AWC  礼文島の夏 KEKE


        
#1669/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (UYD     )  89/ 7/ 3  10:51  (186)
 礼文島の夏 KEKE
★内容
 北海道の北の端の街、稚内からフェリーに乗って三、四時間程行くと礼文
島の香深という港に着く。
 この話は、その香深の、礼文ユースホステルからはじまる。

 わたし達はユースのミーティングルームでおしゃべりをしていた。
その女性が部屋に入ってきたのに気がついたのは、わたしが最初だったかも
しれない。なにか光り輝くようなものが入ってきたような気がして、顔をあ
げると、彼女がいた。
 素晴らしい美貌の女性だった。正直言って、これほどの美人をまじかに見
たのは、生まれて初めてと言ってもいいかもしれない。
 まず眼が印象的だった。黒く濡れたように輝いていて、この眼だけで人に
強い印象をあたえることができるだろう。すらっと高い鼻。やや皮肉っぽい
微笑を浮かべた口。天使が描いたかと思うような顔の輪郭。
そして肩まで届くチリチリにちぢらせた長い髪。あれはカーリーヘアと言う
んだろうか。

 みんなも同じく強い印象を受けたらしいのは、部屋が急に静かになったこ
とでわかる。ややあって、また話は続けられたが、みんなの関心がその女性
に集中していることは明らかだった。

ユースのスタッフと宿泊手続きをしている彼女の姿を、わたしもまたチラチ
ラ眺めていた。あまりの美しさにため息がでそうだった。

彼女を女優にたとえてみると、さて誰だろうか。若い頃の松阪慶子をぐっと
知的にした感じか。ただ、顔全体に現れている、なんとも皮肉っぽい生意気
そうな感じはゴクミこと、後藤久美子だろうか。もっとも、顔立ちはゴクミ
より派手な感じだったと思う。

 それからのユースでの生活がとたんに楽しくなったのは、言うまでもない
だろう。

 不思議なことに彼女はいつも一人だった。回りにだれも男がいないのだ。
それに反して、特にどうということのない顔の女の子の方には、男がまとわ
りついていた。
 当時のわたしには、そのあたりの心理がよく分かっていなかった。
今ならばハッキリわかる。彼女は美しすぎるのだ。そのため、男から敬遠さ
れてしまうのだ。へたに近寄ったら「フン」と言われそうな感じがするし、
なにより彼女の美しさに較べて、自分がいかにも見すぼらしく思えて、自信
をなくし、近寄れないのだ。
 そのくせ彼女はみなの視線を一身にあびていた。そのことは彼女自身よく
分かっていたはずだ。

 当時のわたしはまだ二十台の前半だった。生意気ざかりの男だった。
 ひょうきんだったので、けっこう女の子には人気があったと思う。
 どんな女の子でも良い、一時間しゃべらしてくれれば、かならず落として
みせると濠語していた。しかし実際は言う程のことはなく、いつも女の子に
飢えていた。

 そんなわたしが、一人でいる彼女を見て「かわいそうだ」と思って近づい
て行ったのだから、これほど勘違いの例もめずらしかろう。
女性心理を、というより人間の心理というものに、まるで無知だったと言う
しかないことだった。
 ところが二人は、たちまち意気投合してしまったのだから、世の中おもし
ろい。彼女も案外一人でさびしかったのかもしれない。
 一週間程もたつうちに、いつのまにかキスをかわすような仲になっていた
。

 彼女を連れて外出するのは、とても楽しく、そしてわたしの虚栄心を満足
させた。
なにしろ向こうからくる男という男が、彼女をみるや口をポカンと開け、目
を見開き、通りすぎるまでただボーゼンと見送っているのだから。

 傍らにいる、このむくむくした美しいもの。
むくむくした?
そう、彼女はとても綺麗だったが、お世辞にも「可愛らしい」という感じで
表現されうる女性ではなかった。
 まず、とてつもなくしつらつな皮肉をよく言った。それはわたしに対して
も容赦しないきついものだった。「皮肉屋」で通っているわたしでさえ、し
ばしばヘドモドさせられた。

