#2879/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 93/ 2/18 22:45 (184)
恋の魔法 4 リーベルG
★内容
4
「腕一本で、世界を征服できそうな気分だよ。実際、香澄を守るためだったら、全
世界を敵に回しても悔いはないな。香澄と一緒だったら、どんな苦労にも耐えられそ
うだ」圭介はグレーチェンに打ち明けた。まだ、気分が高揚している。
大げさなのろけを聞かされた、人ならざる少女は、少し感心したように圭介を見た。
「あたしも少し、あんたを見直したわ。大抵の男は一回寝ると、もう女の子の全て
を所有したような錯覚を持っちゃうのが多いんだけどね。あんたは少なくとも、そん
な愚かさとは無縁ね。多少変わってて、思いこんだら一直線に突き進みすぎるのが、
欠点といえば欠点だけどね」
「え、何か言ったか?」圭介は怪訝そうに聞き返した。グレーチェンの感想など、
半分以上耳を通り抜けて行ってしまっていた。
「あんたが浮気をする心配なんかなさそうだなって言ったのよ」
「浮気!」圭介は憤慨したように怒鳴った。「ぼくが浮気なんかするもんか!生涯
に女性は香澄だけだと、固く心に誓っているんだ」
「はい、はい」グレーチェンは圭介の決意を軽く受け流すと、姉のように言った。
「まあ、これであんたと香澄ちゃんの仲は決定的になったわけよね。彼女の方は浮気
なんかできる性格じゃないし、あんたも同じ。結婚まで、よほどのことがない限り、
あたしの用はないわね」
「結婚かあ」圭介は夢の世界をさまよっているような顔をした。「香澄のウェディ
ングドレスは素敵だろうなあ。いつ、結婚したらいいんだ?」
「それはあんたの自由意志にまかせるわ。まあ、忠告させてもらうなら、彼女が大
学を卒業するまで待つのね。彼女はこの春、受験でしょ。国語と英語の成績がいいか
ら、短大じゃなくて四大の文学部に入学するんじゃないかしら?」
「そうだな。本が好きな娘だからなあ」
「とすると、あと5年ね。その頃、あんたは就職して、3年たってるわ。無駄使い
しなければ、結婚資金くらいはためられるでしょう。足りない分は親にでも借りて」
「5年か」圭介はため息をついた。「長いなあ」
とはいえ、その忠告が理にかなっていることは認めざるを得なかった。
「じゃあ、あたしはしばらく現れないわ。当分、あたしの魔法も必要ないだろうし。
なあに、大丈夫よ」グレーチェンは圭介の顔に浮かんだ不安そうな表情に答えた。「
あたしのかけた魔法は、もうほとんど香澄ちゃんの中で、同化してしまってるわ。あ
たしがいなくなっても、彼女のあんたへの想いは消えたりしないわ。それは保証する
わよ」
「そうか。ありがとう」
「時々、様子を見に来るけど、もし緊急にあたしの力を借りたければ、呼んでちょ
うだい。叫ぶ必要はないわよ。心の中で呼ぶだけでいいの。わかった?」
「わかった。いろいろどうも」
「言っとくけど、のろけなんかで呼ばないでね」グレーチェンは苦笑しながら、言
い聞かせた。「本当に大事な時だけにしてね」
「何だい、話って?」圭介はネクタイをほどきながら、アパートで待っていた香澄
に訊いた。就職してから2カ月、研修が続き、香澄とのデートもままならない毎日が
続いていた。
「ご飯用意しておいたわ」香澄は大学生になっても少しも変わらない、優しい笑顔
を浮かべて、圭介の質問をそらした。もともと、美人とはいえないが、笑顔は天使の
ように可愛らしかった。もっとも、その笑顔を向けられた幸運な男は圭介だけだった
ので、キャンパスのナンパ師たちも、香澄の真の魅力には気が付いていなかった。
「ああ、ありがとう」圭介は、楽なスウェットに着替えると、テーブルに座った。
「香澄の分は?」
「わたしはいいの。お昼が遅かったから。会社はどう?」
「相変わらず研修が続いてるよ。昨日からプログラムの設計技法をやってるんだけ
ど、これがまた…」
圭介は香澄の作った料理をうまそうに食べながら、研修の模様を話した。香澄は、
いつもより口数が少なく、圭介の話に相づちを打っているだけだった。
夕食が終わり、いつものように二人で食器を洗い、それからテレビを見た。
クイズ番組が終わり、コマーシャルになったとき、香澄は何の前置きもなく爆弾を
落とした。
「子供ができたの」
