AWC ママ・テレビ 5 NINO


        
#1701/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE     )  89/ 7/21  18:13  ( 48)
ママ・テレビ  5     NINO
★内容



 春樹は駅員に止められ、切符を買うように言われた。春樹は海へ行くにはどうすれ
ばいいか尋ね、ここからだとE駅が一番近いと聞き、そこまでの切符を買った。
 テレビィを抱えながら、春樹はホームをさまよい、目的の駅に行く列車に乗る場所
を探した。ホームを掃除しながら歩いていた駅員を見つけ、尋ねた。
 E駅についたころは、深夜ちかく、降りた人間は皆、葉っぱのような形の板を抱え
た人ばかりだった。駅を出ても海は見えず、春樹は板をもった連中の行く方へついて
行った。車が激しく往来する道にかかった歩道に上ると、海が見えた。春樹は潮の匂
いを初めて感じてから、なにかを確信した。
 砂浜は道路の周りに立っている店の明りで明るかった。春樹は道路に上がり、人の
いない、暗い側に歩いた。波の音は人の騒ぐ声と車の風切り音でよく聞こえなかった
が、暗い海に、白い波頭はよく見えた。縞柄の寝間着では寒すぎた。テレビィを抱え
ている手が、冷たく、痛くなった。
 一つ小山の間を越すと、人のいない砂浜になった。その辺りは、村ともいえないほ
どの小さな漁村のようで、ぼろぼろの小舟が二そう、同じ様にぼろぼろの小屋の脇に
置いてあった。雲が濃く、星はなかった。ひしゃげた笠をかけた電球の明りが、腐り
かけた木の船を照らしていた。
 春樹は船にテレビィを載せ、砂の上を押した。びくとも動かず、汗を拭き、また押
し、諦めかけ、汗を拭き、また押した。少し動き、また動かなくなり、また動いた。
砂が傾斜しているところまで押すのに、酷く時間がかかり、春樹の筋肉は震え始めて
いた。
 でもやり遂げなければいけない。春樹は思った。

 ようやく舟を漕ぎ出したとき、黒く、暗かった世界は、青くなっていた。春樹は漕
ぎ方を経験的におぼえた。酷く不格好で、能率は悪かったが、舟は進んだ。岸が遠く
になったとき、春樹はテレビィのスイッチを入れた。
「《母さん》。聞こえるかい」
 春樹の指は動かなかった。
「僕は自分で生きるよ。もう《母さん》はいらない」
 波は穏やかだったが、春樹が立ち上がると舟は酷く揺れた。春樹はテレビィを持ち
上げ、覗きこむようにして、言った。
「“母さん”を忘れる訳じゃない。ただ、あんたはいらないんだ。もういらないんだ」
 春樹はテレビィを放り投げ、顔から水を被った。これでいい、僕はこれでいい。そ
う思った。
「僕はこれから、働き、生きていく。僕がそうするからには、総てを取り戻さなけれ
ばならない。海音寺と、ミドリと、幸せな家庭。僕が生きていく場所は、空想なんか
じゃない。総て具体的で、地道な生活だ。そのために、長くかかることは構わない。
ちっぽけな生活は、もう、いい」

 ずぶ濡れの服が乾くころ、春樹は岸につき、日の昇るのを見た。砂浜にミドリが立
っていた。ミドリは駆け寄って、春樹に抱きついた。火照った春樹の体にミドリの体
は冷たかった。疲れた腕でミドリを抱き、ミドリが泣いているのを肌に感じた。
 二人は見つめあい、笑った。


          おわり




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