#2210/3137 空中分解2
★タイトル (FJM ) 92/10/ 1 23: 8 ( 76)
「邪狩教団」第3章(1) リーベルG
★内容
3
玲子はS−村に足を踏みいれた。村にとっては半日ぶりの客である。
血の匂いはもの凄かった。死体は腐敗が進行しており、その臭気も耐え難い。しかし
玲子はそれらに混じって、別の瘴気がかすかに漂っているのを見逃さなかった。むろん
<従者>の瘴気である。もっとも化学的な意味での匂いではないので、普通の人間なら
ば気付くことはないだろう。もっとも玲子は「世の中には知らない方が幸福なこともあ
る」という考えの信奉者だったので、喜んだりはしなかった。
そろそろ陽が傾きかけている。闇の中で<従者>の活動は活発になる。玲子としては
なろうことなら、太陽の進行を止めてしまいたいくらいだった。しかも、朝を待つわけ
にはいかない。このような状況を作ったのが米軍ならば、何だってその後始末を平凡な
女子大生がしなくてはならないのだろう、と玲子は嘆いた。
タイラント長官には相手にされなかったが、玲子は自分の推理があながち的外れでは
ないのではないかと考えている。
すなわち、旧ソビエト連邦−現CISの研究所で、おそらく<従者>の1匹が研究さ
れていた。無知な軍人が新種の生物兵器開発くらいのレベルで考えていたのだろう。む
ろんジュネーブ協定に違反しているのは承知の上で。発覚しても云い抜けようはある。
<旧支配者>や<従者>のことなど協定のどこにも記述されていないのだから。
アメリカ合衆国の方はもう少し事態を真剣にとらえていた。<従者>の被害を最も顕
著に被っているのはこの大国だからである。当然、最高機密になっているに違いないが
指導者達は実際に<旧支配者>と<従者>の恐怖が絵空事でないことを知っている。も
し最大の敵国が、愚かにもその恐怖を兵器に応用しようなどと画策しているのを知った
なら、世論の非難を浴びる危険を冒してまで特殊部隊を送り込んだことは理解できる。
うっかり何かの拍子に、<旧支配者>を長い眠りから醒ましてしまうような結果になっ
てはたまらない。
ところが、米軍の特殊部隊は研究所を完全に破壊炎上させるだけにしておけばよいも
のを、研究素材を持ち帰るという愚行を冒した。そのうえ、いかに冷戦が終了したから
といって、堂々と輸送機を飛ばすわけにもいかず、迎えの艦隊を動かすわけにもいかな
い。そこで危険なヘリの低空飛行でレーダーを避け、秘かに横田基地あたりに着陸しよ
うとしていたのだろう。
北海道へのヘリの墜落が純粋な事故だったのか、途中で<従者>が暴れだしでもした
のかは不明であるが、公然と救援を求めることはできなかった。おそらく暗号で横田基
地に座標を送信しただけだったのだろう。それに応じて、万が一に備えて待機していた
SEAL部隊が北海道へ送り込まれた。
しかし彼らにしても、1つの村の住人が全員虐殺されるような事態は予想していなか
ったに違いない。どんな理由があろうと、この悲劇のおとしまえだけはつけさせねばな
るまい。玲子はそう決心した。
この考えが正しいなら、逃げだした<従者>は被害者に過ぎない。正体はまだ明らか
ではないが<従者>の大半は人間を食らう。そのような<従者>が飢餓状態にあり憎悪
に猛り狂っていたら、S−村の住人達は不幸だったとしかいいようがない。だからとい
って玲子は<従者>を気の毒だ、などとはこれっぽっちも感じないが。
もし、その<従者>がいまだにさまよい歩いているのなら、これ以上犠牲が出ないう
ちに速やかに地上から抹殺しなくてはならない。もっともSEAL部隊が性懲りもなく
<従者>を捕獲しようなどと甘い考えを持っているのなら、そんな奴らを助けるために
積極的に命を賭けようとは思わない。
玲子は立ち止まった。タイラントに見せられたスチールに写っていた光景が現実のそ
れとして眼前に展開されていたのである。
磔にされた少女は無惨な陵辱の跡を残していた。切り裂かれ、食いちぎられた全身よ
りも、ほとんど無傷な顔に浮かんだ恐怖の表情が玲子の心に突き刺さった。玲子は死の
瞬間、少女が正気を失っていたことを祈った。もしも少女が自分に加えられた陵辱のひ
とつひとつをはっきりと認識しながら死に至らしめられたならば、これほど残酷なこと
はない。
玲子は邪狩教団の戦士であり、多くの<従者>と戦い勝利してきた。しかし、人間に
はどんなに経験を積んでも慣れることのできない種類の事が必ずあり、それあればこそ
単なる戦闘マシンとならずに優秀な戦士たりえる。タイラント長官は<旧支配者>の復
活や<従者>のもくろみを阻むためなら、平然と味方を犠牲にするだけの冷酷さを有し
ているが、玲子がこうした人並の弱点をさらけ出すのをとがめたことはなかった。
玲子は吐き気をこらえながら、死体を調べた。意識を再び解放する。
少女の脳は完全に活動を停止していた。神経細胞間に閃く微かな電荷すら完全に沈黙
している。これほど時間が経過していては仕方がない。玲子は死体を解剖しているよう
な憂鬱さに陥りながら、残った情報の断片を探してシナプスを走査したが無駄だった。
続いて網膜に意識を向けた。死の瞬間の光景が焼き付いていれば重要な手がかりとな
る。が、そう簡単にはいかなかった。少女の死は一瞬ではなく、少しずつ緩慢に訪れた
らしく、網膜に残存している映像はネガを何十枚も重ねたような無意味な残像となって
いたのである。
玲子は呼吸を整えた。少女の冷たい額に片手を軽くあてる。そのまま、ゆっくりとプ
ラーナを発し、少女の網膜を分析を開始した。
玲子は世界最高のニューロコンピュータでも遠く及ばない正確さで、ネガを1枚ずつ
分離していった。閉じたまぶたを通して、少女の断末魔の恐怖が浮かんだ顔を見つめな
がら。全神経の極度の集中を要する作業である。
闇がその支配権を確立しつつあった。空気が冷えはじめ、微かな風が梢を鳴らした。
月が輝きを増しつつ、次第に空の高みめざして登攀を開始した。大地の熱はゆっくりと
確実に奪われていった。しかし、玲子の額にはうっすらと汗が浮かび、全身から霊気が
ゆらゆらとたちのぼっていた。