AWC 木で首をくくる 3   永山


        
#283/1160 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/05/28  22:52  (406)
木で首をくくる 3   永山
★内容
 三日目の朝は快晴だった。五代は昨晩、考え込んでしまってなかなか寝付け
ず、満足に眠っていなかった。空模様とは対照的に、鬱々としている。普段、
規則的な生活を送っているせいか、そのリズムが崩れると覿面に表れる。目の
下に隈ができていた。数日続くと、肌が荒れてくるだろう。
 寝不足とは関係なく、今朝の自主トレーニングは敢えて取り止めた。もし、
悪戯犯の目的が、自分に練習を止めさせることだとしたら、明日の朝は何も起
きないはず。
 目に見えない相手の意に添う形になるのは癪だが、これで決着するようなら、
無闇に人を疑わずに済む。そちらの方が大きい。
 そう決めて、いつもより遅く、学校の制服姿で木を見に行く。すると、問題
の木が視界に捉えられるより先に、人影が目に入った。
 制服姿の男子……名倉だということは後ろ姿だけで分かった。頭を掻きなが
ら、木に近付くところといった風情だ。
「何してるの?」
 声を掛けると、びくりとして振り返る。五代にまるで気付いていなかったよ
うだ。
「あ、五代さん。お、おはよう」
 朝の挨拶をぎこちなくして、学生鞄を抱え直す名倉。五代が挨拶を返すのも
そこそこに、彼は件の木を指差した。
「見て。今朝は何も起きなかった」
「え?」
 身体ごと向きを換えて、木を見つめる。凝視する必要もなく、枝から何もぶ
ら下がっていないし、他にも異変ないことは容易に飲み込めた。
「猫が手に入らなかったのかな」
 とぼけた調子で名倉が云う。分かりにくいが、冗談なのだろう。が、念のた
めに確かめておく。
「まさか。猫じゃなくても、たとえば生ゴミでも吊るしたら、目的は達成でし
ょう?」
「うん、そうなる……」
 鞄を地面に置いて腕組みをし、真顔で考え込む風の名倉。冗談ではなかった
のか。
「二日だけ悪戯を続けて、ぴたっとやめる理由に、心当たりはない?」
「そんなの、分かる訳ない」
 五代は撫然として答えた。
「私は嫌がらせされた方なのよ。した方の気持ちなんか分かるはずないでしょ
うが!」
 声を張り上げると、名倉は両耳を押さえるポーズを大げさに取った。
「それぐらい大きな声が出るなら、大丈夫か」
「?」
「昨日、少し落ち込んでたみたいだったから心配してたんだけど、杞憂で済ん
でよかった」
「……杞憂じゃないわよ」
「え、そうなのか、やっぱり」
 名倉の表情が曇る。夕立がきそうなほどの急速さで。
 五代は急ぎ、付け加えた。
「確かに落ち込んで、今も落ち込んではいるけれど……ちょっぴり回復した」
 勿論、頑張って笑顔を作って。
 五代の返答に、名倉はどぎまぎした様子で口元に右手をやり、ぼそぼそと応
じる。
「そ、それはよかった。え、でも、今日の朝練は? 姿を見せないなあと思っ
てたんだけど」
「今日はやめてみた。そうすれば、こんなことしなくなるんじゃないかと期待
して。でも今朝、何も起きないとは予想さえしてなかったわ」
「うーん、謎だなぁ」
「名倉君は、そんなに朝早くからここへ来ていたの?」
「あ、ああ。まあね。五時半を少し過ぎたぐらいだったかな」
 照れ隠しなのか、鼻の下を擦る名倉。太陽の光の加減で判然としないが、頬
が赤くなったような。
「昨日云ってた見張りを、二時間余りやったのね。それで、怪しい人が来たな
んてことは……」
「なかった」
「名倉君がいるのを見て、やめたのかも」
「それにしても、全然、気配も感じないというのは考えにくいんだけどな。全
神経を集中させていたし、それにほら、僕の背だと、かなり接近しないといる
かどうか分からないはず」
 周囲には大きな木々の他、金木犀の類も植えてあって、確かに、名倉ぐらい
