#2885/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF ) 93/ 2/19 23:44 (196)
「心中未遂」−エロスの結末/日常への投写− 久作∞
★内容
エロティシズムについては、
それが死にまで至る生の称揚だと言うことができる。
適切に言えば、これは定義ではない。
しかし私はこの言い方が
何よりもよくエロティシズムの意味を伝えていると思う。
(ジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」序章
澁澤龍彦訳・二見書房1973)
・・・・・・果たして、そうであろうか?
一.
「ああ 研二 愛してる はああ 愛してる 愛してる」
恵子は微かな寝息を立てている研二の白く筋張った薄い肩を撫ぜ
ながら、胸に唇を這わせていく。二人は食事も摂らず、もう一昼夜、
肉体を絡ませ合っている。初めてだった。
両親は出掛けている。長い間、募らせ合った想いが臨界点を超え
たのだ。死の暗い淵の底に鈍びやかに仄輝くエロスへと、身を躍ら
せた二人はトメドない合一の欲望と、結果としての小さな死ともい
える意識の空白を、繰り返した。恵子はすべてを包み込むように、
研二はすべてを埋め込むように。
恵子の唇が研二の小さい桃色の乳首に行き着く。白い歯で甘く噛
み付く。研二は肢体をビクリとノケ反らせたかと思うと、目を覚ま
した。
「恵子……」
恵子は少しく体を起こすと、蛇のように研二の肉体の上を這って
いった。研二の頭を抱えて覗き込んだ。まったく同じ横顔が見つめ
合っていた。先に目を閉じたのは弟の研二だった。恵子の顔が近付
いていく。唇が重なり合う。呻きにも似た声を上げながら、二人は
互いの存在を確かめ合うかのように狂おしく肉体をマサぐり合った。
研二と恵子は驚くほど似た双子だった。一卵性双生児らしい。髪
型と最近やや目立ち始めてきた性徴を除けば同一といえた。ともに
一七〇センチのスンナリとした肢体をもつ十八歳。まだ性がドギツ
イ程にはアカラサマにはなっていない。二人が自分に瓜二つの肉体
と絡まり合うサマは、水に写った己と愛撫し合う美しい愚者にも似
て幻想的だった。
晩になって両親が帰ってきた。敏感な母親の嗅覚で、コトは露見
した。母は泣き喚き、父は沈黙した。恵子と研二は両親が寝静まる
のを待ち、睡眠薬とナケナシの金だけを持って家を出た。二人だけ
の世界へ旅立つために。
二.
二人は車で国道五六号を北上した。師走とはいえ深夜にはトラ
ックしか走らない道。宇和島を発って二時間足らずで松山に入っ
た。
「ねえ 研二 海が見たいわ」
松山城の堀端を通っている時、恵子が呟いた。研二は無言のまま
頷いて港への道に乗り換えた。
三津浜を横切り高浜を越え、海岸道路に出る。左手には真っ黒
な海。小さな公園ほどの休憩地点で車を停め、二人は道路から砂
浜に降りた。並んで腰かける。暫く何も言わず波音に耳を傾ける。
「海って不思議だよね」
研二が唐突に口を開いた。恵子は黙ったまま頷く。
「何でも呑み込みそうじゃん
怖いけど ナンカ 優しそうだし……
どうせなら 海で
海で一つになれたら いいね」
「そうね」
恵子も同じコトを考えていたらしく、ウットリと海を眺めながら言
葉少なに応じた。
研二は恵子を抱き寄せると、優しく口づけた。冬とはいえ冷たく
はない瀬戸内の優しい潮風が頬をくすぐり髪を揺らす。単調で控え
目な波音が繰り返している。優しく口づけたが、次第に互いの冷え
た肉体をマサぐる手に力が込められていき、激しく互いの唇を貪り
合っていった。黒い海に立つ波だけが月光に白く輝いては消える。
どちらからともなく砂の上に倒れ込み、転がり合った。やがて生ま
れたままの姿になった二人は、狂ったように愛し合った。死への予
感が二人を燃え立たせた。二人はスデに獣となった。恵子は快楽と
いうよりは衝撃をこそ感じ、研二が激しく動く度に叫び声を上げた。
二時間ほどが経過した。空は寝ボケタように薄白色になっていた。
波音が心臓の鼓動と重なり一つになる。
二人はノロノロと互いの体を離すと、服を着た。頭上の道路では
車が往来を始めている。
「やっと やっと一つに戻れるのね 研二と
お母さんの おなかの中で一つだったアタシと研二
やっと一つになれるのね……
ねえ どうやって死のうか」
座った研二を後ろから包み込みながら、恵子が甘えた声を出す。研
二は冴えた目で波を見つめ考え込んでいたが、やがて明るい顔で振
り向くと二人で死ぬ方法を話しだした。まず睡眠薬を飲む。眠くな
り始めたら波止場で車を走らせる。オウト・クルウジングにセット
しておき眠れば、車はそのまま海に飛び込む。そして海の中で、二
人は本当に一つになる。
三.
