AWC ママ・テレビ 3 NINO


        
#1693/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (HYE     )  89/ 7/18   0:52  (147)
ママ・テレビ  3     NINO
★内容



 春樹とミドリの二人は駅の近くのアパートに部屋を借りた。二人で住むには小さな部
屋で、ミドリの家具のほとんどを売り払わねばならなかった。ミドリは国道沿いのコン
ビニエンス・ストアに勤め始めた。春樹の方は、屋敷から無理矢理切り離してもってき
た、《母さん》を懸命に直していた。
「御飯食べなさいよ。せっかく作りに帰っていてるんだから」
「いらない」
「その内死ぬわよ」
「いらないっていってんだ」
 ミドリは台所においたテーブルで一人で昼食を済ませ、再び勤め先に向かった。春樹
はミドリが出ていくことも気に止めず、部屋にひとり残って、テレビィの裏に挿入する
ボードを作っていた。
 ミドリはペダルを踏みながら、春樹のことを考えた。何が彼の心を抑えつけているの
だろう。春樹の行動を一つ一つ思いだし、それがなにかのサインではないかと考えてみ
る。母親、義母、暴力的な父親。春樹はその人々に一度も、自分のして欲しいことをし
てもらったことがないのではないか。
 たまに、春樹はテレビィのスイッチを入れ、何も映し出さないそれに話しかけた。彼
は、痩せこけてきてはいたが、異常とも思える執着心が炎となって、身体から溢れだし
ているようだった。彼の頭を満たすものは、《母さん》の屋敷に依存しない新しい回路
図と、それに対応するソフトの設計のことしかなかった。
 ミドリは何度も春樹のその行動を戒めたが、聞き入れる様子がないために、半分諦め
かけていた。
『いい加減にそれ捨てなさい』
『いやだ』
『あんたがそうしないなら、私がぶっ壊してやる』
『やめろ。この鬼女。お前も智子の手下だな』
『なによ。智子って』
 ここ四日は春樹の状態は酷くなっていて、二人の会話はその程度しかなかった。毎晩
二人はこのテレビィのことでもめ、掴み合い、叩きあっていた。春樹は一晩中、半田ご
てを離さないためにミドリは寝不足気味だった。
 自転車をこぎながらミドリは気持ち悪くなり、嘔吐した。それはなにか悪い予感をも
たらした。こんな貧乏状態で生んでしまったら可哀想なのは子供のほうだ。春樹は働く
ことを知らなかったし、働けるような心の状態ではない。仕事を持ったとしても、それ
が長続きするはずもなく、生活の負担はすべてミドリが背負わなければならないだろ
う。ミドリはそう考えた。
 次の日ミドリは仕事を休み、病院にいくことにした。春樹にはそのことは言わなかっ
た。春樹に相談事を持ちかけることは、更に事を悪化させるだけだった。春樹は相変わ
らず、マイクロ・チップを買いにいったり、基板をおこしたり、キイを叩いていた。給
料が入る前だったために金がないことに加え、春樹がそんな調子なため、診察代を払う
ために電車賃をうかせねばならなかった。ミドリは自転車を使い、4キロの道程を走っ
た。
 産婦人科の前にくると少しためらったが、はっきりさせねばいけないことなのだ、と
決意し、入った。

