AWC ライン <下>   杠葉純涼


        
#233/1160 ●連載
★タイトル (AZA     )  04/04/04  21:12  (172)
ライン <下>   杠葉純涼
★内容
 別館から火が出たにも関わらず、離れのみが全焼するとは、そこを使わせた
のが徒となった形であった。
 気分が優れないため美術館から戻った鬼飛車は、使用人に医者を呼んでくれ
るよう頼み、離れに一人で入ったという。直後に、大きな医療鞄を携えてカイ
ラ=ユードリッヒが到着し、診察に当たった。診断は過度の疲労。ユードリッ
ヒは薬を置いて帰った。
 鬼飛車はその後、恐らく薬を飲み、ベッドで横になった。当然、薬の効き目
が現れた彼は、やがて眠りに落ちたに違いない。そして間の悪いことに、それ
と相前後して、別館の角部屋がくすぶり始めたのであろう。
 飛び火によって延焼を始めた離れ。その熱や煙に起こされることなく、鬼飛
車は――。
「遺体の体格は、記録にある鬼飛車氏の数値とほぼ一致します。体重は比べよ
うもありませんが……。身に着けていた衣服は、メロス長官が鬼飛車氏に貸し
与えられた物と同じである、との鑑定結果が出ました。腕時計も同じく、氏の
持っていた物と一致したようです」
「血液型や遺伝子はどうだ」
「……お言葉ですが、長官。そこまで身元確認を厳密になされようとするのか、
私には理解しづらいのですが……」
 探りを入れるような相手の口ぶりに、メロスは公的立場を優先した。
「彼は国外からの侵入者だ。身元確認を厳密に行い、処理せねばならぬ。すみ
やかにな」
 完全に納得したのかどうか、消防隊の人間は報告を再開した。
「死亡推定時刻も、火災発生時刻と照らし合わせて矛盾なく――見慣れぬ小柄
な男性を目撃したという話も聞き込んでいますが――角部屋にあった金魚鉢に
太陽が当たって焦点を結んだ可能性も――」

 小さな疑問点が一つだけ残った。
 メロスの留守中に、医師のカイラ=ユードリッヒがメロス邸を何度か訪ねて
いた。訪問自体はさして珍しくないが、メロスと会うためが常だった。それが
火災のあった日から遡ること数日間、わざわざ不在時を狙ったかのように頻繁
にやって来ていた。
「どういうことだね、ユードリッヒ先生」
 そして火災以来、ぴたりとやって来なくなった医師を、その勤務先に押し掛
けてまで詰問してみることにした。
「足が遠ざかっていた理由? 親友の邸の火事場跡を目の当たりにするのは、
忍びないからだよ」
 医者として忙しい身であるユードリッヒにとって、やっとのことで確保した
はずの昼食時にこうして邪魔が入ったというのに、随分穏やかな調子だった。
回転椅子の背もたれに片腕を乗せ、リラックスした態度でメロスに接する。
「折を見て、見舞いに行かせてもらおうと思っていたが、なかなか時間が作れ
なくてな。何しろ、最後に鬼飛車氏を目撃したのは自分らしいし、あの薬を処
方していなければ……」
「そんなことを言っておるんじゃない。私のいないときにやって来て、何をし
ていたのかと聞いているんだ」
「ふん。奥方との不倫を疑っているのなら、お門違いさ」
 ペンを器用に回しながらユードリッヒ。メロスは即応した。
「露とも疑っておらんから、安心して答えろ」
「……滞在させていた異国人が珍しくてな、会って話をしていた。使用人に聞
けば証言してくれるだろうよ」
「無論、そうした。そこまでは把握していたのだ。問題は、どんな話をしてい
たかだな、ユードリッヒ」
 ペンが医師の右手からこぼれ落ちる。床を転がる乾いた音が静まったあと、
ユードリッヒがペンを拾う間、沈黙が部屋に染み渡った。
 相手が口を開かないので、メロスは低めた声で強く言った。
「詳しく話せよ」
「……」
「私の立場なら、ある程度のでっち上げは効く。おまえを悪いようにすること
も、しないことも思うがままだ」
「……切り札を開くのが早すぎないか、メロス長官殿?」
 にやりと笑おうとして失敗したかのようなひきつりを、ユードリッヒは表情
に貼り付けていた。
「その反応は、やはり後ろめたい何かがあるんだな」
「違う。隠すほどのことではないと思っている。ただ、独占したかっただけだ」
 激しく首を振って否定した医師に、メロスは片目だけ剥いた。
「独占とは何だ?」
「鬼飛車は優秀な研究者なんだよ。薬品開発のな」
「薬か。そいつは正当な意味での薬か、それとも麻薬の類か?」
 ようやく少しだけ腑に落ちたメロスだが、質問の弾は尽きない。
「前者だ。加えて彼は、手術のテクニックや器具にも精通していた。それら最
先端の物や情報を得たくて、自分は彼に接触していたんだ」
「物だと? そんな特別な物は、鬼飛車は身に着けていなかったはずだぞ。身
体検査で身体中を調べたのだから、間違いない」
「彼を普通の迷い人と見なして調べたのなら、甘くなるんじゃないかね」
「そんな馬鹿なことはない。スパイの可能性すら想定し、舌の裏や歯、尻の穴
まで調べたさ」
 不機嫌になるのを抑制しつつ、メロスは答えた。
「結果、何も出て来なかったからこそ、我々は鬼飛車次郎に対する警戒を緩め、
勇者として迎えたのだ」
「彼の左眼は調べたかね?」
 ユードリッヒの言葉にぴんと来た。
「――義眼だったのか」
「小物入れになっていた。いざというときに、賄賂となるだけの物が入ってい
たよ。驚いた」
「しかし……義眼一個では大した物は隠せまい」
 動揺を隠し、メロスは淡々と尋ねた。
「髪の毛が鬘だったのは、知っているか?」
「まさか!」
「特殊技術で、金に糸目をつけなければ、肌と髪の毛が人造でき、本物そっく
りの鬘が作れるらしい。そんなこと、我が国では誰一人として知らない。マー
クダドは相当に遅れている」
「私から担当部署に伝えておく。一介の医者風情が出しゃ張って気にするな。
それよりも」
 椅子に収まっていたメロスは身体を猛スピードで起こし、ユードリッヒの真
ん前に立った。
「おまえは鬼飛車を殺して、最新のなにがしかを手に入れたのか?」
 威圧的に言うと、相手は首を竦めた。
「殺しちゃいない」
「では、偶然なのか? 火が出たのも、鬼飛車が死んだのも」
 メロスはより一層詰め寄る。ユードリッヒはたまらなくなったかのように、
椅子から立った。
「メロス。最初に言っておく。俺はマークダドにとって大きな利益となる情報
を握っている。さらに、クリフ=メロス、あんたの秘密も色々握った。いずれ
も鬼飛車から受け取ったものだ」
 ユードリッヒはメロスに近付くと、二言三言、耳打ちをした。
「事実だろ?」
 距離を再び取ったユードリッヒは、愉快げに唇を曲げた。
「……だから何だ?」
 我が家で鬼飛車がそんなこそ泥めいた真似をしていたのかと、憤怒と恥辱を
激しく覚えながらも、メロスは先を促した。
 ユードリッヒは息を吸い、思い切った風に吐き出した。
「カイラ=ユークリッドの身の安全を保障してくれ」
「……」
 即答を避けたのは、迷ったからではない。「保障してやる」と言うつもりだ
が、すぐに答えては“口約束”であると見破られる危険性を高めるだけだ。い
ずれ口封じをせねばなるまい……その算段を早くも脳裏で検討しつつ、メロス
は深刻な顔を作った。
 やがて、ゆっくりと口を開く。
「書く物をよこせ。一筆、記してやる」
「おお、結構だね」
 ユードリッヒは一つ手を打ち、紙とペンを用意すべく、きびすを返した。

