#232/1160 ●連載
★タイトル (AZA ) 04/04/03 22:59 (201)
ライン <中> 杠葉純涼
★内容
「率直に言って、感心しません」
鬼飛車のコメントに、メロスは思わず微笑んだ。顔つきが血を啜った直後の
ドラキュラ伯爵をイメージさせるのは、メインディッシュのせいばかりではあ
るまい。
血の滴るような分厚いステーキ肉をまた口に運び、咀嚼してからメロスは問
い返した。家族を遠ざけ、二人だけの晩餐。確かに、家族同席の場にはふさわ
しくない話題をテーマとしていた。
「理由を伺えますかな。死刑囚トーナメントに感心しない理由を」
「法的に問題があると私は考えます」
即答した鬼飛車は、赤ワインがわずかに残っていたグラスを干した。
「死刑を執行する権利を有するのは、国家のみでしょう。無論、場合によって
はこの『国家』は他の単語、たとえば『族長』に置換え可能ではあるでしょう
けれど、普遍的な言い方が見つからないので……」
「ニュアンスは理解できるさ。細かい点は飛ばしてくれないか。面倒は省かな
くてはいけない」
「では……。死刑囚トーナメントでは、その権利を死刑囚にも持たせてしまう
ことになります。委託という形を取っていいものでもないでしょう」
「面白い見方だ。気付かなかった」
フォークを置き、ナイフを持った左手を軽く振り回すメロス。
「では、いかにすれば、お気に入りの制度になるのかな?」
「言っても詮無きことでしょう」
「法案に影響を与えるとは保証できないが、参考程度に受け止めようと思う」
「人と人との決闘をどうしてもやりたいのでしたら、死刑執行人と死刑囚の対
抗戦にでもするほかないのではありませんか」
「勝った死刑囚は無罪放免か。これは傑作だ。死刑囚が新たに罪なき者を殺す
ことで、己が罪を許されるとは!」
「冗談にもならない」
鬼飛車はおかしそうに言ったが、表情は至って真面目なままだった。
「この方法の優れているのは、無罪放免とした死刑囚の、次の職が自動的に定
まる点です」
「おっと、皆まで言うな、ミスター鬼飛車。その先の台詞はこちらに回しても
らおう」
ナイフで鬼飛車を差し示すと、メロスは洒落た表現を探した。しかし短い時
間では思い付けそうになかったため、仕方なく、ストレートに言い表すことに
した。
「相手を打ち倒した死刑囚には、死刑執行人の職が待っているという訳だ。実
に合理的であり、なおかつ死刑囚を実質的に、外に出さずに済む」
「問題点があるとすれば、これを採用すると、現在の死刑執行人の方々が、こ
ぞって辞表を提出すると思われることでしょうか」
「それもそうか。死刑囚と同じ扱いを喜ぶ馬鹿はいまい。とすると、新たに執
行人を選ばねばならん。死刑囚と同じ立場に置かれてもかまわないというほど
の、血に飢えた輩を」
メロスはしばし黙考した。
「今の地雷による処刑を利用するのはどうだろうな、ミスター鬼飛車」
「……全部聞かない内には、返事のしようがありません」
「地雷の数を減らして、生き残れる者を何人か出すのだ。そいつらに死刑執行
人の任を命ずるのさ」
「……循環システムの完成、ですね」
少し気まずそうに鬼飛車は答えた。メロスは口元を緩めた。
「どうされた? 自分で言い出しておいて、気乗りしていないようだが」
「私の国の道義に照らせば、当然ですよ。マークダドにいる間は異議を唱えは
しませんが」
「――ところで、いつまで滞在してくださるのかな」
国の違いを改めて感じ取り、メロスは話を換えた。食事の手を休め、ため息
混じりに応じる鬼飛車。
「その台詞が『早く旅立て』という意味なら、ありがたく受け入れていつでも
出て行きますけれども、どうも逆のようですね」
「マークダドのよいところを、堪能していただきたいですからな。その後に、
外でよい噂を広めてくれることを期待しておる訳ですよ」
「充分に堪能させていただきました。食事もうまいし……」
「まだまだ。狭い国だが、回り切るには最低でもあと一週間は必要だ」
