AWC 「べん吉」のこと           浮雲


        
#2190/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ     )  92/ 9/25   5:59  (124)
「べん吉」のこと           浮雲
★内容
   *
 べん吉のはなしをする。

 ぼくは、小学校に入学したその日に、おもらしをした。それも、大の方をだ。
 なぜそんな失敗をしでかしたのか。何もかも、便所のせいだ。
 ぼくたち一年生の便所は、校舎の外にあった。豆電球がついているだけの便所
はうす暗く、ぼくは、みんなと一緒に入口から中をのぞき込んだが、どうしても
中に入ることが出来なかった。
 女の子たちは、数人ずつグル−プをつくり、きゃあきゃあ言いながらも、用を
足していたが、みんなが出て行ったあとの、十以上も並んだ便所の戸は、どれを
開けても、中に何かいそうでならなかった。
 その日の朝、よほど緊張していたのか、いつもなら朝一番に出るはずの大便が
どうしても出なかった。そのせいもあってか、うすぐらい便所にひっそり並んで
いる戸を思い出すと、なぜか便意を催してきて、分刻みでがまんの限界に近づい
ていくのがよく分かった。
 インキ臭い新しい教科書が配られ、中年の女の教師が何か説明してくれたが、
ぼくは、それどころではなかった。
 ひどくつらい思いをした覚えはない。ただ、もらした瞬間、とても気持ちが良
かったこと、しばらく動けなかったことだけは忘れられない。まわりの連中には
なぜか気付かれなかった。ぼくの住んでいた町は、当時は、どこへ行っても年か
ら年中、そんな臭いがするので、みんな慣れっこになっていたのかも知れない。
 お尻とパンツの間に、それをしっかりとはさんだまま、家まで歩いた帰り道で
のことは、よく覚えていない。家でどんなことがあったのかも、少しも思い出せ
ない。

   *
 べん吉は、トイレの便器に住み着いている。そして、自分のお気に入りのお尻
を見つけては、ペロリ、となめる。いや、手で撫でまわすのかも知れない。
 べん吉は、あちこちに住み着いているらしいが、かれらはみんなべん吉と呼ば
れている。たいていは、団地に住み着いている。
 べん吉のお気に入りのお尻は、小学生のお尻である。どうやってそれを見分け
るかというと、実にかんたんだ。
 トイレに入ってきた人が、便器にお尻をのっけたときのその重さで、それが分
かるという寸法だ。
 ここだけのはなしだが、自分の家の便器にべん吉が住み着いているかどうかを
、確かめる方法がある。
 べん吉は、お調子者だ。誰かがトイレに入ると、必ずあいさつをする。トイレ
のドアを開けたとたん、「きひっ」という笑い声のようなものが聞こえたら、そ
れがべん吉だ。
 べん吉は、くさいのが好きだ。
 だれかがトイレを使ったあとすぐに入ったとき、それはそれはがまんができな
いほどくさかったら、べん吉がいると思って間違いない。

   *
 べん吉にいたずらされるのが嫌なら、便器に座らないことだ。でも、そんなわ
けにはいかないから、家の人に頼んで和式の便器にしてもらったらいい。それが
無理なら、便座に座らずに、和式のように足を乗せてまたがって用を足すしかな
い。やってみればわかるが、そうかんたんなことではない。だいいち、人に見ら
れたらなんと思われることか。ぼくは、あまり勧めたくない。
 いつだったか、ぼくの知合いが、わけ知り顔に、便所は、あそこは家の中でい
ちばん居心地がいいね、どんなに寒い日だって長いこと尻をまくっていられるし
、真夏にク−ラ−なしで平気でいられるのは便所ぐらいなものだよ、などと言っ
ていたが、まに受けるはなしなどではない。彼は、いいやつだと思うが、ときど
き、いかがわしい話を持ち込む。このあいだも、こんなことがあった。
 彼の嫁さんに、30を過ぎてもまだ転々と水商売のようなことばかりしている
弟がいるが、そいつが、結婚したいが彼女の父親がそれはそれは古い人で、いま
の仕事のことなど口が裂けても言えない。そこで、これを期に、堅気の商売をや
りたいが何かいい仕事はないだろうか、そんな相談を彼のところに持ち込んでき
た。日頃から可愛がっている義弟のことだ、そうだなあ、なんにしても水商売は
いけない、固い仕事に限る、固い仕事だよ、と強く念を押したところ、義弟も考
えるところがあるらしく、勇気づけられた様子で帰っていった。
 しばらくして、義弟が満面に喜色を浮かべながら、飛んでやってきた。義兄さ
ん、おかげでいい仕事が見つかりました、と畳に手をついた。
 そこまで話したところで、彼はぼくに聞いた。義弟の見つけてきたという仕事
がなんだったか、きみには分かるかい。ぼくは、そうだね、お固いといったら役
所か銀行かな、そんな返事をした。
 ははは、とんでもない、ほら、他にあるだろう、うんと固い仕事がさ。と彼は
笑った。ぼくは、いい加減面倒になったので、もう降参だよ、教えろよ、と頼み
込んだ。彼は、いきなり顔をしかめると、こう答えた。
「それがね、**なんだとさ」(答は、おしまいにあります)

