AWC 対決の場 35   永山


        
#436/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  05/09/01  22:25  (202)
対決の場 35   永山
★内容
「そう、それそれ」
 麻宮は手を打って、遠山を指差してきた。乾いた音が耳の中で残響する。
「たまに、男子のしでかした悪戯や不正を、先生に告げ口していたでしょ」
「告げ口じゃない。事実を伝えたまでだ」
「ふふ、そんな調子じゃあ、浮いた存在にもなるわよね」
「何が言いたいんだ」
「そういう遠山君に恨みを持った人も、中にはいるんじゃないかなってこと」
「恨み? そんなくだらない理由が、ヂエの犯行の引き金になっていると言う
のかい?」
「そんなことまで、私、全然言ってないわよ」
「しかし、そう仕向けている」
「飛躍のしすぎというものよ。子供の頃のことを、今の殺人事件に結び付ける
なんて。私はただ、思い出話をしただけなのに」
 眉根を寄せ、俯きがちになる麻宮。この困った表情を見せられると、遠山は
強く言えなくなる。話題を換えようと、質問を繰り出した。
「ところで、屋敷の中に、秘密の通路のような絡繰りはないのかな?」
「お城や忍者屋敷じゃないのよ。多少は広くても迷うほどじゃなし。災害があ
ろうとどこからでも楽に脱出できるのに、秘密の抜け道なんて意味がないじゃ
ない。もちろん、吊り天井もどんでん返しもね」
「そんな凝った仕掛けじゃなくて、かまわない。それに、どこからでも楽に脱
出ってのも信じられない。地下室にいたらどうなる?」
「……」
 たっぷり十秒近い沈黙を演じた後、麻宮は口元に軽い笑みらしきものを浮か
べた。その間の遠山はまことに我慢強かった。沈黙の向こうに、何かしらの秘
密があると直感した。
「敏腕刑事の片鱗を、ちょっとは見せてくれたわね」
 麻宮は言った。彼女の表情は、小学生のときに見た、悪戯げなそれになって
いる。遠山は記憶を刺激され、鼻孔が開くのを自覚した。興奮がどこから来た
のか、事件解決の糸口を掴めるという期待感なのか、それとも単純な懐かしさ
だけなのか、分からなかったし、分かろうともしなかった。
「お世辞は苦手だ。乗せられると有頂天になる性格だと、自分で分かっている
しね。さあ、地下室から地上への非常通路があるのなら、見せてくれ」
 吹っ切る口ぶりで求めた。
 麻宮は悪戯げな笑みを貼り付けたまま、顎先を縦に振った。立ち上がると、
先導する形で部屋を出た。
「こっちよ」
 廊下に立った彼女の目が示した先――近野が襲われた現場だった。
 どうしてすぐに教えてくれなかったのか? そう怒鳴りつけたくなる己を抑
え、遠山は女主人の後について行く。歩きながら、手袋を填めた。麻宮がドア
を開ける。その背中に声を掛けた。
「通路の出入口がどこにあるのか、指差してくれたらいいから。不用意に触ら
ないで」
「分かっているわ。どうぞ」
 彼女はドアが閉まらないよう、押さえて立つと、身体の向きを横にし、先に
遠山を入らせた。
 室内は、遺体こそよそへ移したものの、布団や家具はそのままであり、まだ
凶行の痕跡を色濃く残している。窓を閉め切っていることもあってか、嫌な匂
いが篭もっているようにも感じられた。
 遠山はそんな現場で、注意深く足を運び、部屋の中央に仁王立ちした。
「どこだい?」
「そうね……ちょうど、箪笥の下辺り」
 黙って頷き、窓の方へと歩く遠山。逃走経路確保のため、倒された箪笥を見
下ろす。深夜、バリケード作りのために動かした際は、摩擦を減らすシールの
おかげもあり、一人でも簡単に動かせるほどだったが、今、この横たわった直
方体を起こせるかどうかは、少しばかり不安になる。両手を掛けてみた時点で、
麻宮から再び声が。
「あら、ごめんなさい。移動させた箪笥が立っていた辺り、よ。窓際ね。緊急
時、抜け道から出たあとは、窓からすぐ外へという寸法なの」
「なるほどね」
 窓際の床板に視線を移した。雨がいくらか吹き込んだおかげで、若干、泥水
で汚れていた。が、目を凝らすと、鍵穴めいた丸い銀の光を見出せる。次いで、
それを中心とした正方形の区画も確認できた。一辺五十センチはあるだろう。
「これが地下室と地上を結ぶ非常扉という訳か。どうやったら開けられる?」
「地下からは、ボタンを押すだけで開くんだけれど、この部屋からはその真ん
中にある穴に鍵を差し込んで回し、引く仕組み」
