#2979/3137 空中分解2
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天奏のものがたり・「月の涙」<1> 月境
★内容
主要登場人物一覧
早坂 明 生真面目で、なかなか人に打ち解けられないのがたまにキズ。
加賀の殿様の配下・早坂家の長子。
神月宗春 天奏の殿様の腹心。智可の御守役。
天奏智可 世継の君・被沙の双子の弟。愛敬のある若様。16歳まで性別を入れ替え
て育てると丈夫になるという迷信から、12歳までそうして育てられたが
父の命で、城にあがると同時に女装を解かれる。
天奏被沙 天奏の嫡子。智可を溺愛する。
天奏被可 天奏の殿様。被沙、智可の父。美濃の国・大桑城城主。
*「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「*
どしゃぶりの雨のなか、少年は見知らぬ城下町を歩いていた。まわりに人通りはない
。まるでゴーストタウンのような町のなかを、とくに行くあてもなく少年は歩いていく
。
ー責めやしないから、本当のことをお言いー
ふいに母の声が耳によみがえった。
ーちがう、違う!僕じゃないっー
血を吐くようにして叫んだことさえ虚しく、今自分はここにいる。
馬鹿みたいだ。
急にあの時の自分がおかしくなった。
「ふふっ」
何度話をしたところで通じない相手に自分は何を一生懸命釈明してきたんだろう。
ーいや、通じないんじゃない。
幼い頃から感じていたことが今、はっきりしただけなのだ。
はやい話が、
自分はあいつに家を継がせるのに邪魔だっただけのことなのだ。
父母にとってかけがえのないあいつの。
この事件は父母にとってさぞかし嬉しい出来事だったろう。
そう思った途端。
ぽろぽろと涙があふれた。
くやし涙とも、かなしくて流れる涙とも判別しがたい涙。
ザァザァ降り注ぐ雨を気に留めることも忘れて、明は天を仰いだ。
どんどん身体が冷え込んでくる。
衝動的に国を飛び出してきてから二ヵ月。もう路銀も尽きた。無実とはいえ、人殺し
のレッテルがついている以上、身を寄せるところとてない。
残る道はただひとつ。『死』のみ。
ーどこか、人目につかないところで自害して果てようー
そう、思ったときだった。
「このような雨のなか、傘もささず何をしているのだ」
気がつくと、目の前に男が立っていた。
言葉もない明に男はわずかに眉根をよせると、おもむろに明の腕をとった。
「これでは風邪をひく。見たところ行くあてもない様子。とりあえず私の屋敷においで
になるといい」
有無を言わさず脇に待機させていた輿に明を押し込むと、自分は輿の進み具合と平行し
て歩き始めた。こうなったら、もう言いなりになっているしかない。どちらにしても明
に逆らう気力は残っていなかった。
★
「やっほぉ!宗春ぅ」
屋敷についた途端、いきなりひとりの少年が宗春に飛びついてきた。
「おや、いらしてたんですか。智可さま」
抱き留めながら宗春は尋ねる。
「そう。だって暇で暇で・・あれ?」
言いかけて、初めて智可は明の存在に気がついた。
「客人?」
全身びしょぬれの明を訝しみながら智可は問いかけた。 そんな若君に宗春は微笑して
答える。
「えぇ、そうですよ」
侍女にいざなわれて奥へ姿を消した明を見送りながら智可はもう一度問うた。
「名は何という?」
えっ、と言葉につまった宗春をみて、智可は彼をじろりと睨んだ。
「智可を謀ろうなどと考えているのではなかろうな、宗春」
宗春はわずかに目をみひらいて、つぎに朗らかに笑った。
「信用ないんですねぇ。私は。これでは家臣失格ですね」
「宗春、話、そらさせてなんかやらないよ」
「滅相もない。話をそらすつもりなんてございません」
宗春は微笑しながら続けた。
「あのお人は先程お会いしたばかりで、言われてみればまだ、御名さえ知らないお人な
んですよ」
「普通、会ったばかりの人を自分の屋敷につれてくるか?」
「この雨のなかで途方に暮れていらしたのでね、放っておけなくておつれしたんです」
「ふぅん」