の身長の人物は見え辛い。
「地面も、校門の方角には砂利が敷き詰めてあるから、足音が聞こえるだろ。
だからそっちは耳を澄ますだけにして、ずっと校庭の方を見ていた。まさか塀
を乗り越えようとする奴に気付かないってこともないはずだし」
「塀の隙間から覗かれたというのは……」
 可能性を口にしながら、五代は自ら歩を進めて塀を調べる。
「どこに立っていたの?」
 五代の質問に、名倉は迅速に対応した。三歩横に移動。
 改めて検討してみると、位置関係から云って、塀にある隙間より覗いても、
名倉が見えることは多分ない。
 五代は校舎真ん中の大時計を見た。時間はまだある。実地検証だ。
「そのまま立っててよ。私、外に回る」
 名倉の了解を待たずに、さっさと行動に移す。すでに大勢の生徒が登校する
中、逆方向に突っ切っていく。校門から出て、大凡の見当で位置を定め、塀に
近寄ると細い溝を跨いで、顔を寄せた。覗いてみる。
「……」
 名倉の姿を捉えることはできなかった。多少の無理をして斜め方向を見よう
としたが、うまく行かない。
 位置の見当が間違っていたのかもしれないので、更に先に進んで別の隙間か
らも覗いたが、結果は変わらなかった。
「見えないわね」駆け足で戻り、伝える。
「実験、ご苦労様。ということは」
 再び腕組みをする名倉。彼の方は時間を気にする素振りがない。
「僕がいたから犯行を取り止めたんじゃなさそうだ。元々二日間でやめるつも
りだったとも考えにくいし、何か理由があって中止にしたんだと思う」
「私が朝練をやめるのを、犯人は知った。だから嫌がらせもやめたんじゃない
かしら?」
 思い付きを口にしてから、足を動かす。教室に向かいながらでも話はできる
だろう。名倉も歩き出した。
「五代さんは、朝練をやめること、誰かに云った?」
「ううん」
 首を左右に振る。
「昨日の夜、布団に入ったあと漠然と考えていて、決心したのは朝になってか
らだもの。誰かに話そうにも暇がない」
「じゃあ、さっきの説はあり得ないよ」
「そうなのよね」
 行き詰まってしまった。
 これを機会に、他の生徒達が回りに増えてきたこともあって、事件の話は一
旦打ち切りになった。

 昼休みに食事をしていると、校内放送で呼び出された。急いで片付け、職員
室に向かう。
 到着してみると、教頭先生が待っていた。
「例の件で、ちょっと」
 三日連続で校長室に足を運ぶことになった。ちなみに、放送で直接校長室に
行くようにとアナウンスしなかったのは、目立たせないための配慮かららしい。
「失礼します」
 五代が校長室に入ると、ドアはぴたりと閉じられた。校長と教頭を前に、何
か?というニュアンスで首を傾げる。
「五代さん。率直に云いますよ。別の練習方法にするつもりはない?」
「別のとは、木を使った打ち込みに代わるという意味ですか」
「その通りです。生徒には発表していなくても、教職員の間では大きな問題に
なっていますからね、猫の件。職員会議で一部の先生から、あなたにあの木を
使った練習をやめてもらえば、丸く収まるんじゃないかという意見が出されま
した」
「……」
 黙り込む五代。今朝、練習を中止したこと、猫が吊るされなかったことの二
点は、既に伝えてある。
 返事がないのを見てか、校長は続けた。
「因果関係があるかどうか、はっきりしていません。しかし、正体の見えない
相手を徒に刺激しても、悪い結果が待っているだけのように思えます。これは
無理のある考え方ですか、五代さん?」
「……私には判断できませんが……他の木では駄目なのでしょうか」
「他の木でやっても、同じことの繰り返しになると思いますよ。木を相手にし
ないといけない理由があるのですか」
「科学的な理由はないです。小さい頃から慣れ親しんだやり方というだけで、
何となく、力が出て、調子の波に乗れる感じなんです」
 五代の主張は、入学前にした説明とほとんど一緒だ。校長は肩を上下させ、