「じゃあ、鍵を。君が持ってるんだろう?」
 下を向いたまま、右手だけを麻宮の方に向けて振った。すると意外な返事が
あった。
「もちろん持っているけれども、必要?」
「あ? 当然じゃないか」
 顔を起こし、彼女を見つめる。当惑を隠し、笑顔で説明する。
「犯人が通ったかもしれないんだ。中を調べなきゃいけない」
「だったら、地下室に行って、あっちから通路を辿るのが筋じゃないかしら。
近野君を襲ったとき、犯人が秘密の通路を使ったかどうかは分からないけれど、
もし使ったのなら、地下室の側から入って来たはずよね。逆はあり得ない。だ
って、窓から逃げたと言っていたんだもの。まあ、どうしてもと言うのなら、
鍵、取ってくるわよ」
 理屈は通っている。検証するのなら、犯人と同じ順序で調べていくのが妥当
に違いない。
 納得したにも拘わらず、素直かつ即座に従えなかったのは、麻宮に主導権を
取られたため。それも、素人に上手を行かれた云々ではなく、かつて彼女にや
りこめられていた自分を――しかもそんな関係を喜んでいた自分を――思い出
してしまったからかもしれない。
 久方ぶりの再会で、一時的にせよ甘い記憶に浸った遠山は、過去から脱却し
辛くなっていた。いくら振り切ろうともがいても、彼女の掌上から逃れられな
い……そんな気さえしてくる。仮に、麻宮がこの事件の黒幕なら、遠山はまん
まと術中にはまったことになろう。面城が犠牲者の一人に数えられた今、その
可能性は非常に低くなったようではあるが……。
「麻宮さん、君の言う通りだ」
 遠山は声に出して認めた。
「早速、地下室に降りて、調べるとする。でも、君はもう付き合わなくていい
よ。地下室側の通路の出入口を教えてくれるだけでいい。捜査上の秘密とした
い事実も見つかるかもしれないし、あとは僕と嶺澤でやる」
「そうね。それが当たり前ね」
 遠山の宣言を、麻宮は軽く受け流した風に見えた。
「念のため、鍵を預けましょうか」
「え?」
「この洋間の非常扉を開ける鍵よ。可能性を論じるのなら、鍵を持つ者がこっ
そり、こちら側から入って、小細工をするなんてこともないとは言えない訳で
しょう?」
「……そうだね」
 最後にまたしても上手を行かれたようだ。

 麻宮が示したのは、地下の奥まった部屋の一角だった。一見すると壁の模様
に紛れたドアは、大した操作をすることもなく、ボタン一つで横にスライドし
た。
「このデザインに、面城の意向は働いているのかな」
 立ち去ろうとする麻宮を呼び止め、遠山は尋ねてみた。特に意味はなかった。
「いいえ。地下室は面城君が来る前に、完成したのだから、彼の手によってカ
ムフラージュされたということはないわ」
 意想外に真剣な口調での返答を残し、麻宮は地上へと戻って行った。黒いド
レスに包まれた彼女の肢体が、どこかしら寂しそう乃至は辛そうなのは、面城
を思い起こしてのことだろうか。
 遠山は見送ると、ため息をついた。
 結局、もやもやしたコンプレックスめいた何かを払拭できないまま、彼は地
下室に赴いていた。手には借りた懐中電灯。と言うのも、通路を出入口から覗
き込むと、中は思いの外、暗かったのである。照明の類は、常夜灯に似た黄色
く弱い物がぽつん、ぽつんと等間隔に心細く備えられているのみ。実際、火事
や地震等で地下室から逃げるとき、この明かりは消えている可能性が高いに違
いない。尤も、そうなったとしても、通路は狭く、道なりに沿って行けば、無
事、脱出できるようになっているという。
 遠山の最初の考えでは、嶺澤とともに通路内をつぶさに観察し、調査を進め
るつもりだった。しかし、その狭さと、他にもう一つの理由もあって、遠山一
人で通路に入ることに方針転換した。
「嶺澤刑事は、地下室の戸口のすぐ外で、見張ってくれ。怪しい者が来たとき
は、応戦も辞さない心構えでいてほしい」
「分かりました。我々しかいないのに、二人揃って、地下室に閉じ込められて
は、恥ですから」
 遠山が懸念する“もう一つの理由”を口にした嶺澤は、形ばかりの苦笑を浮
かべた。
 万が一にも、この通路が屋敷の洋間に通じておらず、行き止まりだった場合、
地下室の扉を外から閉めることで、一種の牢獄と化す。馬鹿らしいと思いなが
らも、危険要素は取り除くべきと判断した。
「言わずもがなでしょうが、警部も注意を払ってください」
 緊張の面持ちで嶺澤が囁いた。必要以上の小声に、遠山は眉間に皺を作った。