「帰国できたと思ったら、三百年が過ぎていた、なんてことにならなければい
いんですがね」
鬼飛車の言を聞き咎めたメロスは、眉間に浅い皺を作った。
「どういう意味かね?」
「私の国の民話の一つにあるんです。『浦島太郎』という……」
続けて鬼飛車の説明した物語は、子供向けのおとぎ話で、ファンタスティッ
クで示唆に富んでいたが、結末は少々残酷だった。
「安心してくれていい。我が国が余所よりも早く時間が流れているなんてこと
は、まずない」
笑いながらそう言ったメロスに対し、鬼飛車は些細なことを捉えて聞き返し
てきた。
「まず、とは?」
「ん? いや、マークダドを出たことがないのでね、私は。正確には、戦で周
辺隣国に攻め込んだことはあるが、文化や風習に触れた経験は皆無だ。よって
……時間の流れ方が絶対に同じとは言えまい」
「長官はご自身で経験しないと信じない口ですか」
「そうでもない。自分の都合によりけりだな。最前の時間の流れ方云々は、ち
ょっとしたジョークだよ」
面白くないジョークと自覚しているだけに、メロスは自嘲気味に笑い、肩を
大げさに竦めた。
「デザートを運ばせてもよいかな、ミスター鬼飛車?」
鬼飛車とのやり取りには、たまに口論めいた展開もなくはないが、メロスは
内心、楽しんでいた。
最初は、異国からの迷子を勇者と称えつつ、見張るために接していた。そし
てある程度見極めてから、部下に任せようと考えていた。それが常道だった。
が、今や気が変わった。
メロスが鬼飛車のような人間を見たのは、初めてだった。その言動や態度に、
頼りない歯ごたえで噛み切れない烏賊や蛸を思い浮かべる。噛めば噛むほど味
が出て、しかも微妙に変化する、そんなイメージだ。飽きるまで噛みしめ、口
の中で、舌の上で転がしてみたくなる。
「あの外国人がいたくお気に入りのようで」
朝の見回りを済ませ、詰め所に顔を出したメロスに、ジーモスが朝の挨拶代
わりのように言った。
メロスはしかし、素直に肯定した。
「ああ。元々、外に出す気はなかったが、最早、手放したくなくなったな。あ
れほど面白い存在は久しくなかった」
「そうかねえ。これまでだって、けったいな奴はいくらでもいた気がするが」
「『けったい』と『面白い』は相当に異なる」
忠告めかして言ってから、メロスはついさっき見てきたばかりの面々につい
て、思いを巡らせた。目を瞑り、考えてみる。
程なくして、確認作業は終わった。
(やはり、鬼飛車ほど面白い存在はいなかったな。恐らく、日本人はマークダ
ド人から最も遠いところに位置する人種なのだろう)
確信をし、そして推測をする。これらのことすらも愉快に思えた。
忍び笑いをしたメロスが振り返ると、その視界の片隅に部下の姿が目に入る。
何をそこまで慌てているのか、息せききって走っており、声を振り絞ろうとし
ているのも見て取れた。呼吸の乱れのためか、さっぱり聞き取れないが。
メロスは部下が正面近くに来るまで待っていた。
「どうかしたのか」
そう問うても、返事はなかなかなかった。メロスはジーモスに言って、水を
持って来させた。そのコップ一杯の水にありついて、ようやく部下は口が利け
るようになった。
「メ、メロス長官。一大事、であります」
半分ほど空にしたコップを、それでも震わせながら、部下は続ける。
「早くせよ」
「長官宅の敷地の大部分が今、大火に包まれて……」
「何だと」
驚いたものの、部下達のいる手前、慌てふためく訳にもいかない。落ち着い
た物腰、態度を維持したまま、再び口を開く。
「確かなのか」
「はい。このようなことを冗談では申せません」
背筋を伸ばしての敬礼で、誠実さを示す部下。意識の変化があったのだろう
か、喋りも一挙に滑らかになった。
「お急ぎください。現場へ向かいます」
「ああ、分かった。私の家族の安否は分かるか?」
足を進めながら部下に尋ねる。が、その答を待つ間に、肝心なことを思い出
した。