息をついた。
「さて、困りましたね。昨日云っていた、あなたやあなたのお友達が調べると
いうのは、うまく行っているのかしら」
「まだ一日目ですから、よく分かりませんが、私達生徒の中にあんな酷いこと
をする人がいるとは、到底考えられなくなってきました」
 答えてから、ピンぼけだったと気付く。校長ら学校サイドは、うまく行って
いないのなら大木相手の練習をやめて丸く収めよう、と云いたいに違いない。
結果論で云えば、曖昧な返事をすることでうまく切り抜けた形になったが。
「まあ、元々あった伐採計画が再浮上しているし、よく考えて結論を」
「木を切ったあとは、どうするんですか」
「整地して、今あるフェンスを下げ、グラウンドを広げる予定よ。五代さん、
あなたの練習環境も落とさないように、武道場の横に打ち込み専用のスペース
を確保する案も出ているから、そんなに悪い話ではないでしょう」
「そこまでは」
 打ち込み専用の場所を作る余裕があるのなら、柔道場そのものを広げた方が
よほど有り難い。この場でそれを云うと角が立ちそうなので、遠慮しておく。
「結論は早い方がよくてよ。お互いに気分よく新体制に移るためにも」
「はい。あの、職員会議で、練習をやめた方がいいと云われた先生は、誰なん
でしょう?」
 もしも尾東先生なら、また嫌いになる理由ができると、一抹の不安を覚える。
でも確認せずにいられない。
「最初に発言されたのは、奥先生よ。それを受けて、支持なさる方が幾人か出
ました。これでいい?」
「はい。ありがとうございました」
 内心、ほっと胸をなで下ろしつつ、五代は礼を述べた。

 午後の授業は体育があったり、教室移動があったりで、名倉と会うチャンス
を作ることがかなわなかった。放課後は直に部活が始まるので、時間を有効活
用しなくてはならない。
「昼休みの呼び出しって、何だったの?」
 名倉がいきなり聞いてきた。午後からずっと気に掛けていたのだろうか。そ
れはさておき、五代は限られた時間内でなるべく詳しく話した。
「そうか。木そのものに何かあるとも考えられなくはない……」
「それってどういう」
「いや、まだ思い付きだけで、まとまってないから。あ、そうそう。僕も一応、
調査を中止したつもりだったんだけど、聞いて回った手前、今日になって色々
教えてくれる人もいてさ。おかしな噂があったよ」
 くすくすと思い出し笑いをする名倉。
「何、噂って?」
「五代さんが打ち込みを続けてる大木が、近い内にすっぽ抜けるんじゃないか
っていう噂。いくら五代さんが強くても、そこまで力持ちじゃないよね」
 云って、一人で笑い声を立てる。五代はぽかんとさせられた。話を逸らすた
めにこんなつまらないことを持ち出したんじゃないかとすら、思えてしまう。
「誰よ、そんな莫迦げた話を……」
「それはまあ、口さがない男子女子達ってことで」
 苦笑混じりに答える名倉に、五代はため息をついた。時計を見ると、もう武
道場に向かわねばいけない時刻と知れる。
 木出川との対面を憂鬱に思いながらも、好きな柔道をできる喜びの方が勝っ
て、心が高鳴る。
「続きは夜、電話でね。何か新しく思い付いたことがあったら、だけど。積極
的に調べなくていいから」
「了解」
「……それと、ありがとう」
 武道場の方へ足を向けた五代が、首から上だけ振り返ってお礼を云うと、名
倉はいつものように戸惑いを露にし、「あ、いや、大したことじゃないから」
とだけ答えた。

 練習試合で、木出川と久しぶりに相対することになったのには、事情を知っ
た花隈の思惑が働いたようだ。喧嘩をしても、闘えば認め合って仲直りという
発想が、いかにもスポーツ選手らしいが、この考え方、五代は嫌いじゃない。
 副主将らも見守る中、花隈の合図で始まった。階級が一つ下のスピードと小
ささを活かして、五代が飛び込み、足技で崩そうと試みる。が、木出川も巧み