変なところでお人好しなんだから、と智可は宗春から身を離した。
「僕の御守の役もそれくらい優しければいいのに・・」
日頃のやたら厳しい若さま教育を思って、思わずぽつりとつぶやいてから智可はいった
。
「では、私は帰ったほうがいいか?」
「構いませんよ。しかし私は客人を持て成さなければならないので・・」
「私を持て成すことができないっていうんだろ」
「でも、奏子に・・」
「いや、いい。奥方どのに手間はとらせたくない」
「ということは、私なら手間をとらせてもいいってことですか?」
迷惑そうな顔で宗春は問う。
「そうだよ」
答えて智可はくすり、と笑った。
「そう、おまえならいいの」
少女のような繊細な美貌に愛らしい笑みをうかべて智可はいう。
「だっておまえ、はじめて会ったとき『智可さまのおそばちかくに御仕えさせていただ
く』っていっただろ?」
「・・あのときのあなたは冗談じゃないってお顔をなさっていましたがね」
「あのときはあのとき、今は今」
「ずいぶんな理屈ですね」
宗春は苦笑いを浮かべた。
こんな愛らしい顔で言われると、思わずなんでも許したくなってしまう。
この愛敬は武器にもなるな・・。
なんとなく、そう思った。
「まぁ、それはおいといて。そろそろ、客人のとこへ行ってあげなよ。待たせたら可哀
相だ」
「そうですね・・。では失礼します、智可さま。道中お気をつけて」
「道中たって、城とお前の屋敷のあいだに門がたったひとつある程度のものじゃないか
。第一、お前の屋敷は城の敷地内にあるってのにおおげさだよ」
供なんかいらないからね。
かたく宗春に言聞かせて智可は宗春の屋敷をあとにした。
★
雨はあいかわらず降りつづいている。当分は止みそうな気配にない。 濡れた着物を
着替えさせられて、明は中庭に面した一室に通された。宗春はまだ現われない。明はぼ
んやりと庭の方に目をやった。 よく手入れのいきとどいたこじんまりとした中庭であ
る。ほんの少し、心が和むような気がした。
ふと、廊下から足音。
ほどなく、宗春が姿を現した。
「お待たせいたして、申し訳なかった」
人懐っこい笑みをうかべて、宗春は部屋に入ってきた。
はじめて会ったときにみたよりもさらに華奢な感じである。 色白な貴公子風のその
人は、どう見ても二十歳前後にしか思われないのだが、年不相応なほどに落ち着きがあ
った。(後に明は、彼が40を越えていることを知る)
「まずは私から名乗ろう。私の名は神月宗春。天奏の殿と、その二の君様に御仕えして
いる身。あなたの着物には桐の紋が入っていたが、というと加賀の配下の早坂家に縁の
方か?」
「・・はい」
すこしためらいがちに答える。
「あなたの御名は?」
包み込むような宗春の声に、明はつられるように答えた。
「はやさか・・めい・・」
「めい・・。早坂殿の御曹司でしたか」
「・・・・」
明は思わず黙り込んだ。
ー早坂の御曹司は僕じゃない。あいつなんだ・・・。
心のどこかで叫んでいる自分がいる。
一時治まっていた思いの嵐が、再びざわつきはじめた。
ーわかっていたはずなのに。どうして・・。こんなに悲しい思いをするのか。
愛されていない事はとうの昔から感づいていたというのに。
疎まれていることぐらい、物心ついたころから気づいていたというのに。
すべてがはっきりとしただけだというのに、今更なにが悲しいというのだろう。
「明どの・・?」
うつむいた明の姿が何やら悲愴にうつって、宗春は言葉に詰まった。 この様子では家
を飛び出した理由など聞けそうにない。
ー一体、何があったんだろう?
気にはなったが、無理遣り聞き出せるような雰囲気でもない。
迷った末、本人から話してくれるまで待とうということにした。
そこで、宗春は別のことを口にした。
「しばらく私の屋敷にいるといい、明どの。うちには時々あなたと同じくらいの年の若
君も遊びにいらっしゃるし、お話していたりすることで少しは気が晴れると思いますよ
」
「若君って、さっきの・・?」
虚ろな声で問う明に、宗春は大きく頷いた。
「ええ。あの騒々しいお方ですよ」