   *
 外国の小説だったと思う。
 女性の脚の美しさに囚われた中年の男の話だ。ある日、いつものよう駅の階段
をのぼっていたときのことだった。ふと顔をあげたとたん、女性の脚が目に飛び
込んできた。若い娘の乳房を思わせるふくらはぎが、足首に向けて一気に鋭い曲
線を描いて走っている様は、快楽そのものをなぞっていた。男は、その場にぐず
ぐずと倒れこんだのを覚えていない。鋭い快感が全身をかけ巡ったと思うまもな
く、どろりとしたもので下着を汚していた。
 何日かして、男はすべてを捨て、靴磨きになっていた。あの脚を探すのにそれ
は自然のように思われた。
 男は、とうとうそれを見つける。だが、それは終わりの始まりでもあった。わ
れわれにはとっては、だが。
 男は、なんとしてもその脚を「自分だけのもの」にしたかった。手段は一つし
かなかった。彼は、脚を手に入れる。
 しかし、その美しさを永遠に保つためにアルコ−ル漬けにしたにもかかわらず
、それは見る間に、想像もつかない醜い姿に変わり果ててしまった。
 男は、一晩泣き明かしたあと、脚から腐った肉をそぎ落とし、それを残らず口
に入れた。焼いて食ったのか、ニンニクをすりつぶしたソ−スをつくり、それを
かけて食ったのか、どちらだったかよく覚えていない。たしか、骨は砕いて粉々
にし、ス−プに混ぜて飲んだ、とあった筈だ。
 男はふたたび、毎日を女性の脚と同じ高さに視線を置く生活に、戻った。憧れ
の脚は永遠に戻らない。しかし、それに似た脚があるに違いない。なんとしても
それを探しだすのだ。それからの彼の毎日は、どうしたら憧れの脚の美しさを永
遠に保つことができるか、どのようにしたらその脚といつも一緒に生きることが
できるか、そのことに占められた。
 男が、最後の結論にたどりつくまで、彼が手にし、頬ずりし、そして腐らせた
脚は十指に余っていた。
 はっきりとは覚えていないが、その小説の最後はこんなふうだったと思う。
 男は、意思を持たない、ただの靴になった。女性の脚に踏みつけられる靴に・
・・。

   *
 ぼくは、ときどきべん吉のことが心配になることがある。水を流したとき、一
緒に流されてしまいはしないだろうかと考えると、必死に便器にしがみついてい
るべん吉の姿が浮かんで、それがとてもいじらしく思えてならない。
 あるいはまた、べん吉は、いったい何を食べて生きているんだろう、そんなこ
とを考えることがある。まさか人間の排拙物の匂いを食事がわりにしているので
はあるまい、などと思いながらも、一方で、匂いだけで、しかもあんなにくさい
もので生きているとしたらすごいことだ、そうも思う。
 もっと心配なのは、子どもが減っていることだ。べん吉の多くが団地に住み着
いているは、子どもが多いからだ。それなのに、その子どもの姿が団地からも消
えつつある。

 べん吉は、ぼくの家にはいない。ぼくの家の便所には、べん吉は、いない。

                        − おわり −

    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    答 それは、「石屋(石材業)」でした。


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