にかわし、凌ぐ。一段落すると、瞬く間に逆襲に転じた。先日の花隈と違い、
パワーやスピードに大差はない。それでも、木出川は長い足を使って五代を転
がそうとする。
「もっと、しっかり引き付けてから掛けろ!」
「逃げてばっかりじゃ、反則取られるぞ!」
 先輩からの厳しい声が飛び交う中、攻防が続く。
 五代が連続の足技を仕掛けると、それを凌いだ木出川は同じように連続で足
技を繰り出した。一旦ストップが掛かり、再開の直後にタックル系の技を狙う
と、次の機会に相手も同系統の技を出す。意地になっていた。木出川が階級で
は上だが、実力で劣ると見るのが妥当なだけに、これは木出川の大健闘と云え
た。
「残り一分!」
 その声を境に、後手に回っていた木出川が先手に転じた。積極的に前に出て、
揺さぶりを掛けると、強引なまでの内股を出す。木出川が得意とする技だけに、
五代も迂闊に受けられない。逃げ腰気味になったところで、花隈が試合を中断
させた。そして、
「注意っ!」
 声と手振りで、反則を与える。とうとう差が付いてしまった。木出川が僅か
ながらリード。
 リスタートと同意に、五代は逆転を期して懐に飛び込んだ。いや、飛び込も
うとした。しかし木出川もそれは充分承知している。身体を捻って避けると、
片襟を掴んで、五代の素早い動きを封じようとする。やがて再度、木出川の形
になった。内股を掛けるのに最適の組み手。
 呼吸を測り、直後、木出川が動いた。
 内股、炸裂……と思ったその矢先。「あ」という何人かの声がしたかもしれ
ない。柔道部の部員ですら呆気に取られる、逆転の展開が待っていた。
「一本! それまで」
 花隈の右腕が真っ直ぐ、高々と上がる。その様を、五代と木出川はともに畳
に横たわり、下から見た。
 勝ったのは五代。内股に来た木出川の足をかわし、相手の身体を空転させて
そのまま投げる。内股すかしがきれいに決まった。残り時間は十秒を切ってい
た。
「ありがとうございました」
 互いに礼をして、畳を降りようとする。が、花隈に呼び止められた。
「そんなに急いで降りるなって。ここは握手だろ」
 戻った五代がさっと右手を出す。遅れて戻って来た木出川は、少し顰めっ面
をし、ゆっくりと右手を出してきた。云われたから渋々……というのとはちょ
っと違う。むしろ、気恥ずかしさが色濃く出た感じだ。
「やっぱ、強いわ」
 感嘆した口ぶりで木出川は云って、手を握ってきた。すかさず、力を込めて
握り返す五代。
「そっちこそ。最後に勝負に来てくれなかったら、恐らく、そのまま逃げ切ら
れていた」
「……」
「勝負に来てくれて、感謝してる」
「反則のポイントを、逃げて守って勝っても、ちっとも嬉しくない」
 木出川の言葉に、ああ、同じだと思って少し楽しくなる五代だった。
 花隈が双方の肩をぽんぽんと叩いたのをきっかけに、握手を解いて今度こそ
畳を降りようとする。が、木出川が足を止めた。
「あー、ついでだから云っておく」
「ん?」
「つまんないこと云って、悪かった……と思ってるわ」
「えっ?」
 すたすたと行こうとする木出川を、疑問符で足止めする五代。相手は苛立っ
た表情で振り返った。
「この間の更衣室でのことよ!」
「いいよ、もう」
 気にしていないとアピールする笑みを交え、そう応じた。木出川は一瞬、安
堵の顔つきを覗かせ、あとはぷいっと背を向けて、行ってしまった。
 蟠りがなくなるのと同時に、木に死んだ猫を吊るしたのは、絶対に木出川で
はないと五代は信じた。

「ということは、容疑者がいなくなった訳だね」
 電話口での名倉の喋りっぷりは、「めでたしめでたし」的空気を纏っていた。
五代の気持ちを汲んで、事件解決が仮令遠退いても、知り合いを疑わなくて済
むのは喜ばしいこととしたのだろう。
「ええ。これで明日も何も起きなかったら、もういいかもって思い始めた」
「朝練はどうするのさ」
「まだ考えてない。でも、木なら学校以外にもあるから。公園まで、ちょっと
