AWC 行き止まりの誘拐(4)     くじらの木


        
#3000/3137 空中分解2
★タイトル (BCG     )  93/ 3/19   0: 7  (183)
行き止まりの誘拐(4)     くじらの木
★内容
「すぐわかっただろう」
 そう言うとその男は少し笑った。
「何をびくついてるんだ、私以外にここには誰もいないし、何の仕掛けもない
、おまえが早苗を渡して、私が現金を渡す、それだけのことだ、三分もあれば
すべてかたがつく、その後おまえがその金で何をしようがそれはお前の勝手だ
、いい加減にかくれんぼはやめにしないか」
 マスターがちらりと私を見た。
 受話器を手でおおいながらしゃべったのだが、いくらかマスターに聞こえた
のかもしれなかった。
「わたしはあわてるのが嫌いなんですよ、それにね、あなたの言うことはちょ
っとばかり信用できない、こちらが見付けただけでも少なくとも二台の車があ
なたの車の後を付けていますね、一台がベージュのアコード、もう一台がグレ
ーのカリーナです、あなたは明らかに約束を破っている、どうします、私はこ
れでこの取引は無かったことにしてもいいんですよ」
 受話器を持つ手がじっとり汗ばんだ。
「何が目的でそんなことを言うんだ、いい加減なはったりはよせ」
「わたしはさっきも言ったように気が長いんです、それではこうしましょう、
もう一度チャンスをあなたにあげます、その道を真っすぐ北上すると、百四十
号線に出ます、そこを左折して秩父に向かってください、上長瀞の駅を過ぎて
、親鼻橋を渡って百メートルほど行くと左に共石のスタンドがあります、そこ
で島崎と名乗って、ガソリンでも入れてくれませんか、そうですね時間は七時
というところでしょうか、付けている車はわかっています、そのまま付けてき
てもいいでしょう、こちらとしては織り込み済みですから」
 男はそこでくすりと笑い、話を続けた。
「それから、あなたからよそに連絡を入れたりするのはまずいですね、どうや
ら携帯電話は持っていないようですが、あなたは常に見られているということ
を忘れてもらっては困ります、実際の話し、そこのマスターだってわたしの仲
間の可能性だってあるわけですよ、おっと早くしないと間に合わないですよ」
 電話はそれで切れた。
 マスターの顔をじっと見ながらコーヒー代を払いグリーンを出た。
 四時四十三分。
 西に奥武蔵の低い山々が見え、道の両側には雑木林に囲まれた狭い畑が続い
た。
 この車を付けている車がある。あいつはたしかにそう言っていた。
 二十分ほど走った後でアスカを路肩に寄せ、Uターンをしてもと来た道を戻
った。
 すぐにベージュのアコードとすれ違った。
 車の中には若い男女が乗っており、とくに変わった様子は見えなかった。
 再びアスカを路肩に寄せ、十分ほどそこに停まり、後から来る車を注意して
見たがそのアコードは戻ってこなかった。
 そのまま小川町の駅前まで戻り、商店街の信号を右折して奥武蔵の山を抜け
て秩父に通じる峠道に向かった。
 地図によれば定峰峠に入る手前で右折し、二本木峠を抜ければ上長瀞に出ら
れるはずだ。
 町を抜けるとすぐ細い山道になり、ゆるいカーブを描きながら少しづつ高度
をあげていく。
 所々に路面凍結注意の看板が見えたが、道はきれいに舗装されていて、滑る
ことはなかった。
 何回か車を停め、エンジンを切って今来た道の方角に向けて耳を澄ましたが
、明るい日が差し込む杉林の中の道はシーンと静まり返ったままで、かすかに
道の下を流れる沢の音が聞こえるだけだった。
 あの男の言ったことは本当にただのはったりだったのだろうか、ベージュの
アコードはたしかに私の後を走っていたが、それは特別珍しい車とは言えない
。
 二本木峠を下る頃には辺りはすっかり闇に包まれ、対向する車の無い山道に
エンジンブレーキの音が響き渡った。
 六時三十五分。