しっかりした、冷静な声だったが、握りしめた両手は震えていた。言い終わると、
香澄は顔を伏せた。圭介の反応が恐ろしかった。香澄は心の中でゆっくりと数を数え
ながら、圭介の言葉を待った。
ひとつ…ふたつ…みっつ…よっつ…
「香澄」圭介の静かな声が香澄の心に届いた。怒りか、困惑か。声だけでは判断で
きない。香澄は、精一杯の勇気を振り絞って顔を上げた。
圭介の顔は歓喜に輝いていた。
「香澄!」圭介は愛する少女を力一杯抱きしめた。「愛してるよ」
香澄の両目から涙があふれた。今まで、圭介からは何度もその言葉を聞いた。いつ
も照れくさそうに、冗談のように、口にされた言葉だった。それでも、香澄はその言
葉を聞く度に喜びに震えたものだ。だが、たった今圭介が言った言葉は、香澄が生ま
れてから今まで耳にした言葉の中で、一番素晴らしい響きをともなって香澄の脳裏に
焼き付いた。
「愛してるわ、圭介さん」香澄は答えた。
「グレーチェン、出てきてくれないか」圭介の言葉が終わらないうちに、成長とい
う単語が存在しない世界の住人のような少女が出現した。相変わらずセーラー服姿と
いうのも、変わらない。
「久しぶりねえ。香澄ちゃんとはうまくいっているようね」グレーチェンはベッド
に座った。「何か用だったの?」
「ちょっと、困ったことになってね」
圭介は事情を話した。グレーチェンは嘆息して言った。
「子供ねえ。それは厄介な問題だわ。ちゃんと避妊してなかったの?」
圭介は赤面した。
「安全日には気をつけてたつもりなんだけど…」
「ばっかねえ。安全日なんて人によっては当てにならないもんなのよ。どうして、
スキンかペッサリーを使わなかったのよ」
「いや、使ってたよ。だけど、たまたま切らしてたときがあって、その…」圭介は
もごもごと口ごもった。グレーチェンは、やってらんないわ、といった顔をした。
「まあ、済んだことは仕方がないわね。それでどうしたいのよ」
「どうしたらいいと思う?」圭介は気弱に訊いた。
「結婚するには早すぎるわねえ。彼女の両親には会ったの?」
「まあ、2、3度はね。一応、香澄が4年になったら、正式に結婚の申込をしよう
と思ってたんだけど」
「今、大学を中退してでも結婚したいなんていったら、驚くでしょうし、子供がで
きたからなんて言ったら、もっと驚くでしょうね。あんたに対する評価も5ランクぐ
らいは下がるわ、きっと。となると内緒で中絶するしかないわね」
圭介は悲しそうな顔をした。
「仕方がないでしょう?あんたの不注意が原因なのよ。彼女を愛してるんでしょ」
グレーチェンは少し怒ったように言った。圭介は力強く頷いた。
「それで?あんたから、中絶を勧める?」グレーチェンの言葉に圭介はぶるぶると
首を横に振った。
「そんなことしたら、何てひどい男だと思われるじゃないか。なあ、何とか香澄の
方からそれを言い出させてくれないかな」
「しょうがないわねえ。でも、まあ、それが一番いいでしょうね、この際。OK。
彼女が中絶を言い出したら、あんたは結婚を口にして反対するのよ。一旦、香澄ちゃ
んもその考えに傾くけど、最後には中絶を決意するから」
「助かった」圭介は大げさに手を合わせた。「感謝するよ」
「まあ、乗りかかった船だしね」グレーチェンは空中に一歩踏み出そうとして、振
り返った。「そうだ」
「何だい?」圭介はいぶかしげに訊いた。
「ちゃんとスキンは予備をストックしておくのよ」
グレーチェンは消え失せた。
「…それでね、岸沼さんか言ったの」香澄は楽しそうに話した。「一度、わたしに
絵のモデルになってもらいたいって」
「モデルね」圭介は気のなさそうな返事をした。
「絵画部はほとんど、岸沼さんでもってるようなものなのよ。今度の学祭で、展示
されるのだって、岸沼さんの絵が半分以上なんだって。油絵でも、水彩画でも何でも
上手いし、彫刻もやってるのよ」
香澄が単に芸術家に対する尊敬の念から、賞賛の言葉を並べているのは明らかだっ
たから、圭介は嫉妬したりはしなかった。ただ、その岸沼という、香澄の大学の先輩
が、香澄をモデルにしたいと言ったことだけは気にかかった。数カ月だけ、母親だっ
た経験は、香澄の潜んでいた美しさを顕在化させていた。モデルにかこつけて、何か
いやらしいことを…。
「ねえ、どうしたの?」香澄が不思議そうに訊いた。圭介は慌てて、微笑んだ。
