#1165/1165 ●連載 *** コメント #1164 ***
★タイトル (sab ) 26/01/11 14:08 ( 63)
「ナショナリズム的誘拐事件」5
★内容
システムといえば、誠は、
自分が知らない間にアッシー君になっている場合がやたらと多い、
という事実を思い出さずにはいられなかった。
誰かに「送っていってあげようよ」と頼まれた瞬間には、反射的に嫌悪感が走る。
人を乗せる、時間を奪われる、責任を背負わされる。
そういう生身の関係が、誠はどうにも苦手だった。
ところが一度、車に乗り込み、エンジンをかけ、
カーナビの起動画面が青白く点灯した瞬間から、事情は一変する。
住所を入力し、ルートが計算され、予想到着時刻が表示されると、
その行為はもはや「人を送る」ではなく、
「システムを完走させる」ことにすり替わる。
そうなった途端、誠の中で、奇妙な熱がめらめらと立ち上がるのだった。
その夜もそうだった。サルササークルの顔役で、月に一度、
新宿のクラブ・ライオンでレギュラーDJを務めている
djサミー(本名寒川。山口馬木也似のイケメン)と
djデラルス(オルケスタ・デ・ラ・ルスのカルロス菅野似)のイベントが
終わった後のことだ。
クラブ・ライオンは、靖国通りから一本入った雑居ビルの地下にあり、
階段を下りるにつれて湿った低音が腹に響いてくる。
フロアにはミラーボールが回り、紫と赤の照明が入り混じり、
汗と香水とアルコールの匂いが渦を巻いていた。
サルサというよりも、もはや人間そのものが回転しているような夜だった。
ラテン音楽特有の過剰な陽気さが、踊る者の体温を一様に引き上げ、
終電間際だというのに、誰一人として帰る気配を見せていなかった。
イベントの終わり際、同級生の保坂(村上春樹似)ーー痩せていて、
無表情で、どこか作家然とした雰囲気の男だーーが、
誠のところにやって来て、軽い調子で言った。
「春日部のペルー人の女の子が二人いるんだけどさ、送って行ってあげようよ」。
誠は即座に顔をしかめ、「冗談じゃねえ」と吐き捨てるように言った。
新宿から春日部。距離もあるし、何より、知らない女を乗せるという状況そのものが、
誠の神経を逆なでした。
ところが、クラブを出て、路上に停めてあった家のfjクルーザーに乗り込み、
エアコンを入れ、何となくナビの画面を立ち上げてしまった瞬間から、
歯車が噛み合い始める。住所を聞き、指でタップし、地図が引き伸ばされ、
首都高と一般道の選択肢が表示される。その一連の操作の中で、誠の中の拒否感は、
いつの間にか使命感に置き換わっていた。結局、ペルー人の女二人を後部座席に乗せ、
夜の首都高を北へ走った。カーステからは、
まだクラブの余韻のようなサルサが流れていた。
後日、その話を聞いた知り合いの駒込に、
「おめー、野郎のアッシー君もやっているのかよ」と笑われた時、
誠は反論する気にもならなかった。自分でも分かっていたのだ。
自分は、人に頼まれるから動くのではない。システムに触れてしまうから、
動いてしまうのだ、と。
その癖は、家の中でも同じだった。父、母、下の姉と暮らしていた実家で、
最近の話だが、母親から「お歳暮、二十件分、とらやオンラインで送っておいて」
と言われた時も、最初は心底うんざりした。住所録を整理し、商品を選び、
支払いを済ませる。その一つ一つが面倒に思えた。だが、パソコンを立ち上げ、
とらやオンラインのページを開き、myページにログインした途端、
誠の目は変わった。送り先一覧が整然と並び、過去の購入履歴が即座に呼び出され、
同じ操作を反復できる構造が見えた瞬間、胸の奥で、
システムオタクの炎が音を立てて燃え上がった。
気がつけば、二十件分の発送手続きを、一気に終わらせていた。
だが、完全なシステムは存在しない。
送り状に反映されない電話番号という瑕疵にぶつかり、誠は仕方なく、
とらやオンラインのコールセンターに電話をかけた。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、はっきりしたズーズー弁の女の声だった。
丁寧ではあるが、どこか生々しい、人間そのものの対応。
その瞬間、誠は強烈な白けを感じた。
ああ、違う。自分が欲しいのは、こういう声ではない。
感情も訛りも介在しない、無機質で、完結した回路なのだ、と。
電話を切った後、誠は画面に残る注文完了の文字をしばらく見つめていた。
自分は、人に使われているのではない。システムに使われているのだ。
(なんでそうなるんだろう)と自分でも不思議に思った。