 鬼飛車はスパイである。
 マークダドで行われている非道な死刑法、その噂の真偽を確かめるべく、潜
り込んだ。死刑執行の現場を目の当たりにした今、一刻も早くこの地を去りた
いと願うのも当然である。
 まともな形で入国しては徹底的に調べられる可能性がある。しかし、この一
帯の風習として、国境沿いの深い森や険しい岩山を越えて国に入った場合は、
勇者もしくは運に恵まれし者として、歓待を受ける。これを利用した。
 問題なのは、このようにしてマークダドに入り、無事に戻った人間がいるの
かどうか、はっきりしないことだ。スパイであろうとなかろうと、秘密を守る
ために国の監視の下、永遠に留め置かれるのか。だとしたら、そのような人物
の一人や二人と、接触できてもいいはずだが……。
(幽閉か、悪くすると殺される)
 この任務に就いたときから、あれこれと推測を巡らせていたので、狼狽えは
しない。現在の“国賓扱い”さえ解消できれば、脱出の自信は充分にある。
 しかし、予想を超えた厚遇はいつまでも続き、漫然と待つだけでは事態の打
開は望めそうにない。そうと知ったとき、鬼飛車は策を立て、準備を進め、決
行した。
 医薬関連の情報を餌に、医師のカイラ=ユードリッヒに取り入り、仮死状態
になった上で死亡診断書を書かせようと試みたが、それは危険だからと止めら
れた。埋葬されて、そのまま抜け出せない可能性が高いという。
 代わりに勧められたのが、火災で黒焦げになって死亡したと見せかける計略
である。死んだばかりの遺体が手に入れられる立場にあるユードリッヒならで
はのアイディアだった。
 当日、打ち合せ通りに“気分を悪くして”メロス邸に戻った鬼飛車から連絡
を受け、医師はこれまた手筈通りに、できたばかりの遺体を離れに持ち込んだ。
遺体が生きたまま焼かれたように見えるよう、鼻孔に煤煙を付着させる等の細
工を施した上で、別館に火を放ち、離れも時間差で出火させるべく蝋燭を仕掛
けた。
 鬼飛車はユードリッヒが遺体を隠して持ち込んだ鞄に身を潜めるつもりでい
たが、生きた人間が入るには厳しいために断念。軽い変装をし、火事の混乱に
乗じる形で逃げ出す方法を採った。
 死んだものと思われた鬼飛車は、追手を気にする必要もなく、脱出に楽々と
成功した。

 乾いていた。空気も大地も、肉体も。
 喉仏がごくりと動いた。
 しかし、声を発することはできない。薬品によって喉を潰された上、両手に
火傷を負わされて指がくっついてしまっては、満足に自己主張することもかな
わない。
「ユークリッド。言い残す言葉はないな」
 メロス。彼の前では、念書もあっさり反故にされた。
「惜しかったな」
 謎の笑みを作る長官に、ユークリッドは絶望していた目を今更ながらいっぱ
いに見開いた。
「死刑囚トーナメントとその周辺の法律が、一両日中にも成立する。そうした
ら、地雷の数はぐんと減るんだが……いやはや、返す返すも残念だ。しかし、
現状でも助かる確率はゼロではない。己が運に賭けてみよ」
 そうして、メロスは百メートル先に視線をやり、次いで指差した。
「あのラインを超えられるよう、せいぜい祈れ」

――終





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