 そして彼女は体格がよかった。百六十八センチの上背があるうえ、やや太
りぎみだった。しかしこれはグラマーといった方がよかったろう。

「わたし背が高いもん」
と彼女が言ったことがある。
「ぼくの背といっしょだね」
わたしも彼女と同じ百六十八センチだった。
「背の高いの嫌い?」
「そんな事ないよ。ぼくは昔から、どういう訳か背の高い子と縁があるんだ
よ。ちっとも気にすることないさ。それにさ・・・」
「それに・・・ 」
「オードリー・ヘップバーンているだろ。ローマの休日なんかにでてた。あ
のひとの身長どれくらいあるか知ってる?」
「さあ、どれくらいかしら」
「このくらい」
とわたしは彼女の頭の上に手をかざした。
「なんと百七十七センチだとさ」
「うそッ!」
彼女は首を振った。
「本当さ。ぼくだって、それを知ったときは信じられなかったね。あの可愛
らしいのが、ぼくより十センチも背が高いなんて。ヒールのある靴を履かれ
たら、真上から見下ろされてしまうぜ。」
「本当かしら」
「本当だよ。ほら、映画で男優の顔あたりに彼女の頭がきてるだろ。いくら
ハイヒール履いているからって百五十や百六十センチでは、相手の胸くらい
しかいかないよ。なにせあっちの男優は皆二メートル近い大男ばかりなんだ
から。」
「フフフッ、そうするとあたしなんか、まだたいしたことないわけか」
「そういうこと。だいたい日本でこそ君くらいだと背が高いと言われるけれ
ど、一歩日本をでてごらん。ヨーロッパやアメリカに行けば、君ぐらいのは
ごろごろいるよ。あちらじゃ普通サイズだ。」
「フーン、そういうもんかしら」
「だからさ、これからは、あたしは日本サイズではなく、国際標準サイズで
す、って言ってればいいんだよ」

彼女とそんな会話をかわしたことを思いだす。


礼文島にいたのは、わたしが二週間あまり、彼女が一週間ほどだった。
二人は一緒に東京に帰ることになった。

 稚内について、あたりをぶらぶらしていたら日がくれてきた。
歩き回っているうちに、その種のホテルの前にでた。
「どうしよう」
わたしは気弱く、ちいさな声でつぶやいた。
「今夜はここに泊まる?」
「・・・・・」
「ぼくはどっちでもいいんだよ・・・」
そしたら彼女はわたしの手をグッと握って言った。
「男ははっきりしなくちゃ駄目よ」
そしてそのまま手を引いて宿のなかに入っていった。


 わたしたちはその後、汽車を乗り継ぎ苫小牧にいき、そこから「苫小牧発
仙台行きフェリー」に乗りこんだ。
「東京に帰ったら、もうこんなこと無しよ」
彼女がそう言い出したのは、荷物の整理もつき、一息ついてコーヒーを飲ん
でいた時だった。
「まさか、一度抱いたからって、この女はもう自分のものだ、なんて思って
追っ掛けまわすような人じゃないわね、あなたは」
「そ、そりゃ、そんなことないけど」
わたしはむせて、コーヒーを吹きこぼしそうになった。
「でも、なぜって、聞いていい?」
「それはね、私にはもう婚約者がいるからよ」
「婚約者?それじゃなぜ・・・」
「フフフ、わたしたちのような者はね、そんなこと気にしないの。彼のほう
だって適当によろしくやっているんだから、かまやしないのよ。」
「その彼ってのは・・」
「気になる。彼はね・・・」
 それから彼女は、名前を言えば誰でも知っている、ある大企業の名をつげ
た。そこの会長の孫だという。
「そうすると玉のこし、というわけか」
「玉のこし?フフフ、向こうの方が玉のこしよ」
「そんな金持ちの家なの、君の家は」
「まあね」
「ふーん」
「なに考えているのよ」
「べつに」
「分かるわよ」

 そのころはまだ「逆玉(逆玉のこし)」という言葉はなかった。だがおお
よそ、そんな感じのことをちょっと考えたことは事実だ。
わたしはあわてて話題を変えた。

 仙台からは新幹線に乗換て東京に帰ってきた。

「あれ頑張ってね」
「あれって」
「本のことよ。三十歳になったら、本を書きたいって言ってたじゃないの」
「そううまくはいかないよ。簡単なことじゃないんだから」
「フフフ、私の事をどんな風に書くのかしら」
「むかし・・・」
「むかし?」
「むかし、へんな女にひっかかった」
「こらっ」
彼女はわたしをぶつ真似をした。
「なんとか賞も取ってね」
「なんとか賞?ああ、あれか」
わたしはニヤリと笑った。
「植木賞のこと?」
「そうそう、それよ」
「それなら、取れると思うよ」
「すごい自信ね」
「そうでもないさ。君ほどじゃない」

「これでお別れね」
「そのようだ」
わたしは彼女の唇のはしにキスをした。
「あの・・」と彼女。
「なに」
「握手」
彼女は手を差し出して、そう言った。
「握手」
二人は手を握り合った。
そして、それから二人は右と左に別れた。





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