距離あるけれど、通えなくないし」
「まあ、五代さんがそれでいいって云うんなら、僕もこの辺りで切り上げるべ
きなのかなあ」
 何やら考えがあるように感じられる彼の口調に、五代は聞いておこうと思い、
電話を持ち直した。果たして、促すと、名倉は夕方の続きだと前置きして始め
た。
「僕が云った噂、覚えてる?」
「私が打ち込みの練習を続けると、あの大木が抜けるっていう莫迦げたやつ?」
「うん。あれを信じた人間がいるとしたら……と考えてみたんだ」
 事件とのつながりが把握できず、五代は小首を傾げた。
「猫の死体を枝に吊るしたのは、五代さんを気味悪がらせて、練習を取り止め
させるため。打ち込みをしなくなったら、当然、木がすっぽ抜けることもなく
なる……と犯人は考えたのかもしれない」
「分かってきたけれど、あの木が抜けたらまずいことが何かなきゃ、それは成
り立たないわよ」
「あるんじゃない。根元に大事な物を埋めているとかさ」
「木が抜けると、その大事な物も見つかってしまい、犯人にとって不都合だっ
ていう理屈?」
「正解。おかしいかな」
 無邪気な声に、五代は名倉の得意そうな顔を思い浮かべた。
「埋まってる物を具体的に云ってくれないと、ぴんと来ないわ。猫を殺してま
で隠そうとする物って何?」
「何にも手がかりないから、想像するほかないんだけれど、たとえば強盗して
きた貴金属とかさ。あるいは、学校が建てられる前に、殺人があって、遺体が
埋められているのかも」
「うーん……イメージは湧いた。でも、飛躍しすぎじゃない?」
「だからさ、今晩、掘り返してみようと思うんだ。あの木の根元を」
「ええ? やめといた方がいいわよ。危ないって」
「確認したくないの?」
「その気持ちがゼロとは云わない。けれど、危険を冒す価値があるとまでは思
えません。名倉君も、そういう危ないことにだけ勇気を発揮して、どうしよう
ってのよ。万が一のとき、あなた一人じゃ、対処できない。断言するわ」
 まくし立てたあと、きつかったかなと少々後悔の念に襲われる五代。名倉が
しばらく沈黙したことも、その心理状態に拍車を掛けた。
「名倉君? 怒った?」
「いや、怒るなんてとんでもない。心配してくれて感激だなあ、とか思ったり
して、つい無口になってしまいました」
「そう……」
 心中、ほっとする五代の耳に、名倉の台詞が続く。
「ただ、僕の行動も、五代さんのことを心配したからだって、分かってほしい」
「分かるわよ。云われなくたって、ようく分かってる。頭脳労働を期待を掛け
て探偵役を頼んでみたら、意外に行動派の一面があって、慌てちゃった」
「精一杯、背伸びしてる。この隠れた努力を買ってよ」
「あははは。名倉君、学校よりもお喋りだね。それとも、男子の間ではいつも
これくらい喋ってるの?」
「いや。多分、今が特別なんだ」
 十秒近い静寂が訪れた。
 五代は話す内容も決まらぬ内から、慌て気味に声を発した。そしてそれは名
倉も同様。二人の声が重なる。続いて譲り合って、結局、名倉の方から話し始
めた。話題は猫事件に戻っていた。
「えっと、考え直してみると、木の根元に大事な物を埋めてあるとしても、そ
れが宝石の類である可能性は凄く低い。だって、もしそうなら、君が朝練を始
めた段階で、夜中にこっそりと掘り出せばいいんだから」
「ああ、なるほどね」
「だから、埋めてあるとしたら、簡単には掘り返せない物……かなり大きな物
なんだろうね。それこそ、白骨死体とか」
「で、確かめるつもり?」
 冗談めかして尋ねると、「どうしようかなあ」とこれも冗談混じりの口ぶり
で返事があった。
「ま、やるとしても、もっと待って、ほとぼりが冷めた頃だよね。今は危険す
ぎる」
「そうそう」
「この推理が当たってるとして、犯人は運がいいよ。今ならまだ逃げ出せる。
そもそも、四月、五代さんが入学してこなければ、木は切り倒されて……」
 あれ?
