#3564/3602 ◇フレッシュボイス2
★タイトル (AZA ) 25/07/25 17:46 ( 60)
超人訃報で超獣刺殺を思い出す 永山
★内容
米国のプロレスラーのハルク・ホーガンが死去。七十一歳。合掌。
アメリカ人だけどプロレスで成功する基盤となったのは、間違いなく日本で学んだこ
とと言えましょう。フロリダでヒロ・マツダのコーチを受ける中、足を骨折させらるも
あきらめることなくトレーニングに耐えて、デビュー。この時点ではボディビルで付け
た筋肉頼みで、レスリングはいまいち。それでもパワー系のマッチョマンを好むWWF
のプッシュを受けて、プロレスファンに知られるようになり、一九八〇年五月に初来
日。猪木率いる新日本プロレスへ参加。フォールやギブアップ負けなしの好待遇を受
け、同年十月に早くも再来日、猪木の保持するNWFヘビーに挑戦するもフォール負
け。これが日本での初フォール負けであり、同時に、猪木との一騎打ちで唯一喫したフ
ォール負けでもある(クリーンな敗北は他にギブアップ負けが一度あるだけ)。続く年
末のタッグリーグにはスタン・ハンセンとのコンビで出場し、準優勝というこれまた好
遇を受ける。
これだけ新日本によくしてもらいながら、翌一九八一年の十月、対抗勢力のジャイア
ント馬場率いる全日本プロレスから誘いを受けて、一旦は全日本に出場が発表される。
が、その契約書をホーガンは新日本とのギャラ交渉に使い、見事(?)ギャラアップに
成功。全日本参加は幻に終わる。この事態を受けて、若手時代からホーガンの相談に乗
っていたテリー・ファンク(全日本の常連人気レスラー)がホーガンの宿泊するホテル
に乗り込み、部屋でぶん殴ったという噂あり(テリー本人は否定)。この件のせいで、
私のホーガンに対するイメージはあんまりよくない。
加えて、この数年後、ホーガンが新日本に来た折り、来日前の試合について問われ、
「南アフリカでテリー・ファンクとやったぜ。もちろん俺が勝った」みたいなコメント
をし、同時期、全日本に参加していたテリーが「引き分けだったろうが!」と激怒、実
際のところは、当地のプロレス興行の都合もあって、ホーガンが勝ったらしいのです
が、試合後に両者は会って「もし日本でこの試合について聞かれたら、引き分けだった
と答えることにしよう」と合意したそうな。互いにライバル団体の人気レスラー同士、
日本から遠く離れた地での勝敗が影響を及ぼさないようにするのはプロレス業界の決ま
り事みたいなものらしいです。その決まり事を破ったという意味で、ホーガンに対する
イメージはまた一段悪くなってしまった。(^^;
その決まり事に関連して思い起こしたのが、ブルーザー・ブロディ刺殺事件。ブロデ
ィが一九八八年の夏、遠征先のプエルトリコにて同じレスラーのホセ・ゴンザレスに刺
されて死亡した件も、上述の決まり事が遠因になっていると一部で報じられました。
というのもブロディは元々、招かれてオーストリアに遠征し、当地のエースであるオ
ットー・ワンツのタイトルに挑むスケジュールが組まれていた。それをキャンセルし、
馴染みのあるプエルトリコ遠征に切り替えたのは、オーストリアの興行を取材しに日本
からプロレスマスコミが来ると知ったから(らしい)。
日本の記者の一番の目当ては、当時海外修行中だった船木の試合でしたが、日本で人
気のあるブロディが出場するメインも当然、詳しく報じるつもりだったでしょう。これ
をブロディが嫌った。
恐らくですが、ブロディはワンツにクリーンなフォール負けを喫する契約を結んでお
り、変更できなかった。でも日本ではいまいちなワンツに負けたことが日本に報じられ
るのは我慢ならない。実力で言えば多分ブロディの方が上なので、試合を壊すことも可
能だったでしょうが、当時のブロディは一旦飛び出した全日本に再び参加できるように
なり、馬場の言うことをよく聞き、非常にいい扱いを受けていた。揉め事を起こすなと
釘を刺されていたかもしれません。それは全日本以外のマットにおいても同様で、好き
勝手に暴れる訳にはいかなかった。困ったブロディは試合自体をキャンセルすることを
選択した……。
結果論で言えば、プエルトリコマットであれば揉め事を起こさないでいられるかとい
うと、そうではなかった。プロモーターサイドの幹部の一人であるゴンザレスに対し
て、傲慢な態度を取り続けたために恨みを買い、刺されたと言われています。
話をホーガンに戻しますと、ホーガンは日本のプロレスに長期参戦することで、様々
な学びを得たはず。猪木からは日本流の魅せる戦い、スタン・ハンセンから外国人レス
ラーとしての心構えを教わり、遙かに小柄なブラック・タイガーにはヨーロッパ流レス
リングの手ほどきを受けていたとか。
レスリングの実力や喧嘩では仲間内から評価が低いにもかかわらず、何でも吸収しよ
うという素直さ、裏を返せば貪欲さが、ホーガンをアメリカンプロレスのアイコンに押
し上げたといって過言じゃないでしょう、多分。(^^;
ではでは。