 百四十号線に出て、長瀞方面に少し戻り、親鼻橋の手前で共石のガソリンス
タンドに入った。
 対応に出て来た十八、九の男の店員に「満タン」と言った後で「島崎だが」
と付け加えた。
 店員は、黄色く脱色した前髪の奥から、値踏みするような視線を私に向け、
ふんと鼻を鳴らすと、後のポケットからくしゃくしゃになった封筒を差し出し
て不機嫌そうに言った。
「車は裏にある」
 封筒を開けると葉書大の紙切れと車のキーが入っていて、紙切れには何度も
見たあの文字が書いてあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
荷物を持って裏に置いてある車に乗り換えてください、スタンドの待合所で少
し休んだ後、裏口から外に出に出れば近道です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 紙袋を持って待合所に入り、煙草に火をつけた。
 どうやらこのスタンドは、あのいかれた頭をした男が唯一人の従業員らしか
った。
 戻ってきた店員に、金を払い、裏口から外に出た。
 裏は建設工事の資財置場になっていて、鉄パイプの積まれた脇に、赤のシビ
ックが停まっていた。
 封筒に入っていたキーでドアを開けてシートに座ると、メーターパネルに、
すぐ秩父方面に向かって走りだせ、と書いた紙切れが貼ってあった。
 資財置場を出て、国道に平行して走っている道を二十分ほど走り、再び国道
に出た。
 道路脇の電話ボックスを見るたび美佐子の所に電話をしたい衝動に駆られた
が、男の言葉を思い出し諦めた。
 それにたとえ美佐子に私の今の居場所を話したとしても事態がいい方向に進
むわけでもないのだ。
 七時二十五分。
 突然シートの下でぴーぴーという音がした。
 手でシートの下をまさぐると、携帯電話が置いてあった。
 通話ボタンを押し、「笹神だ」と言った。
「わたしだ、西武秩父の駅から二十時五分発の池袋行き、特急レッドアローに
乗れ、椅子には座らず進行方向左側の出口の前に立っていろ、携帯電話を忘れ
ないようにな」
「いつまでこんなことを続ける気だ、早苗を出せ、聞こえてるのか、早苗を出
すんだ」
 私の声にかぶせるように男が話を続けた。
「あっと、失礼、その電話ちよっと細工がしてあってあなたの声は聞こえない
んだ、その電話を使って変な所に連絡されると困るからな、それではまた連絡
する」
 シビックの中にあった地図を広げ西武秩父の駅の位置を確認した。

 シビックを駅前に乗り捨て、指定された二十時五分発のレッドアロー号に乗
り込んだのは出発時間の五分前だった。
 席には座らず紙袋を持ったまま扉の脇に立つた。客室の中をのぞくと乗客は
疎らで、ぽつぽつと離れて座っている。
 定刻通りにレッドアローは発車し、三分もすると列車は奥武蔵の黒々とした
山並みのなかに入った。
 線路とほぼ平行に走っている道の明かりが頼りなげにぼんやりと見えた。
 西武秩父線は、埼玉西部の奥武蔵の山の中を走り、入間、所沢を抜け、池袋
まで通じている。
 つまり私は所沢から秩父に出た後また再び大きな弧を描いた形で所沢に向か
っていることになる。
 二十時四十五分、列車が飯能の駅に着き、ドアが開こうとする直前に携帯電
話が鳴った。
「すぐ降りろ、駅を出て、丸広百貨店を過ぎたところで右に曲がり、真っすぐ
行くと郵便局がある、その前に白の軽トラックが置いてある、それに乗って待
て」
 これから先、転職するにしても携帯電話を使わなければならないような仕事
はごめんだと思いながら、改札を通り、指定された場所に向かった。
 その軽トラックは人通りのかなりある歩道に半ば乗り上げた形で停まってい
て、何日も前からここに置いてあったとは思われなかった。
 荷台には大きな段ボールが二つロープでしっかりくくり付けてあり、一つに
は冷蔵庫のもう一つには大型テレビの表示がしてあった。
 犯人が電気屋の車を盗んだのか、電気屋に見せかけるためにわざわざそうし
