#461/1158 ●連載
★タイトル (AZA ) 05/11/20 02:11 (200)
対決の場 42 永山
★内容
(駅前の定食屋を出てから、ずっとだ……)
遠山竜虎は、つけてくる男に気付いていた。ノーネクタイではあるが、それ
以外はスーツ姿のきちんとした身なり。平日の午後、町をぶらついていなけれ
ば、営業中のサラリーマンに見えなくもない。だが、鋭い目つきと発する気配
は、一般の勤め人のそれと異なる。
相手もつかず離れずの距離を保っているとは言え、恐らく隠れるつもりはな
く、堂々としたものだ。遠山の前方に鏡の類があっても、注意を払うことなく、
映り込んでくる。むしろ、尾行を気付かせ、威嚇している気配さえあった。
(そろそろ、お話をしといた方がよさそうだな)
裏道に差し掛かる直前に、足を止めた遠山。そうしたのは、尾行者と顔を合
わせるためばかりでなく、初めて辿る道順がこれで正しいのかどうか、確かめ
る意味もあった。
「道を尋ねたいんですがね」
十メートルばかり後方の男に振り返り、声を掛けた。近付きながら、「あな
た、この辺の地理に詳しいようだから」と続ける。
相手は慣れた調子で、「やっとだな」と呟いた。ちらちらと観察する限り、
遠山には若く見えていた尾行者だが、声の質からすると中年のようだ。
「遠山さん。道をお尋ねのことだが、どちらへ?」
「知ってるんじゃないのか」
「麻宮レミのところへ行くというのであれば、看過できない」
「やっぱり、とうにご承知だったか。立ち塞がってでも、足止めする? それ
とも職務質問のついでに、近くの交番にでも連れて行くか?」
「そこまではしたくないし、現状ではできない。行くというのなら、無理に止
めはしない。ついて行くまでだ」
「えっと? こういう場合、敬語を使う必要はないのかな。元とは言え、階級
は俺が上だと思うけれど。でも、年齢はそちらが上か」
「一般の扱いと、何ら変わりはない」
「それにしては、言葉遣いが固いねえ。まあいい。誰から漏れたんだ、俺が今
日、麻宮さんに会いに行くと」
「答える義務はない。自分は命令を受け、動いているだけだから、最低限の事
情しか把握していない」
「一人のようだけれど、警察も人員不足か。それとも急な事態に、対応も急な
ものになったか」
遠山は、相手の肩の向こうに広がる、道路の遠方を見通す素振りをした。
相手の男――刑事は首を振ると、邪魔臭そうに答えた。
「一応、無罪放免となったあなたを尾行するのに、一人で充分ということだ」
「無罪放免というのであれば、一刻も早く、自由にしてもらいたい。尾行され
る理由も、こうして質問される理由もない」
「話し掛けてきたのは、あなたの方ではないか。それに、ヂエの事件と関係あ
ろうがあるまいが、これからあなたが麻宮レミと会って、何をするつもりなの
か、関心を持たざるを得ない」
「麻宮さんが最後の犠牲者になるとでも考えたか?」
「……その線も無論、頭にある。それに、最後とは限らない」
「ふっ、それもそうだな」
笑いそうになる遠山だが、口元を緩めるだけで抑えた。そうして、相手の顔
を改めて見つめる。
「名前を聞こうじゃないか。初対面とは言え、元は同じ組織の先輩後輩のよし
みで」
「橋本尚彦(はしもとなおひこ)」
ぶっきらぼうに答える。と同時に、警察手帳も提示してきた。目の前の男は
間違いなく橋本尚彦であり、刑事であった。
「別に、よしみ云々だから答えたのではなく、求められれば提示の義務がある
ので答えた」
「橋本さん、気に入った。ついてくるというのなら、歓迎する。見届け人がい
るのも悪くない」
「見、届け……?」
初めて困惑を浮かべた橋本。渋面を作り、煙を払うかのごとく、大きく頭を
振った。
「訳の分からんことを。ともかく、今の言葉は同行を許可したと見なして、か
まわないんだな」
「ああ。麻宮邸の門や玄関を、並んでくぐろうじゃないか」
「向こうに事前連絡はしているのか?」
「在宅してることは確かめたがね」
まともには答えず、遠山は再び歩き始めた。
「多分、道は合っていると思う」
雅浪島での事件後、麻宮レミの営んでいた画廊は閉じられ、それに伴い、宿
