓ次長は、はじめから、用件などは聞く気はないのだ。さきほどか
ら、彼女の顔からからだ中をな舐めまわすような視線を投げ付けてい
る。
「ハイッ、存じております」
　三十歳をでたばかりのＹ未亡人は、突き刺してくるような男の視線
を感じながら、思い切って用件を述べた。頑固で、好色そうな目付き
のこのＳ次長ではダメかもしれないと思いながら……。
「私の商売は御社の社内ではいたしません。ご迷惑をおかけするよう
なことはいたしません。ただ、情報をいただけましたらと、厚かまし
くも参上いたしました。保険に加入する人たちは圧倒的に新社会人が
多いのでございます。御社の新入社員は３００人、この地方だけでも
５０人と伺っております。５０人の方々のうち半分でも接触させてい
ただくことができれば……と願っております。御社の新入社員の方々
のリストを拝借できましたら、とても助かるのでございます。お願い
できませんでしようか？」

「ダメだねっ、あんたの方は助かるかもしれないが、会社の書類を外
に漏らすことはできないよっ。あんたが当てにしている総務課長はそ
んなことをいつもやっているのかね？」
　いじわるな顔でＳ次長がいう。
「とんでもございません、私は御社にはじめてお伺いいたしたもので
ございます。総務課長様にもどなたにも面識はございません。御社の
書類をいつも、漏らしていただいているなんて、とんでもございませ
ん」

　彼女は体当たりで商売をしている。勇気を振り絞ってこのビルに飛
び込んできた。新人たちの名簿があれば、とても仕事がやりやすいの
だ。Ｙ未亡人は交通事故で夫が死んでからの一家の不幸、泣き言など
は一切しゃべらなかった。ただ、新入社員のリストが欲しかった。先
輩たちは、お得意先の会社から情報を流してもらっている。人事担当
者を押さえ、盆暮れの届けものを欠かさない。ときには女の武器を使
うこともあるとも聞いている。彼女はＳ次長の目線がとても気になっ
てきた。

「昼メシだなっ、じゃあ」
　と、Ｓ次長は勝手に立ち上がった。
「…………。お忙しいところ、お邪魔いたしました。有難うございま
した」
　丁寧な彼女の挨拶を聞き取る気配もなく、Ｓ次長は消えた。

　やはりダメだった。けんもほろろだった。エレベーターを降り、そ
のビルを出たＹ未亡人の肩が落ちていた。出直してきても、この会社
から情報をとるのはむつかしいだろうな……と思いながら彼女は歩き
はじめた。

　ビルからぞろぞろと勤め人たちが出てくる。昼食時の雑踏の中を、
気落ちした彼女が歩いていた。誰かに肩を叩かれて、彼女は振り向い
た。無言で封筒が渡された。
　氏名・生年月日・住所・電話番号などがワープロ打ちされた新入社
員の名簿が入っていた。乱暴な字で書き添えてあった。
　「頑張りなさい」

　Ｓ次長の姿は、もう、見えなかった。


　　　　　　　　１９９３−０３−２８　　　遊　遊遊遊（名古屋）