 辻褄が合わないと気付き、二人同時に声を上げていた。

「先生だったんですね」
 明けて四日目の朝。
 例の大木に異変がなかったことを確かめてから、五代と名倉は連れだって、
職員室を訪れた。無論、約束していた訳ではないが、目当ての先生は既に来て
おり、席に着いていた。
 挨拶もそこそこに、時間をもらい、話を始めた五代と名倉だったが、この段
階で相手の顔色には変化が表れていた。それは、見つかってしまったか、とい
う諦めの苦笑いのようだった。
「奥先生は花粉症なんですって? 初めて聞きました」
「それはまあ、一年生は知らないだろう。言い触らすようなことでもないし」
「その割に、入学式の頃は平気のようでしたけれど」
「僕は春じゃなく、秋になるんだ。なあ、君達。こういう蛇の生殺しみたいな
ことは勘弁してくれよ。謝るから」
 声を潜めて云い、奥は両手を合わせた。名倉はそれを無視して続けた。
「じゃあ、やっぱり校庭の回りの木の中に、先生の花粉症を引き起こす種類の
物があるんですね」
「ああ、そうだよ。去年の秋口、伐採計画がほぼ決まって、やっと悩みから解
放されると思っていたら……」
 奥はあとは黙り込み、視線だけが五代を捉える。
「計画を復活させるために、あんな真似を?」
「花粉症の辛さは、なってみないと分からんよ。この間の会議で、五代君の練
習をやめさせるように主張したときも、必死だった」
「最初の日、奥先生が僕に事件の話をしてくれたのには、理由があるんでしょ
うか。あると思うんですけど、はっきりしなくて」
「五代君と親しい男子に、事件について知らせれば、当然、親身になって心配
するだろう。そうしたら男勝りの彼女だって、段々と恐がるようになり、練習
を中止する、と踏んだ」
 姑息だけれども緻密な伏線が貼ってあったのだと知り、半ば呆れ、半ば感心
してしまう。
「ついでに答えておこう。二日でやめたのは、五代君が自力で調べ始めるとい
うようなことを、校長先生から聞いたからだ。見張られて現場を押さえられち
ゃ、言い逃れができない」
「云ってくださればよかったのに……」
 五代が少しだけ同情を交えて云うと、奥は俯き、深く吐息した。
「云って通るようなら、とっくにそうしてる。校長は優秀な生徒を集めるのに
躍起で、一教師の頼みなんて埃程度にも思ってないんだ」
 一方的な言い分だが、実状はそうなのかもしれない。木を伐採してのグラウ
ンド拡張計画が、五代一人のために覆るなんて、普通ならあり得ない。
「私、木を使ってのトレーニングはやめますから、安心してください。ただ、
一つだけ許せないことがあって……」
 五代は名倉と目を見合わせ、互いに首肯した。そして奥へと向き直り、
「猫を二匹、犠牲にしたのは何故なんです?」
 と聞いた。二つと二つ、併せて四つの瞳に猜疑心の炎が燃えている。表向き
の動機だけでなく、小動物虐待の気があるのではないかという疑いだ。
「ま、待ってくれ。あの猫達は、事故死だ。今度のことをしでかす前日に、車
に轢かれた二匹の猫を見つけたんだ。恐らくカップルなんだろう。可哀想に思
って、埋葬してやろうとしたんだが、僕の家はアパートで、埋めるのに適当な
場所がない。町中で土の露出している地域なんて、極僅かだと思い知らされた
よ。せいぜい公園ぐらいだが、周りから人に見られてやりにくい。それで思い
付いたのが学校。塀があるからね。で、校庭の片隅にこっそり埋めようとした
とき……何故だか知らないが、五代君の練習をやめさせるのに使えるんじゃな
いかと、思い付いてしまった」
「……」
「すまない。ここ数日、僕はどうかしていた」
 改めて深々と頭を下げた奥。その姿を目の当たりにし、名倉が「どうする?」
という風に五代を見上げた。
 彼女は首をゆっくり、左右に振った。
「分かりました。信じます。三日目、あの木に何事もなかったのも、本当は猫
がいなかったからなんですね」
「そうなんだ」
 相変わらず、押し殺した声でぼそぼそと答える奥。その両眼は周囲を忙しな
く窺っている。他の教職員に気付かれるのを恐れているに違いない。
「誰にも云いませんから、あとは猫達に謝ってくださればいいです」
「分かった。今からでも供養するよ」
 殊勝に約束する教師の有様は、通常よりも小さく見えた。

 この一件からしばらくして、五代は結局、転校する。明確な理由があった訳
ではない。
 それでも強いて理由を挙げるなら、校長、校風が自分には合わないと身に染
みて分かったから、となるだろうか。
 転校した先――七日市学園――で、五代がどんな出来事を体験するのか。そ
れはまた別のお話。

――終





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