たのかはわからなかった。
 ナンバーは千葉になっている。
 鍵の掛かっていないドアを開け、金の入った紙袋を助手席に置き、運転席に
腰掛けた。
 呪いの言葉を二つ三つ言い、ドアをおもいきり蹴飛ばしたところで電話が鳴
った。
「キーは運転席側のフロアマットの下だ、車を運転して奥多摩湖に向かえ、青
梅から先は携帯電話は使えない、グローブボックスの中にトランシーバーが入
っている、奥多摩湖に着いたらコールボタンを押して報せろ」」
 県道を通り、青梅街道に出て、多摩川添いに奥多摩湖へ向かった。
 青梅を過ぎると、車も疎らになり、人通りもなく、ひっそりとした山里の景
色が続いた。
 いくつかのトンネルを抜け、奥多摩湖が見えたのは十時三十五分だった。
 道添いの広い駐車場に車を乗り入れ、奥多摩湖をのぞむ位置に車を止めた。
 何百台も置けるような広い駐車場には、五、六台の車が停まっていた。
 スモールランプを点けているところを見ると、中には人が乗っているようだ
ったが、私がここで犯人と殴り合いをしたとしても、車に乗っている奴らは窓
を開けさえもしないだろう。
 奥多摩湖は周りを高い山に囲まれ、流れこむ川に沿って細長くどこまでも続
いているらしく全体を見通すことはできない。
 暗く静かな湖面に、時折遠くを走る車のライトが反射した。
 煙草を吸うために窓をわずかに開けると、冷え切った空気が車のなかに流れ
こんだ。
 グローブボックスからトランシーバーを出し、コールボタンを押した。
「早かったじゃないか、分かっているだろうがそのトランシーバーの集音マイ
クは使えなくなっているから変な真似をしようったって無駄だぞ、それではそ
のまま奥多摩湖沿いに走れ、深谷橋の信号に着いたら、コールボタンを押せ」
 多少の雑音はしたがはっきりと聞こえた、このトランシーバーの到達距離は
ここのような山間地ではせいぜい二、三キロというとこだろう、この駐車場に
とまっている車のなかの一台から発進されているとしても不思議ではない。
 ゆっくり車をスタートさせ、奥多摩湖沿いの道を走った。
 道の左は奥多摩湖が広がり、右は迫る崖にへばりつく様にして土産物屋や、
民宿が疎らに建っている。
 どの家も雨戸をぴったりと閉め、人の気配は感じられない。
 短いトンネルをくぐったときに赤いスカイラインが前方のカーブから突然現
れ、カーブをきった弾みに奥多摩湖側にテールを滑らせ、危うく私の車に接触
しそうになった。
 私は急ブレーキを踏み左にハンドルを切った。
 白の軽トラは横滑りをしながら、ガードレールのわずかに手前で止まった。
 シーンと静まりかえった路上にゴムの焦げる匂いがした。
 やがて点滅の信号が現れ、左に奥多摩湖をまたぐ形で架かっている赤い橋が
見えた。
 このまま真っすぐ走れば山梨に入り、左に曲がって深谷橋を渡れば奥多摩周
遊道路が秋川市まで通じている。
 信号の手前で車を止め、コールボタンを押した。
 すぐ男の声が流れた。
「遅いぞ何をしてるんだ、目の前の深谷橋を渡って奥多摩周遊道路に入っても
らおう、また連絡する」
 車を発進させ、深谷橋を渡った。
 辺りに車は一台も走っていない。
 道はしばらく奥多摩湖沿いを走った後でゆるいカーブを描きながらぐんぐん
と高度を上げた。
 さすがに勾配のきついカーブではローまで落とさなければならず、六百六十
tのエンジンは死にそうな音を出した。
 トランシーバーから男の声が流れた
「左にそろそろ展望用の駐車場が現れるはずだ、そうしたらその手前で車を停
めて、コールボタンを押せ」
 犯人はこの誘拐を計画するときにいったいこの道を何度走ったのだろう、ま
るで私の後をぴったりと走りながら話し掛けているようだ。
 男の言った通り、すぐに左側に広い展望用の駐車場が現れた。




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