の方も閉鎖となった。面城薫が死亡したこと、その後釜に据えるような画家が
見つからなかったこと、そして何よりも島全体が惨劇の舞台になったことが原
因である。当然ながら、麻宮自身も島を離れた。島の建物は、事件が未解決と
あって、取り壊されずにいる。
麻宮レミは実家には戻らず、独り暮らしを始めた。しばらくの間、蓄えを切
り崩していたようだが、警察の捜査が一段落した(つまり、遠山犯人説が大詰
めを迎えていた)頃合に、会社を興す。名を「ギャップ」と言い、美術・芸術
に携わる有望な若手を数名抱え、個々の売り込みを支援したり、コンサート等
のイベントの総合演出を手掛けたりすることを主な事業とした。芸術家のプロ
ダクション事務所のようなものである。
「起ち上げから日が浅く、まだ成否を問う段階じゃないが、君の交渉能力が高
いのか、仕事はどんどん入っているらしいね。概ね好評といった感じで、いず
れメーカーの新商品発表会や、企業メセナへの提言などにもチャレンジしたい
……と語っていた記事を読んだ」
遠山は指に挟んだ雑誌の切り抜きを振り、笑みを作ってみせた。
自ら飲み物を運んできた麻宮レミは、お盆をテーブルに置くと、不意の客二
人の前に、お茶を差し出した。
「それは誉め言葉?」
「経済や経営のことは、僕には分からない。ただ、がんばってるなあと感心し
ているんだよ。元々は、雅浪島まで会いに行くつもりだったんだ。それが、こ
んなことになっているなんて思いも寄らなかった。事件からあまり経っていな
いのに」
「立ち直りが早いのよ。遠山君こそ、災難だったわね。でも、こうして刑事さ
んと一緒に訪問するぐらいだから、復職間近ということかしら」
麻宮に目を向けられた橋本は、幾ばくか遅れて首を横に振った。
「そのような意味はありません。はっきり申しておくと、事件の方は未解決で、
遠山元警部への容疑が完全に晴れた訳でもありません。言うなれば、私は監視
ないしは護衛の役目で……」
「本当にはっきり言ってくれる」
遠山は大げさに嘆息した。麻宮は軽く微笑し、テーブルから離れると、窓際
のデスクに着いた。自宅なのだから社長室ということではなかろうが、この個
室でも仕事ができる環境は整っているようだ。
「それでは、この訪問は、どちらの意志なんです?」
「僕だ」
軽く挙手。遠山は内心、彼女の前だとどうしても昔を思い出してしまうなと
感じていた。一人称も「僕」が圧倒的に多くなる。近野のような旧友がそばに
いれば、「俺」で通せるのに。
「時間を取りそうなんだが、本当に今日は暇なのかい?」
「一度動き出してしまえばね。企画を立てるときと、完成間近を除いたら、割
と自由は利くわ。もちろん、暇さえあれば新しい仕事を取るために、したいこ
とはあるけれど。遠山君が訪ねて来たんじゃ、優先するしかないじゃない」
「感激だね。本題に入る前に聞いておきたいんだが、君の会社に、絵描きはい
ないのかな?」
「いるわよ。イラストレーターを含めれば、片手では足りないくらい」
「じゃあ、面城薫の代わりになる逸材は、見つからなかったのか」
「……どういう意味?」
「雅浪島を放置しているようだからさ。代わりがいたら、再開するもんじゃな
いかと思って」
「あそこは、警察の方から手つかずにしておいてくれと頼まれたので、応じた
だけよ」
彼女の答を受け、遠山は隣の橋本を見た。
「ちょっと聞きたいんだが、島の建物の保管要請は、強制的に?」
「強制ではなく、飽くまでお願いという形だったと聞いている。そうでしたよ
ね、麻宮さん?」
「ええ。仮にお断りして、急いで再開しても、客足が戻るとは思えませんでし
たし。ただ、放っておくのも無駄なので、一年以内に手を打ちます。再開とな
るか、別の利用方法になるかは未定ですが」
遠山は「なるほど」と、納得の意を表してから続けた。
「ところで、面城薫の経歴を調べてみたら、昔は写実的な絵ばかり描いていた
んだな。意外だったよ」
「論旨が見えないけれども、画風の劇的な変化は、決して珍しいことではない
わよ」
「君が学生のときに描いた絵を見たことあるが、今の面城の絵はむしろ、そっ
ちに似ていた気がする」
「そうだとしたら、当然ね。私好みの絵を描く人を探したら、それが面城君だ