「いや、何でもない。それより、今日はどうする?」暗に泊まっていくか、と訊い
たのだが、香澄は首を振った。
「明日レポート提出なの。それに」香澄は恥ずかしそうに続けた。「危険日なの」
香澄が帰った後、圭介は自分のパソコンから、香澄の大学のホストコンピュータに
アクセスした。香澄には話していなかったが、圭介の会社は、この大学のコンピュー
タシステムの開発を行っていて、圭介もその一環に参加していた。そのため、開発用
のパスワードによって、24時間いつでもアクセスできるのである。
まず、学生マスタにアクセスし、岸沼という名前を検索する。2人いた。一人は、
女だった。男の方は、岸沼隆一という名前だった。これが、香澄の先輩に違いない。
圭介は、さらに検索を続け、岸沼隆一に関する情報を探っていった。もっとも、大学
の所有している情報では、本人の表面的な情報しかわからない。圭介が知りたかった
のは、出身高校だった。
出身高校を知ると、大学のコンピュータとのアクセスを切り、次に電話帳でその高
校の番号を調べた。もちろん、これは一般回線であり、コンピュータのモデムに接続
されている番号は電話帳などにはのっていない。だが、この専門学校は情報処理科が
設置されており、しかも開校したのはほんの数年前である。二つの電話番号が近い可
能性はある。圭介は、コンピュータに連続的に電話をかけさせた。生徒の成績処理や
情報管理にコンピュータを使っている可能性に賭けたのである。単純にパソコンか何
かで、それを行っているかもしれない。だが、圭介はこの専門学校がIBMのワーク
ステーションを購入した事を知っていた。
専門学校のコンピュータに接続するまで、圭介のパソコンは40分を要した。企業
や大学に比べれば、このコンピュータのセキュリティはお粗末なものだった。圭介は
易々とシステムに入り込んだ。
30分後、圭介は欲しい情報を全て、パソコンのハードディスクにダウンロードし、
接続を切っていた。それから、ゆっくりとそれを読み始めた。
岸沼は総合芸術科だったが、成績は確かに優秀だった。だが、何故か2度も停学処
分を受けている。圭介は眉をひそめて、理由を探した。それは、生活指導担当の教師
のファイルにあった。
「ひどい奴なんだ、こいつは!」圭介はグレーチェンにディスプレイの情報を示し
た。「2回も女の子を妊娠させて、中絶させているんだ。とんでもない奴だ!」
「あんただって、香澄ちゃんに同じことをしたじゃないの」グレーチェンは冷静に
指摘した。圭介は一瞬、詰まったがすぐに言いつのった。
「でも、こいつはその都度、違う女の子なんだぞ。ぼくは、香澄を愛してるんだ。
だけど、こいつはやるだけやって捨ててる。しかも、父親が代議士だもんだから、学
校側も公にしたり、退学にしたりしていない。何て奴だ!」圭介は繰り返した。
「どうしろってのよ」うんざりしたように、グレーチェンは言った。
「こいつは、香澄に目をつけたんだぞ!」圭介は悲鳴のような声を浴びせた。「黙
って見ているわけにはいかない」
「心配しなくっても、香澄ちゃんは、見かけの100倍くらいはしっかりしてるわ
よ。こんな男に引っかかったりしないわ」
「香澄はそうでも、この男の方が目をつけたら同じじゃないか。うっかりモデルに
応じたりしたら、コーヒーに睡眠薬でも入れられて、服を脱がされて…」圭介は頭を
抱えた。「ああ、考えたくもない!」
「想像力過多ね。心配する気持ちはわかるけど」グレーチェンは諦めたように呟い
た。「じゃあ、その男を何とかすればいいわけね」
「2度と、香澄の目の前に姿を現さないようにしてくれ」圭介は荒々しくいった。
「恋人というよりも、まるで父親みたいね」グレーチェンは圭介に聞こえぬように
嘆いた。「どこで、教育を間違えたのかしら」
「何を、ぶつぶつ言ってるんだ」
「気にしないで」グレーチェンは首を振って、立ち上がった。「3日以内に、何と
かするわ」
2日後、圭介は、暴力団幹部の情婦に手を出した学生が、半殺しの目にあわされた
上に、頭髪を全部剃られ、両手の指を残らず折られて、大学の正門に縛り付けられて
いるところを発見されたという話を耳にした。マスコミで顔写真や、氏名が流れるこ
とはなかったが、香澄を含めた大学の関係者は、もちろん被害者が誰なのか知ってい
た。岸沼隆一は翌日、退学届を出し、2度と姿を現さなかった。