「通路内に犯人が潜んでいるということも、考えられなくはありません」
「いたとしても、我々の会話やざわめきは聞こえているだろうから、とうに逃
げ出しているんじゃないか。まあ、まさか、私を殺そうと待ちかまえていると
も思えないが、用心するに越したことはない」
 気を引き締め、通路に足を踏み入れた遠山。外に向かって、微弱な風が吹き
出しているように感じた。
 通路の床は、スロープとなって上に続いていた。地下と地上を結ぶ階段に比
べると、やや急な造りである。手袋越しに指先でスイッチの感触を確かめ、懐
中電灯を点けた。
 足下や横の壁、その他気になった箇所にスポットを向けていく。しかし、狙
いを定めたポイントは、白い輪となって浮かび上がるだけで、事件に役立ちそ
うな痕跡は疎か、染み一つ見つからない。
「長い間、使われていなかったのか……?」
 無意識に独りごちた遠山。そういえば、麻宮に聞かなかったなと思った。
(この通路は使われたことがあるのか。あるのなら、一番最近に使われたのは
いつなのか)
 重要課題ではないだろうが、知っておけば、この通路で何かを発見した際、
それが事件に関係しているのか、それともずっと以前の代物なのかの判定材料
ぐらいにはなる。
 引き返して麻宮に聞いてくるというのも、ひどく間が抜けている。遠山は調
べを続行した。
 通気はされているようなのだが、両側の迫ってくるような壁と、上り坂であ
るという意識のせいだろう、息苦しさを覚えずにいられない。だが、足早に駆
け抜けることは、無論、できない。亀のような歩みで、じっくりと目を凝らす。
時折、跪いて、床に頬摺りせんばかりのポーズを取った。が、これも虚しい結
果に終わる。
 遠山の額には、いつしか汗が玉となって浮かんでいた。それが滴り落ち、慌
てて袖で拭う。完璧な科学捜査のメスが入る前の現場(と呼んでもかまわない
だろう)を、自分の汗で“汚染”するのは気が咎めた。あまり大量に汗をかか
ない程度に、急ぐことも大事かもしれぬと思い直す。
 その矢先、何かが遠山の意識を鷲掴みにした。さまよわせた懐中電灯の明か
りが、ほんの一瞬、そいつを薄闇に浮かび上がらせた。短かったため、見失っ
てしまったが、遠山は刑事としての嗅覚が働くのを、今、実感した。
 慎重な動作で、そろりそろりとライトを戻していく。最前の軌道を、そっく
りそのまま折り返すように心掛ける。足は数ミリたりとも動かさない。動かす
と、懐中電灯の軌道に、多大な影響を及ぼすであろう。
「――こいつか!」
 見つけた。
 右手前方、僅かに斜め上のところに、黒い染みが二列、並んでいた。そのき
っちりとした平行線には、人間の意図が介在しているように、遠山の目には映
った。いや、これが一本の染みだとしても、遠山は意を留めたであろうが、二
本が並行して走っていることで、より強く意識した。
 彼はそろりそろりと近付いて行った。何故、慎重を期したのかは、彼自身も
分からない。
「……字か?」
 幾分、拍子抜けした声が、遠山の口から漏れた。刑事としては、明確に犯罪
と関連づけられるもの、たとえば黒ずんだ血痕などを期待していたのだ。
 だが、字だとしても、大きな発見に変わりない。むしろ、ヂエのパズル狂ぶ
りから推測するに、これもまた敵からの挑戦状ではないか。とすれば、血痕と
同等か、あるいはそれ以上に重要な意味を持ってくる。
 遠山は懐を探り、手帳とペンを用意した。懐中電灯と合わせて、三つの得物
を持たねばならず、手が二つしかない遠山はもたついた。そして当然の帰結で
あるが、一度に全文を写し取るのは断念し、部分的に読み取っては書き取るこ
とにした。
「何なに……」
 声に出して言ったのは、興奮を制御する意味合いもあった。左手に懐中電灯
を持ち換え、問題の文字を照らしながら、顔を近付ける。
 片仮名だ。
 読みづらい印象を受ける。だが、字体そのものは丁寧で、きれいと言えた。
しかしながら、個性を消したような筆跡で、もしかすると型抜きを使って書か
れた字かもしれない。犯人のメッセージだとしても、これが証拠になるかどう
かは曖昧なところであろう。色は、黒のようであり、沈んだ赤のようでもあり、
濃い紺のようでもあった。懐中電灯の白い光に目が影響を受けたらしく、今の
時点で確たる判断を下せそうにない。
 そして肝心の文面は……。

――続く





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