恵子は助手席で、まだアドケナさの残る寝顔を見せている。研二
はウツラウツラしながらハンドルにシガミ付いている。もう限界が
近付いていた。早朝の三津浜外港には自転車で毎朝、通ってくる酔
狂な釣人しか見当たらない。箱バンが前方に一台止まっているほか
は、ダダッ広いコンクリイトの地面は殺風景。研二は朦朧とした意
識の中でハンドルを切り海に向かう。
沈みかけた意識の中で視界に赤い影がヨギった。ボンヤリと疑問
符が浮かぶ。箱バンから突然、走り出した子供だった。それと気付
いた瞬間、研二は思い切りブレエキを踏んだ。キッキキイイィィィ。
ガックン。タイヤの悲鳴に続き激しい衝撃が前方から襲い掛かり、
次の瞬間、研二の胸ぐらをひっ掴んでハンドルに引き寄せた。箱バ
ンから聞こえる喚き声を遠くに聞きながら、研二は意識を失った。
「起きましたか どうも 松山北警察署交通課係長の松本です」
警官の制服を着た白髪まじりの温厚そうな五十代が枕元から声を
掛けてきた。小柄で少し太めの体、制服がはち切れそうだ。万年警
部補といった感じ。パイプ・ベッドの白いシイツの上で目を覚まし
た研二は慌てて周りを見回すと、
「……?
けっ恵子っ 恵子はっ 子供はっ」
「事故 覚えていますね 子供が突然飛び出したという証言も
ありますが アナタにも居眠りをしていた過失がある
目下 業務上過失傷害罪ですが 子供が死ねば
過失致死に切り変わります」
警官はサモ慣れた感じで落ち着いて話しかけてくる。研二はベッ
ドの上に跳び起き、警官に向き直った。
「子供は危ないんですかっ どこですかっ
そっ それと恵子 恵子は無事ですかっ」
「子供も同乗者も この病院で手当てを受けています
同乗者の女性はカスリ傷です たいしたコトはありません
子供は腹をバンパアで強く打って骨も何本か折れています
頭は打っていないようですが重体です
あ あなたは意識を失っていただけで異常はなかったようです」
研二は警官に聞いた子供の病室に急いだ。すでに頬に絆創膏を貼
った恵子が呆然と枕元で子供を見下ろしている。母親が子供に取り
すがっている。
「あ あの……」
研二は乾いてネバつく唇を思い切って開いて声を掛けた。母親は
涙でクシャクシャになった顔を振り向けた。研二は武者振り付いて
くるかと身構えた。が、母親は指で涙を拭うと立ち上がり感情を抑
えた声で、
「なにか」
「あ あの…… すみません すみませんっ」
研二は土下座して何度も何度も謝った。そのうち涙がこぼれてき
た。恵子も研二の横に座り一緒に謝った。母親は、
「あ あの 立って下さい ウチの子が飛び出したんだし……」
ようやく研二と恵子が涙に濡れた顔を上げた。
「お おかあ さん いたい い いたい
死にたくない 死にたくないよぉ」
弱々しい声がベッドから聞こえてきた。恵子と研二は顔を見合わ
せ、立ち上がり子供を恐る恐る覗き込んだ。五歳くらいのポッチャ
リした男の子が苦しそうに顔を歪めている。痛むのか額に汗が滲ん
でいる。母親が子供の手を握る。
「大丈夫よ 大丈夫 健は強い子でしょ 大丈夫よ 大丈夫」
優しく強い口調で母親は何度も子供に言い聞かせる。子供は喘ぎ
ながら苦しそうな声を上げる。
「死にたくない ボク 死にたくない 死にたくないよぉ」
「うっ うううっっ うわあああああっっっ」
子供を覗き込んでいた研二が叫び声を上げ崩れ落ちた。額で手を
握り合わせ、身を震わせている。恵子は啜り泣きながら研二の背中
を包み込む。明るい窓の外では強い風に枯れ枝が折れそうにシナっ
ていた。
四.
研二が裁判所から出てくる。弁護士に恵子と二人で深々と頭を下
げ別れた。事故から判決までの四ヵ月、とうとう両親は来なかった。
判決は懲役一年六月執行猶予三年。罪名は子供と恵子に対する業務
上過失傷害。
「おおい」
振り返ると裁判では検察側に座っていた松山北署の松本警部補だ
った。重体事故でもあり複雑な事情があると察した係長の松本が
特例として事故を担当し、研二を自ら取り調べていた。
「お世話になりました」
研二が頭を下げる。
「やっぱり勘当されたか」
「あ え はい」
研二は唇を噛んだ。
「仕方ないな だが二度と馬鹿なコト考えるなよ
心中は殺人なんだからな それにコレがバレてたら
巻き添え事故だから 執行猶予はつかんかったぞ」
「……すみません もお 二度と……」
「解っとりゃエエけど ほれで松山で暮らすんだろ お前ら
宇和島には帰れまい 人の目がネチこい所やけんな
おい 給料はヨオないが 就職なら世話するぞ」
「そ そんな……」
「お願いします」
黙っていた恵子が横からキッパリと言った。
「恵子……」
研二が口ごもる。
「松本さん あたしも働きたいんです
二人で働いて 働いて
……立派に おなかの子を……」
「ええっ なんだってぇ」
「おっ おいっ 恵子っ そ それは……」
松本と研二は驚いて顔を見合わせ、呆然と恵子を見つめた。先に
正気に戻ったのは松本だった。
「ああっはっはっは よっしゃ 二人とも面倒みたろぉ
ほっとったら何しでかすか解らんけんの
犯罪を未然に防ぐんが警察の仕事やからな」
「ありがとうございます」
恵子は松本に頭を下げた。
「しっかりせんかぁ 父親やろがぁ
これから大変やぞぉ ボンヤリしとる暇あるかぁ」
松本がまだ唖然としている研二の肩を揺さぶった。研二の顔が漸
く明るさを取り戻した。温かい風がフウワリとそよぐ。背後の松山
城の城山では桜が今を盛りに咲き誇っている。
(お粗末)