#2905/3137 空中分解2
★タイトル (RJM ) 93/ 2/23 23:46 (125)
ぶら下がった眼球 第十章 スティール
★内容
第十章 『バベル博士とDOG』
あくる日の朝、私は、EVEとの楽しい食事に浸ってはいたが、ADAMの、あ
の発言や、モーゼルからの情報のことは、忘れてはいなかった。私は、朝一番に、
DOGに命じて、関係のありそうなニュースその他の情報を収集させていた。集まっ
たニュースや資料などをみるかぎりでは、モーゼルの言ったとおり、軍は、バビロ
ン計画の名のもとに、大量に、研究者や技術者を、増員しているようだ。なぜ、バ
ビロン計画ごときに、こんなに、人員を必要とするのか? まったく、わけが分か
らなかった。私は、自分のほうから、大佐に、電話をすることにしたが、敢えて、
この件には触れないことにした。軍のやり口は、いつも、変わらない。おおかた、
ADAM型を、捨てゴマの兵士や、なり手のいない遠隔地の監視要員として、廉価
で、大量生産でもするのだろう。
私は、大佐に電話することにはしたが、あえて、このことには触れないことにし
た。いまは、ADAMの、あの発言のことのほうが、私にとっては、重大であった。
もしも、バビロン計画が失敗したら、バベル博士のような、みじめな汚名を着せら
れるおそれがあったからだ。このやり取りだけでも、十分、大佐とかなり険悪な雰
囲気になりそうな気がした。たとえ、喧嘩になっても、私には、ADAMの開発者
という強みがあったので、私は、いっこうに構わなかった。私は、迷わず、電子電
話を、映像付きモードにした。
交換手の取り次ぎで、数分待たされた後、大佐は、すぐ出てきた。
『いやぁ、すまん、すまん、いま、こっちから、連絡しようと、思っていたところ
だ』
『いえ、昨日のADAMのことで、こっちでも話したいことがあったので』
『そうか、ノアに一人でいるのも、寂しいだろうから、たまに、人に会うのも、い
いだろう』
私は絶句したが、大佐は、それに気付かなかったようだ。
『ヘンリー、さっそくだが、昨日の、ADAMの件を、どう思う?』
『さあ、それは、実際に、ADAMを見ないことには分かりませんな? 軍のほう
でも、もう、検査はしたんでしょう。そっちのほうの結果は、どうなんです?』
『昨夜と、今朝の二回、専門家を呼んで、やりました。それによると、ADAMは、
精神異常ではないようです。彼の、あの、神に対する概念だけが、我々が、唯一、
頭を抱える問題なのです』
『私のデータ入力ミスという可能性は?』
『我々の技術力では、そこまでは、ちょっと・・・。あなたのDOGを、我々に使
わせてくれるのであれば、我々でも、調査できるですが』
小さな画面の中にいる大佐は、私の横に置いてあるアタッシュケースを見ながら、
言った。
『そんな! そんなことをしたら、私のプライバシーや、科学者としての研究機密
は、どうなるんですか!』
大佐の、ぶしつけな要求に、私は、思わず、興奮してしまっていた。DOGを他
人を使わせるというのは、いまの常識では、タブーであった。大佐に、DOGなど
貸したら、EVEのことが、すべて、ばれてしまう危険性があった。DOGは、す
べてを記録し、蓄積しているのだ。
『DOGを、他人に、使わせるなんて、聴いたことがない。過去の判例を見ても、
DOGのプライバシー性は、完全に支持されています!』
『ヘンリー、俺は、そうは思わない。持ち主が、補助のために使うのであれば、D
OGの意味がないと、俺は思う。いまは、非常事態だ。ADAMの、あの発言で、
バビロン計画は、座礁しかかっているんだ』
『DOGには、私の研究成果、食べた物、交信記録、行った場所、金銭の清算、そ
れから、プライベートな、すべての会話、すべての行動だって、記録されているの
です! そんなものを、他人に見せられるわけがないでしょう!』
『ヘンリー、違う。俺が言っているのは、プライベートな部分を除いた、ごくごく
一部の、必要な部分だけのコピーのことだ』
『いや、あなたは、何もわかってはいない。ほんの一握りの部分も、全体の影響で
形成されているんです。人間の脳と、同じようにね。だから、私は、DOGの原理
を応用して、ADAM型のソフトウェアを設計したんだ。それに、ほんの、1パー
セント以下の部分でも、入手できれば、DOGの全体像を推測することも、十分可
能なはずです』
大佐は、画面の中で、腕を組んで、少し、考え込んでいた。
『ヘンリー、君の研究に関する資料は、ほとんど、読んだ。君の学説では【欲を失
うことが、精神の病気につながる。偏執狂も、その変形である】ということだった
な。君には、科学者としての誇りはないのか? 君の創ったADAMは、どういう
原因でかは分からないが、欠陥品じゃないか? ADAMはどうするんだ? 君は、
バビロン計画の成功の立役者として、脚光を浴び、そして、歴史に名を残そうとい
う、名誉欲はないのか?』
心の中で(それは、お前のことだろう)と、呟きながら、私は、言った。
『その点は、否定しない。私の学説は、常に、正しい。そのことは、きっと、歴史
が証明してくれる』
大佐は、思い出したように、言った。
『それに、DOGの開発意図は、自分のために、他人にも、恩恵をもたらすために
あるんじゃないのか?』
私は悪いと思いながらも、嘲笑するかんじで、大佐に言った。
『ばかな! DOGは、バベル博士が造った物だ。その教え子の私が、博士の開発
意図を知らぬと思うのか? 私が、悪い前例を作り、博士の意志に背く真似をする
はずがないだろう!』
どうやら、この言い争いは、私の勝ちのようだ。
『ヘンリー、わかった。負けたよ。じゃあ、君が診察してくれないか? 君の正し
さは、君自身が証明するのが、いいだろう』
私は、電気メールで、返事をすると言って、電子電話を切った。大佐は、策略で、
わざと、くだらない口論をして、負けたのかもしれない。まあ、それでもいい。ど
うせ、最初から、ADAMの診察をするつもりだった。そのために、電話をしたの
だから。それに、できれば、ADAMの、あの消し損ねた記憶を、できれば消して
おきたかった。軍の研究所に、ADAMの記憶に入り込めるだけの技術力があるか
どうかという、疑問はあったが。
大佐にメールを送ってから、私は、地表にむかう準備を始めた。EVEは、私に
『どうしたの?』と聞いた。私が『地表に行く』と言ったら、EVEは不安そうな
顔で『いつ、戻ってくるの?』と、また、私に聞いた。私が『二三日中に戻る』と
言うと、EVEは、泣きそうな顔で、『寂しいから、行かないで』と、私に、言っ
た。
私は、一瞬、戸惑った。私は『すぐ、戻るから』と言って、EVEをなだめたが、
EVEは、なかなか納得せず、泣いた。そして、それから、何時間も、子供のよう
に、ぐずぐずと、ごねた。EVEは、そうすることで、私に甘えているのだろうか
?
結局、私は、自分がいない何日間か、EVEを眠らせることにした。EVEの心
は、まだ、純真で、子供のようだった。私は、EVEが、ずっと、今のままでいれ
ばいいと思った。
私は、EVEを人工睡眠装置に寝かせ、それから、彼女にキスをした。EVEが
寝付くのを見届けてから、私は、人工睡眠装置を作動させた。私は、DOGと人工
睡眠装置とを電話回線で接続した。こうしておけば、EVEの状態を常にチェック
して、どんな事態にも、対処できるはずだった。
こうして、私は、地表へと旅立ったのであった。