ったのだから。私が描いた絵と似通っていても、不思議じゃない。本題って、
こんなこと?」
「いや……」
唇をなめた遠山。まさしく、ここからが本題、本番だ。
「雅浪島の、と言うよりも、ヂエの事件を色々と考える内に、疑問が次から次
に浮かんできてね。長くなるが、静聴を願いたい」
近野との会話から生まれた推理の披露を始める。麻宮の顔色を窺いつつ、橋
本の反応を楽しみつつ。
「――現時点で話せるのは、ここまで。ほとんど口を差し挟まずに聞いてくれ
て、感謝する。さて、どうだろうか」
遠山は聞き手二人を見渡した。特に、麻宮への凝視に時間を掛ける。
だが、返事は橋本からあった。
「一個人の意見としては、最初は妄言かと馬鹿にしていたが、一応、調べてみ
る値打ちはあるんじゃないか……と」
「ぜひとも、お願いしたい。少なくとも、八坂や角達と面城とのつながりを調
べれば、何か出て来るに違いないと踏んでいる。通話記録や金の動き辺りだ」
「彼女の関与は?」
麻宮の方を親指で示しつつ、橋本が訝しげに言う。遠山は即答した。
「僕は僕の容疑を完全に払拭できればいい。麻宮さんにまで捜査が及ぶかどう
かは、別問題と思っている。ただ、麻宮さんの協力なしでは、面城にアリバイ
は作れないからな」
遠山は再度、射竦めるような視線を麻宮に送る。しかし、彼女は平気で受け
流す風でしかない。そして、やおら、立ち上がったかと思うと、足早にテーブ
ルに接近し、お茶を片付け始めた。
「驚いたわ」
片付ける音に紛れて、苦笑混じりの呟きが聞こえる。
「真相を言い当てられたことに、かい?」
遠山は、さして期待せずに尋ねた。案の定、相手からの返事は肩すかしに類
するものだった。
「子供の頃の言葉を覚えてくれていたのには、驚いた」
首を水平方向に振ってそう答えると、麻宮はお盆ごとカップを持って行った。
程なくして戻って来ると、今度は遠山の正面に位置する席に収まった。
「もう一つ驚いたのは、刑事だったにしては、遠山君のやり方が甘いってこと。
得意げに語った推理が当たっていたとしても、段取りが逆でしょう。先に警察
に話して、私を逮捕できるだけの事実確認なり証拠固めなりを済ませてから、
ここに来るべきじゃなくて?」
「生憎、信用をなくしたものでね。取り合ってくれる可能性は、ほぼゼロだろ
う。この橋本刑事みたいに、向こうから僕をつけ回してくれる人になら、聞い
てもらえた訳だがね」
橋本が何か言いたげに腰を浮かしたが、話の流れを切ってはよくないと感じ
取ったのだろう、またどすんと座り直した。口元をむずむずさせ、遠山をじろ
りと見やってくる。
遠山は気付かないふりをし、麻宮へ話し続けた。
「島の建物だって、本音は早く取り壊したいんじゃないか? どこにどんな証
拠が残っているか、分からないものな。科学捜査の技術は、日々進歩している。
サスペンスドラマだけを見て、対策を立てたつもりなら、落とし穴にはまる」
「人の皮膚に着いた指紋でも採取できる場合があるとか、血液型から人種まで
分かるとか、微細繊維の付着で被害者と容疑者の接触の有無を判定するとか?
外国では、証言が嘘か否かを、脳の反応で絶対確実に見破る方法が実用化され
るかもしれないんですってね」
麻宮の捲くし立てる口吻とその内容に、遠山は一瞬、圧倒された。事実なの
かどうか、彼自身も知らないことが含まれてもいた。
「勉強しているようだ」
虚勢を張るが、相手は微笑とともに首を振った。
「優れた推理小説やミステリドラマを見ていれば、これくらいは自然に頭に入
ってくるものよ。私がミステリ好きなのは、知っての通り」
「……しかし、だ。携帯電話の記録を洗い上げれば、少なくとも、面城と角や
八坂とのつながりは立証され、さらに君と面城も携帯電話でやり取りをしてい
たことが明らかになるはずだ。同じ島の中、肌が触れ合うほどの距離にいたの
に、携帯電話で話をしていたという不自然さが浮き彫りになるだろうさ」
焦りから深い考えもなしに口走ったが、これは勇み足だった。
「今さら、おかしなことを。雅浪島は電波の圏外。忘れたの?」
と、麻宮に苦もなくひねり潰される。形勢は瞬く間に、逆転の兆しを見せて
いた。
――続