AWC お題>聞いて極楽見て地獄       ううたん


        
#1674/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (AMF     )  89/ 7/ 6   2:26  ( 35)
お題>聞いて極楽見て地獄       ううたん
★内容
 してみると、世の中には、たいそうご立派な、しかしながら全くもっていい加減
な成語が溢れていることですよ。得た静寂が永遠の物だと悟ったとき、果たして誰
が「百聞は一見にしかず」なんて言葉を口にできるだろうか。ぼくは腹立たしくな
って叫んでみた。咽喉から息が抜けている。手ごたえというか、喉ごたえというか、
そういう物が感じられなくて、穴のあいたゴム鞠のように、息が抜けてしまうよう
だ。瞬間、ぼくは重大な真実に気がついた、そう、「百聞は一見にしかず」という
フレーズは、「百見は一聞にしかず」と言い替えたとしても、完全にシノニムとし
て、成り立つのではないかということだ。矛盾しているようだが、全くそんなこと
はない。例えば、例えばの話、バロック音楽の味わい、あの安らぎを誰が僕に、
「見せる」ことで説明できるというのだ?
 はじめの一か月ほどの間(僕にはそう感じられた)は何も起こらなかった。とい
うより、何も気づかなかっただけかもしれない。
 思考が視覚化されていた。変な話だが物を考えるのに、頭の中に声がしなくなっ
ていた。代わりに、文字が見える。ワープロをたたく間、ディスプレイを眺めてい
るかのように。自分の声が聞こえずに、文字が見える。
 その、事実にはじめて気がついたとき、僕は驚き、戸惑い、せめて頭蓋骨の中だ
けにでも、自分の声を取り戻そうと試みた。文字をながめ、黙読と視読と精読の違
いを思いだそうとして、ページをめくり文字を眺める。ありがたいことに僕は、つ
いこの間まで音を聴いていたのだから。生来、音を聴いたことがない人とは条件が
違うのだ。有利なのだから。文字を眺め、黙読とは何だったのか、ということ、
音読の、音量無限小としての黙読。ただ眺めることと、そこにどういう差があった
のかを必死に思い出そうとする。
  しかし、やっとのことで掴みかけた音の残像は、子供の頃、瞼の裏に映っていた
幾つもの秋の赤い太陽のように、まっすぐに見つめようとすれば逃げて行く。僕は
この音の残像を生涯掴み続けていたかった。だが、そこにある音の影を真剣に聞こ
うとすればするほど、それはなぜか僕を避けるように逃げていった。
 やがて幻は揺らぎ、ふやけて、湿っぽい僕の視界ならぬ聴界から消えた。
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 そんな僕の頭の中にじりじりと鳴る目覚ましの音が響いたとき、それがどんなに
素晴らしいことであったか想像できますか? 僕はあの音の中に至福の時を見いだ
して、いつまでもその音に包まれていたいと思ったのでした。涙さえ浮かべながら、
いつまでも・・・・・
 それは大学の入学試験の朝でした。時計を見た途端、僕は真っ青になり・・
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  結局、僕は一年を棒に振ったのでした。




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