「ジーモス」
足を止めて振り返る。
「何でやしょう?」
「聞いての通りだ。どうなるか分からん。しばらくここでの代行を頼むぞ」
「了解しやした」
巫山戯た調子で応じつつも、敬礼の姿勢を取ったジーモス。「現場に行かれ
るのでしたら、長官ご自身もお気をつけて」と彼は付け加えた。
きびすを再び返したメロスへ、知らせに来た部下が恐る恐るといった風に、
「ご家族の安否はまだ……」と告げる。
そしてさらに彼は言葉をつないだ。
「それと……鬼飛車次郎氏の安否もまた、分からないのですが……」
「何だと」
急ぎながら、声を張り上げるメロス。
「彼は、今日は確か、午前中に国立美術博物館を見て回る予定のはず。どうな
っているのだ! 案内の者はどうした?」
「はっ。私が聞き及んだ範囲で申し上げます。鬼飛車氏は美術館に入られたの
は間違いありませんが、しばらくして体調が優れないと言われ、長官宅に戻ら
れました。案内の者が送り届けたとのことです」
「では、私の邸に着いてからが、不明なのだな?」
語気に圧されたかのように、胸を反らせながら部下は答えた。
「恐らく、そのようになります」
メロスは大きな音を立てて舌打ちをした。
「消火活動は進んでいるのか」
「もちろんでございますとも」
その目で見てきた訳でもなかろうに、部下は力強く答えた。調子がいいのか、
点数を稼ごうとしているのか……。
尤も、長官宅の出火を指をくわえて眺めているはずもなく、消防隊が全力で
当たっているのは間違いあるまい。その点は、メロスも楽観視していた。たと
え全焼して邸を失うことになったとしても、官舎がある上に、じきに再建され
ることは保証済みである。
問題は人命だった。
戦場で無数の死体を目の当たりにし、今でも数限りない処刑に立ち会い続け
ているメロスが、そんなことを心配するのは矛盾しているようであり、当たり
前のようでもあり……。
(死ぬなよ)
メロスが祈ったのは、彼の人生で初めてだったかもしれない。
家族と、それに何故か鬼飛車次郎の命も失いたくはないと思った。
焼けたのは、敷地内に占める割合でいれば、三割強といったところか。建物
の数で言えば、焼け落ちてしまったのはたったの一つ。半焼も一つだけで、普
段の生活の中心である本館は全くの無傷であった。
だが、メロスが受けたショックは大きい。
「火元は別館の角部屋と思われます」
現時点で判明したことを報告する消防隊の男の声を、メロスは耳を研ぎ済ま
せて聞いていた。眼前には、半分ほどになった黒こげの別館が、まだどうにか
聳え立っている。
「出火の原因は依然として不明。鋭意調査中です」
「離れへ延焼した原因は分からんのか」
待ちきれず、質問を発する。メロスの厳しい口調に、報告者は驚いたように
帳面から顔を上げた。
「はっ」
緊張した面持ちで一声返事すると、再び視線を落とし、一枚だけページをめ
くった。が、すぐに手を戻す。
「こうまで燃えてしまっては確かなことは言えません。飛び火によるものだと
推測するぐらいです」
「別館から離れまで、優に十メートルはある。それでも飛び火なのか」
「え、ええ。その通りであります、長官。火の粉という物は、風に乗ればかな
りの距離を流れていくことがありまして……」
「分かった。一応だがな。続けろ」
吐き捨てるように言って命じ、耳を傾ける。
メロスの苛立ちの源は、死者が出たことによる。
彼の家族は無事だった。使用人達も初期消火に従事したおかげで多少の怪我
は負ったが、命を失うことまでにはならなかった。
この度の火災で、唯一失われた人命。黒焦げになった遺体は、鬼飛車次郎と
しか思えなかった。
客人を迎える際、メロス邸では通常、別館の部屋を宛い、泊まらせる。しか
し鬼飛車の場合はメロスが気に入ったこともあって、特別に離れの使用を許し
たのである。もちろん、こうした方が見張りやすいという理由もあったのだが、
ここ数日の間に、敷地内での見張りの意味はなくなっていた。
――続く