「奥さん。おめでとうございます」
「よかったですね」
 ミドリは笑った。目の前の看護婦と医師の笑いにつられたわけではなく、かといって
心の底からの笑いでもなかった。ミドリは自分の女としての肉体が喜んでいるのだと思
った。
 ミドリは病院をでると無性に何か食べたかった。妊娠したことの確認によって、自分
が変わってしまったことを感じていた。帰る途中、残りの金をすべてはたいて買い物を
した。二人半という買い物の容量が、篭に重く、そしてペダルに重くかかった。
 自転車をしまい何も入らないポストを確かめた。ドアを開けようとしたとき、中から
声がした。春樹の声ではない。聞きおぼえのある、機械の声だった。
「おまえ、籍はいれたのかい」
「いれてない」
「こんなことになるとは、母さん思わなかったよ」
「《母さん》が嫌というなら、別れたっていい」
「さあ。私はお前が幸せならいいよ」
「《母さん》はぼくが幸せだと思う?」
 ミドリはそこでドアを開け、叫ぶように言った。
「やめて」
 ミドリを向いた春樹の目には、二人で暮らし始めてから見たことがないほど光りが見
えた。ミドリは怖かった。ミドリではなく、この機械に生きがいを見つけている、この
青白い少年に恐怖した。海音寺が生きていたころにも、こんな目をしたことはなかった
このテレビィに映される、ガタガタした直線で描かれた中年女性の顔が彼を生かしてい
ると思うと、たまらない気がした。
 春樹はミドリに言った。
「なにをやめるんだい」
「いいえ。なんにもやめることはないわ」
 ミドリはそう言い、ドアの横において合った買い物袋を取って部屋に入った。買って
きたものを丁寧に冷蔵庫に入れていきながら、ミドリは考える。私は幸せかしら、春樹
はこの状態を幸せだと感じているのかしら。春樹がその答えを《母さん》という機械を
使って、言いそうになるのを自分で止めたくせに、私何考えてるのかしら。
「《母さん》 何か食べないかい。ずっと食べてなかったんだろ」
「そうだね。なにか美味しいもの食べたいね」
「ねえ。何か食べるもの作ってくれない?」
 春樹はテレビィを台所のテーブルに運びながら、そう言った。冷蔵庫にしまっておい
た、食べ残しの炒めものをテーブルに出し、ミドリは言った。
「今作るから、取り敢えずこれでも食べてて」
「母さん、御飯も食べたいんだけど、あるかねぇ」
 テレビィはそう言う。つまり、春樹が。
「なあ、《母さん》がそう言うんだけど、御飯ない?」
「固くなってるかもしれないけど。あるわよ」
 エプロンをかけながら、ミドリは子供のことを話さなければならないと思った。おろ
すか、生むか。子供ができたといって、春樹が働くだろうか。正式に籍を入れて欲しい
と頼んで、そうするだろうか。ミドリにはその光景が目に浮かぶようだった。春樹の本
心である《母さん》と、優柔不断な春樹と、自分自身。実在の人物は二人しかいないの
に、何故か会話は三人で行われるという不思議。
 豚肉を切りながら、ミドリは春樹がたてる音を聞いていた。ミドリは思う。私とのと
二人での生活は、春樹に大きな負担なのだ。海音寺の屋敷にいたころ春樹にかかってい
た海音寺という大きな負担と同様に。
 カチカチという箸の音に加えて何か妙な音が聞こえて、ミドリは振り返った。
「な……」
「どうしたんだ。包丁持ったまま」
「何やってるのよ」
「なにやってる? だって」
 春樹は笑った。屈託のない、純粋な笑顔。まるで赤ん坊の様に笑っていた。ミドリは
不意に「……ダイヤモンド」という言葉が浮かんだが、何処かで聞いたことのある表現
だと思った。確か、それは……「狂ったダイヤモンド」だ。まるで、その言葉の意味が
そんなダイヤの光りを知ってしまったような気がした。
「自分のやっていることが分からない? この気違い!」
「《母さん》に食べさせてやってるだけじゃないか」
「おねがい……」
 めまい。吐き気。
「私に食べさせたくないんだね。私も機械だもの。生きてる人の言うことには従わなきゃね。春樹、もういいから私の口を拭いておくれ」
 気が狂ったピエロ。馬鹿げた腹話術。孤独なソリティア……。なんでもいい。この男
を正常な、常識的な、真面目な生活へ、具体的な生活へ引き戻す手段はないのだろうか
この目の前の、ディスプレイに着いた食べかすを拭っている男の歪んだ心を、正す方法
はないのだろうか。ミドリはお腹が痛むのを感じた。
 割が合わない。こんな仕事を押し付けるなんて。いや、気軽に億の仕事を引き受けて
しまった私のせいだ。ミドリは台所でうずくまりながら、死にたい、と思った。

 その晩、春樹はアパートに引っ越してから初めて、ミドリを抱いた。カメラを向け、
テレビィにそれを映しながら、性交した。《母さん》と会話しながら、ミドリを抱いた
ミドリは全く感じなかった。異物が押し込まれるような痛みだけを感じた。金のために
自分を宇宙に放り投げながら、体だけはここにある。そんな感覚だけが、ミドリを救っ
ていた。ここにいるのは、わたし、じゃない。
 軽くて、不快な疲労感がミドリを眠らせず、彼女はそのまま起きていた。暗い空を駅
前のさまざまな光りが白く濁らせ、星が見えにくかった。ちっぽけに区切られた空に、
月を探したが、何処にもなかった。彼女はふとんを抜けだし、外に出た。
 寝間着に夜の風邪は寒く、ミドリは突然季節を感じた。巡っていく季節を感じなくなってから、この先の人生がどれだけ長いものなのか、考えた。
 国道沿いに川に向かって歩くと、次第に光りは少なくなって、星が見え始めた。いき
かう車の量も今日にかぎって少ないようで、ペタペタという自分の足音だけ、はっきり
聞こえる。I川の土手につくとミドリは座って星を見上げた。そして、月を探した。
 対岸が小さい森になっていて辺りは暗く、星はたくさん見えるのに月がなかった。新
月だ。ミドリは思い、それを学校で教わったことに感謝をした。もし教わっていなかっ
たら、私はいつまでも月を探していたろう。そしてこう叫んだろう。『月が無くなった
もう夜はすべて暗いままだ。いつまでもそうだ。』
 寒さに足を引き寄せ、ミドリは膝を抱えた。ふと足に手をやると、裸足なのに気付い
た。ずっと裸足だったんだ。彼女はびっくりしたが、すぐにそのことを忘れた。星が綺
麗。それなら、別にどうだっていい。足が痛もうが、冷たくなろうが。
 そうやってしばらくを過ごし、ミドリはアパートに帰った。春樹は起きていた。電気
は消えていた。テレビィはついていた。春樹は二人がセックスしているところを再生し
て見ていた。春樹の《お母さん》がその中の小さな窓にいた。
『春樹。お前、上手になったんだねぇ』
「《母さん》に誉められて、うれしいよ」
 ミドリはそのやり取りを気にする余裕はなかった。ミドリは思った。足が痛い。ひり
ひりする。春樹の気が違っていたって、テレビィが《お母さん》だって、どうでもいい
擦れた足が痛い。それなら、別にどうだっていい。


          つづく




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